2014年11月7日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻8

灯籠ふたつになさけくらぶる 杜國

 前句の「娘かしづきて」を、ここではその娘に恋する男たちがかしずくとして、美しい細工灯籠を一方がその季節に贈れば、他方も同じ心、同じ誠を込めて贈って、その美しさが優劣いずれともつかないことをいっている。

 『大和物語』のむかし津の国に住む女ありけりのくだり、兎原男と芽沼男が一人の女を恋して、女も二人のどちらを選ぶか悩み煩い、女の親も困り果てて、最後に女は生田川に身を投げて死に、男二人も同じ水屑となったという古い話の面影が見える。ただし、本文には、「ものを贈ってくれば同じように贈ってきて、どちらが勝っているともいえない」、とだけあって、灯籠のことはなく、灯籠二つというのは、本文の、「どちらからも贈ってくるものを受け取りはしなかったが、様々なものをもってきた」とあるのに基づいた作者の作意である。

 灯籠はもちろん盆灯籠で、娘の母親が亡くなっていることを言外にあらわしている。娘の母を思う心を察して、男たちが灯籠を贈る優しい人柄、三方が同時に描き出されて妙を極めている。このつけ句は実に殊勝で、前句のおとなしき娘に恋するおとなしく心優しい二人の男の恋争いのさまも、すべてふさわしくあらわれて面白いので、伝えられるところによると、芭蕉もこの句には感心して、なにを頼りにこの句を作ったのかと問うと、杜國は『伽婢子』の絵から思いつきましたと答えたので、芭蕉は非常に機嫌良く、よい心がけだと褒めたという。

 『伽婢子』は寛永板瓢水子松雪の『伽婢子』と推察され、平氏の武士某の娘の幽霊が灯籠を並べている絵があるという。作者はその絵から発想して、『大和物語』の面影を形にし、本文に、「どちらの男も長い間家の門に立ってどんなことにも衷心が見えたので」とあるのに基づき、衣や簪とはしないで、屋外に掛けるものである灯籠二つと作ったのは、さすがに古い談林の俳諧の限界を見て取って、『冬の日』に新しい旗色を示した四俊の一人だというべきである。句のあり方に難がなく、情も景もよくあらわれて余韻がある。

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