2014年11月4日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻7

らうたげに物読む娘かしづきて 重五

 「らうたげ」は美しくかわいく、かつ猛々しくなくおとなしいことである。「物読む」は書を読むことである。静寂を喜ぶ茶人の、優雅な娘をかしずきてというだけの句である。らうたげに物読む儒者などの娘を茶人がかしずき慰めて、野辺の景色を見てみなさいと摘み草などだす様子だという旧註は大きな見当違いで、従いがたい。そこまで深入りして解する必要もない。また、娘が茶人にかしずくという旧説にも従いがたい。ここではただ野辺の蒲公英を惜しむような茶人が、ろうたげに物読む娘をかしずいて世を経ることを言っている。

 しかし、そうではなく、娘が茶人にかしずいているのだという人も多いだろう。それも一つの解釈で、通じないことはないことは私にもわかっている。だが、かしずくという語は、愛育擁護の意味合いの方が、ともにあって恭敬するという意味よりも強い。

 『源氏物語』桐壺の巻、「此君をば私物に思しかしづけ給ふこと限無し」、玉葛の巻「人に見せず限無くかしづき聞こゆるほどに」、『落窪物語』、「この君をいたはりかしづき給ふこと限無し」、これらはみな愛し育て擁護する意味である。『枕草子』、「上にさふらふ御猫は・・・いとをかしければかしづかせ給ふがはしに出たるを」、『源氏者語』若菜の巻、「あけたての猫のかしづきをして撫養ひたまふ」これらは特に、かしずくという言葉の、上より下を愛護し、有力者の守り助けることを示している。『源氏物語』東屋の巻、「帝の御かしづき娘を得たまへる君」などにいたっては後の世のご秘蔵といっているのに等しい。かしずくの用語例を知るべきである。

 世を下ると、『源氏物語』槇柱の巻の「こなたの御かしづき人ども心もとながり」などの用例をはじめにして、ゆっくりと侍従し、随仕する意味の方に移って、下より上に仕えるだけをかしずくの意味として覚えるものもあるが、「らうたげ」などという古い言葉と釣り合わせて考えるときは、その娘に父がかしずくのであって、娘が父にかしずくのではないと思われる。ろうたげにものを読むほどの娘であれば、野辺の蒲公英でさえ惜しむ父親が特に愛し、育て守ろうとするだろう。またもし娘が父にかしずくのだとしても、どちらにしてもこの句、古い絵巻を見るように麗しく興がある。

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