2014年12月30日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻21

岡崎や矢矧の橋の長きかな 杜國

 三河国、岡崎の宿、矢矧川の橋は長さ二百八間と伝えられている。前句の「馬のねむた顔」に、この句の「橋の長きかな」という句づくりの悠々迫らざるのと応じて、橋板にことことと音がする馬の緩やかな足音の響きが聞えるような心地がする。馬上の人が倦怠してうめきだした句として解しても通じる。

 前人から「や」と「哉」について論がある。しかし、多くは言うに値しない。発句に「哉」があるからといって、平句に「哉」を用いて悪いことはなく、ただ平句の体が発句の紛れるように「哉」と止めてしまうと、一巻の体裁上はばかられ、忌まれることもある。この句「哉」と止められているが、まったく平句の体で、発句の分を犯さず、「や」としたとしても同様である。『平家物語』、平忠度の歌、「さゞ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山さくらかな」。「や」といって「哉」と止めるこの句のつくり方、これに似ている。

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