2014年10月13日月曜日

ブラッドリー『論理学』84

 §60.総合判断については時間を費やす必要はない。現実の知覚によって与えられるものを超越する際には、疑いなく推論を使っている。形容の総合は、内容のある点での同一性によって現前と結びついている。この総合は単なる普遍であり、それゆえ仮言的である。それは所与との関係によってのみ定言的となり、それゆえ発言における全重点は分析判断にかかっている。もし分析判断が保持されれば、その拡がりについての議論に話は移るだろう。しかし、分析が失われてしまえば、それとともに総合判断も失われる。

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