§61.現在の知覚によって与えられるもののなかでの判断に再び戻ってみよう。それは所与の分析を含み、直接に現前する内容によって実在を指しているために定言的であるように思える。それらの判断の諸要素は現実に存在しているに違いない。観念内容が実在に帰されるが、その実在とはいま私に現前しているものである。私はそれ以外の何ものも帰されはしないと確信する。どんな推論もしていないし、一般化もしていないと確言できる。どうして私の主張が真でないことがあり得よう。主張が真なら、どうしてそれが定言的でないことがあり得ようか。
他方、我々は感覚に関する分析判断はすべて誤りであると言う。真でないことを言うには幾つもの言い方がある。それが常に事実を越えでる必要はない。事実に足りないこともしばしばある。まさしく、この足りないこと、部分を全体であるかのように述べることが分析判断の虚偽をつくる。
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