2014年12月30日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻21

岡崎や矢矧の橋の長きかな 杜國

 三河国、岡崎の宿、矢矧川の橋は長さ二百八間と伝えられている。前句の「馬のねむた顔」に、この句の「橋の長きかな」という句づくりの悠々迫らざるのと応じて、橋板にことことと音がする馬の緩やかな足音の響きが聞えるような心地がする。馬上の人が倦怠してうめきだした句として解しても通じる。

 前人から「や」と「哉」について論がある。しかし、多くは言うに値しない。発句に「哉」があるからといって、平句に「哉」を用いて悪いことはなく、ただ平句の体が発句の紛れるように「哉」と止めてしまうと、一巻の体裁上はばかられ、忌まれることもある。この句「哉」と止められているが、まったく平句の体で、発句の分を犯さず、「や」としたとしても同様である。『平家物語』、平忠度の歌、「さゞ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山さくらかな」。「や」といって「哉」と止めるこの句のつくり方、これに似ている。

2014年12月29日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻20

真昼の馬のねむた顔なり 野水

 この句も解するまでもなく明らかで、前句とともに面白く、東海道を春の好き日に旅するような心地がする。であるのに、旧解には、ここは嬉しげというのを飼い雲雀を放つ態と見立て、八幡祭に人も浮き立っているのに、馬が疲れて眠がるのを見て鈍感だと思うさまを付けたとある。余計な穿鑿に過ぎた解というべきである。

2014年12月28日日曜日

ブラッドリー『論理学』105

 §81.そろそろ空間や時間における現象ではない個的なものに関する判断について考慮するのをやめる時期である(§41)。結局我々は仮言的でないような判断を手に入れることができたのだろうか。個的な実在に直接に属性を示すような判断が、本当に真にそうしたものだと言えるのだろうか。そこでは、諸要素の実際の存在を主張し、誤りではない陳述を見いだすことができたろうか。定言的に真であるものとは最終的には、「自己は実在である」あるいは「現象は魂の魂に対するあらわれを越えるものではない」といった判断に発見されるのだろうか。実際にもしそうなら奇妙なことに思われるだろうし、結局本当に奇妙なのは我々の心だということになろう。

 しかし、ここではこうした問題に答えることはできない。定言的に真であるものがどこにあるのか「ここにあるのか、あるいはどこにもないのか」を尋ねてから始めてそれには答えることができる。

2014年12月26日金曜日

ジョージ・キューカー『スタア誕生』のチラシ

1954年アメリカ映画。

リバイバル上映か。

残念なことにジュディ・ガーランドがあまり好きではない。



2014年12月25日木曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』19

      定義の必要

 状況は次のように譬えることができる。鳥の一群が、繁殖していって、非常に多様な生活の様式を発達させていった。彼らはいまでは異なった場所に異なった餌を探しに出かけ、それ故、被る危険の種類や程度も相当に違っている。また、彼らの餌を集める方法は、逃げる才能によって異なる。他の鳥よりより素早く餌をとって逃げられる鳥もいる。木で餌をとる鳥の危険と地面や水のなかで餌をとる鳥の危険とでは異なる。

 だが、彼らが未だに自分たちを同質の一団とみなし、不調和でも共にいることに固執し、同質の文化で生活していたときと同じ定位で行動しようとしているとしよう。この文化的雑駁さは彼らにどんな影響を与えるだろうか。彼らの反応は混乱に投げ込まれないだろうか。あるメンバーの注意を促す叫びは、記号としての絶対的な価値を失ってしまうだろう。木にいるグループの落ち着きは、もはや水のなかにいる鳥たちには適切な安全のしるしとはならないかもしれない。海岸で餌をとっている鳥の危険を知らせる鳴き声は、水のなかや木にいる鳥たちには同じような危険を示すものとはならないだろう。

 彼らは会話ができるとしよう。まず始めに主張されるのは、この混乱を一掃するための定義づけではないだろうか。危険、安全、餌などの言葉だけでは十分ではないだろう。正確な批評的語彙も導入されるべきだろう。どんな状況下での危険なのか、どのメンバーにとっての餌なのか、等々。羽ばたきをしたり叫びを上げたりする昔ながらの詩的な方法は威信を失うこととなろう。扇動家や愚か者だけがそうした手段に頼ることとなろう。最も知的な鳥たちは、厳密で曖昧さのない命名法の完成を主張することだろう。

 中世においては、文化的に異質な地域の間にコミュニケーションのシステムを拡大することが試みられ、特有のシンボル体系をもち学者の言語である、学問上のラテン語が発達した。それには口語体の柔軟性が欠けていた。しかし、人工的な媒体から借りることによってのみもつことのできる概念的な無感情を獲得した。そのときの状況といまの状況、多くの様々に異なる学問分野、異なった生活の様式、異なった精神病質を横断するようなコミュニケーション媒体を確立しようとしているいまとは顕著な類似性がないだろうか。前世紀の美的部門主義を経験することで、我々は広範囲にわたる手旗信号のシステム、言語というよりもむしろ用語法を生みだそうとしているのではないだろうか。

 現代の歴史家は、扱いにくく、当時においては一般的であった媒体を壊したということで、ダンテのような作家を好んで称揚する。彼が拒否した言語は、北スコットランドで言ったことと南イタリアで言ったこととが同じことを指すよう形づくられていた。学識ある歴史家たちは、この概念的な言葉(大衆の使うラテン語ではなく、神学者の使うラテン語)から、限られた地方の媒体を採用したといって彼を称讃する。同時に、今日において同じような段階を経て、特殊な経験を特有の言葉で書く現代の詩人たちを嫌うのである――そして、ダンテが捨て去ったとして彼らが称讃したのと同じ種類の媒体を完成させることに自らは進むのである。我々は彼らの不整合性を攻めているわけではない。状況は変わっている。ダンテの時代は、カトリックの普遍性が終わりを告げようとしていた。政治的な領域で、教皇党から皇帝党へと変化したことは、詩的な領域でラテン語からイタリア語へ転換したのと平行関係にある。この時点において、目的に対する国家的統一が形成され始め、口語への信望が高まるにつれて、詩的媒体が崩れていったのではなく、生じたのである。

 我々は俗語が単なる悪しきラテン語ではなく、学者のラテン語が完璧になった俗語でもないことを留意しておかねばならない。それらは二つの異なった種類のコミュニケーションのための、二つの異なった道具である。俗語は、人工的に裁ち切られた語彙が無視したような類の効果をまさしく目的としている。というのも、我々は覚えておかなければならないが、概念的な言葉というのはそれが排除し、抽象した後に残しておくものによって主たる価値が決まる。通常我々は抽象を非常に繊細な過程だと考えているが、別の観点からすれば、非常に鈍感とも考えられる。例えば、秤という抽象を考えてみると、その目盛りは一ポンドの羽毛と一ポンドの鉛とを区別できない。重さ以外のすべてを排除して判断している。

 今日の新聞の英語は、恐らくは厳密な科学的コミュニケーションを越えたところにあるテクノロジー的精神病質をあらわしている。常に情報に訴えかけることは、明らかに精神病質的な要求によって支えられており、人々は相次ぐ情報をごく低い注意のレベルでしか読んでいないので、数時間後には何を読んだのかさえ思い出すことができない。だが、情報に対する飢餓感は続き、絶え間なく与え続けられねばならない。同じ文章、同じ物語が一冊の本に何度もあらわれたらうんざりすることだろう。赤新聞やコラムニストを除けば、その散文は共通分母の上にあり、スタイルによる迎合の跡はまったく消し去られている。よりましな新聞でも、電報スタイルの真似さえ見あたらない。消去は全体に及んでいる。批評家は、マシュー・アーノルドに倣って、その作法を強調するよりもむしろ作法が欠けていると非難するのが常であるが、それでも赤新聞はある作法を得ようとしている。語の響きを愛する者は、不安を煽るような見出しの響きと調子に、ひねくれてはいるが真の喜びを得て、眼と頭だけしか使っていないような穏健な金融リポートを読もうとしても、うちとけない嫌悪感を感じるだろう。

 コミュニケーション媒体の混乱はある部分ではそれを克服する試みを生むし、ある部分ではそれを避けて通る試みを生む。人は言いたいことをそのハンディキャップなど関係なく言おうとするかもしれないし、ハンディキャップのなかで言える最良のことを選んで言おうとするかもしれない。詩人(想像力を使う作家一般)は言語的な混乱とは関係なく自分の言いたいことを言い続けるグループの代表だが、二つの不満足な解決法のどちらかに進む傾向がある。限られた精神病質を深く取り込むか、一般的な精神病質を表面的に取り込むかである。科学者や技術者は、欠点を長所に変えるグループを代表する。彼らの言葉は、スコラ主義のラテン語以上に、十分に複雑な詩的媒体としての魅力ある響きや、擬態による補強や、漠然と人間の諸状況を思い起こさせるような部分に欠けている。科学者のシンボルには、本を調べることで適切に反応できる。柔軟性に欠けていることが助けとなり、柔軟性に訴えかける必要がない。第三生産体制(科学技術的な)を合理化する言葉は、擬人的内容を低く抑えることで、擬人化への誘惑を概ね乗り越えることができる。それは機械の設計である。

2014年12月24日水曜日

ブラッドリー『論理学』104

 §80.しかし、我々がより低次の見方にとどまるなら、判断の真理を精査することに同意しないなら、個的な事実に関する主張をそのまま受け入れるつもりなら、その場合我々の結論は違ってくるだろう。抽象的判断はすべて仮言的となるだろうが、知覚に与えられたものを分析する判断はすべて定言的となろう。知覚を超えた時間や空間についての総合判断はその中間に位置することになろう。それらは普遍の強さについての推論を含み、その限りで仮言的な性格をもつに違いない。それらはまた厄介な仮定を含み、知覚と観念との概念内容の要素に同一性を認めねばならないだろう。この仮定が強力であれば、普遍は所与と関わりをもち、「もし」が「なぜなら」に変わり、総合判断は定言判断と呼ばれることになろう。この二つの判断のクラスは一方が個的な事実に関する、他方が抽象的あるいは性質に関する主張であることとなろう。後者が仮言的で前者が定言的である。

2014年12月23日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻19

嬉しげに囀る雲雀ちり/\と 芭蕉

 前句をよく味わえば、この句は解釈をするまでもなく、詩趣が現前する。ちりちりは鳴く声であり、ちよちよの誤りではない。狂言の『千鳥』に、「はまちどり友呼ぶ声はちり/\」とあるのを参考にして知るべきである。雲雀の声をよく聞くと、ちりちりといっているようである。

2014年12月22日月曜日

ジェームズ・ディーン・アニバーサリーのチラシ

『エデンの東』と『理由なき反抗』が上映された。

ジェームズ・ディーンは食わず嫌いのままきてしまった。



2014年12月21日日曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』18

      多様なロマン主義的解決

 温室のなかで再び古い結びつきを観察し、問題に突き当たる詩人もいる。彼らは古代地中海の伝承を思い起こす。アナトール・フランスのように、メランコリーとイロニーが混じり合ったなかで、「本の余白に走り書きをする」。選ばれた者たち、いまの風潮を嫌い、よりよい世界を攻撃的に象徴化することで、自分たちの嫌悪感を肯定してもらいたがっている、漠然とした量のXのために書く者もいる。それらに密接に関連してるのは、自分たちの心に耳を傾け、個人の生において避けがたく生じてくる結びつきを捉え、それが他の生と重なりあうところで結びつきを確立しようと望む作家たちである。永遠なものが急ごしらえに一晩で建てられ、過去を生き抜いてきた者の観点からすると、笑われるのが落ちな安普請を諷刺する者もいる。その時々の一般の関心に素早く合わせ、偏りを見越し、戦争時には戦争劇を売り、新聞が大臣とその取り巻きたちとのスキャンダルでいっぱいなら悪徳劇を売ることで自分の芸術を社会化する者もいる。それほどご都合主義的でない者は、新しい科学的発見を用い、遺伝の問題が広く語られ話題になっているときに、梅毒やアルコール依存症の惨禍を描きだすかもしれない。

 比較的テクノロジー偏重の西洋の侵害を受けていない地域で住んだり、以前には訓練されているというよりは無能だと考えられていた多様な集団――無法者、泥棒、木こり、娼婦、漁師、密輸業者、鉱夫、店員、闘牛士等々――から自然発生的に生まれてきた新道徳を明らかにし、利用することで新たな原始性を得ようとする試みもある。こうした新原始主義の別のグループは、否定し得ない普遍的な基盤として性的関心を強調する。

 問題そのものから出発することで問題と取り組む者もいる。彼らの芸術は芸術の方法論となる。恐らく、最も徹底的にそれを行なったのは後期のジェイムズ・ジョイスであって、心理学の実験室での調査にでもあたるような言語媒体の容赦のない崩壊の過程を示した。細かな部分で見れば、似たような傾向はナンセンスなコメディアンが口にする洗練され複雑な冗談にも認められるが、彼らの場合は恐らくはその刺激がより間接的で、実験室というよりは、応用科学で使われる資源の多くがそうであるように、転用といったところか。

 しかし、訓練された無能力という我々の概念は、この状況を逆転して見るよう我々を促す。詩のジレンマはなんらかの別なことの優位性として論じねばならない。ある種のコミュニケーションが崩壊すると、別の種類が廃墟の上で繁茂するだろう。

 この状況の肯定的な側面は、擬人化の少ないテクノロジー的な取り組みかたの発達に見られる。我々が書くものの語彙の変化がその証拠である。科学的用語は概念的で、命名する目的をもつが、コミュニケーションの自然発生的なシンボルは勧告、示唆、催眠を目的としている。直感的な定位によって大いに混乱した世紀が、かつてないほど言語の概念的な使用を発達させたのは偶然とは思われない。類似したものの微妙な相異、色合いの相似による混乱が、それに反応するより名づけることを我々に強いたのである。この世紀の主要な音楽でさえ心理主義的であり、表題音楽的な性質は、ベルリオーズの直截的で擬音的特性、ライトモチーフの使用で音楽的な命名に組織的に頼ったワグナーにおいて花開いている。示唆の威信が落ちるに従って、教育の威信が高まった。スタイル、美、形式――それらはいまや戦いを挑むべきものとなっている。或はそれらが有効なところでは、疑う余地のないほど極端で病的な反応を顕在化させるために多く用いられる。説得は安っぽい政治家のもので、修辞は虚偽と同義語となり、厳密な定義が理想となった。

2014年12月20日土曜日

ブラッドリー『論理学』103

 §79.そろそろいままでの苦難に満ちた探求で得た結果をまとめるときである。もし我々がある主張の究極的な真理を考えるなら、我々の見る限り、ありのままの定言判断は完全に消え去ってしまう。個的と普遍的、定言的と仮言的の区別は破られてしまう。すべての判断は定言的であり、実在を肯定し、そこにある性質の存在を主張する。また、すべては仮言的であり、そのうちのどれ一つとして実在の存在にその要素を帰することができない。すべては個的であり、総合の基盤を形づくるこの性質を支える実在そのものが個体であるからである。またすべては普遍的であり、主張される総合は個的なあらわれを提供しつつそれを越えている。それらはすべて抽象的であり、文脈を無視し、複雑な感覚の状況を取り除き、性質を実体化している。だがまた、すべては具体的であり、そこには、現前における感覚的財にあらわれる個的な実在に関する真以外にはなにもないからである。

2014年12月19日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻18

五形すみれの畠六反 杜國

 五形すみれは「げんげすみれ」と読む。「五形」をげんげと読む理由は明らかではないが、当時俗にげんげに五形の字をあてたのだろう。「五形」はごぎょうと読むべきだが、春の七草のなかのごぎょうは御形の字をあてる習慣で、故にまたおぎょうとも呼び、五形の字をあてることは稀である。

 七草のなかのごぎょうは、鼠麹草つまり「ははこぐさ」、また音便で「ほうこ」と呼び、「ひきよもぎ」ともいうものである。ここの五形が御形でないことは疑いようがない。げんげを「げげばな」ともいうので、「げげ」を延ばして「げぎょう」といい、また訛って「ごぎょう」といい、五行の字を当てはめることになったのか、定かには知りがたい。

 また、げんげは「れんげ」の京畿地方の訛で、関東で蓬莱草という。すみれは菫菜、または紫花地丁であるが、ここでげんげすみれというのは、げんげとすみれではなく、げんげすみれでひとつで、蓮華草のことである。これもまた京畿の俗称で、蓮華草を略して「げんげ」とだけいい、やや正しく「げんげすみれ」という。その意味は「げんげのすみれ」ということで、他の菫菜のすみれと分けるためのことである。菫菜だけを関東ではすみれと呼ぶが、昔は蓮華草を単にすみれといい、古歌ですみれとあるのは菫菜のことではなく、蓮華草のことをいうという説さえ谷川士清などもあげている。

 げんげすみれはつまり、蓮花の形に咲くすみれという意味で、菫菜のすみれと分けるための名であるから、さして咎めるべきことではない。げんげすみれはおそらく砕米薺のことであり、紫雲英とも書かれるものだろう。

 一句の表面的な意味は、ただ紫雲英が美しく咲いた畠が五、六反ほどあるということで、前句の花見次郎の家の近くの景色である。これを解して、世に仰がれた長者もぜいたくを尽くしてその家が衰え、いまはただ六反の荒畑のみが残っている、という栄枯の観をあらわしたとするのは誤りである。また蓮花草は牛馬の飼料とするものなので、多くの牛馬までげんげの花見をすると打ち興じた、というのも行きすぎである。

 紫雲英は自生するものだが、その花が六反も咲き連なるのは、荒畑などではないことは確かで、種を撒いて育てたものであり、それを水田の肥料とし、あるいは牛馬の飼料とするのである。人糞などの汚穢を避ける神に供える稲を作る田など、または他の肥料を得にくい地の田などでは、もっともよい肥料として紫雲英を植えることが農家の習いであり、そのために紫雲英の種は夥しく売買運搬される。このことを知れば栄枯の観などということの間違いであることがわかる。また、牛馬も蓮華草の花見をするというのは、蓮華草を牛馬の飼料とのみ覚えているもののうがった見解である。田舎の大百姓の家の辺り、広々としたところに蓮華草がとても美しく咲いていて紫の毛氈を敷いたようなのを見て、あの茅葺きの棟の高い家が花見次郎のものよ、というほどの風情に解釈するべきである。前句ははなはだ曲折があったが、この句は伸びやかに投げだしたようで、変化があっていい。

2014年12月18日木曜日

羽仁進『アフリカ物語』のチラシ

1980年の日本映画。

データベースを見て知ったが、原案が寺山修司だった。

これまた、見ていない。



2014年12月17日水曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』17

  .. 第四章 スタイル

      スタイルによる訴えかけの本質

 その最も単純なあらわれにおいて、スタイルは迎合行為である。「正当なことを言う」という催眠的、暗示的過程によって好意を得ようとする試みである。明らかに、正当なことについて同意がある場合に最も効果的である。遠慮なくものを言う者たちは、異なったしゃべり方をするように育ち、過度に丁寧で自分たちと違い、命令するときでも疑問の形で述べる(「これをしろ」と言うときに、「これをしていただけませんか」と言う)人間を信用しないだろう。「後ろ暗いところがある」と疑いさえするかもしれない。逆に、彼の方では、彼らが精一杯謙遜を示しているときでも、無遠慮なものの言い方が自慢めいていると考えるかもしれない。丁寧なものの言い方をする者が丁寧な聞き手に迎合したり、無遠慮な話し手が無遠慮な聞き手に迎合するやり方で自分とは異なるグループに向うと、スタイルはうまくいかないことになろう。

 アルコールの経験を積んできた者たちは、暴れ回っている酔っぱらいにどうやって近づき、感傷的な友情を暗示し注意を向けるのに「丁度あった」言葉と調子でどう働きかければいいかわかっているものである。そのあからさまな結果が過程を最も明瞭にあらわしている。そこには、詩人が聴衆に自ら望んだ精神状態を生みだすときと同じスタイルや迎合行為があった。私としては、マシュー・アーノルドがこの仕事をする姿を見たくはない。彼がしたのではあまりに露骨になってしまうだろう――彼が積んできた訓練はなんの役にも立たないだろう。住居の移動が当たり前の今日のアメリカでも、隣人が出会ったときいつでも細部に至るまで正確に繰り返される地方独特の言葉のやりとり、挨拶、身振り、声の調子のパターンに行き合うことができる。確かにこれは単なる鸚鵡の繰り返しではなく、正しいことを言うことによって互いを受け入れるためのスタイルなのである。

 エチケットとはフランス語ではラベルのことである。ビン、箱、包みに内容や価格を示すためにはり付けてあるもの、とラルースにはある。もちろん、そこから派生して、宮廷儀礼や礼儀の形式などを示すようになった。かくして、明らかに、社会において生き方、物事のやり方、考え方などが同質になればなるほど、ラベルも同質になり、芸術家は自分の目的のためにますますそうしたラベルを用いるようになる。

 1925年から1929年の「新時代」の間に、エミリー・ポスト夫人の著作が数十万冊売れたときには、自信をもってある文学における「スタイルの問題」を見ることができる。その文学には、馬鹿げたほど不適切なラベルを使って酔っぱらいを鎮めようとする頼りないマシュー・アーノルドの姿もあるだろう。経験に対する鋭敏な感覚を示し、各状況で望んだ反応を生みだす適切なラベルを駆使する強靱なハードボイルド作品もあろう。命令によってラベルを確定しようとする皮相な試みもあろう。強いられた感情や温室育ちの優雅さ、芸術におけるプロレタリア運動を朝までには仕上げようというような性急さ。

 もちろん、豊穣で詩想あふれんばかりの詩人によって、正しいことを言うという訴えかけがなされると、非常に冒険的な探求になる。シェイクスピアは順応がどれ程広範囲においてなされうるかについていくつかの例を示している。例えば、『ジュリアス・シーザー』では最も直截的なラベルによって陰謀者を陰謀者として示した。彼らは袖を引き合い、囁きを交わし、善意を装い、嵐のなか夜の暗闇の妖気が漂うなかで会合する。『リア王』では、コーデリアのような登場人物の性格がより精妙な形での取り入り方を示している。シェイクスピアは最初に、いかにひどく彼女が誤解されているかを示す。さて、観衆のなかで善意があってしかも誤解されていないような人間などいるだろうか。それ故、劇作家が必要とし目的とする如く、コーデリアに向けて心を開かない者などいるだろうか。ド・クインシーは『マクベス』を注釈して、シェイクスピアが更に深くまで行けることを示している。マクベスによる王の殺害を描き終わり、門でなる不吉なノックの音を聞かせるとき、私的で苛酷な良心を打ちのめす音が客体化され、内的出来事と外的出来事とが混じり合い、我々は単なる目撃者としてではなく、参加者として殺人に巻き込まれることにならないだろうか。ラベルが追従的に用いられるのでは全くなく、最も大胆な精神によって最上の活用がなされているが見て取れよう。

 こうしたラベルの構造が損なわれると、それに応じて、コミュニケーションでの重宝さも損なわれる。問題を提示することでは催眠にはかからない――反応を誘うベルを鳴らすことで催眠にかけるのである。変化、異なる仕事、不安定な予期は、そうした連鎖の範囲、性質、持続に根本的な意味合いをもつ。地理的な移動、社会層の崩壊、文化的合併、「新たな問題」の導入――詩的媒体に逆らって働く数多くの要因がある。人々がチャーリー・チャップリンの演技を非常に喜ぶのは、彼の正確なパントマイムのスタイルが社会的な混乱を乗り越えるところにあるのだろう。彼の表現は、常にそこにある身体の確実性、精神的姿勢と身体的姿との変わることのない相互関係に基づいているために、普遍的とも言える意味合いをもっている。

2014年12月16日火曜日

ブラッドリー『論理学』102

 §78.科学の実践は我々の長きにわたる分析がもたらした結果を認めている。科学で一度真であったものは永久に真である。科学の対象は瞬間瞬間の知覚が我々にもたらす複雑な感覚される現象を記録することにはない。これやあの要素が与えられたときにはなにかが生じるという普遍的に妥当なことを言うために、概念内容のつながりを得ようとするのである。そうした抽象的な要素を完全な形で発見し、高次のものから低次のものへと配列するよう努めるのである。前に使用した用語を使うなら、科学の目的とは「これ性」を一掃し、所与を抽象的な性質の観念的総合として再建することにある。その始めから、科学は観念化の過程である。そして、実験は、遙か昔にヘーゲルが語ったように、事実を一般的な真理に昇華させるがゆえに観念化の道具なのである。

 一般的な生活でも科学でも同様に、判断は最初は新鮮な事例に適用される。それは始めから普遍的な真理である。もしそれが本当に個別的なもので、それが生じた事例に完全に限定されるなら、使用が不可能で、なかった方がよかったことになろう。個別の判断でしかないものなど実際には存在しないのであり、もし存在しても、まったく価値がないであろう(第六章と第二巻参照)。

2014年12月15日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻17

縣ふる花見次郎と仰がれて 重五

 「縣ふる」は縣に年ふるということ、田舎暮らしが長いということだと昔から解されている。しかし、「縣ふる」はおそらくは「縣徇る」であり、触れ知らすことを徇るという。その土地で花見に伊達を競うことでは三人にくだらないものを、「縣ふる花見次郎」と、面白く取りざたされているのを取り入れてつくったものである。日向国に何次郎とかいう富貴のものがあり、近国で噂されるほどの花見を催して名を知られ、そののちは花見次郎といわれるようになったという旧解があるが、讃岐の作平と同じくこの次郎も名を聞くことがなく、京の川太郎、江戸の太申のように、人の口耳に残ったものでなければ、その虚実を考えるべきではない。兵六といえば、薩摩の人は誰でも知っているドン・キホーテのような物語上の人物だが、それでも東京、西京の人は知らないものが多い。

  まして貞亨のころに、日向国や讃岐国などの田舎の普通の人々の事績を取りだして俳諧にしても、それを知り、理解して、面白いと思うものが誰がいようか。また、俳諧に面影をとって作為とすることはあるが、一句一句になんの面影を取ったとするべきものでもなく、津浪は大伴の皇子、魚は長田の作平、花見は日向の何次郎と、いちいちよく知られもしていない故事や地元の言い伝えを連ねていかなければならない理由はない。これらはみな穿鑿が過ぎた愚かな解釈というべきである。

 すべて太郎次郎というのは、人の家の太郎次郎から起き、第一のものを太郎といい、それに継ぐものを次郎という習慣である。阪東太郎、四国次郎、太郎太刀、次郎太刀、太郎貝、次郎貝、愛宕の天狗太郎坊、比良の天狗次郎坊などのようなものである。花見次郎という語は、これらになぞらえて理解するべきである。もし日向の何次郎というものがあって、その後に花見次郎があるとすれば、其角が永代島八幡宮奉納の句の「汐干なり尋ねてまゐれ次郎貝」という句も、『曾我物語』に、「伊東の次郎、貝という貝を取りだして云々」とあることから、伊東の次郎貝ということになったと解するべきなのか、その愚かさ実に笑うべきものがある。

 この句はいわゆる逆付で、前句に大魚をさばいて死体を食べたものであることを知って興ざめし、驚いた様子があることから、そのめざましいまでの大魚を持ちだした人をあらわし、一場のおかしみを見せたもので、無限の滑稽がある。「縣ふる花見次郎」と人にも言わせ、おごり高ぶった男が取り巻きたちを多く引連れ、花の木陰に酒樽を開け、誰もが目を見張るような大魚を担ぎ込ませ、さてそれを捌いて煮炊きして、豪快なさまを衒おうとしたが、図らずも魚の腹から死体を食べたしるしがあらわれて、さすがに愕然と面々が顔を見合わせたる様子の、なんともいえぬおかしさを言外にみせたのがこの句のおもしろみである。『徒然草』の、紅葉の下に割り籠を埋めて、験者めかして楽しもうとしたえせ法師が、それを盗み取られて愚かな争いにいたる話にも似ていて、その田舎っぽい愚かしさが、また一段と勝って、笑いを催させるような光景である。「ふる」といい、「花見次郎」といい、「仰がれて」という一句のつくりをよくよく読みとるべきである。日向国のことなど知らないでも、この句のでたとき、一座の人々が笑いさざめいて、おとなしい芭蕉も、演劇ぶりが好きな荷兮も、重五の奇抜な才能に手を打ったことが思いやられる。

2014年12月14日日曜日

クロード・ルルーシュ『続・男と女』のチラシ

1977年のフランス映画。

全然興味がないので見ていない。

しかし、興味がないのにチラシは取っていたのだなあ。





2014年12月13日土曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』16

      訓練された無能力としての職業的精神病質

 読者は、ヴェブレンの訓練された無能力という概念がデューイの職業的精神病質と全く同じように扱えることに気づかれたかもしれない。ヴェブレンの用語と入れ替えることで、より明瞭に職業パターンの両義的な性質を見て取ることになろう。実際、デューイは最初は、民俗学者の間で、野蛮人の思考が西洋的思考パターンをとることに「失敗」した例として論じられる傾向に反対する目的でこの用語を提案したのだった。デューイは強調点が逆にされるべきだと考えた。調査者は、その思考パターンを自分の仕事で野蛮人たちと協力するために発達させた実際的な道具と考えるべきである。この観点から見ると、西欧人が野蛮人のように考えることに失敗しているとも言える。デューイの概念は、ヴェブレンがあからさまにした両義性を暗黙のうちに含んでいる。

 いかなる行為も、それが達成したこと失敗したことのどちらからも議論できる。わかりのよさは表面的だと言えるし、徹底は限定として、寛容は不確実さと論じうる――魚の歩行者としての貧弱な能力は、泳ぎ手としての優秀性によって説明される。ある見方はそれ以外を見ないための方法でもある――Aという対象に焦点を当てることは、Bという対象を無視することを含んでいる。この理由から、デューイとヴェブレンの用語は交換可能だと考えられる。しかしながら、我々の次の論題には、ヴェブレンのあからさまに両義的な概念の方がより役立つだろう。というのも、我々はコミュニケーション媒体を論じ(「主導的精神病質」であるテクノロジー的精神病質に影響を受ける)――そのは同じコインの裏表だと考えたいからである。別の言葉でいえば、コミュニケーションの媒体を考えるに際し、その性質の欠陥と欠陥の性質を同時に示してくれるような用語を望んでいる。

 テクノロジー的精神病質において前面にある理想的な解説や情報提供を思い返すと、この理想がコミュニケーションを目的とする装置としてのスタイルにいかに影響を与えているかを考えることとなろう。

2014年12月11日木曜日

ブラッドリー『論理学』101

 §77.しかし、それはまだ非常に低い位置にいる。知覚に関するあらゆる判断がある意味普遍的であり、そうでないなら、それを推論の基礎として使用することはけっしてできない。陳述は個別の事例を越え、「これ」、「ここ」、「いま」とは関わりなく真である性質の関係を含んでいる。もしその観念内容をこの実在に帰するなら、それが単称的であることは間違いないが、もしそれを観念内容の内部における総合を主張しているととるなら、知覚を超えている。というのも、同じ条件であれば、いかなる場所でも同じ結果が得られるだろうからである。総合は、ここやいまにおいてではなく、普遍的に真なのである。

 だが、この真理は、性質の関連が事物に浸透したものであるために、最も基本的なものである。)概念内容は無限の関係に満ちており、我々の陳述が仮定する最初の曖昧な形では、一方において総合とは関わりのない要素を考えに入れることになり、他方ではそれを構成するのに必要なものを取り逃がしてしまうこともある。例えば我々は「このものは腐っている」と言う。しかし、それはこのものであるために腐っているのではない。実在の関連はもっとずっと抽象的である。また、そこにあるだけの他からの影響を受けないなにかのために腐っているのでもない。一方では我々は不必要な細部をつけ加え、他方では本質的な要因を取り逃がしている。ある場合には、我々は「実在とはこうしたものであり、abcが与えられたとき、dがそれに続くだろう」と言うが、実際のつながりはa-dでしかないのである。また別の場合には、aがbと必然的なつながりをもっておらず、総合の真の形はa(c)-bであるのに、「この関連はa-bである」と言う。科学的な正確さの基準から言うと、最初の形は常に間違いであるに相違ない。それは少なく言い過ぎているか、多く言い過ぎているか、あるいはその両方である。上の段階に登るには無関係なものを取り除き、本質的なものを当てることでそれを修正しなければならない。

2014年12月10日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻16

佛喰うたる魚ほどきけり 芭蕉

 旧解には、讃岐国の何とかいう浦に鮫があがり、その腹中から恵心僧都作の仏像を見つけだしたことがあるという。このことはなんの書にでていたのか、浦の名も時代もはっきりせず、おぼつかない説である。また、讃洲志度の浦の長田作兵というものが、恵空上人のすすめで念仏の行者となり、あるとき、志度の浦で津波のために渚に打ち寄せた鰐の腹から恵心作の弥陀仏を得た、という話を持ちだすものもある。

 過去の評者たちは多くこうした解をとり、もしこの句に難しいところがあるならば扉句であるからだろうといっている。恵空上人はどういう人なのか知らず、長田作兵もまた彌陀次郎、阿波の介などのようにひとの耳に伝えられたものではなく、なにを根拠にしているのか考えることができない。芭蕉がそうした人のよく知らないような僻地の小事を用いて面影のつけ句をするだろうか、疑わしいことである。

 これらは仏を仏像と思うことからくる苦しい解であろう。俗に死んだ人間を「ほとけ」という、仏になった人ということである。ここでの仏は死骸であることは間違いない。ほどくは解くであり、割き開くことである。鰐、鮫のたぐいはいうまでもなく、黒鯛、真鯛なども屍肉を食らうのは常のことで、その腹より爪や髪などの出るのを見て驚き、眉をひそめることも間々ある例である。前句の海嘯の名残をここにあらわしたのが、なんで扉になるだろうか。扉とは二句同意で、前の句と後の句が同じ情景と時、所を離れないで、ひとつのことを繰り返すようになることをいう。「命婦の君より米なんど越す」という句は海嘯の句と同じ意味ではなく、ただ都から米を積んだ車の片里に着いただけであり、佛喰うたる魚と海嘯とも同じ意味ではない。しかもこの句は海嘯過ぎてのちのことで、場所も津波があった浜でないことは明らかである。浜で魚を割くことは却って希だからである。屍を喰ったと解して扉となるなどというのは強引な解釈である。

2014年12月9日火曜日

ロバート・ワイズ『スタートレック』のチラシ

1979年のアメリカ映画。

何度か見たはずだが、内容はまったくおぼえていない。



2014年12月8日月曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』15

      文学への影響

 こうしたことすべては、書くという職業に特有の職業的精神病質にどういった影響を与えるのだろうか。現在のところ、我々は三つのはっきり区別される解決法を認めることができる。感情、性、冒険、過剰、精神病などに取り組む芸術家がおり、というのもどんな職業も人間の身体に根づく部分が多い以上、多かれ少なかれそれらを共通のものとしているからである。他には、書くことが副次的にではなくそうしたこととともにある職業であるゆえに、フィールドワーク、歴史的心理学的調査、記録の捜索に赴き、新聞によって浮き彫りにされた問題を更に強烈にあらわす場合もある。一般的に、こうした傾向は、作家が他の精神病質に入り込むことによってより広いコミュニケーションを取るよう様々な経験を促すこととなる。他者の関心をある種バロメーターのように測ることに精通するようになる。このタイプは、ブロードウェイ・ドラマから、ハリウッドを通じ、単なるリポーターにまで及ぶ。

 逆説的なことだが、他とは異なる作家の特殊な精神病質が見て取れるのは、通常詩人たちを病的な特殊性に押し込んでいる批評においてである。しかしながら、それはエッセイ的なコミュニケーションの方法が、テクノロジー的精神病質とそれに付随する現象が概念化と情報提供に高い価値を与えている限りは正当化される。事実を伝え、概念的区別をする今日のコミュニケーション媒体は、スタイルによって機嫌を取り、説得や訴えかけを目指していた詩的媒体よりもよりうまく整備されている。

 デューイの職業的精神病質という概念は、想像的な上部構造が生産パターンからどのように生じるのか見事に示してはくれるが、批評的識別の基礎としてうまく役立てられるとは私は信じていない。というのも、別の精神病質が容易に想像できるからである。生存方法の相違が認められるところでは、それに応じた精神病質の相違があり、それぞれの特別なやり方でなにかに関心が抱かれるのである。

2014年12月7日日曜日

ブラッドリー『論理学』100

 §76.単称判断の唯一の希望は完全な断念にある。仮言的であっても、抽象的判断は自身よりも真であることを認めねばならない。判断のクラスの最も低い位置で満足しなければならない。その要素で実在を性質づけることをやめ、一般的な形容のつながりを認めることだけに専念し、個別の存在からは離れなければならない。「ここに狼がいる」や「この木は緑だ」で「狼」や「緑の木」が実在する事実であることを意味するのではなく、狼とその状況にある諸要素との、「緑」と「木」との一般的な関係を主張しなければならない。それを個別的な事実に関するいかなる参照もなしに、抽象的な意味において行なわなければならない。その低次の基本的な形においてそれは科学的法則に向かうが、その元々の主張は完全にあきらめ、真理への階段に足をかけるのである。

2014年12月6日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻15

籬まで津波の水に崩れゆき 荷兮

 籬を真垣とするのは当て字であり、真の字に意味があるわけではない。「ませ」、「ませがき」などという語の「ま」とともに、「ま」は「間」、もしくは「馬」の意味でもあるだろう。「真」に美を称賛する意味があることをもって、真垣を神社の垣とする旧解はいささか行き過ぎている。齋籬、瑞籬、玉籬などとあるなら神社の垣としてもいいが、ただ「まがき」とあるのを、強いて神社の垣とするのは間違いである。

 また、『増鏡』の大伴皇子が難波の津で高潮にあわれた面影と、旧註には見えるが、『増鏡』に大伴皇子のことがあったかどうか、私の記憶ではなかったように思う。ただ、高潮は津波であって、『増鏡』第二新島もりの巻に、承久の戦に鎌倉方が戦いに勝って猛然とした様子を記して、「荒磯に高潮などのさしくるやうにて」とはある。これは比喩の言葉である。津波が『増鏡』に見えるのはここにしかない。もし大伴皇子のことが『増鏡』にあるならばその面影といえるが、大伴皇子のことを詳しく論じた『長等の山風』にも、皇子が難波で高潮にあったことは見えない、自分の記憶に欠けたところがあるのだろうか、いぶかしい。ここは大伴皇子の面影などと解釈しないでも、前句との続きは自ずから明らかであって、それ以上とやかく論じるべきではない。

2014年12月5日金曜日

ロバート・バトラー『ジャグラー/ニューヨーク25時』のチラシ

1980年のアメリカ映画。

娘が誘拐されて、走って、走って、走りまわる映画、面白かった。

見直す機会がまだないのだけれど。



2014年12月4日木曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』14

      テクノロジー的精神病質

 こうしたすべてのうちにあり、関連し、それらを越えた部分にも底流にもあって、混乱の主たる責任を負うべきは、テクノロジー的精神病質である。恐らくそれは、その基本的パターンにおいて世界の新たな原理に寄与している精神病質である。我々の栄光と悩みの中心にある。

 人間の歴史にはそれにふさわしい三つの異なった合理化が存在すると思える、魔術、宗教、科学である。魔術は、人間が自然の根本的な力を支配することによる合理化だった。現代の思想家たちは、魔術の因果関係に関する理論の誤りを指摘したがるが、魔術が自然の力を利益に変えるやり方を図式化することに圧倒的な助けとなったことは明らかである。

 宗教は特に、人間の力を支配しようとする合理化だと思われる。文明がより複雑になると、人間の共同作業に関する高度に繊細な規範が必要となった。宗教的思想は、こうした複雑な状況のもとで、共同の慣習を秩序づける精神的領域での装置となった。

 そして、我々はいま第三の偉大な合理化である科学、科学技術や機械力を我々の目的のために支配しようとする試みに関わっている。

 その真髄は実験主義、実験室的方法、創造的懐疑主義、組織化された疑いと言われている。職業的道徳性をもってはいるが、現在のところ、はっきりした精神病質をあらわすというよりも、伝統的な道徳の崩壊や解除により力強く寄与しているのが見て取れる。通常、科学はコペルニクスの天文学、ガリレオの物理学、ベーコンの帰納的方法による合理化にまでさかのぼるが、その精神病質は、体系的な科学技術の発展による衝撃を真っ向から受け止めた最初の国であるイギリスの功利主義的哲学者たちの時期になって始めて完全に花開いたと言える。判断の主要な要因を効用に定めたこの説は、価値の問題を考える際に、参照地点を世俗的なものとして形式的に確立した。道徳の起源は超越的なものであり、真理は神によって、選ばれた代表者にあらわされ、聖職者の手によって伝えられていくという考えは、有用性や利害の考慮が我々の宗教的、倫理的、美的、また宇宙論的判断でさえ現に形づくっており、これからもそうであろうという考えに道を譲った。

 生存競争の道具や武器として道徳的知的特性が発達したと論じたときに、ダーウィンはまさしくこうした精神病質のなかにいた。マルクスは共存道徳という概念を導入した。ジェレミー・ベンサムは『謬見の書』で、功利的目的をもった法案の提出が最も高貴な道徳的偉大さという装いのもとぼやかされてしまう議会でのやりとりについて辛抱強くかつ辛辣に検証した。彼は内部と外部での顕著な考え方の相違、それぞれの立場で道徳的真実性が異なって操作されることに注目した。

 マルクスは、この分類を更に拡げ深化し、それが単に政治的な運による盛衰によって転換するのではなく、我々が内部と外部とを結晶化した階級として受け入れる限り結晶化が続くことを示した。彼はこうした、階級を互いに区別できるような類の精神病質について考察した。そして、功利主義者と同じように、現状あるべき姿を混同する傾向があり、階級意識が避けられないと感じられるときもあれば、別の方向に導かれるべきだと感じられるときもある。ここでの難点は、恐らく、第一部の冒頭で我々が気づいたこと、つまり、人の関心をひくもの人が関心をもつものとの微妙な区別であろう。階級道徳は階級が存在する限り即座に生じるかもしれない。しかし、階級意識は階級道徳に正確に訴えることで教えられねばならないのである。

 この道徳の系譜学において、ニーチェの立場は著しく複雑である。他の作家がエッセイストである場所で、彼は悲劇的詩人だった。彼は単に価値の超越を論じることには興味がなく、それを歌い上げ、この偉大な歴史的運動に予言的、儀式的アクセントを加えようとした。しかし、詩人は敬虔であり、敬虔さの訴えかけは深く疑問の余地のない結びつきの適正さにあるので、彼が関わる悲惨な苦境が見て取れる。彼はまさしく最後の価値まで、人間が文化的過去から引きだす敬虔な結びつきまで疑問視した。このニヒリスティックな関わりが彼の奉ずるところだった。従って、この祭壇に相応しい象徴的意匠でその周りを取り囲もうとした。それには、倫理的な範疇と有機的に関係していたものの力を弱め、美学的範疇との結びつきを強めることが含まれていた。芸術家としての格調の高い素養は常に彼に敬虔さへの道を開いていた。だが、彼の鋭くアフォリズム的な知性はそうした道筋を疑い続けたのである。

 その結果は、恐らく、前テクノロジー的精神病質から人類がこれから永久に持ち続けるだろうテクノロジー的精神病質への移行を最も完全に、かつ自己矛盾的に象徴化している。それは「親テクノロジー的」姿勢と言えるかもしれない。ツァラトゥストラは過酷で風変わりな孤独な雪山を下り、危険な世俗的、非世俗的歓楽をほのめかし、大都市のまさしく本質であるある種の懐疑主義、反宗教的な抜け目のなさを敬虔に儀式化する。ニーチェからの負債を自覚しているトーマス・マンが『魔の山』で同じシンボルを同じ目的のために多く用いているのも不思議ではない。ニーチェは突飛な発言によってその最も鋭い洞察の幾つかを傷つけている――そして、よきヨーロッパ人である彼が一貫して軽蔑していた愛国的軍国主義の予言者だとしばしば見なされている。しかし、結局のところ、彼の作品の豊穣さは認められなければならない。

 ヴェブレンは、恐らく、いま「文化的遅滞」と呼ばれている道徳的混乱を最も明るみにだしてみせた。その最も単純な形においては、彼の説は、過去の状況に適切に対応することで発達した制度は、状況が変化すると脅威になる、というものである。当然のことながら、制度が存続する限り、それを支えてきた倫理的価値もまた維持され続けるだろう。ヴェブレンの化石化した制度という考えが訓練された無能力という概念とどう関わるかは容易に見て取れる。

 価値の問題に関するこうした疑問視は、明らかにテクノロジー的精神病質の一部をなしていると思われる。人類学や民俗学の資料によって実証されるまでもなく、同じテクノロジー的枠組みの一部分をなす職業の多様性によってそれは更に活発になることだろう。我々はそれぞれに異なる医者の、法律家の、科学者の、トンネル工夫の、記者の観点をもっている。こうした入り組んだ多様性は、知的寛容、情報提供、大衆化、知識の概略に対して我々の与える重要性に精神病質的にあらわれている――また、ある種の個人主義は、生産が個人主義的に運営されていたかつての精神病質に予想される類のものではないにしても、少なくとも、部門主義、小集団に集中限定される知識に観察されるものである。

2014年12月3日水曜日

ブラッドリー『論理学』99

 §75.その主張を和らげ、仮言判断に対する優越をあきらめ、自ら条件的でしかないことを認めようとしない限り希望は残されていない。しかし、彼は前途に待ち受けている降格をまだ知っていない。そこで次のように、「自分が定言的でないのは確かである。私の概念内容は条件づけられており、『なぜなら』が私の手のなかで『もし』のまわりを回っている。しかし、少なくとも、私は抽象的な仮言よりはすぐれている。というのも、それは要素が実在であるとさえ認められておらず、系列の残りの条件に従っているのに対し、少なくとも私の概念内容は事実であると認められているからである。つまり、少なくとも私は存在を主張できるし、私の立場を維持するのである」と言うかもしれない。

 しかし、この主張は錯覚である、というのも、もし個的な判断がこのようにして仮言的になるなら、その概念内容についていかなる存在も断言されないからである。もしそれがなされるなら自己矛盾であるが、このことを説明してみよう。

 定言判断の概念内容a-bは実在の存在に直接に帰せられた。抽象的普遍的判断a-bはaにもbにも、またその実在との関係にも帰せられない。それはある性質xに帰せられるだけである。問題は、定言的なa-bが仮言的なものに変わったとき、a-bはある条件下にいるにもかかわらずまだ存在を要求できるのだろうか、あるいは、存在を無視した普遍的なa-bにならなければならないのだろうか。後の場合であれば、単に「aが与えられたときb」ということになる。しかし、前者の場合だと、「別のなにかが与えられたとき、a-bが存在する」ということになる。この主張の錯覚はさほどの間違いには思われないが、自滅的であることを示してみたい。

 ドロビッシュ(『論理学』§56)は、ヘルバルト(Ⅰ.106)に従い「Pが存在する」という判断を「なにかがどこかに存在するとき、Pが存在する」と翻訳する。私はこの翻訳が不正確だと考える。というのも、暗黙のうちになにかが存在することを仮定し、それゆえ実際にはいまだ定言的だからである。もし我々がこの翻訳を感覚の事実に適用するなら、そこで実際に仮定されているのは他の現象の完全な系列であり、翻訳は「もし他のすべてのものが存在するなら、Pが存在する」とならなければならない。しかし、この主張は自滅的であり、既に見たように(§70)「他のすべてのもの」が実在する事実であることは決してあり得ない。それゆえ、存在の仮言的な主張は存在できない条件に依存していることとなる。ところで、誤った仮定の結論が間違いでなければならないというのは真ではない。しかし、不可能な基盤が存在の唯一の条件だとされたとき、遠回しにではあるが存在が否定されていることは確かに真である。前に見たように、個的な判断は定言的だと捉えられたときには誤りだった。そしていま、仮言的に捉えた場合、肯定ではなく否定が、あるいは少なくとも否定の方が真だと示唆されるのを見た。

2014年12月2日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻14

命婦の君より米なんどこす 重五

 前句の雛をつくる女を、人妻などではなく、まだ年のゆかぬ由縁ある姫君にかしずく女とみて、また一転してこの句がある。命婦は内命婦五位以上の女官、外命婦五位以下のことをいうとは『壒嚢抄』の説である。「こす」は贈ってくるである。言葉の意味は明白で、解は必要ない。この句は命婦という名称をだし、いわずの間に人柄、事柄、場所柄を思わせて、狡い技術とはいえ、非常に巧妙である。

2014年12月1日月曜日

2014年11月30日日曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』13

      現在の職業的精神病質

 資本主義、金融、個人主義、自由放任主義、自由市場、民間企業など様々に呼ばれる精神病質が存在し、その強い競争的な性格は、会社と独占権(カルテル化)の成長、それに対応し、公務員の昇進の基礎となる(「やり手」であることは資格にならない)縁者びいきと年功序列の増加で、次第に、気づかぬうちに崩壊し始めている。その精神病質の力は、恐らく、プロスポーツといまはなき「新時代」に咲き誇った成功の文学に最もよくあらわれている。セールスの割当制度はここで重要な役割を占めており、生産におけるベルトコンベアーに対応する分配の技法を示している――そして、「機敏さ」、「押しの強さ」、「突進力」を保ち続けることが主要な美徳である。恐らく、この精神病質が最も精妙に、最も効果的に拡大されたのは、この刺激のもと、最初の頃にあった節約と僅かな収入という物々交換的な組み合わせが、新たな浪費と高収入という消費の組み合わせの前に崩れ去ったことにあろう。ヴェブレンが指摘するように、成功の機会は失敗の機会でもあるのだが、成功だけが大きく強調された。つまらない学者を除けば、誰でもこうした信念の言い換えに気づかずにはおれないのだが、我々はこの精神病質に向う推進力を正当化するかもしれない。

 大都市とは異なる農村の精神病質も存在するはずだが、今日では、人口と財政とが集中した場で決定される経済政策を黙認しなければならないことで、粗悪なものとなり、少なくとも弱まってしまった。税、利息、換金作物などが、かつては農民を特徴づけていた物々交換的心性を非実際的なものとした。彼らはいまでは消費経済のなかで、最も弱く、影響力の少ない、周縁的な存在に過ぎない。

 労働者の精神病質とは区別される投資家や融資者の精神病質もあると思える。それは具体的な物理的性質、手工業的機械的操作に縛られるものではない――予測、期待、未来のようなおぼろげなもの、価値のような形而上学的混乱をもたらすものを扱い、グラフ、統計、指標、収穫高、表といった面目を新たにした占星術を得るのである。いかなる詩人も、投資家の精神病質から想像力を発する夢想家や幻視家の現実概念ほど精妙で空想に充ちたものをもたなかった。商品の移動を副次的なものと見なし、取り引きが記録された書類にのみ実質を見いだすかのように、クレジットと利率の上部構造が基本的なものと考えられる。実際の物理的資産はほとんど解釈されるべきしるしでしかない。鉄道は、その軌道、動力、車庫、修理工場、労働力によって判断されるのではなく、資本構造のデータとして受け取られる。それは何百マイル、何千マイルもの長さに伸びている――だが、現実としてではなく、見込みに則ってのことなのである。この精神病質が思い描くところでは、世界の生産、配分、消費の問題は、大都市のエレベーターで秘密の会議室に集り、信用(クレジット)の問題について頭を悩ませる五、六人によって決められているとごく自然に考えられている。ここでは、かつて盛んに用いられた深く宗教的な摂理という概念が、奇妙な空気の精であるかのようにその精神性は無傷のまま、世俗化されているように思われる。

 しばしばこうした人々は物質主義者と呼ばれるが、物質主義者という非難ほど的外れなものはない。どちらも競争に巻き込まれてはいるが、資本主義国のプロレタリアートの精神病質が投資家の精神病質とできる限り明確に区別されるべきだとするなら、その相違は、まさしくプロレタリアートがその目的や快楽においてより物質主義によく当てはまるという事実に置くべきだと私は思う。というのも、彼らの想像力のパターンは経済体制の直接的な物理的側面から生じているだろうからである。彼らが産出するのは明確で使用できる物である。融資家の精神的な楽しみを欠いている彼らは、将来を見込んで買い込んだりため込み(資本財)、それらの見込みをもとに更なる見込みで買い込んだりため込んだりして満足を得ることはできない。物質主義的である彼らは、見込みということを理解できないだろう。使用できる商品によって保証された見込みにしか喜びを見いだせないだろう。

 犯罪的な精神病質について言うなら、主要な四つのグループを挙げられよう。第一に、ルンペン、浮浪者、任を解かれた専門家、金を無心して回る芸術家など。現在、彼らは新たな仲間、技術革新がもたらした失業者と混じり合うことによって変化している。組織的な政治腐敗に含まれるグループもいる。最もよい状態であれば、そこでは、正直さが接ぎ木され、組織だったえこひいき、仲間同士での信頼、言葉上の約束への良心的な忠実さ(書面にすると非合法になってしまう契約も含まれる)といった幾分困惑させられる道徳性が見いだされる。それは、警察の干渉を受けないことを示す「保護」という言葉の逆説的な使われ方のもとになっている。厳格なギャングの道徳に基づく、公正で高度な共同性を発達させねばならない暴力集団が存在する。彼らの規範はその生業が命ずるところに従い明確かつ直接的に形成されているので、ある意味で、最も道徳的な市民集団だと言えるかもしれない。

 第四のグループは、合法的な事業を通じて掠り取り、削り取る。大会社の重役や役員が株主、消費者、労働者を犠牲にして会社から利益を奪い取るという横暴なやり方である。もしこれらのグループを一つのものと考えることができるなら、何百万人もの人間が犯罪的な精神病質、ひそかなごまかし、社会的シニシズム、精神病質に必要な人間性の改善への憎しみに寄与しているに違いない。

2014年11月29日土曜日

ブラッドリー『論理学』98

 §74.実在は感覚に与えられ、現前している。しかし、既にみたように(§11)この命題を転倒し、現前し与えられたものはすべて実在である、と言うことはできない。現前は単に我々にあらわれる空間と時間における現象の部分ではない。単なるあらわれと同一のものではないのである。現前とは我々と実際の実在との接合である。存在する事実として感覚知覚の要素を受け入れることはある種の接触ではあるが、唯一の接触法ではない。

 仮言的判断には、実在は与えられているという意味がある。というのも、我々は諸要素の関わりのうちに現前を感じ、実在にその性質を帰するからである。現前から我々は要素を取り上げ、それを事実として受けとるわけではないにもかかわらず、仮言的判断は最終的には直接の現前に依存しなければならない。実在の財物を保持できるのはその総合だけで(§50)、その総合の基盤となる知覚において我々は実在と直接に接する。この接触が分析判断の支えとなるものより直接的であるかどうか問おうとは思わない。しかし、いずれにしろ、より真であるとは言うことができる。真理とは究極的な実在において真であるものだからである。超感覚的な究極的性質について主張できることは多くないが、いずれにせよ、その主張は間違っていないように思える。他方、感覚の分析判断について定言的に主張されることは真ではない。それが主張する概念内容は我々の知る限り実在ではない。この意味において、個的な判断に希望は残されていない。

2014年11月28日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻13

忍ぶ間の業とて雛を作り居る 野水

 忍ぶ間は言葉遣いが少し不確かだが、潜み忍び入る間である。雛はひな遊びの雛である。どんな理由があったのかわからないが、都を出て片里に潜み住んでいる者が、することもないので雛をつくって生業としている。前句の紅買いに出たというのを、雛をつくるために絹などを染めようと少しの紅を買うために田舎の商店に行くものが小山越の道にかかっているところと見なしての句である。これでほととぎすを聞くことにも余情の移りがあり、転じかたにも非常に興がある。

2014年11月27日木曜日

2014年11月26日水曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』12

  第三章 職業的精神病質

      関心の本性

 もしバッタがしゃべれるとしたら、「オーストラリアスズメのつがいの習性」について学問的かつ上手に話されるより、「バッタを食べる鳥」の話により興味を抱くだろうことは想像に難くない。関心という要素は、コミュニケーションの働きで大きな部分を占めている。例えば、もし誰かが自分にとって重大な契機となったことを非常に明快かつ端的に語ったとしても、聞き手が彼の言うことにほとんど関心を示さないなら、望んだようなコミュニケーションは取れない。哲学者が歯痛に悩まされているなら、数学的シンボリズムよりは歯科学に興味を抱くことになろう。論じられている事柄がなんらかの点で聞き手の関心を引き起こさないなら、コミュニケーションは満足したものとはなり得ない。こうした助けがなければ、訴えかけの手続きはすべて――わかりやすさ、簡潔さ、説得力、構成、柔軟性、など随意に続く――無駄になる。若い恋人同士や雇用者と被雇用者の間で交わされるこの上なく退屈な誓いの言葉であっても、長年の努力と労力の結果がこの無味乾燥な言葉にあらわれていると思えば、生き生きしたものとなるかもしれない。我々は人の関心と関わることによってその人物に関心を抱く。

 しかしながら、これだけ言えば、問題は非常に微妙であることが理解されよう。南北戦争以前のアメリカの黒人は、奴隷制に非常に関心をもっていたにちがいないが、その問題が特に言及された黒人霊歌を私は一つも知らない。ゆゆしい経済的問題に取りまかれているのも関わらず、現代の労働者はプロレタリア文学よりは社交界を舞台にしたドラマや冒険小説に関心をもち、プロレタリア文学の方は時間的に自由な好意的改革家や事務員や銀行家に主として読まれている。なにかがある人間の関心であっても、将来においても関心であり続ける保証は何もない。戦争の原因を理解することは人々にとって甚だしく関心をひく事柄であるはずである――しかし、そうした問題に関心をもたせることは非常に困難である。現状に不満足な者は、その不満足の分析よりも、けばけばしい物語や事実をありのままに伝える新聞により容易に関心を抱くだろう。なぜ自分が強いのかに関心をもたない乱暴者も、懸賞試合となれば夢中になろう。一日の仕事に疲れ切り、明日までは仕事のことなど考えまいと決めたセールスマンでも、映画に行き、登場人物が自分の仕事に理想的な金、工夫、社会生活を体現しているのを愉しく見ることだろう。この意味では、自分の仕事の理想、理想的な不安、理想的な希望、ものを売るのに必要な理想的な方法を体現している人物を見ているのだから、仕事からすこしも離れていない。

 ジョン・デューイの「職業的精神病質」という概念が、この関心の二次的な側面を最もよく特徴づけていると思われる。大雑把に言えば、この言葉は、歴史的な意味における社会環境は社会の生産方法と同義語であるというマルクス主義の説に対応している。デューイ教授は、ある種族の生計の手段は、特殊な思考パターンをもたらし、思考とは行動の一側面なので、そのパターンは生産と配分において部族を助けると示している。経済的パターンに答えるものとして生まれたこの特殊な強調を、彼は部族の職業的精神病質と呼ぶ。一度この精神病質が食物を得るパターン(生存の問題としてそれが主要であることは確かである)として権威によって確立されると、それは部族文化の他の側面にまで持ち込まれることになる。

 例えば、狩りによって生計を立てている部族では、結婚の習慣でも狩りのパターンが見られ、男性と女性との関係は狩人と獲物との関係に顕著な類似性があることが予想される。女性は儀式的に捕えられるだろう。また、狩りの非常に問題のある部分、突然の予期せぬ出来事に常に備えていなければならないことは、新しさに文化的強調をもたらすかもしれない――彼のあげている例では、戦争をしているオーストラリアの部族では、互いに最も新しい歌を聴き合うことで恩赦が与えられる。部族の生計に役立つ思考パターンを強調することで、精神病質はある種の創造的な性格をもつようになり、他の行動や形象に向いたときにも、似たようなパターンをもつ作品を形づくることになろう。更なる補強証拠として、それとは対照的な、生産体系の基礎として周期的に回帰するもの、季節に関する伝承、天文学的な固定性などをごく自然に強調し、伝統を重んじる農耕文化の芸術や考え方を挙げることもできる。そして、今日では、一時的流行にとらわれやすく、競争的な資本主義によって生みだされた新奇なものを常に求める我々の精神病質があってこそ、経済的社会的先行きに顕著な不安定さとうまくつきあっていくことができるのだろう。

 芸術家は主として、職業的精神病質を派生的な側面で扱う。それを形象の新たな領域に投影する。狩猟の精神病質が新たなものを重んじるなら、芸術家は、新しさの経験を思わせるようなあらゆる技巧を発見することで、自分の芸術を社会化するだろう。逆に、自然の周期的な運動に忠実に、生産の段取りを決める枠組みを奉じている農耕的精神病質のなかで働いている芸術家は、部族の創設に付き従った吟唱詩人の神秘的な詩句に立ち返り、常に生気を与え続けることで、自分の堅実な伝統主義を公的に印象づけることになるかもしれない。

 もちろん、原始的な社会でさえ、完全な職業的同質性があるわけではない。少なくとも常に、生産パターンとの関係が部族全体とは異なる特権階級が認められる。しかし、一般的には、芸術家は職業的精神病質が浸透したパターンのなかで、外部の材料を一般的な部族の装備で扱うと言える。彼は自分の特殊な経済システムに有用で適した習慣パターンを助長するような知的想像的上部構造を打ち立て操作する。その種の作品を授かることで、人々は強調点、識別、姿勢などを発展させる。特殊な好み、嫌悪、恐れ、希望、気遣い、理想化などが前面に出てくる。それは小さな火薬樽のようなもので、芸術家は爆発させようとするものの導火線に火をつけようとする。彼は論争の種になるようなもの(つまり、職業的精神病質の関心を呼び起こすもの)を扱うときに最も幸福である――そして、集団が同じように反応を見せる限り、その作品は普遍的な訴えかけの機会をもつことになる。

 現在では、精神病質の相違を探ることが正当化されるほど互いに異なった生活のあり方を含む多様な職業的分類が想像できる。こうした生存様式のパターンは互いに排除し合っている。重なりあうところでは、混合的な精神病質を生みだしている。だが、二三の顕著な職業的特徴が認められ、それらは恐らくは平行した精神病質をもっている。(ちなみに、デューイ教授は、「精神病質」を精神医学的な意味で使っているのではないことは留意しておく方がいいだろう。それは単に精神の明白な特徴を示している。)

2014年11月25日火曜日

ブラッドリー『論理学』97

 §73.「それは反省の産物に過ぎない。我々にあらわれる通りのものを事実ととって満足すれば、それを感じたままにしておけば、我々は失望することはない。過去からの宙に浮いた糸によって支えられることもないし、幻影的要素の途絶えることのない関係の消え去りゆく網の目のうちに滅ぶこともない。感覚にあらわれる実在はそれ以上のものではないのである。それは自律しており、個的で完全、絶対的にして定言的である」と言われるかもしれない。ここではこの発言を論駁しようとは思わない。我々は所与が知的な改変なしに与えられたのか、我々に観察し見ることのできるものは我々が既に干渉したものではないのかについて答えるよう求められているわけではない。ここでそうした問題を取り上げる理由はない。また我々は有能な形而上学者よろしく、理性に心酔し、感情を軽侮しているのでもない。失意の感情が感覚の真理に対する反抗の先頭に立つと論じることにためらいを感じるものでもない。ずるがしこい頭に最初のいぶかりの声を上げるのは悩ましい心だった。

 お望みなら、我々が感じる通りの実在が真なのだと言ってもいい。しかし、もしそうなら、すべての判断は間違いであり、あなたの単称判断は眠りにつくだろう。我々のいまの目的ではあなたの主張を認めてもいいが、それが我々への異議として申し立てられているなら、質問を返したい。それがどうしたというのか。そう言っているのは誰なのか。こうした非難をできるほど誰が反省という罪から自由であると自負しているのか。言ったことの結果を考えないような人間は確かにいる。拙劣な分析と独りよがりの形而上学が詰まった本を書く作家もいる。「経験」に情熱を燃やす思想家が自分の一面的な理論に自負をもち、感覚される事実への忠誠心がそれを未消化な反省の結果と区別できなくしていることもある。

 現在我々に仮定され、形而上学が論じるだろうことは、現象とは最終的に我々が考えざるを得ないものであり、我々の思考の最後の結果は真であるか、そこで我々がすべての真を手に入れるかということである。実在にとって確かな根拠となるのは反省の始まりではなく終りである。我々の心はそれ以上のことを決することはできない。実在についての我々の思考は、分析判断のレベルにとどまっている限り批判に耐えられないだろう。我々が信じずにおれないのは、後の、よりよい反省の結果、少なくともこの判断は真でないことが確証されることにある。現象の系列の全体や部分を実在の性質と主張することは間違った主張である。

2014年11月24日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻12

紅花買道にほとゝとぎす聞く 荷兮

 双六を打って遊んだ人の本業が紅花買いだと前人が解したのは、解し得て妙である。ただし繭買い穀籾買いなどの風情はいささか知っているが紅花買いの様子を知らず、思うに、紅花を摘み貯めたものをそのまま買うこともあり、また、紅花を搗いて乾し、捏ねて餅のようにした紅餅を買う場合もあり、また精製した「かたべに」を買うこともあるだろうか。

 しかしここでは花または餅を買い集めるものを思うべきで、餅よりは花を、農業の片手間につくる家々から買い集めて、餅または「かたべに」に製するものに渡す商いと解したい。紅を製するのは専門家の仕事であるが、紅花を作り植えるのは誰にでもできることだからである。出羽の最上、山形、伊賀、摂津、筑後、伊予はみな紅花をだすと聞くが、それ以外の地でも、少しの紅花を作ることは所々にあるだろう。二月に種をまけば五月に花を開く。暁の露がまだ乾かないうちに花を摘むことを習慣にしているが、それは露が乾いた後に摘むと紅の色に力がなくなるからである。花は一度摘めば再び咲き、幾度も摘んで咲かなくなって終わりになる。花を摘んでから固紅を製するまでのことは、『機折彙編』、『六部耕種法』その他に出ている。

 この句は、露の降りた暁に、紅花を摘む里の農婦などを訪ね巡って、摘んだ花を買おうとする道筋でほととぎすが雲間に鳴くのを聞いている様子である。前句の朝月夜に付けたことは間違いなく、紅花を買う道としたのは作者の一働きである。

2014年11月23日日曜日

ジョルジュ・ロートネル『ソフィー・マルソー\恋にくちづけ』のチラシ

1984年のフランス映画。

ソフィー・マルソーは好きだったけど、でているから見に行くほどでもなかったから、見てないなあ(多分)。




2014年11月22日土曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』11

      動機は諸状況を速記したものである

 連合によるつながり、刺激と反応のもと考えるとき、動機についてなにを言えるだろうか。現実の生の経験が実験室の実験のように単純ではなく、夕食のベルのような明白な場合は滅多にない非常に複雑な解釈がなされると理解されたとき、人間の動機づけに関する内観的、道徳的用語法にこの事実を示す何かが期待されないわけがあろうか。単純な条件のもとにある法則を発見することは、それ自体は高度に複雑な条件においても同じようにその法則が働いていることの証拠にはならない。しかしながら、向きを変えるか痕跡として残っているか、なんらかの形でその働きの証拠を探すことは正当化される。

 さて、所謂意識現象と呼ばれるものが何であれ、それがなんらかの葛藤から生じることは一般的に同意されている。かくしてそれは、慎重な選択という単純な意識状態から、あらゆる事実とその結果を秤にかける優柔不断、何か重要な側面が軽視されていて、そこから良心が危機にさらされるのではないかと恐れる周到で念入りなものにまで及ぶ。意識の特徴は、同様に、動機についての関心、動機の選択で我々が考慮に入れねばならない感情でもある。

 こうした事実はすべて、動機についての我々が内省する言葉は、相矛盾し争い合うある種典型的な刺激のパターンを大雑把に速記的に記述していることを示していないだろうか。例えば、我々が義務という動機づけのもとある行為を行なうと言うとき、一般的には、ある種の反応を求めるある種の刺激が、別の反応を求めるある種の刺激と結びついているという複雑な刺激-状況を示している。我々が愛とは矛盾する義務によって行動するのは、直接的な満足は少ないが(我々は仕事を放り出して駆け落ちはしない)、怒った両親や非難がましい隣人の好意を得ておいた方が、最終的にはより満足を得ることができると判断するためである。刺激に従順に反応し、快の性格をもつ連鎖(駆け落ちという考え)が、同じく刺激への柔順な反応だが不快な性格(「人はなんと言うだろう」)をもつ連鎖と争う――そして、最終的に止まることに決めたなら、その動機は、義務から行動したことになろう。このような場合、義務とは、刺激同士の特殊な争いのパターンを認識する以外のことではなく、そのパターンとは自分が属するグループで頻繁に繰り返された経験のパターンであり、命令に従うとはそのパターンをあらわす特有の言葉である。

 或いはまた、ある男が、「怪しいから後戻りした」と告げたとする。つまり、怪しさが彼の動機だった。しかし、怪しさは全体として調和しているわけではないしるし、意味、刺激の複雑な集合を指す言葉である。混合の具合は概ね次のようになろう。危険のしるし(「こいつには何か不吉な感じがする」)。安心させようとするしるし(「しかし、ここで強盗しようとするものはいないだろう」)。社会的しるし(「何もないのに騒ぎ立てて物笑いにはなりたくないが、何か落としたふりをして道を後戻りすることはできる」)、等々。「怪しい」という言葉によって、彼は状況そのものに言い及ぶ――そして、同じような刺激のパターンがあらわれる度に、彼は変わることなく怪しさに動機づけられたと言うことだろう。ちなみに、我々は状況を一般的な意味の図式と関連づけて特徴づけるので、状況の速記法としての動機が我々の定位一般にいかに関わり割り当てられているかは明らかである。そして、なぜ『デイリー・ワーカー』が、恐ろしい動機を政治家たちに割り当て、ブルジョアジーを変わることなく憤激させ続けるかが理解される。

 動機に関する言葉が、事実、状況に関する言葉であるなら、我々は犬にさえ動機づけの「言葉」を観察できる――というのも、犬のよくある身振りには、多様な状況パターンについての認識を見て取れるからである。主人に挨拶する身振り、通りすがりの見知らぬ人間に対するもの、ぶたれると脅かされたときの、小屋に戻りなさいと言われたときの、新鮮な臭いに出くわしたときの、等々である。言うなれば、犬は二十から三十の典型的な、繰り返しあらわれる状況についての語彙をもっており、それらについては我々もすぐにわかるようになる。田舎の毛づやのいい若いテリアは、唯一の冒険が店までの散歩であり、舗装された道路で育ち、太り、甘やかされ、食べ過ぎの街のプードルとは相当に異なった動機の語彙をもっている。

 このように動機を考察すると、なぜ動機づけに関するかくも多くの敵対する理論がここ数世紀の間に急激に増加し、その当座専門家の集団やある階級の人間に流通するにいたったのか説明することができよう。我々は人々の行動を際限のない多様な理論で説明してきた。民俗学、地理学、社会学、生理学、歴史学、内分泌学、経済学、解剖学、神秘学、病理学、等々。なぜ人々はそうするのかを語ることに特別の関心を払った特殊な芸術形式が隆盛を極めさえしたが――心理学的、科学的小説――それは恐らくは動機づけが極度にあやふやな性格をもった問題となったからであろう。そうした芸術は人の振る舞いについて情報を与え、そのスタイルはますます詩的でも読者本意でもなくなり、ますます注解と説明に限定されている。

 偉大なる劇の時代には、観客はなぜ登場人物がそう行動するのか知っていた。登場人物こそ苦境に陥っているが、観客は彼らの行動を見て、しゃべるのを聞くだけで、動機については当然のことと見なしていた。しかし、我々はこうした初期の劇の動機についてさえ混乱するようになっている――それゆえ、動機づけが特定の主題となる芸術形式が発達したのである。この事実は我々の不安定性が増していることを示していよう。高度に安定した時代には、生のおきまりのパターンも高度に安定化されており、複雑な刺激の組み合わせは標準化され、動機は固定していたからである。そうした文化的に統合された時代には、人間が自分の動機について嘘をつくことはあり得たが、自分の動機がわからないといった疑いは考えられない。

 我々の解釈によれば、動機について語るのは、単に、その人間が置かれた状況にある相反する刺激の特殊なパターンや組み合わせを名づけることなので、そうした姿勢も正当化される。しかし、著しく不安定な時代、大きく変わりやすい対立のある時代には、典型的な刺激のパターンが集団全体、或いはその過半数に及ぶことさえ起こりにくい。それゆえ、刺激の組み合わせの多くは名づけられないままだろう(少なくとも、最も深い意味における命名、つまり、動機として確実なものとなり、動機を指す言葉として普遍化されることはない)。とはいえ、テクノロジーの進歩が政治的、社会的、経済的、美学的、道徳的定位を歪ませ、社会の必要が根本的に異なってしまった現在のような有為転変の時代には、動機づけに関するすべての問題が再び流動化すると予想されないだろうか。

 我々の放浪生活、年ごとに逆転する経済的身分、戦時下における国家体制の大変動、好景気の平和、大不況、職業習慣の広範囲にわたる多様化、いまから五年先でさえ世界がどうなり我々がそれにどう対応しているか全くわからない予測のつかなさ、田舎ででもなければ完全になくなってしまった「この父にしてこの子あり」的な傾向――こうしたすべての要因は、比較的安定した時期には高度に社会化普遍化されていた性格とは反対に、典型的な、或いは頻発する刺激のパターンを個人化するものである。こうした状況は、そのまま動機の問題にあらわれるだろう。

 実際、この点に関しては、内省的心理学への攻撃がことにアメリカでは一般的であったことが注目に値する。アメリカとはまさしく、頭のなかをのぞき込めば、不変の、安定した、繰り返される経験の豊かな蓄積が止められておらず、見いだされるのは、さほど高度でも複雑でもない、新しい冷蔵庫を買う誘惑だとか、失業の恐れだとか、煙草の銘柄についての関心などの数少ない単純な刺激があるばかりの場所である。かくして、動機の内省的な探求は、完全な空虚さを露わにする危険がある。こうした「文化」だからこそ、教育とは豊かな可能性の蓄えから洞察を引きだしてくることではなく、経験したことを空っぽの器にくみ出すことだと理論づけた行動主義的な心理学が興り、定着できたのではなかろうか。

 恐らく、最も徹底的に、諸状況としての動機を論じる傾向を体現しているのは、ウィリアム・マーストンとその同僚たちの『統合心理学』であろう。彼らは行為の根本的な衝動として、栄養、性、出産を仮定する。我々の様々な社会的行動は、直接的間接的にこれらの衝動を満足させるものと解釈される。衝動は派生物をもっている。餓えという衝動は商業的な野心に転化されうるし、性的衝動は社会の繁栄への関心として表現され、出産の衝動は芸術に変わりうる、等々。「反応単位」としてある四つの動機づけは、盲従、支配、誘い、従順である。盲従は、意志に反して、自分よりも勝っていると思われる力に従うことである。(牢獄の囚人は盲従する。)支配は、ものを思い通りにしようとする。(子供は棒から手を放させようとすると抵抗する。)誘いは、セールス、広告、宣伝、お世辞、嘆願のような甘言によって達成される。(「うまく教育すれば、幼児期の早い時期に子供は、ものは支配し、人間や動物は誘導しなければならないことを学ぶ。」)従順と誘因との関係は、盲従と支配との関係に等しい。幸せな恋人は支配に盲従するのではなく、誘いかけに従順である。顧客はセールスマンの誘いかけに従う。(「動物や人間にある自発的な、素朴な、模倣的な行動は従順さによって動機づけられているように思われる。以前の本能に関する理論は、通常、模倣を基本的本能の一つに数え上げていた。更に、全体としての行動が支配や盲従によって制御されうるとしても、模倣的行動にはすべて従順さが含まれていなければならないと思われる。」)しかし、もちろん、判断のほとんどの場合において、単純な「反応単位」があらわれることは滅多にない。衝動やその派生物や四種の典型的反応同士が衝突し合う複雑な状況に行き当たるやいなや、動機と感情に関する我々の用語は、刺激-反応の状況を、ベンサムが確立したいと願った「道徳の算術」と同じくらい複雑なものとしてしまう。この著者たちは、通常動機の名で語られている数多くの複雑な状況をためらいがちに分析している。また、刺激にある相争う性質のため、その争いへの反応から生じるものとして、意識を神経医学的に説明している。

 つけ加えて私が強調するのは、刺激そのものの性格である。刺激は絶対的な意味をもってはいない。拷問による死を示すしるしであっても、安楽を愛する懐疑論者と殉教には永遠の報酬が約束されているという世界観をもつ苦行者とではその定位において全く異なった意味をもつ。いかなる状況であっても、その性格は、それを判断する解釈の枠組みから生じる。そして、客観的状況を評価する異なったやり方は、主観的には、動機の差異として表現される。

 動機は紛れもなく言語的な産物なので、動機の問題はコミュニケーションの問題に向うことになる。我々は自分が生まれ落ちた文化的グループ特有の言葉によって状況のパターンを識別する。言語的産物としての精神は、ある種の関係を意味深いものとして選別する諸概念(言語的にかたどられた)によって成り立っている。他のグループは、別の関係を意味深いものとして選択するかもしれない。こうした関係は現実ではなく、現実の解釈である――従って、異なった解釈の枠組みは、現実はなにかについて異なった結論を導きだすだろう。

 他にもかかわらず起きることもあれば、他のために起こることもあり、他に関係なく起きることもある。もし我々がすべてを知ったなら、恐らくにもかかわらず関係なくは排除することとなろう――しかし、限定された解釈の図式はすべてこれら三種のカテゴリーをどう分けるかに主たる相違がある。例えば、自然主義者なら、Aはその邪悪さには関係なく事故で傷ついたというかもしれない――超自然主義者なら、Aの邪悪さのために事故は起こったと言うだろう。解釈の転換は、我々が出来事をためににもかかわらず関係なくにグループ分けする異なった方法から生じる。

 こうした解釈の転換は、異なった関係性に注意を向けるので、それぞれ現実について全く異なった絵を描く。我々は、自分が生まれ落ちた特殊な言語的織物に従いある種の関係を選び出すことを学び、その言語的織物を使って私的に他の諸関係を定式化するかもしれない。その場合、我々は新たな用語を発明するか、古い言葉を新たなやり方で適用するかして、我々の特殊な付加や変更が古い織物と合っていることを示すために、自分たちの集団の言語的装置を操作して、自らの立場を社会化しようと試みる。我々は新たな関係を意味深いものだと指摘しようとする――状況を異なった風に解釈する。主観的な領域では、新たな動機を発明する。古い動機と新しい動機のどちらも言語的に構築されており、言語はコミュニケーションの媒体であるので、定位から始まったこの議論は、動機づけを通じ、コミュニケーションに進むこととなる。第一部の残りは、コミュニケーションを扱うこととなろう。

2014年11月21日金曜日

ブラッドリー『論理学』96

 §72.もちろん、これは単なる形而上学だと言えよう。所与は所与であり、事実は事実である。いいや、我々は個的な判断と仮言的判断とを、前者は知覚にかかわり、そこに主張されている要素の存在が認められることをもって区別している。そうした区別は、あまりに微妙な雰囲気のなかに溶け込んでしまうので、無視すべきではある。しかし、私はこの区別を撤回したくはない。これは思考のあるレベルにおいては適正である。論理的探求の通常の目的にとっては、総合的および分析的な個々の判断は定言的であり、ある意味普遍的判断に対立すると捉えた方が便利であろう。

 しかし、論理学の諸原理に更に踏み込み、判断のクラスがそれぞれどのように関連しているかを考えざるを得なくなったとき、上述のような疑問を掲げないとしたら、我々が間違っているのは確かである。我々が区別の基盤をもっていると知っただけでは十分ではない。それが真の基盤であるか尋ねなければならない。それは区別する地点以上のものではないか。それはまた事実ではないのか。概念内容を照らしだす現前の光は、我々がそれを写し取ったときにもその真実性を保証するのだろうか。現前する現象、現象の系列は実際の実在であろうか。そして、いずれの問いの答えも否定的であることを我々は見てきた。感覚に与えられたものを判断においてとらえることができたとしても、我々は失望するだろう。それは自律的ではなく、それゆえ非実在であり、実在はそれを現象の無限の過程において越え、それと共に消え去ってしまう。(言うならば)知覚においてあらわれる実在は、現象でも現象の系列でもない。

2014年11月20日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻11

朝月夜双六打の旅寝して 杜國

 『万葉集』巻一、「藤原宮から寧楽の宮へ遷都せられたときの歌、(上略)あをによし、奈良のみやこの、佐保川に、いゆき至りて、我が寝たる、衣の上ゆ、朝づく夜、さやかに見れば、(下略)」、同巻九、「鳴く鹿を詠んだ歌、(上略)朝づく夜、明けまくをしみ(下略)」。いずれも有明月である。

 双六打ちはそれをなりわいとしているのではなく、ただ双六を打つひとである。双六打つひとが止められずに、我が家に帰るのを忘れ、月が残る暁になってしまったのを、面白く朝づく夜といい、旅寝といったので、わざと旅寝と断ったのに滑稽があり、また前句の坊にも利かせてある。二、三里離れた友の家を訪ね、はじめは泊まる気もなかったのに、互いに好む遊びに我を忘れて、帰ろうとするとすでに夜明けが近く、思わぬ泊まりをすること、誰にもあることである。そこを巧みに句につくり、信楽の坊という街道のせわしい宿でもないところに付けたのは、実にふさわしい。長閑な坊の主人の人品もよく、また双六板なども備わっているよい家のさまが見える。

 さてここでは、前句の蕎麦さえ青しをまた新蕎麦もなくてととるべきである。双六も負け込み、好物の蕎麦もご馳走になれないのかと、気の抜けた朝の顔、目に見える心地がして面白い。双六を打つことこの頃の句に多い。なかばは小博打として、大いに世に行われたのだろう。

2014年11月19日水曜日

ラリー・サヴァドヴ『カタストロフ』のチラシ

1977年のアメリカ映画。

見たはずだが、トラウマ的印象を残していないところを見ると、それほどたいしたものでもなかったのだろう。



2014年11月18日火曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』10

      より大きな全体の一部である動機についての更なる考察

 要約しよう。動機づけの概要が変化する限り、行動の動機とするものにも変化が予想される。動機はテーブルのように人が見に行ける固定した事物ではない。それは解釈に関わり、当然、全体としての世界観のなかに位置づけられる。精神分析が扱う合理化の過程は、彼らが考えるような場に集中しなかった。それは、人はなにをすべきか、いかに自分の価値を証明するか、どんな根拠でよい扱いが期待されるか、よい扱いとは何か、などに関する判断の全体に位置づけられた。ある人間が自分の振る舞いを説明する際にもちだす少数の動機は、このより大きな定位の断片的な部分でしかない。

 かつて形而上学者はその著作を第一原理で始め、それは宇宙構造一般を扱わねばならなかった。そこから、歴史と心理学、善と美、彼ら独自の人類学の法則を引きだすことに進んだ。それに続く思想家たちは、我々の形成する宇宙の観念に及ぼす人類学的な影響に注目し、宇宙から人間へという進行を逆転した。純粋に人間的な過程の研究から始め、宇宙観を心理学的、生理学的、民俗学的、歴史的な反応として解釈したのである。宇宙から始め、人間に降りてく代わりに、人間から始め宇宙に向けて進む。

 新たな方法は形而上学的議論に大きな柔軟性を与えたが、いかにある世界観が人類学的な根をもっているにしても、それに伴う内観心理学(そして、常識の言葉、自問自答や自己探求で発見されるもの)はより大きな全体の一部でしかないという事実を覆い隠す役にも立った。制度、習慣、暮らし方を含む一般的で確立された定位の体制に関する限り、動機の心理学は単なる国家内国家のようなものであろう。生のあらゆる目的が子孫の繁栄に向けられた定位や合理化では、飢えた人間がその憤りや悲しみを食物への欲望ではなく、未来の子孫が危険にさらされているという恐れに向けるのも道理のあることだろう。

 我々が精神分析的な強調の仕方に反対するのは、彼らはある人間が餓えという動機を利他的な動機と診断するのを自己欺瞞的な合理化として非難しがちなのだが、どんな動機もより大きな、全体としての人間の目的に関する暗黙の、或いはあからさまな合理化の一部に過ぎないからである。例えば、本来のフロイト的動機の図式は、西欧社会に既に確立されていた強い性的-ブルジョア的定位に従属し、想像力と現実との広く行きわたった常識的区別を加えたものでしかなかった。その用語法は、時代に特有のロマン主義的、科学的姿勢に多くを負っている。

 正義が世界観において中枢となる語であるとき、人は正義のために生を投げださないなどとどうして言えよう。実際、その僅か数音節のために人は向こう見ずな行動ができる。また、未来の子孫の繁栄が人間行動の基本的な動機となるような文明を仮定し想像することをとんでもないと考える読者がいたとしたら、その正反対の事例、祖先崇拝が盛んだったころの中国を考えればいいので、そこでは、行動の心理学的な動機、犠牲、努力、規律、非難、称賛の根拠は祖先の威厳を維持することに基づいていた。自分の幸福は死者たちの幸福に含まれているから、死者のために行動した。我々はそれを回りくどい因果関係の体系であり、目的と手段との関係についての疑わしい理論だと言えるかもしれないが、今日の人間が自分の行動を仕事が欲しいためだと説明しているのが、実は仕事がもたらす金銭と、金銭がもたらす物品を欲しているのと自己欺瞞の点では変わらない。

 こうした誤りの偏狭さが最も明らかになるのは、現代の精神分析家の亜流が、聖アウグスティヌスのような強烈で際だった神学者の根に隠れた性的動機を解釈し始めるような場合である。アウグスティヌスが生き、書いていた時代の動機づけが、せいぜいそれら動機全体の一部分である僅かな性的衝動のために無条件に捨て去られる。

 どんな権限で、性的なことが彼の動機の本質だと言えるのだろうか。非性的な関心は、性的関心を象徴化したものと解釈できる――しかし、同じく、性的関心は、非性的関心を象徴化したとも考えられる。つまり、性的な事柄が大きな重要性をもっているから、思考パターンが性的思考のパターンを顕著に示すことになる。聖アウグスティヌスの強く宗教的に定位された社会とは対照的な我々の強く性的に定位された社会以外では、どちらが真の動機で、どちらが象徴的な附加物だと言えるだろうか。

 古代中国に関しても、その祖先崇拝が完全に間違った手段選択の例だとは言えない。それは物品の獲得や安定化に非常に役立つ社会的実践を活気づけ、それによって社会的に有効な姿勢をも活気づけた。その規範に順応することで有形無形の公益とともに、好意による報酬を受けた。

 恐らく、違った表現でより明瞭な確証を提示することで、この観点を述べてみるべきだろう。従って、同じ一般的問題を扱っていると思われるI.A.リチャーズの『孟子の精神論』から引用する。
 「我々は長いあいだそうであるかのように語ってきたゆえに、恐らくは、そのように考え、感じ、意志しており、言語と伝統が異なった心の働きを公言していたなら、我々の心は別の動き方をしただろうというのは可能な考え方である。これは居心地の悪い示唆であり、我々が常々従っている結論以上の帰結をもたらし、一般的な心理学理論を変化させるだろう。大地のみならず、心の土台をも崩れ去る危険を感じるだろう。・・・こうしたすべてが孟子に関わっており、孟子の考察は認知の理論を欠いた心理学を通じてなされる。しかし、認知、知識の概念は、「反応に基づく」心理学の最も危なっかしい部分なのである。行動主義者にとっては、明らかに、「いかにという知識」が「何かについての知識」に取って代わる。激しく行動主義者に反対する者でさえ、しばしば覚知を行動の前提条件ではなく、大半が無意識的な本能的衝動の抵抗点で生じる副次的な結果として扱う。全体的に言って、西洋の心理学は、一世代前よりも、真剣に認知を論じることなしに心を考えようとしている。異なった社会と言語が異なった心的働きを発達させると考えるのは、より容易なことのように私には思われる。・・・孟子とその後継者における理論的関心の欠如は、相違が最も明らかな部分である。しかし、そうした相違の概略を示すのにさえ、我々は共通の座標――例えば「関心」――を含む言語を使用せざるを得ない。我々が比較に用いている基本的な仮定に関しては、明らかに我々の懐疑にも限界があるにちがいない。我々のなし得る疑問は、通常すべての精神に共通だと考えられていた様態の幾つかが孟子が扱った精神には欠けているのではないか、ということに止まる。」

 多分、リチャーズの大胆な考察は、いかに精神が働くかについて一般に受け入れられている考え方が、精神をそのように働かせることを可能にするのだと要約される。それは、単に合理化に含まれる動機を問うことを越えたところに問題を移すように思われる。自分の仮定を擁護するために、彼は、心理学の問題に対する古代中国の哲学者孟子の倫理的なアプローチと、現代科学者たちの臨床的なアプローチとの顕著な相違を露わにしている。私自身の論点は、彼の考える可能性の範囲に比較すると、のろのろと進んでいるようにしか思えない。私が言おうとしているのは、単に、動機の用語法ははぐらかしでも自己欺瞞でもなく、目的、方便、「よき生」などに関する一般的な定位に適合するよう形づくられるのだということにある。

2014年11月17日月曜日

ブラッドリー『論理学』95

 §71.かくして、分析判断はすべて虚偽であるか条件づけられている。「条件づけられているというのは疑わしい言葉だ。結局のところ、それは仮言とは同じではない。事物は仮定によって条件づけられもするし、事実によって条件づけられもする。ここには『もし』と『なぜなら』の間の相違がある。ある発言が別の発言の真実の結果真であるなら、両者は共に定言的である」と言われるかもしれない。この区別の重要性は私も認めるし、それについては後で考えなければならない(第七章§10)。しかし、いまの議論との関わりではそれを否定する。

 この異議は次のような主張に基づいている。「現象の系列において、すべての要素がそれぞれ残りの自分以外の要素と関係しているにしても、判断は定言的であることができる。自分以外の要素は、判断に組み込むことはできず、結局それがなんであるか知ることができないし、思考のなかにあらわすことはできないが、にもかかわらずそれは事実である。そうであるなら、発言は真である。というのも、それは「もし」ではなく「なぜなら」に基づいており、それはまだ知られていないにしろ、実在であるからである。分析判断の相対性、形容詞的で依存的な性格を認めたとしても、何とかなり、定言的なままだろう。」

 しかし、この主張を認めることは不可能である。決して実現化されない「なぜなら」、心にあらわすことのできない事実について反対するつもりはない。私の異議はより致命的である。いまの場合、一つもなぜならなど存在しないし、事実も存在しないのである。

 我々は鎖によってしっかりと固定され、安全が保たれているか知りたいと願う。我々がすべきことはなんであろうか。しばしば言われるのは、「我々を固定するこの環はしっかりしている、次の環にしっかりとつながっているし、それも次の環と固く結びついているように見える。ある程度の距離から向こうは見ることができないが、我々の知る限りしっかりと結びついている」ということではないだろうか。実際的な人間ならばまず「鎖の最後の環はどこにあるだろうか。それがしっかり固定されていることを確認してから環のつながりを確かめよう」と言うだろう。しかし、鎖というのは新しい環にいくごとに更に新しい環につながっている。そして、どれだけ遡ってみても、すべてがそれに依存しているような最終的な環に近づくわけではない。現象の系列は相互に関係しあっており、それだけで絶対的なものとなることは決してあり得ない。その存在は自身を越えたものと関係しており、そうでなければ存在することをやめてしまうだろう。最終的な事実、最後の環は単に我々の知ることのできない事物というのではなく、実在ではあり得ない事実である。我々の鎖はその本性上、支えをもつことができない。その本質は、最終的には固定を排する。我々はそれが宙に支えもなくかかっていることを恐れるどころか、そうあらねばならないことを知るのである。終端に支えがないのであれば、残りにも支えはない。それゆえ、我々の条件づけられた真理は、単に条件なのである。それは公然と事実ではないものに依存し、定言的に真なのではない。自律したものではなく、仮定から生じている。あるいは、恐らくは更に悪い結果、何ものにも支えがなく、すべてが一緒に崩壊するという運命を待っているかもしれないのである。

2014年11月16日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻10

蕎麦さへ青し信楽の坊 野水

 しがらきは近江国甲賀郡にある信楽谷であり、聖武天皇のとき、紫香楽(しがらき)の宮、つまり甲賀の宮をつくったところである。天平十五年信楽寺を作り、大仏鋳造を発願し、後にその志を大和の奈良に遂げられた。宮があり寺があるので、信楽野を内裡野または寺野という。黄瀬村、長野村などはみな信楽のなかである。いわゆる信楽茶を産し、また信楽焼の茶壺その他を産出するので有名である。

 貞享の頃に坊などあるとは思えないが、寺野のなかの民家であるから、坊といったのだろう。坊という語によって、自ずからただの農家ではなく、旅の宿であることは明らかである。播州有馬温泉の旅館は普通の宿と異なるところはないが、寺坊であった昔に因んでいまも何々屋とはいわず、何々坊と称するので、信楽にも当時は坊といった旅館もあるいはあったのかもしれない。

 蕎麦は七十五日で熟し、夏のものを夏蕎麦、秋のを秋蕎麦という。ここでは秋蕎麦であることはいうまでもない。ただ蕎麦といえば秋のものをいい、本来その季節のものだからである。信濃の産を上等とすることは知られているが、近江の桃井、伊吹山などの産もまたすぐれたものとして有名である。信楽も同じ近江であり山村であるので、当時は蕎麦がよいといわれたのだろうか。

 「青し」とはすべてものがまだ成熟しきっていないことをいうので、「蕎麦さへ青し」は、なにもない山奥で、せめて薫り高い新そばでもだそうと思うのだが、それさえもまだ青くて、なにもなく寒い信楽の坊だという意味と解するものもあるが、却ってそうではない。蕎麦は古いとかすかな赤みをもち香りが乏しくなるが、新しいものは香りがよく薄く、青みを帯びたようである。信楽は茶の名所であり、しかも坊などという家になれば、客をもてなす家の誇りとして、茶の美しく青くて人の心も眼も喜ばせることはいうまでもないが、蕎麦も新しい取り立て挽き立てのものであれば、それもまたよい茶のように青いと賞味した者の言葉の綾であり、前句の露と萩に対して、ここでは蕎麦と茶をあげたのである。そうでなければ、「さへ」の言葉にはなんの働きもないことになる。

 茶のことは直接触れられてはいないが、信楽の坊に茶は自ずから含まれている。すでに、江戸にも宇治の里という家があり、また郊外にしがらきという家があって、みなその初めは茶漬け飯をだすことから付けられた名で、その茶がよいことを誇りにしていた。信楽の坊に茶のことが含まれているのは疑いようがない。茶はもとより赤くはなく、蕎麦さえ青しといって、いずれもよいという所に、前句の角力ちからを選ばれずというのを軽くあしらって転じて付けたものである。

 糸所の別当の歌のなかにあるくらぶの山も甲賀郡であり、信楽はそれに連なったところにあるので付けた、という旧解はもっともではあるが、作者の腹中の考えではそうした縁もあったのだろうが、ただ山続きのためだけでは、一句の立場がない。またまっすぐ立つ蕎麦が青くては萩とは力あらそいにならぬのを、撓んだ萩がどうして打ち合いの勝負になるものかと、信楽の坊のあたりの草を見て言葉を戦わせる様子だという曲齋の説は、どういう意味であるかも理解しがたい。青くないとしてもどうして蕎麦が萩蘆と力あらそいをすることがあろうか。また、萩もそもそもなにと打ち合いの勝負をなすというのか。信楽の野辺でも谷でもなく、坊とあるのを眼に入れないための誤解である。あるいはいう、蕎麦はそばきりではなく、河漏(ところてん風に押しだした中国の蕎麦)としての解は納得できないと。蕎麦が河漏でないのはいう通りである。だが、略して河漏をそばというのも間違いではなく、また、初鰹と断らないでも鰹を夏の季とするように、新そばと断らないでも句によって秋の季とするのも間違いではない上、青しとあることから新そばであることは明白である。蕎麦をそばというのも本来は略語であり、本当は稜立(そばた)てるものゆえに「そばむぎ」という名であって、略言、俗語をとがめ立てすると俳諧は自在を失うことが多い。

2014年11月15日土曜日

ジョン・ランディス『アニマル・ハウス』のチラシ

1978年のアメリカ映画。

ジョン・ランディスなので見たような気もするが、内容がまったくでてこないので見ていないようでもある。



2014年11月14日金曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』9

動機の戦略

 まとめるとこうなる。自分の行動をお気に入りの社会規範で説明する人間がいたとき、彼は精神分析家のあいだで生活する人間が自分の利害をリビドー、抑圧、オイディプス・コンプレックスなどだけで論じ始める場合と同じ合理化を行なっているのだと言える。これもまた、ある種の合理化、特殊な定位に属する動機群である――自分の動機をこのように謙遜して表現する率直さは、「偽善の時代」が終わる以前[終わったのか?!――1953年の追記]広く行きわたっていたうわべだけの道徳を嫌う人々の好意を得るのに役立ちさえする。

 だが、野蛮な一群の事実のもとに打ち立てる仮説は合理化以外のなにものであろうか。形而上学者と馬鹿者との相違は、定位に関しては、形而上学者が合理化されるべき事実の複雑性を数多く広く探査しているだけではないだろうか。形而上学者は、風に流されるまま合理化することに満足せず、一貫した、或いは互いに適合性のある信念によって、より厳密な検証を行なおうとする。常識はそうした厳格さに対してはのんきに構えているが、両者の相違は主として圧力の問題である。形而上学者はより強く規矩にはめようとし――通常あまりに強すぎる。科学の論理的議論は、洗練された合理化に基づいており、単なる自己欺瞞を越え、紛れもない偽善に近づいているように思える。科学者が自分の観点をできる限り読者に訴えかけ、自分たちの信念を基礎づける動機選択で見せる純然たる外向的手腕に明らかである。

 ジャン・ピアジェは、人が私的に自分の考えを追う場合と、それを他人に提示するときの相違について考察している。自分の観点を社会化しようとするときにつけ加える論理的調節について考えてみよう。議論を公にする仕事の席に着くまで考えもしなかった多くの点や考え方を、信念の根拠として即興的に提唱する場合を考えてみよう。自分の信念を一度他人に推奨し始めると、論議を始めるときには完全に無視していた考察が最も大きな重荷になることがよくある。動機づけは時代の一般的で科学的な世界観に属しているから、自分の論議を外在化、或いは非人称化することで、読者を承伏させる動機づけの体系に翻訳することになる。こうした策略を無意識裡に行えるなら、彼はそうした動機づけによってごく「自然に」考えることを学ぶことさえできる。

 いかなる説明も社会化の試みであり、社会化は戦略である。それゆえ、内省と同じように科学においても、動機の特定は訴えかけに関わる――パリサイ人的偽善と議論の科学的動機づけとの相違は、訴えかけの戦略が枠づけられる定位の及ぶ範囲の相違に止まる。

2014年11月13日木曜日

ブラッドリー『論理学』94

 §70.現前の知覚に与えられるものの一部分を実在だとすることはできないことをみてきた。更に進まねばならない。現前する内容すべてを性質づけることができたとしても、過去と未来をそこに組み込めないなら、それは再び失敗であろう。現在が過去とは独立に存在し、拡がり全体のうちの一つの断片が自律してしていて残りと何の関係ももたないとは仮定することはできない(あるいは、少なくとも私はどんな権利があってそうした仮定をするのかわからない)。判断が真であり定言的であるためには、そのなかに完全に条件が組み込まれていなければならない。ここでの条件は、所与を完全なものにするための空間と時間の全拡がりである。それは克服できない難点である。観念は感覚の諸事実を写し取ることができない、というだけではない。我々の理解には限界があり、全系列を知ることはできないし、我々の力はかくも広大な対象を捉えるには不十分だ、というだけではない。どんな精神であっても、空間と時間の完全な系列を描き出すことはできないのである。というのも、もしそれが行なわれるなら、無限には終りがあることになり、有限であると理解されるからである。それはあり得ない。単に心理学的に考えることができないだけでなく、形而上学的に不可能なのである。

2014年11月12日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻9

露萩の角力ちからを撰ばれず 芭蕉

 すもうは争い抗うことである。俊頼が好んで「すまふ」という言葉を用い、その『散木?[なべぶたに弁]歌集』に「かくばかりはげしき野辺の秋風に折れじとすまふ女郎花かな」また、「葉がくれはしばしもすまへ桜花つひには風の根にかへすかな」、また、「吾が心身にすまはれて故郷をいくたび出でゝ立ちかへるらむ」などの歌がある。

 文章の言葉では『源氏物語』紅葉賀の巻、「ぬがじとすまふを、とかく引きしろふほどに」などその例が少なからずある。『後拾遺集』秋上、慶暹、「秋風に折れじとすまふ女郎花いくたび野辺におきふしぬらむ」。

 ここでは露と萩とのすもうを、いずれが勝ちとも選びようがないとしている。表面上は『四十二のものあらそい』の角力より取り出し、内実は前句の故事に合わせて付けたという旧解は従いがたい。『四十二のものあらそい』はここでは関係なく、露と萩のあらそい、その冊子のなかには見られない。

 『大和物語』、兎原男、芽沼男の条のあと、絲所の別当その女になってよんだ歌、「かちまけも無くてやはてん君により思ひくらぶの山はこゆとも」。この歌を意図の下敷きにして、灯籠二つと前句の秋の季のものを面白く取り入れ、ここでも同じ季の景を打ち添えて作った、露萩の角力とは、情趣深く付けたものである。前句の灯籠二つを墓にかけたものと見なして、この句があると前人が解しているのもまたうなずける。ただしいずれにしても糸所の別当の歌の縁は無くてはならぬものである。句に愚かしいところがないのはいうまでもない。

2014年11月11日火曜日

ルイス・ギルバート『007 私を愛したスパイ』のチラシ

1977年のイギリス映画。
ロジャー・ムーアのジェイムズ・ボンド。
見たはずだが内容はまったくおぼえていない。



2014年11月10日月曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』8

定位における快感原則

 ある意味において、あらゆる定位には快感原則が含まれているが、それは現実原則と対立するわけではない。我々は経験を主に快不快の見込みとの関わりで特徴づける。定位は有用性の枠組みである。「最善の動機」によって自分の振る舞いを説明する人間は、通常、道徳的善が有用性と結びついていると認めねばならない。「善」と「有用性」とが結びつく手の込んだ経路のすべてをここで辿る必要はない。しかしながら、ある社会の最高の美徳がすべての人に行きわたるなら(我々自身である必要はないが)、彼らは人が快適に生きられる世界を作りあげようとするだろう。

 その美徳は次のようなものである。勤勉さ、才能、率直さ、親切、人の助けとなる、気前のよさ、気だてのよさ、寛大さ――つまり、「平和的な」美徳である。それらは我々にとってある種威光を放つものであり、自分の身につけたいと願う。望まれるものであり、称讃されるものである。かくして、我々はそれらを自分自身にも育てようとする。個人でそうした性質を得ることは、集団において好意を得るという点でも有用であり、ベンサムは好意を「恩恵の約束」と呼んだ。いずれにしろ、なぜ心的過程を記述する専門的な用語にごく自然に道徳的言葉が使われるのか察するに十分であろう。それは状況において傑出した位置を占める――それらを自らの行為に当てはめることで、好ましい定位の図式を用いることになる。

 別の言葉で言うと、経験の記号は有用性と損害の検証(利益と危険)で定位づけられる。従って、敵を引き合いに出して自分たちの行為や考え方を称讃する場合、それは現実原則とは異なる快感原則が働いていると説明する必要はなく、現実の測定が最初から快感の検証との関わりにおいてなされているのである。現実とは、物事が我々に、或は我々のためになすことである。快適さや不快の、繁栄や危険の公算である。

 包括的な快感原則のもと性格を定義したとしても、間違っているか不十分であることは確かだろう(ベルの音を餌として条件づけられたニワトリが、罰せられるために走り寄ってくるときのように)。定位の初期において、「現実は違うにもかかわらず」同じ行動を取り続けることは、現実原則と異なる快楽原則が働いているとはまず言えない。定位の図式が認めさせてくれる現実に従っているだけである。そして、ベルが鳴る度に繰り返し罰せられるなら、快感原則そのものがそのしるしの読みを変更するよう導くだろう。

 もし人間が罰せられるにもかかわらず、間違った定位に鶏よりも長く固執し続けるなら、それは、問題そして価値と判断が互いに支え合う広大なネットワークが複雑になればなるほど、再定位の必要を見て取り、それに応じた手段を選択することがますます困難になるからである。初期のやり方で定着した権威が新たなやり方を採用する邪魔をしているのであるから、彼らは訓練された無能力の犠牲者である。また、ある行為が社会的に危険であっても個人には有利で、集団には多大な苦痛をもたらす一方個人は利益を得る愛国主義もあるという事実によって、この困難は増大する。

2014年11月8日土曜日

ブラッドリー『論理学』93

 §69.観念は感覚的知覚には適切でないこともあるが、こうした障害の他にも更なる難点がある。所与のなかにあらわれる実在はそこに限定しておくことは不可能である。外面的な境界のなかでも、その性格は空間と時間で無限の進行を生じさせる。単純なものを探し求め、我々が最終的に見いだすのは複合的で相関的なものである。外面的な境界そのものが流動的である。それは時間、空間の外部に永久に流れ込んでいく。我々の見る現実の光が限定された領域をしか照らさないことは確かである。しかし、要素の連続性、文脈の完全さがこの照らされた部分自体で実在だと我々が言うことを禁じる。内容の自身とは別のものへの関係は内的な性質の奥底にある。それは自ら自分が形容詞的であり、外部と相関的だと宣言している。それが自律的な存在をもつと主張しようとすると、その本質を破壊することになる。空間と時間は「個別化の原理」だと言われてきた。それらは相対性の原理だと言った方が真実に近いだろう。それらは実在を制限すると同時に拡大する。

 私は過去と未来が実際に与えられ、現前としてあらわれるのだと言っているのではない。それらは所与であり得ないにもかかわらず、所与はその不在によって破壊されるだろう、と言っているのである。もし実在が過去や未来とともにあるのなら、それは所与ではないだろう。過去や未来なしにあるなら、それはいつまでも不完全で、それゆえに非実在であろう。端的に言って、現前する内容はその現前と両立しない。矛盾を含み、それによれば非実在であると言うことができる。ここは素直にこれに従い、不可能な帰結によって進行する病に堪え忍んだほうがいい。

2014年11月7日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻8

灯籠ふたつになさけくらぶる 杜國

 前句の「娘かしづきて」を、ここではその娘に恋する男たちがかしずくとして、美しい細工灯籠を一方がその季節に贈れば、他方も同じ心、同じ誠を込めて贈って、その美しさが優劣いずれともつかないことをいっている。

 『大和物語』のむかし津の国に住む女ありけりのくだり、兎原男と芽沼男が一人の女を恋して、女も二人のどちらを選ぶか悩み煩い、女の親も困り果てて、最後に女は生田川に身を投げて死に、男二人も同じ水屑となったという古い話の面影が見える。ただし、本文には、「ものを贈ってくれば同じように贈ってきて、どちらが勝っているともいえない」、とだけあって、灯籠のことはなく、灯籠二つというのは、本文の、「どちらからも贈ってくるものを受け取りはしなかったが、様々なものをもってきた」とあるのに基づいた作者の作意である。

 灯籠はもちろん盆灯籠で、娘の母親が亡くなっていることを言外にあらわしている。娘の母を思う心を察して、男たちが灯籠を贈る優しい人柄、三方が同時に描き出されて妙を極めている。このつけ句は実に殊勝で、前句のおとなしき娘に恋するおとなしく心優しい二人の男の恋争いのさまも、すべてふさわしくあらわれて面白いので、伝えられるところによると、芭蕉もこの句には感心して、なにを頼りにこの句を作ったのかと問うと、杜國は『伽婢子』の絵から思いつきましたと答えたので、芭蕉は非常に機嫌良く、よい心がけだと褒めたという。

 『伽婢子』は寛永板瓢水子松雪の『伽婢子』と推察され、平氏の武士某の娘の幽霊が灯籠を並べている絵があるという。作者はその絵から発想して、『大和物語』の面影を形にし、本文に、「どちらの男も長い間家の門に立ってどんなことにも衷心が見えたので」とあるのに基づき、衣や簪とはしないで、屋外に掛けるものである灯籠二つと作ったのは、さすがに古い談林の俳諧の限界を見て取って、『冬の日』に新しい旗色を示した四俊の一人だというべきである。句のあり方に難がなく、情も景もよくあらわれて余韻がある。

2014年11月6日木曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』7

.. 第二章 動機

      動機はより大きな意味の枠組みの下位区分である

 AがBに非常に悪感情を抱いているのを観察する精神分析医が私だと仮定しよう。更に、Aは古風な道徳を守っており、彼のBに対する憤りは常に道徳的義憤の形を取っている。AはBが非常に卑劣なことをしたと言う。それらのことはAに個人的には関わらないが、Bがそうしたことをするのを見るといらいらするのだとAは言う。Bの振る舞いは、そんな見下げ果てた人物は見るに堪えないということ以外には、Aになんら直接に関係することはない。Bは妻と子供を虐待している。なんらかの裏取引に関与している。あれこれのことを目撃したと友人に嘘を言う。AはBのことを夢に見るほど嫌っている。例えば、Aは事務所の社員がみんな集まって、不愉快な人物は解雇すべきだと要求する夢を見る。そこだ――精神分析家として、私は最後の部分に注目する。更なる質問の結果、BがAの地位にとって侮りがたいライバルとなりそうなことを私は知る。精神分析家として私はようやく落ち着く。Aの道徳的義憤の真の動機、Bの仕事ぶりへの恐れを私は見いだした――Aがもちだす説明は、単なる合理化と見なされる。

 Aとは対照的な動機の解釈をする精神分析に疑問を抱く者にはこれはまずい例だと思われよう。Aはすべてを道徳的義憤、客観的で公平な判断によるものだと説明している――夢の細部は無意味なものとして無視すべきである。精神分析家はライバル関係自体が問題のありかを示しており、夢は、特に似たようなパターンを示す夢が他にもあるなら、ほぼ結論を示している。(ちなみに、パターンの類似を探りだすことは精神分析の象徴理論に必要とされる。夢は互いに似ていない。大きな多様性を示しており、解釈の枠組みによってそれらに共通するテーマを明らかにする必要がある。この点について特に重要なのは、転移の理論であり、それによれば、Bは彼と結びつくようななにか、帽子とか、机とか、似た走り方をした走者等々によって象徴化されうる。)我々自身が関与していない事柄についても、精神分析的な動機の理論を用いて、他人が自己欺瞞で我々を欺いていると言われがちである。それゆえ、精神分析の解釈にも様々な理論があり、互いに激しく対立し合っていることを思い起こすのもいいことである。更に、経済的精神分析とでも言うべきマルクス主義者が嘲笑をもって示すところによれば、フロイト派の言う性的合理化や個人主義的神経症は、我々の動機の「真の」中心にある経済的事実や階級闘争からの後退や逃避として解釈されることは明らかなのである。こうした定位の転換は(それぞれが異なった動機の理論をもち、それに伴う異なった自己欺瞞の理論をもつ)、ある学派の合理性は他の学派には合理化であることを示している。

 我々の仮定したAが前フロイト的な動機の用語法で育ってきたとしよう。彼の育った社会では、行動は規定されていて、禁止のルールがあり、それに従った動機の用語法がある。なにをすべきか、すべきでないかだけでなく、行為の理由についても条件づけられている。自分の態度について説明しようとするとき、当然彼は自分の集団の言葉を用いるだろう――彼の言葉や考え方は社会的な産物でなくて何であろうか。グループによって受け入れられている動機を自分のうちに発見することは、グループの言葉を使うのと同じことである。実際、動機についての用語法はコミュニケーション一般に従属する一側面ではないだろうか。ここには現実原則と区別されるような快感原則は含まれていない。ある振る舞いをグループで使われている動機の用語で説明することは、受け入れられている尺度に問題を当てはめることで、自己欺瞞的である。自分の知っている唯一の用語法で解釈しているに過ぎない。すべきこととすべきでないこと、ほむべきことと責められるべきことを含んだ自らの定位を述べているのである。

 もちろん、義務と徳の図式が固まってから生の条件が根本的に変わってしまったとすると、定位の有用性は損なわれるかもしれない。我々の義務は、かつてのように目的に対して有用でなくなるかもしれない。もはや義務に確信がもてなくなり、結果として動機にも確信をもてなくなるかもしれない。そのときには、義務の観念がよりしっかりと状況に適合していたときよりも、新たな動機の理論に対してより開かれた姿勢を取るかもしれない。

2014年11月5日水曜日

ブラッドリー『論理学』92

 §68.分析判断はそれ自体で真なのではない。それは独立して存在することはできない。個別の現存を主張することには常にそれ以上の、主張されている断片からはこぼれ落ちる内容が仮定されていなければならない。主張されていることは、他のものがあってのみ真となる。言われている事実は残りの文脈との関わりにおいてのみ、残りの文脈があることによってのみ事実である。そうした条件がなければそれは真ではない。それゆえ、我々は実際には条件づけられた判断を手にしているのであり、それを定言的と捉えることは間違っている。定言的であって真であるとするには、判断のなかに条件を繰り込まなければならない。所与を、省略も変更も切断もない実際にあらわれる通りのものとして取り上げなければならない。それは不可能である。

2014年11月4日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻7

らうたげに物読む娘かしづきて 重五

 「らうたげ」は美しくかわいく、かつ猛々しくなくおとなしいことである。「物読む」は書を読むことである。静寂を喜ぶ茶人の、優雅な娘をかしずきてというだけの句である。らうたげに物読む儒者などの娘を茶人がかしずき慰めて、野辺の景色を見てみなさいと摘み草などだす様子だという旧註は大きな見当違いで、従いがたい。そこまで深入りして解する必要もない。また、娘が茶人にかしずくという旧説にも従いがたい。ここではただ野辺の蒲公英を惜しむような茶人が、ろうたげに物読む娘をかしずいて世を経ることを言っている。

 しかし、そうではなく、娘が茶人にかしずいているのだという人も多いだろう。それも一つの解釈で、通じないことはないことは私にもわかっている。だが、かしずくという語は、愛育擁護の意味合いの方が、ともにあって恭敬するという意味よりも強い。

 『源氏物語』桐壺の巻、「此君をば私物に思しかしづけ給ふこと限無し」、玉葛の巻「人に見せず限無くかしづき聞こゆるほどに」、『落窪物語』、「この君をいたはりかしづき給ふこと限無し」、これらはみな愛し育て擁護する意味である。『枕草子』、「上にさふらふ御猫は・・・いとをかしければかしづかせ給ふがはしに出たるを」、『源氏者語』若菜の巻、「あけたての猫のかしづきをして撫養ひたまふ」これらは特に、かしずくという言葉の、上より下を愛護し、有力者の守り助けることを示している。『源氏物語』東屋の巻、「帝の御かしづき娘を得たまへる君」などにいたっては後の世のご秘蔵といっているのに等しい。かしずくの用語例を知るべきである。

 世を下ると、『源氏物語』槇柱の巻の「こなたの御かしづき人ども心もとながり」などの用例をはじめにして、ゆっくりと侍従し、随仕する意味の方に移って、下より上に仕えるだけをかしずくの意味として覚えるものもあるが、「らうたげ」などという古い言葉と釣り合わせて考えるときは、その娘に父がかしずくのであって、娘が父にかしずくのではないと思われる。ろうたげにものを読むほどの娘であれば、野辺の蒲公英でさえ惜しむ父親が特に愛し、育て守ろうとするだろう。またもし娘が父にかしずくのだとしても、どちらにしてもこの句、古い絵巻を見るように麗しく興がある。

2014年11月3日月曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』6

      合理化と定位とのつながり

 合理化という言葉は、推論とは異なり、精神分析から来たようである。フロイト派が動機についての特殊な用語法を発達させるやいなや、非フロイト派の動機についての用語法を特徴づけるような言葉が必要であると感じた。かくして、教会によって育て上げられた心理学的術語によって陰に陽に訓練された人間が、教会の用語を使って自分の行動を説明しようとする一方、フロイト派は自分たちの用語法を「分析」と呼び、教会の用語法を「合理化」と呼んで差異化するのである。一般的に、ある行為を高貴な自己犠牲的言葉によって説明するときにはなにかが隠されており、フロイト派の定位はそれを利己的な動機として説明することができる。

 フロイト派の解釈によれば、真の動機はよく目立ち心地のいい美徳の装いで隠されている。契約をごまかそうとする詐欺師のように、故意に欺こうとしているわけではない。むしろ働いているのは自己欺瞞であり、過酷な現実に対して眼を閉じるために行為を合理化しているのである。体裁よく自分の行為を説明するが、フロイト派はその根っこの部分において、利害と動機が都合のいいように変えられているのを看破する。これまで教えられてきた用語で自分の行為を説明しているとき、なぜ自己欺瞞だと疑われねばならないのかは精神分析による合理化の神秘として残ることだろう。パスツールのことを聞いたこともない未開人が、病気を細菌学によって治療しようとしない自己欺瞞によって責められるようなものであろう。

 合理化の問題は、諸動機の理論である定位を越えたところにまで我々を連れて行く。パヴロフ-ワトソン-ゲシュタルト派は、一般的に、単純な反応が形成され、それが変更される条件を記述することに自ら限定している。しかし、人間は反応の範囲を拡大しようとし、計画的に定位と解釈を言語化することで反応の精度を高める。あらゆる有機体は批評家であるが、人間は言葉の力によって、批評の方法論を完璧なものにしようとする。こうした言語化には理由づけの試みも含まれており、行為の動機について考慮することも含まれている。従って、我々は次のように進む。(a)偶然の経験によって発達したある種の関係についての感覚がある。(b)この関係の感覚が我々の定位である。(c)我々の定位の多くの部分に予期が含まれ、未来への関心が手段の選択に影響を与える。(d)人間においては、予期とどんな行為が正しいのかという判断は動機の問題と密接に結びついており、なぜ人がそうしたのかを知れば、我々は彼にそして自分自身になにを予期すべきか知り、そうした予想を考慮に入れた上で決定や判断や方針を決めるのである。

2014年11月2日日曜日

ブラッドリー『論理学』91

 §67.分析判断に戻ろう。「狼がいる」と言うとき、実在する事実は、個別の環境と、感情、情動、思考において個別な条件にある内的な自己と関わる他のものとは似ていない個別の狼である。また「歯が痛い」と言うとき、事実は、ある瞬間における私の知覚と感情を伴ったある歯の個別の痛みである。問題は、私が全体の断片から判断を作り上げるとき、それを実在の述語とし、「それは<現にそうであるように>感覚の事実である」と主張する権利があるかどうかである。分析判断が<いかなる>意味でも真ではないと言おうとしているのではない。それでもって所与の事実として内容の存在を主張しようとするなら、正当とは認められないと言っている。いったいどんな原則でもって、現前する全体から好きなものを選択し、その断片を現実の性質として扱うというのだろうか。それが自律的に存在していないことは確かであって、それだけを取り出したときに、どうしてそれがこの実在の性質であり得ると知るのだろうか。感覚される現象は現にあるものでそれがすべてである。それ以下のものはきっとなにか別のものであるに違いない。真理の断片というのは、、それが全体を性質づけるものとして用いられると、完全な誤りとなるのである。

2014年11月1日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻6

茶の湯者をしむ野辺の蒲公英 正平

 蒲公英は春の菜として食べるものである。どんな侘びのものも花瓶に入れる花とするべきものではないので、料理として浸しものとして用いる。「をしむ」は馬糞掻きに汚されたためだと前人は解したが、ただ愛するの意として解するべきである。山にはまたたびの葉、たらの芽、野に坡蒲公英の葉、わすれ草の花など侘びを喜ぶ人が愛でるものである。前句の景色のなかに茶人の逍遙するのを付けたものである。洛外の春の様子がうかがわれ、自ずから片田舎と思われないのがいい。馬糞に蒲公英を付けたのではなく、かすみに遊歩を付けたのである。

2014年10月31日金曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』5

      解釈の誤りとしてのスケープゴート

 上記のことを、我々の用語法からは除外される「スケープゴート」の概念が、現代の批評家によってしばしば用いられる典型的な状況を考えることで検証してみよう。第一に、顕著なもの同士の結びつきは変動することを認めよう。犬では、顕著なベルの音と顕著な餌への関心が結びついた。しかし、翻って、南部における貧困白人の顕著な経済的惨状は、他のどんな顕著な要因と結びつけることができるだろうか。科学実験で苦しめられている鼠は、とまどいどうやって逃げたらいいかわからないので、邪魔しているものに対してなんらかの行動をとると学者は立証する。同じように、白人貧困層は邪魔している存在に対してなんらかの行動をとるのだろうか。

 だが、邪魔者とは何だろうか。ネズミの場合、電気ショックや、電気ショックを与える実験者ということになろう。しかしながら、実験の状況は、ネズミにはなにが行なわれているのかわからないようになっている。邪魔者とは電気ショックそのものであり、ネズミはその場所を避けて動く。

 アナロジーを人間の犠牲者に当てはめてみよう。激しい経済的競争が存在する。また、他の競争者から差異化をはかれる目立った道があり――それは、肌の色によるものである。それでは、白人の惨状はどの「方角」から来るのだろうか。経済構造によって解釈されることは、肌の色の違いに較べればそれほど「顕著な」ものではない。ここで不吉な定位が生じる。黒人は鉄柵で隔離され乱暴に打ち据えられる臆病者であるが、柵に対する脅威をあらわすものとされる。定位は「何であるか」から「何であり得るか」に向かうので、白人貧困層は、自分たちの問題の解決としてリンチによる脅迫を行なうことになる。

 こうした誤った手段の選択が行なわれることを、おののきながらも我々は認めねばならない。ここには、非スケープゴート的で、現実主義的な対応とは異なる心的働きにおける回避過程があったという形跡はない。この地域では、混乱は社会的なものであり、色の違いには社会的格差が対応しているので、目立った色の相違は色の区別に従う反応をもたらす。現代のドイツにおける貧困のような、ほかの別の場所であれば、神学的、或は人種的理由づけが行なわれる。しかし、あらゆる人間に共通に働くのではない特殊なあり方をスケープゴートと呼ぶことは、スケープゴートを餌のベルに反応するパヴロフの犬や、打擲-ウサギ-毛皮を結びつけるワトソンの子供、ゲシュタルト派の実験における形態-食物の連鎖と似たものとして示すことである。

 異なった定位の図式、異なった観点から判断して正当に言えるのは、ある種の連鎖は欺瞞であり、間違った手段の選択をさせるということである。例えば、黒人をスケープゴートとして攻撃し、それによって自身の困難を免れられると思っている者は、異なった定位で問題に取り組んでいる。異なった定位は異なった連鎖の仕方をもたらすだろう。顕著な経済的貧困は経済的体系そのものの顕著な欠点に結びつけられるかもしれない。より広範囲にわたる歴史的遠近法を取れば、経済的要因もまた、肌の色の相違によって問題を説明しようとするのと同じく、あまりにもあからさまな連想に基づいており、スケープゴート同様に見えることがあるかもしれない。

 純粋な形での、儀式によって罪を犠牲者に担わせるスケープゴート・メカニズムについて言っても、異なった心的過程を仮定する必要はない。スケープゴートにつきものの原因と結果の魔術的なつながりは、ある種の罪を目立たせ、それを糾弾するのにふさわしいホメオパシーの技術を提示する。原因と結果の性質について異なった定位を発達させれば、それ以前の理論に基づいた行為は不適切なものに思われるだろう。しかしながら、ある点においては、純化の技術は非常に大きな実際的成功を収めていることを思い起こすべきである。例えば、人々から罪の重みを取り除くのには非常に効果的だった。必要とされるのは罪を動物に移しかえることのできるおきまりの手順と儀式であり、それから動物は残忍に打たれ殺された――救いの感情はそこにいるすべてのものに明らかだった。

 罪を移しかえられるという理論は、病気がうつるという理論ほど正当化しがたいように思える――特に、野蛮人が疫病を山羊を身代わりにして祓おうとするときにそうであって、我々は彼らの振る舞いを特殊なものと説明しようとする。不適切な定位に基づいた誤った手段の選択ですべて説明できるように思える。野蛮人の魔術における熟練(太陽を輝かせ、雨を降らせ、夏を再びやってこさせ、女性の多産を保証し、部族間の協調した行動を助ける)こそが、自然に自分の方法の限界について盲目にしたのだろう。いわゆるスケープゴート・メカニズムと呼ばれているものは、訓練された無能力の一例に過ぎない。

2014年10月30日木曜日

ブラッドリー『論理学』90

 §66.そして、もう一つの例が、科学によって純化された精神がいかに正統的なキリスト教と合致しているか示すことになるのをご容赦願いたい。宗教的な意識では、神と人間はつながりをもった要素である。しかし、経験をふり返ってみれば、我々は区別をし、上述のように要素へと分ける分析の結果を確かなものだとする。かくして、一方には神という要素があり、他方に人間という要素がある。そしてその関係について頭を悩ませている。関係はもちろん別の要素でなければならず、それらを仲介する別のなにかを探すこととなり、それと最初にあるものとの関係も見つけねばならない。我々は再び無限の進行に入り込むのであって、それが多神教であっても、問題に変わりはないのである。

2014年10月29日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻5

馬糞掻あふきに風の打かすみ  荷兮

 京今出川御門のあたりで打ち眺める態、と前人が解したのはいい。扇は鉄骨に竹を扇形に編みつけた鋤のようなもの、続に鋤簾というものだろう。(鋤はくわ、鍬はすきであり、俗には逆に用いられる。)前句におしあけの春とあることから、日うららかにして長閑に、土埃たち陽炎が燃えるような景色をあらわしている。門前の掃除と解するのはよくなく、遠望であることが句中に見られる。前句には御門などがあるのに、馬糞掻くなどとつけたのは詩豪というべきだろう。

2014年10月28日火曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』4

      意味についてのパヴロフ、ワトソン、ゲシュタルト派の実験

 定位における連鎖を示す基本的な実験はいまでは古典的なものとなっているが、簡単に繰り返しておこう。最初にパブロフの研究があり、思弁的心理学の曖昧な連想説に、条件反射の実験によって正確な経験的根拠を与えた。犬に餌をやるときにベルを鳴らし、ベルの音で、餌の臭いをかいだときのように唾液を出させるよう犬を条件づけた。同じような実験を繰り返して、ワトソンはこうした条件づけに「転位」があることを認めた。鉄の棒で乱暴に打つことは子供に恐怖を与えるが、例えば兎のような中立的な対象であっても、打擲のときに常にその場においておけば「恐怖」の性質を与えられることを認めた。次に、この兎に条件づけられた恐怖が、様々な程度で似たような性質をもつものに(毛皮のコートやコットンの毛布など)転位することが示された。ゲシュタルト派の実験は、同じようなことは関係性からも生じうるという事実を確証した。いつも餌の入った大きな容器aが、いつもからの小さな容器bに並べて置かれる。動物がaにだけ餌を探すよう習慣づけられたとき(aの餌が入っているという性質、bの餌が入っていないという性質が確定したとき)、容器aを取り除き、その場所にbを置き、新たにより小さな容器cをbの場所に置く。大きさと位置の関係で、cとbはbとaに等しい。すると、以前は餌が入っていないものとして無視されていたbに餌を求めていくのが認められる。このことは、餌が入っているという性質は、大きな文脈のなかで決定されていたことを示しているように思われる。別の言葉で言えば、我々が北極星をそれのみではなく、大熊座との関わりにおいて認めるように、個々の対象の特徴は絶対的なのではなく、他の特徴との関係において成り立っている。

 ちなみに、行動主義とゲシュタルト派は正反対のように考えられることもあるが、行動主義者によって認められた「独立した」条件づけと、ゲシュタルト派の実験によって認められた関係、或は「全体」による条件づけとのあいだには根本的な相違はないだろう。「単一」の信号であっても(ある高さの音や色や形)、実際には複雑な出来事であり、感覚によってまとまりとして解釈されている。例えば、ベルが鳴るというまとまりは、物理学者に従えば、それぞれに異なる振動の集まりに分解され、それはゲシュタルト派の実験者がabの関係をaとbに分割してしまうと、個々の要素は一緒であったときの意味を「分け与えられる」わけではないことを示すのと同じことである(t、h、eというそれぞれの文字がtheの断片だとは認められないように)。二つの対象の関係が一つと解釈されるのと同じように、ベルの音では様々な出来事が一つと解釈されている。どちらの場合も、異なった「観点」を導入すれば、より小さな構成要素に分割することができる。分割部分は全体によってもたらされるのとは異なった「意味」を示すだろう。ゲシュタルト派の用語を使えば、ベルの個々の振動の意味が「付加的」に集まって、部分の総和をなすのではなく、音は単一の総体、形態、ゲシュタルトである。水差しの口から水を注ぐことを学んだ人間は、パヴロフ-ワトソン的な条件づけをされたのだろうか、それとも、水差しを全体として知覚することから水差しの口を理解するより大きな全体についての知覚(ゲシュタルト)を行なっているのだろうか。

 いずれにしろ、ワトソン的な転位にしても、ゲシュタルトの形態にしても、類似についての判断が含まれねばならず、類似そのものは絶対的ではない。チフス菌の入ったサラダと入らないサラダは美食的な見地からはまったく同じであり――腐った卵とそうでない卵はチフス菌が入っていないということについてはまったく同じである。赤い四角と緑の四角は、形が問題のときには同類だが、色が問題のときには赤い四角と赤い円が同類になる。複雑な社会経験においては、「似たような」状況でも常に新たな要因がつけ加わっており、全体的な定位は類似の判断に大きな影響を与えうる。よきカトリック教徒は聖職者を導き手と感じる。よきマルクス主義者は聖職者と詐欺師を同じものだと感じる。我々の手段選択の多くは比較に基づいてなされるので(鋲つきの椅子のなかで鋲がついていないように見える椅子を選んで坐るように)、定位、手段選択、「訓練された無能力」は相互に絡み合っている。

 一般的に、出来事は「顕著なもの同士の連鎖」によって性格づけられる(ベルを餌と受け取るパヴロフの犬のように、顕著なベルの音が顕著な餌の経験に結びつく)。こうした性格が蓄積され、相互に働き合うのが定位である。それは予期の基本となる――性格には過去、現在、未来がはめ込まれているからである。いまここにあるしるしは未来への約束をもたらす過去からの意味をもっているかもしれない。このように、定位とはいかに物事はあったか、現にあるか、将来あるかについての判断の束である。出来事の性格とそれに応じた反応は、我々の形而上学と振るまいとの総体的な関係を明らかにする。というのも、世界がどのようなものであるか言うことには、世界がどうなるかについてだけではなく、そうするために我々はどんな手段を用いるべきかについての判断が含まれているからである。

2014年10月27日月曜日

ブラッドリー『論理学』89

 §65.脇道にそれることになるが、いま考えたような誤りから生じる二つの錯誤の例を挙げてみよう。「心の構成要素はなんであるか」と尋ねるとき、我々は全体を感情の要素に分解している。しかし、そうした感情の要素だけでは「構成要素」のすべてではないので、諸関係の存在を認めざるを得ない。しかし、それによって我々は動揺しはしない。間違いではあり得ないいまの考えを更に推し進め、もちろん、他の要素とは異なる要素がまだあるが、それですべてだと答えよう。しかし、異なった教育を受けて心がねじ曲がってしまった懐疑的な読者が、それが意味する観念を形成してみようとすると、途方に暮れることになる。もし要素が一緒に存在していなければならないならば、それらは互いに関係していなければならない。そして、もしそうした関係も要素であるなら、その要素は元々の要素と再び関係をもたなければならないだろう。AとBが感じであり、Cがその関係であるまた別の感じだとすると、構成要素が互いに関係することなく存在することができるのか、あるいは、CとABとの間に新たな関係が存在すると仮定しなければならない。この関係をDとすると、再びDとC-ABの間に関係を見いだし、以下無限に続く過程に着手することになる。関係が諸事実のにある事実なら、関係と事実のにはなにがあるのだろうか。本当の真実は、一方に要素があり、他方にその間の関係があるというのはまったく現実的ではないことにある。それらは単一の実在のなかで区別だてをする精神の虚構であり、それを独立した事実とみなすよくある間違った錯覚である。名高い教授‡の言葉を信じるなら、この不合理で不可能なことに対する強烈な信念は、かつては神学の特権であり、自慢の種だったが、いまでは実験室の聖なる区域以外のどこででも手にはいるようになってしまった。そうした楽観的な結論を採るのは困難ではないかと私は心配している。

2014年10月26日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻4

北の御門をおしあけの春  芭蕉

 鶯笠は北の御門を御所の北門とした。御門という言い方からそう解したのだが、そこまで窮屈に考える必要はない。前句の初狩人を卑しい漁師ではないと見て、早春の早朝に凜々しく出で立つ侍の城門をでるところを付けたものである。この句には狩りのことが触れられていないので、次の句を作る人がこの門を御所の門ととることは自由だが、ここで直接に御所の門と解するには、前句に狩人が歯朶を負うことがあるからには、早春に御旨を受けて狩りに出るような事例がないと、無理に押しつけた解釈となるだろう。早春に命を受けて狩りにでることは思い当たらない。ただし句ぶりは田舎大名の城のこととも思われず、鶯笠の言うようにいかにも御所の門のように見えるので、なんらかの事例があるのかもしれない。しばらく後の考えに譲る。

2014年10月25日土曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』3

      訓練、手段の選択、逃避

 不満足な状況があるとき、人間は自然にそれを避けようとする。複雑な社会構造のなかでは、多くの解釈と回避手段が可能である。そのいくつかは他に比べてずっと役に立つということもあろう。また、すべての手段が誰にでも平等に実行できるわけでもない。社会に不満をもつ芸術家はタヒチに移住もできるだろうが、全国民がそうはできない。「仕事で悲しみを紛らわす」ことのできる者は多くいるだろうが、失業者には不可能である。等々、思いつくままにあげた。関係の諸観念は、明らかに、こうした状況下での手段の選択に大いに関わっている。野蛮人は、火をつける過程の適切な結びつきとして、乾燥した木と摩擦を考え、それによって火を起すことができた。定位の有効性がそれほどあてにできない例としては、キリスト教の伝道師や医師が嵐のときレインコートを着ているのを見て、レインコートと雨とを結びつけ、干魃に対する魔法としてレインコートを着てくれるよう頼んだことがある。灌漑のほうがより効果的な手段ではあったろうが、ホメオパシー的魔術によって天気を左右しようという試みは厳密な意味では「逃避主義的」とは言えない。因果関係についての欠陥のある理論による欠陥のある手段の選択である。

 存在についての諸問題は、壜のラベルのように固定した変化のないものではない。数多くの解釈に開かれており――その解釈が手段の選択に影響を及ぼす。それゆえ、「訓練された無能力」は手段の選択にも見いだされる。人は過去の訓練に従ってある尺度を得る――だが、その堅実な訓練によって、間違った尺度を身につけてしまうかもしれない。人は不適切な適切さに適合することで、不適切な存在になるかもしれないのである。従って、もしニワトリが自分の定位の図式に従い、ベルの音を餌のしるしとして反応し、実験者がそのときには規則を変え、実際にはベルの音は罰の知らせだったとしても、ベルの音に応えて駆け寄ってくるニワトリの「不合理な」振る舞いを説明するのに、逃避のメカニズムという考えを導入する必要はない。ニワトリが現実に直面することを拒んだのだと言う必要もない。我々はただ――実験的に証明できることとして――過去の訓練が現在の状況を誤って判断させたのだと認めるだけでいい。訓練が無能力をつくりだしたのである。

 我々は、このように、定位をその正確な、或は欠陥のある手段の選択に従って、訓練されたものとも、無能力なものとも論じることができる。そして、ある例における手段の選択の適切性についての判断は、適正についての個々の意味にかかっている。例えば、ある本がタヒチへの逃避を描いたとき、我々はその逃避方法があまりにも限定的であり、作者はより多くの人間が使えるような逃避の手段(組織的な政治革命のような)を象徴化するべきだと感じて、それに反対するかもしれない。或は、その同じ本を、我々の制度に対する不満足な姿勢を象徴的にあらわしており、そうした姿勢を大事にすべきだと信じて称讃もできる。最初の定位に従えば、この本は誤った手段の選択の一例であり、第二の定位に従えば、適切な手段の選択されていることになる。

 逃避という概念の誤用と密接に結びついているのは、「スケープゴート・メカニズム」とそれを補助する「合理化」という考え方である。どちらの用語も、個別の間違った過程を非難して指し、そう述べる自分の立場を守るのに大いに役立つことは間違いないが、批評として擁護できるかどうかは疑わしい。最上級の分別だけが、無知な者をスケープゴートにすることなく、賢明な手段の選択を行えるだろう――また、自分の理屈と他人の理屈を分けて考えるには深い共感の力が必要とされる。あらゆる定位には連鎖の過程が認められる(ある種の連鎖には、それを正しいものとして受け入れないにしても、スケープゴートが含まれる)。また、人は言葉によって定位を完成させることがあるが、賛意を示すときには「理論」と呼び、不賛成のときには「合理化」と呼ぶことがある。かくして、これらの語も論点を避けるのに役立つ言葉である。その大きな感情的性質が、批評での有用性を危険にさらしている。従って、こうした言葉なしで定位について議論できれば、混乱はより少なくなろう。そして、それらの不必要を証明できると私は信じている。

2014年10月24日金曜日

ブラッドリー『論理学』88

 §64.ごく一般的で、破滅的とも言える迷信は、分析は対象になんの変化ももたらさず、識別がなされるときには、分割可能な存在が扱われているのだと仮定することにある。ある事実の全体があるとき、そのある部分が残りとは関わりなく存在できると結論するのは計り知れない結果を生む推測である。心的な区別と外的な実在についてのこの素朴な確信、思考と存在との露骨な同一性についての悲壮なまでの信頼は経験の名の下に喧伝されている学派にとって価値のあるものである。ヒュームによって大胆に宣言された(第二巻第一章§5参照)間違いと錯覚についての主要な原則は、この学派によって伝統的に実践されており、あまりに深く信じられているので、議論もできないし原則として認めることすらできないのである。事実に対する忠誠に異議を申し立てることは差し出がましいことで、自己正当化された無垢と図々しさという美徳によって致命的となる公然とした攻撃から守られていた。ある意味において(私もそれを否定しはしない)思考が最終的には事物の尺度であることが正しいなら、我々が全体のなかで行なう分割が、その存在を他の存在に依存していないような要素にすべて対応しているというのは少なくとも誤りだろう。複雑なものを取り上げ、分析によって好きなだけ手を加え、そうした我々の抽象の結果を所与を形容するものとして捉えるのはまったく正当化しがたい。そうした産物は決してそうしたものとして存在するものではなく、そうであるかのようにするのは事実を欺いている。部分の総和としての全体という「経験」学派が嬉々として現象をねじ曲げる粗雑な考え方は実際の経験に常に当てはめることはできない。解剖によって得た結果を生きた身体に適用できない生理学が間違っているなら、ここでの問題は更に果てしなく悪い。我々に与えられる全体は知覚と感情の連続的な固まりである。この全体について、その一要素が残りと切り離したとしてももとのままだとするのは、非常にゆゆしき発言である。それは自明ではないと思われるし、あからさまな不合理に陥ることもなくそれを否定することも可能である。

2014年10月23日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻3

歯朶の葉を初狩人の箭に負いて 野水

 前句を見ると、言葉の上では人はでていないが、実際には人がおり、人がいるからこそ氷も破られ、水もほとばしる。この句はその人を新年に初めての狩りにでる人として、いさぎよい景色をあらわしている。歯朶は裏が白いので裏白ともいって、新年の飾りに用いることは知られている。

 歯朶だけでなく、草木の枝葉を笠などにかぶって、鳥獣の目を避けるのは狩人の常であるが、ここでは新年の春のことほぎに、歯朶の葉を矢を入れる容器にかけて、今年も山の幸あれと祝い立つことを言っている。前句は冬、これは春、季の移りは難がなく、興趣は新たで、絵のようになってもおり、詩としても成り立っている。それらを見て、かつ思うべきである。この第三句、発句脇句の絢爛幻奇とは異なり、平生淡雅の句ぶり、変化の働きを特に賞翫すべきである。

2014年10月22日水曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』2

ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念

 ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念は、特に、正しい、そして間違った定位の問題に関連しているように思われる。訓練された無能力によって、彼は人の能力そのものが盲点となり得る事情をあらわしている。もし我々がニワトリにベルの音を餌の信号と解釈するように条件づけ、集めて罰を下すためにベルを鳴らすなら、彼らの訓練は自分の利益に反することになる。過去の教えに従うことで、自分たちの利害を損なう道を選んでいる。或は、我が垢抜けした鱒がかつて危うく引っかかりそうだった疑似餌に形や色が似ているために本当の餌を避けるなら、その不適切な解釈は訓練された無能力の結果だと呼べるだろう。ヴェブレンは総じてこの概念をビジネスマンに限定しており、彼らは金銭的な競争で長い間訓練された結果、それに関連した努力や野心に対してしか定位を行なわず、他の生産や分配の重要な可能性を見て取ることができない。

 訓練された無能力という概念は、定位の問題を「回避」や「逃避」との関わりで論じようとする現代の傾向を避ける大きな利点をもっている。正確に用いれば、逃避という観念はなんの難点ももたらさない。人が不満足な状況を避け、別の手段を試してみようとすることはまったく正常で自然なことである。しかし、「逃避」という語はより限定された用いられ方をしている。正確に言えばあらゆる人間に適用されることが、ある種の人間に当てはまるものに限定されようとしている。そのように限定されたとき、当てはまる人間は当てはまらない人間とはまったく異なった定位をする傾向にあり、当てはまらない人間は現実に直面するのに、当てはまる人間は生から逃避し、現実を回避するということになる。そういう区別もあり得るかもしれない。だが、多くの批評家は生、回避、現実との直面ということで正確にはなにが意味されているのか我々に語ることを回避している。こうして、批評上の難点から逃避することで、批評家たちは多くの作家や思想家を逃避の名のもとに自由に責めることができた。最終的に、この語は、特に文学批評では曖昧に用いられることになり、批評家の関心や目的に合わない作家や読者を指すようになった。言及される人物の特徴を示すはずのものが、ほとんど言及している人物の姿勢を伝えるものでしかなくなってしまった。批評家が「Xはあれこれのことをする」というと客観的であるように見える。しかしそれは、「私はXがしていることを個人的に好きではない」ということを戦略的に言い換えているに過ぎないことが多い。

 別の言い方をしてみよう。詩人たちによって深刻な社会的不満が述べられる。詩人たちはその憤りを様々な方法で象徴化する。批評家の個人的な好みに合わない象徴化はどんなものであっても逃避と呼ばれる。議論の主たる問題を解決するはずの言葉が、論点を回避するために用いられる。厳寒のラブラドルへ旅することを逃避として片付けることもできるし――ラブラドルのような厳寒の地から離れている我々を「逃避主義者」と呼ぶこともできる。従って、その限定された意味においては、この言葉は正確な定位と欠点のある定位との関係を明らかにする手段としては、無価値であるよりも悪い影響を及ぼすように思われる。それを正しくすべての人間に適用すれば、個人的判断による修正を暗黙のうちに加えなければ、その適用を特定の人間にはうまく限定できなくなる。それゆえ、ヴェブレンの訓練された無能力という概念によって、限定的な「逃避」の使用が曖昧であるとともに余計なことだと証明できると考えることで我々は一安心する。修正された考え方は次のようになろう。

2014年10月21日火曜日

ブラッドリー『論理学』87

 §63.こうした答えが返ってくるのは疑いない、「それは無駄な詮索だ。判断は知覚全体を写し取るものではないが、なぜそうである必要があろう。それが言い、写しているのはいずれにせよそこにあるものだ。事実は事実、所与は所与である。判断によって切り取った以外のものがあるからといって、事実や所与がそうでなくなりはしない。抽象的な狼が完全な形で与えられていないからと言って『狼がいる』というのが誤りだと主張するのは、非常識で滑稽である」と。

 ここで議論をやめてしまう読者もいるのではないかと私は恐れる。しかし、あえて先に進もうとする読者には、事態が馬鹿げて見えるのは、問題自体が不条理であるためではなく、凝り固まった先入観と衝突するためなのだと示唆することが勇気づけになるかもしれない。我々がこれから扱おうとしているのはこの種の先入観の一つである。

2014年10月20日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻2

氷ふみ行く水のいなづま 重五

 この句もまた理に落ちず、葛藤を超え、発句と照らしあっていて面白い。氷の上で雨がはじけるさまを稲妻に例えて急変する天気のことをあらわしたのだとする解釈は、微妙な趣と生き生きした瞬間を台無しにするものである。人が薄氷を踏んでいくときに、氷が破れ水がほとばしり、みしみしという響きとともに、つつっと氷の上を水が流れるのを水の稲妻と作った。天候は寒く、地は凍り、雲が早く流れて動物がすくむようなとき、まさにこうした情景がある。この句、言葉遣いに無理があるように見えて、現実を生き生きと再現している。発句には「月とり落す」とあり、この句では「氷ふみ行く」とあり、発句に添いながらもしかも相競い、猪が天台の石橋で荒れ狂うときに、顔を伏せたときもあげたときもそれぞれに神威が備わっているようなものである。

2014年10月19日日曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』1

第一部 解釈について

「定位」(或は現実に対する一般的な観点)はどのように形づくられるか。そうした解釈の体系は、その視野の広さと徹底によって、どのように我々の修正に関わってくるか。「逃避」、「スケープゴート・メカニズム」、「快楽原則」、「合理化」などの用語はなぜ懐疑的に、不承不承用いられるべきなのか。(いまのところはこう言うことができる。こうした用語に過度に頼ることは、所与のコミュニケーション構造の内部にある肯定すべき美点を正当に評価できなくする。)ある社会の生の様式は偏頗な遠近法、或は「職業的精神病質」、また同じことであるが「訓練された無能力」を生じさせることでどのように考え方に影響を及ぼすか。現代の複雑な生活様式は、諸動機に関する用語法においてどれだけ多くの不確かな問題を生みだすか。この状況は、科学および芸術におけるコミュニケーションの性質にどのような影響を及ぼすか。魔術と宗教から発展した「科学技術的精神病質」の現在における過度の重要性。


  .. 第一章 定位

      あらゆる生物は批評家である

 すべての有機体は自らについての数多くのしるしを解釈しているという事実を認めることから我々は始められる。鱒は、針に引っかかることもあれば、顎が裂けて幸運にも逃れ去ることもあるが、その賢さを自分の批評的評価を修正することで示すことができる。彼の経験は新たな判断を下すことを促し、それは食物と疑似餌とのより賢明な区別と言葉にすることができよう。別種の疑似餌は、「顎を裂いた食物」として区別されるような外見がなければ、鱒の裏をかくことになるかもしれない。経験によって学んだ疑似餌にたまたま似たものであるために、数多くの本当の餌を見過ごしてしまっただろう。むっつりした魚がこうしたことすべてを考えているというのではない。針に引っかかってから長かれ短かれある期間は対応を変え、新たな意味合いをもつ変更された行動を取り、より学習されたやり方でしるしを読むと言いたいだけである。この批評的段階を意識的なものと想像しようが無意識的なものと想像しようが問題ではない――必要なのは、修正された判断が外面的にあらわれていることを認めることだけである。

 この垢抜けした鱒に対する我々の大きな利点は、我々が批評的過程の範囲を大幅に拡大できることにあると思われる。人間は疑似餌と餌との相違がなんであるかを決定するのに方法的であることができる。不運なことに、ソーンスタイン・ヴェブレンが指摘したように、発明は必要の母である。批評の力は、人間をして文化的構造を打ち立てることを可能にするが、それは非常に複雑なものであるので、文化的錯綜の下に隠れた食物処理と疑似餌処理とを区別するためには、より大きな批評的力が必要とされる。批評的能力は、解決の範囲だけでなく、問題の範囲に応じて増加する。定位は間違った方向に向くこともあり得る。例えば、抽象や一般化の力を通じて行われる征服のことを考えてみよう。次に、そうした抽象化が現実と食い違っているために生じる愚かな国家間の、或は人種間の戦争を考えてみよう。数千マイル離れたところにいる人間を最悪の敵として憎むのになんの批評的能力も必要とされない。批評が我々にとって大いに役立つときには、より優れた批評が必要とされる地点に我々はいるのかもしれない。あらゆる有機体が、自分に関わるしるしを解釈するという意味で批評家であるにしても、言葉によって利用可能になる実験的、思弁的な技術は人間に限られたもので、人間だけが経験の批評を越えて、批評の批評へと進む資質を持っている。我々は出来事の性格を解釈するだけではない(我々の反応にあらわれる恐れ、危惧、疑い、期待、確信という段階は、大雑把に言えば動物においては行動の形を取る)――自分の解釈を解釈することができるのである。

 パヴロフの犬はベルの音に唾液を出すよう条件づけられたときに、ある意味を獲得する。別の実験が示すところによれば、こうした意味はより正確なものにすることができる。ニワトリには特定の高さの音だけが食物のしるしだと教えることができ、他の音は無視される。しかし、人間においては、こうした解釈がどれ程浅薄なものであるか、どれ程心配してもしすぎることはない。次のベルが餌を与えるためのものではなく、集めて首をはねるためのものであっても、ベルが彼らにとってもつ性質に従いニワトリは忠実に走り寄ってくるだろう。それほど教育されていないニワトリの方がより賢明に行動することになろう。かくして、我々が正確な定位に達するときの工夫が不正確な定位にある工夫とまったく同じであることもあり得るだろう。我々に言えるのは、ある客観的な出来事は、似たような或は関連した過去の出来事の経験から意味を引きだすということだけである。ベルが鳴ること自体は、我々が呼吸する空気と同じように選ばれているわけでもなければ意味もない。我々がそれを経験する文脈に応じて性格、意味、意義(夕食のベルか玄関のベルか)が生じる。そうした性格の多くは言葉によって伝えられ、ある壜には「毒薬」とラベルが貼られ、マルクス主義者はある人間の失業を資本主義に特有の財政危機のせいにする。語それ自体もその意味を過去の文脈から引きだしてくるだろう。

2014年10月18日土曜日

ブラッドリー『論理学』86

 §62.我々に与えられる事実は感覚にあらわれる複雑な性質と関係の全体である。しかし、我々がこの所与の事実について主張し、主張できるのは、観念内容でしかない。我々が用いる観念が目の前にある個物のすべてを汲みつくすことができないのは明らかである。我々みなが知るように、記述は直接の現前の瞬間全体に渡る多様な陰影、感覚的な財を完全に描き出すことはできない。判断を下すやいなや分析を余儀なくされ、識別を余儀なくされる。所与のある要素を他の要素から分けなければならない。感覚に全体としてあらわれるものを分け隔てる。判断に取り入れられるのは任意の選択以上では決してない。我々は「狼がいる」、「この木は緑だ」という。しかし、こうした貧弱な抽象、剥き出しの意味は我々の見る狼や木よりも遙かに劣る。それは我々がそこから狼や木を分け、内的な質量や外的な状況に及ぶ多様な個物全体にも足りない。実際にあらわれる実在がX=abcdefghだとするなら、我々の判断はX=aかX=a-bでしかない。しかし、a-bそのものは決して与えられてはいないし、あらわれてもいない。それは事実のなかにあったもので、我々がそれを取り上げている。それは事実に関するものであって、その独立性は我々が与えている。我々は所与を分離し、分割し、縮小し、切り裂き、切断している。そしてそれを任意に行なっている。我々は自分で選んだものを選択しているのである。しかし、もしそうなら、分析判断はすべて事実を変更せざるを得ないものなら、どうしてそれは真実であることを主張できるだろうか。

2014年10月17日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻1

       杖をひく事わづかに十歩
つゝみかねて月とり落す霽かな 杜國

 歩の字は代わる代わる足を出す形象である。ここでは概略を述べていて、少しばかりを行くか行かぬうちにと、時雨の句の前書きを面白く添えた。この句の「霽」をあるものは時雨とし、あるものは霰とする。あられの句と解するものは、にわかに空がかき曇り、十歩ほども歩くうちに、あられが激しく降り、いままで見えていた月が隠れてしまったのを、あられが白く丸いのに興じて、月とり落すと作るのだとした。たいそう大きなあられがただ一つ降ってきたような解し方である。笑うしかない。

 また、しぐれと読んで解するものも、旧板本に「月とり落す霽哉」とあることについてはなにも言及せず、いまの活字本も「霽哉」とするものが多い。「霽」は雨止むであり、しぐれとは読めない。元来日本語のしぐれにあたる漢字はない。

 「しぐれ」は、「し」つまり「風」、「ぐれ」つまり「狂」または「翻転」の二語から合成された語で、「しぐれ雨」の略なので、雨の部首でしぐれにあたる字はないはずである。ゆえに、『新撰字鏡』では「霂」、「雹」をしぐれと訓じ、『倭名抄』では?[雨冠に皿、その下に豕]をしぐれと読ませたが、みなその本義においてはあたっていない。霂、?[同前]は小雨を意味するに過ぎない。「霽」を改めて「?[雨冠に衆]とするものもあるが、『倭名抄』に依拠しただけで、実際はしぐれではない。ただし昔は?[雨冠に皿、その下に豕]でしぐれと読ませ、宗因門の井上秋香の自筆俳句に「駕籠賃はふたりの中の?[同前]かな」があり、また七部集の『炭俵』にも、「小夜?[同前]となりの臼は挽きやみぬ」という野坡の句がある。秋香は大阪の人で、連歌を里村家で学び、昌海といったという。だとすれば、?[同前]は早くから連歌師のあいだではしぐれとして用いていた字であろう。また、『続虚栗』の芭蕉の句に「旅人と我が名呼ばれん初霽」とあり、土芳の『三冊子』にも霽をしぐれと読ませる箇所がある。

 思うに、これはしぐれに霎の字を当てていたのがいつのときか間違って霽の字となったのではなかろうか。例はないが、霎と霽は、行書の字体がよく似ていて、しかも霎の字は見ることが少ないために、霽と勘違いしたのではないだろうか。霎は小雨だと『説文』にもある。すぐ止みすぐ降る雨は霎であろう。そこで短い時のことも霎といい、半霎、一時霎など、詩にも小説にも数々用いられている語である。霎をしぐれに当てるのもあながち無理なこととはいえない。句意は、しぐれかと思えば月が出て、月が見えたかと思うとしぐれる様子をあらわしていて、言葉の使い方も理屈を離れて葛藤を断ずる様子があり、しぐれの風情に通じて面白い。

2014年10月16日木曜日

ブラッドリー『論理学』85

 §61.現在の知覚によって与えられるもののなかでの判断に再び戻ってみよう。それは所与の分析を含み、直接に現前する内容によって実在を指しているために定言的であるように思える。それらの判断の諸要素は現実に存在しているに違いない。観念内容が実在に帰されるが、その実在とはいま私に現前しているものである。私はそれ以外の何ものも帰されはしないと確信する。どんな推論もしていないし、一般化もしていないと確言できる。どうして私の主張が真でないことがあり得よう。主張が真なら、どうしてそれが定言的でないことがあり得ようか。

 他方、我々は感覚に関する分析判断はすべて誤りであると言う。真でないことを言うには幾つもの言い方がある。それが常に事実を越えでる必要はない。事実に足りないこともしばしばある。まさしく、この足りないこと、部分を全体であるかのように述べることが分析判断の虚偽をつくる。

2014年10月15日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻36

しらかみいさむ越の独活苅 荷兮

 旧註が様々あり、受け入れがたいものが多い。ある解では、越の独活刈は越後の弥彦山の神事で、伊夜日古の神が独活を嫌われるとする。伊夜日古の神が独活を嫌われるかどうかもはっきりせず、前句とのかかりもさらに判然としない。

 鶯傘が言うには、出羽から越後に越える道の途中、吹浦続きの海辺の山林に二つの小さな神社がある。一つは白髪明社、一つは独活苅明神という。地方で言われているのは、上古の二神はなはだ仲が悪く、白髪が怒りを発するとややもすれば神同士の戦いとなって水際が穏やかでなくなり、作物がすべてだめになってしまう。白髪は独活を好んでいるので、独活苅りの神が独活を苅って献じ、感謝の念をあらわすと、白髪は喜び勇んで、平和になり、風雨も急変などしない。この例を伝えて、毎年三月三日の祭日、村民数百人、それぞれ鎌を持って独活を手にし、列をなして社前に行くと、独活苅りの神からの献物と称して、暴風雨などなく、作物が豊かに実ることを祈る。そうしなければ、暴風雨に襲われるという。いまは神徳も信じられなくなり、中古以来は小さな神社になってしまったが、独活を供えることはまだ行われている。前句が鳥いくさという穏やかでない味があるので、その鳥を神の使いだと思う心の響きから神軍と見なして付けられたものだと。

 白髪明神、独活苅明神ともに疑わしい。白髪明神は近江にあり、白髪明神などという神があることを聞かないし、宇土神宮は日向にあり、独活苅明神などがあるとははなはだおぼつかない。もっとも田舎の神には、人を笑わせるような馬鹿馬鹿しいものもないではない。甲の神に乙の神がものを献ずる習慣もときに存在し、香椎の神と志賀島の神とのあいだがそうである。また、甲の神と乙の神とが争うという伝説も聞くことがあり、二荒の神と赤城の神とのようなものであある。穏やかな海から鼠が関にかけて越後に通じるあたり、荒涼とした海辺の古い村にそうした言い伝えがないとはいえないが、尾張の荷兮は田舎の隅々まで修行して歩いたとも聞かないし、一座の人々もまたどうして白髪独活苅の神事を知ってよしとしたのかがいぶかしい。いまは見なくなってしまった当時流通した俗書などのなかにそのことが載せられていたのか、見聞が少なく、まだ思い当たるものを見いだせない。また、それでは前句とのかかりも面白くないと思われる。

 鳥いくさという言葉を本当の鳥の闘いと取ってということは認められるが、烏、鳶、鳩、雀、ひわ、つぐみ、椋鳥などのように群れて行動するものならば神軍といっても似つかわしいが、鸚鵡などは人が飼わないでは我が国にはまれにしか見ない鳥である。いかに響きの付けといっても、響きに頼りすぎてはいないか。

 思うに、この句は、旧解の一つに、禁裡へ国々の産物を貢ぐことをいった、とするものが穏当で、前句とのかかりも無理がなく、揚句の体にもかなっている。独活はいまの人はただ食べるためとだけ思っているが、昔は人参、大黄、白芷(はなうど)、黄芩のたぐいと同類の薬であり、『延喜式』巻三十七典薬療の式の文、諸国進年料雑薬のくだりに、「越前国十八種、黄連五十七斤、独活四斤、牛漆十七斤等々」と記されている。同書に、年頭に天皇や皇后に献ずる薬品のなかにも、黄芩一両、独活一両、蛇?一両などとある。独活は『本草』にも載っており、頭痛、足や関節のしびれなどを治す効き目があり、古名では「つちたら」という。苅とは採ることをいい、蘆刈の刈と同様である。ただいまではその芽が食べられることは知っているが、その根が薬になることが忘れられているだけである。

 とすれば、この句は、前句を泰平の世の有様と見て、民もまたその恩恵を喜び、毎年の例として献ずるものを白髪の老父が勇んで山野に採りにいく姿と取るべきだろう。独活は二月の季で、それはその芽が生じる時期によっている。ただ、薬剤としても野菜としても、その幹を用いる場合は、精気が外に出ていない状態を喜ぶので、芽がまだ出ず、葉がいまだ落ちないうちに採るのを通例とする。雪深く寒い越を選んだことに周到さを感じるべきである。

 ただ白髪は万葉の昔から「しらが」とはいわれるが「しらかみ」といっているのを聞かない、「三」と「も」は草書体にすると形がよく似ている、「しらかみ」はあるいは「しらがも」が誤り伝えられたのかもしれない。この句についてはさらに細かい調査が必要である、武断や強引な解釈は行わないよう気をつけねばならない。

2014年10月13日月曜日

ブラッドリー『論理学』84

 §60.総合判断については時間を費やす必要はない。現実の知覚によって与えられるものを超越する際には、疑いなく推論を使っている。形容の総合は、内容のある点での同一性によって現前と結びついている。この総合は単なる普遍であり、それゆえ仮言的である。それは所与との関係によってのみ定言的となり、それゆえ発言における全重点は分析判断にかかっている。もし分析判断が保持されれば、その拡がりについての議論に話は移るだろう。しかし、分析が失われてしまえば、それとともに総合判断も失われる。

2014年10月11日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻35

三日の花鸚鵡尾長の鳥軍 重五

 前句を、一人はすけの局か一人は某の内侍かと、左右に立ち別れたる人をいうものと見立てた曲齋の解釈は非常によい。「三日の花」は鶏合わせ[鶏を戦わせた宮中の行事]がある三月三日に花をかけている。鶏合わせは確かな節会ではないので、すでに貞徳は「季を定めずに雑とするべきか」、といっている。

 鶏合わせ、雛遊びなどは、実際に三月三日に決められていたものではなく、『三代実録』には元慶三年二月二十八日天皇弘徽殿で闘鶏を見たという記事があり、『日本紀略』には萬壽二年三月十七日内大臣藤原範通の家で闘鶏があった記事があり、また北村李吟の『山の井』にはある記事を引いて、朱雀院の天慶元年三月四日闘鶏十番があったと注している。そうだとすれば、闘鶏に決まった日はなかったことになるが、足利氏の頃からか、いつとはなく三月三日に、もとは臨時の遊興に過ぎなかったものが礼式と定められたようである。「鸚鵡尾長」のたぐいは鶏とは違い、戦わすものではないが、ここはただ作意で、それらの鳥を戦わしめるようにいっているものの、鸚鵡と尾長鳥とつつき合いの勇を競うものではない。

 旧解に、今日は宮家たちの鶏合せがあるので、こちらもと皇后の宮中に籠の飼い鳥をだし、官女をして闘わせた様子であるといっている。そのような愚にもつかぬことをさせるような皇后があるだろうか、もしあったとしても、すけの局、某の内侍など、それを諫めないことがあろうか、唖然として言うべきことがわからないほどのまずい解釈である。その解が正解であったら、そのような句を斥けなかった芭蕉もまた妄人であり狂客であって、『冬の日』も伴天連高政の輩が、「とゝろやするらん天の逆鉾」などとつくったなんら突出したところのないものと同じようなものだと酷評されても弁護できないだろう。

 みなこの一句の性質を理解せず、古人が詩を作るときには、杜甫はやせ、李賀は苦しみ、賈島は狂気に陥るほどなどを思わないで、おろそかに見過ごしてしまうことによって、下世話な妄想、思いつきに任せてこうしたことを言い出すのである。鳥いくさとあり、鸚鵡の日とあれば、すぐに鳥を闘わせると思うのは、子供がすぐにわかった顔をするようなものであって、俳諧を知らないにもほどがある。一句の風合いを見て取れば、どこに鶏冠を立ててつつきあう戦いの様子があろうか。鳥いくさというのは鳥を闘わせることではなく、花いくさが花を闘わせるものでないのと同じである。闘花、闘草、闘詠など、文字には闘とあるが、それはいずれも勝とうとするあらわれで、花、草、詩で打ち合うわけではない。花を闘わすのは、春の頃様々な花が開くときに、士女が互いに様々な花を持ち寄り、その美しさ、色艶を争い、すぐれたものを勝ちとするもので、開元、天保の頃の書にそのことがあらわされている。我が国でもそれを学んで、花いくさという言葉があって、すでに歳時記のような手近なものにものせられているだろう。

 鳥いくさという言葉はないが、重五がここで新し味を見せて言いだしたもので、語法がまったく花いくさと同じなので間違いというべきではない。鸚鵡も、尾長も美しい鳥で、これらの鳥を東西より持ち寄って、どれが姿がよく色が麗しいかと勝負を挑むのを、ここでは「鸚鵡尾長の鳥軍」と言ったので、美しい色とりどりの花があふれたような宮廷のさまを言い取ったのがこの句である。花という言葉に気をつけてみるがいい。三日はもともと鶏合せの日であるが、毛を飛ばし血を流す有様は女性の喜ぶべきことではなく、ここではただ美しさを較べる鳥いくさがあったという作意で、鶏合せに因むこの日の遊び、花いくさに学ぶ鸚鵡尾長の品定め、春の長閑な日に、宮女は花のごとく、鳥は花のごとく、簾や帳越しに喜ぶ声がさざめき渡る趣がある。だからこそ「三日の花鸚鵡尾長の鳥軍」という句にしたので、よく味わえば温庭筠、李商陰の詩にも較べられるような象眼細工のような細やかな字配り、言葉づくり、重五もまた一作家であることを感じさせるだろう。前句に典侍の局が内侍かとあるのを取って、多くの宮女たちがいる場所に一転した上手い活用、巻末になってもなお力を出し切っている。『冬の日』のとき、みながいかに勤め励んだかを見るべきである。

2014年10月10日金曜日

ブラッドリー『論理学』83

 §59.しかし、この種の問題は推測では解決されない。二方向に働く先入観があると言える。単称判断においては、それが事実であり、その判断は定言的だと言われる。形容される内容に現実の存在を認め、実在に明らかな性質を帰しているがゆえに、それが唯一の真の判断とはいわないまでも、仮言的判断よりは真であるとされる。これが単称判断の主張であり、この主張がある点において非常にしっかりしたものであることは否定できない。つまり、それはその内容の存在を主張し、直接に実在を肯定している。しかし、我々が返さねばならない答えとは、そうした主張や肯定にもかかわらず、一般的な考え方から離れて事物の真理をより近くから見ると、その主張や肯定は間違っており、その発言は誤解に基づいている、ということである。我々は単称判断の主張を試験にかけてみなければならず、思うにそれは致命的なものとなろう。

2014年10月9日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻34

一人は典侍の局か内侍か 杜國

 旧註では、『平家物語』を引いて、建礼門院の小原の寂光院に法皇がお忍びで御行のとき、院の有様をご覧になって、「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」とおつくりになった歌を万里小路が書き留めた、と記している。しかし、万里小路が書き取ったということなど『平家物語』には見えず、註者のつくりごと、偽りであってみだりに信じてはならない。また池水の歌も、『千載集』巻二にでていて、「皇子であったとき、鳥羽殿に移られた頃、池上花という心を読まれた」と前書きが確かにあるので、鳥羽殿で詠まれたのであり、小原でのものではない。これは『平家物語』の作者の誤りまたはこじつけである。

 前句で「硯をひらき山陰に」とあるのをどう解釈するかといえば、『平家物語』および『源平盛衰記』によって、御行のお供にしたがった後徳大寺左大将実定卿が、女院の哀れさに耐えきれずに、御前の席を立っておられたが、「朝に紅顔ありて世辞に誇り、夕べに白骨となりて郊原に朽ちる」という古詩を詠じられて、庵室の柱に、「いにしへは月にたとへし君なれど光うしなふ深山ベの里」と書きつけられたことを引くべきである。平家が亡びてのち、平相国の女である建礼門院は、一度は国母と仰がれていた身を寂光院で過ごされ、法皇が忍んで尋ねられていたことは『平家物語』灌頂の巻に見えて、もっとも人を感動させる部分であるが、文章が非常に長いのでここには引用しない。

 本文によれば、女院に扈従した阿波の内侍の尼がまず法皇に謁し、やがて上の山より濃い墨染めの衣を着た尼二人が、岩の崖道を難儀しながら降りてくるようなのを見て、法皇があれは何ものかと尋ねると、老尼は涙を抑えて、花籠を肘にかけ、岩躑躅を取っているのが女院で、蕨をもっているのが鳥飼の中納言維実が女、五条の大納言国綱の養子、先帝の御乳母、大納言の、すけの局と言い終わるまでもなく泣いてしまった。阿波の内侍の尼は少納言入道信西の女で、当時女院に仕えたもの、典侍の局とただ二人だけで会った。

 これで句のでたところは明らかだが、一人はすけの局か内侍かとつくったのは、本文と異なっていると疑いをもつものもあるかもしれない。だが、詩歌は事実を伝え記すためにつくるものではなく、句が必ずしも本文をそのまま引用することはない。この句は法皇御行の日のことを記そうとしたのではなく、ただ寂光院の面影を用いただけである。女院に仕えるののは典侍の局と阿波の内侍のみだから、女院が仏に供える花を摘みに出かけるときに、いつも典侍の局を召し連れるとも限らず、内侍を連れて行ったこともあっただろう。これはただ女院のある日のことをいっただけで、文治二年卯月二十三日の法皇御幸のその日のことを折り込んだわけではなく、つまりは女院ともう一人はすけの局か阿波の内侍かといっている。

 すべて昔の面影を取ってつくる句は、のちに芭蕉が、「葉分けの風よ矢箆きりに入る」という句について、「あるいは中将などの鷹をすえて小野に入り、浮船を見つけたなどということがあったのだろうが、その故事にしたがったわけではなく、その余情がこもっているところに意味があるといえよう」といったように、故事をいうわけではなくその風情をあらわしている。そのまま故事を述べるのは詩歌の本意ではなく、そうであればその次の句もその周辺の出来事に閉じ込められて、動きがとれなくなる。句作にはこの心得があるべきであり、解釈でもそれを理解しておくべきである。

2014年10月8日水曜日

ブラッドリー『論理学』82

 §58.このことから、我々はある推測を引き出せる。もし単称判断がより事実に近く、それを去ることで、実際に実在から遠ざかっているにしても、少なくとも、科学ではそうしたことは感じられない。我々を力づけてくれるもう一つの推測がある。通常の生活において、ある一つの事例から別の事例に移っても同じような態度で臨む傾向があることは我々の皆が経験することである。我々はあるときと場所において真であるものをどんなときと場所でも常に真であるととる。一つの例から一般化するのである。この傾向を根絶することのできない非哲学的精神の悪徳として遺憾に思うこともできるし、あらゆる経験に不可避の条件であり、あらゆる推論の必要条件(第二巻を見よ)として認めることもできる。しかし、認めるにしろ遺憾に思うにしろ、その過程をより強いものからより弱いものへ、より実在に近いものから遠いものへ向かう試みだとは感じられない。だが、疑いなく、それは個的なものから普遍的、仮言的なものへの移行である。

ブラッドリー『論理学』73

 §48.普遍的判断はすべて仮言的である、という結論は我々を再び以前からの難点に陥らせる(§6)。判断は常に真を意図するもので、真理は事実についての真を意味しなければならなかった。しかし、ここで我々が出会うのは事実に関するものとは思えない判断である。というのも、仮言的判断は仮定を扱わねばならないからである。それは我々の頭のなかにある観念の必然的なつながりを主張するが、頭の外側のことは言わない。しかし、もしそうなら、それは判断ではあり得ないだろう。単に主張はするにしても、それが真や偽ではあり得ない。

 我々はこの結論にとどまることはできないが、前提を取り消すこともできない。そこで、問題により近づき、判断に含まれているものをより限定して調べてみることにしよう。まず第一に、仮定がなんであるかを知るまでは我々は成功を期待できない。

 第一に、仮定が観念であること、多分事実から分岐したものであることは知られていよう。あらゆるものが事実である(第一章参照)精神の低次の段階ではそれは存在できない。というのも、仮定されたものは観念内容として知られねばならず、加えて、判断なしに心に保持されねばならないからである。それは肯定的にであれ否定的にであれ、形容として実在を指し示すものではない。別の言葉で言えば、実在はそれを当てられることによってもそれから排除されることによっても性質づけされない。しかし、判断しないといっても、仮定は(それ自体として)欲望や情動を排除するので、知的なものである。そしてまた、注意によって銘記され同じ内容のまま保持されるべきものなので、単なる想像以上でもある(第三巻第三章§23,24を見よ)。これですべてのようにも思えるが、まだそうではない。というのも、キメラのことを考えるのはキメラを仮定するのとは同じではないからである。

 仮定とはある特別な目的に向かい、特殊な方法で考えることを意味する。それは単にある意味に注意を向けることではないし、その要素を分析することでもない。それは実在の世界を参照し、何が起っているかを見ようという欲望を含んでいる。別の使用法から例を引けるだろう。「議論でのことに限って言えば」、「こう言えばあなたにもわかるだろうが」というのは、「そうであると仮定すると」と同じである。つまり、仮定というのは観念の実験である。それは実在についてある内容を当てはめることだが、それによってその帰結がどうなるかを見、実際の判断を暗黙のうちに保留にしている。仮定というのは、ある仕方で性質づけられたときに実在がどう振る舞うかを見るために、実際それがあるものとして考える。

 判断を控えている間も、思考に存在の観念がつけ加えられていると言われるかもしれない。考えないというだけでは十分ではないのである。使用されているのは単なる存在の観念ではないからである。我々が使っているのは常に我々の心と直接的に接している実在であり、多様な判断において我々が既にある内容で性質づけている。我々はそれに別の観念を継ぎ足し、結果がどうなるか見ているわけである。

2014年10月7日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻33

袂より硯を開き山陰に 芭蕉

 一句も、前句とのかかりも明らかで注を必要としない。連歌師など風雅に心を寄せて修行して歩くものが、よい景色の地に興を感じて、藤の実に伝う雫を硯に受けた。山陰はやまかげであるが、山陰という文字はまた景色のいいところをいうこともある。

2014年10月6日月曜日

ブラッドリー『論理学』81

  第二章(続き)

 §57.我々はどこにたどり着いたのだろうか。我々は判断は、もし真であるなら、実在について真であるに違いない、という仮定から出発した。他方で、あらゆる抽象的普遍的な判断は仮言的でしかないことを見いだした。条件判断がどのように、どのような拡がりにおいて事実を言明しているかを示すことによってこの相反する考え方を調停しようとした。しかし、単称判断は離れたところに立ち、自らを定言的で、事実について真であると主張した。それゆえ、所与を普遍的判断よりも上位に置くことを要求している。我々はこの要求を精査しなければならない。時間における出来事の系列を越えた個的な判断について考慮するのは先延ばしにしなければならない。現象の系列についての判断に限定して、次のように問うてみよう、つまり、それらは定言的なのだろうか。それは、事実、仮言的である普遍的判断よりも高い地位にあり、実在の世界に近いのだろうか。恐らく我々は歓迎されざる結論を迎える準備をしておいたほうがいいだろう。


 単称判断から普遍的判断に移ることで、我々は実在から遠ざかったように思える。現在の知覚とつながった現実の現象の系列の代わりに、我々があえてその存在を主張しかねるような形容物の連接だけを手にすることになる。一方では、堅固な事実と思われるものを手にしている。他方では、潜在的性質以外にはなにもなく、名前だけで我々を居心地の悪い気分にする。実在との関係をまったく失ったわけではないが、遠く離れてしまったように思える。捕らえどころがないほどの糸で、覆いがかかりぼやけた対象とつながっている具合である。

 しかし、我々がたどり着いた辺りを見まわしてみると、我々の考えは違った色合いをとることになろう。最初はいかに奇妙に思われるにしても、影に向かい事実からは遠ざかっていた我々の行程は、最後には科学の世界に行き着くのである。科学の目的は、我々みなが教えられたように、諸法則の発見である。法則とは、仮言的判断以外の何ものでもない。それは形容の総合を主張する命題である。普遍的であり抽象的である。そして、結びつける諸要素の存在を求めることはない。「これ」を含むこともあり得るが(§6)、それは本質的ではない。例えば、数学では、我々の言明の真理は主語や述語の存在とは完全に独立している。物理学や化学では、真理は現在の瞬間における諸要素やその関係の事実上の存在には依存しない。もしそうなら、法則はある一瞬には正しく、次の瞬間には間違いだということになろう。生理学者が、ストリキニーネは神経中枢にある種の影響をもたらすと語るとき、彼は、ストリキニーネが世界のどこかで使われていることが確かめられるまで、その法則の発表を差し控えるわけではない。また、その保証がなくなるやいなや、急いで発言を撤回することもない。この点にとどまってもなんら進展はないだろう。確かな結論として認められるのは、あらゆる普遍的法則は、厳密に表現すると、「もし」で始まり、「そのとき」と続かなければならない、ということである。