2014年10月31日金曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』5

      解釈の誤りとしてのスケープゴート

 上記のことを、我々の用語法からは除外される「スケープゴート」の概念が、現代の批評家によってしばしば用いられる典型的な状況を考えることで検証してみよう。第一に、顕著なもの同士の結びつきは変動することを認めよう。犬では、顕著なベルの音と顕著な餌への関心が結びついた。しかし、翻って、南部における貧困白人の顕著な経済的惨状は、他のどんな顕著な要因と結びつけることができるだろうか。科学実験で苦しめられている鼠は、とまどいどうやって逃げたらいいかわからないので、邪魔しているものに対してなんらかの行動をとると学者は立証する。同じように、白人貧困層は邪魔している存在に対してなんらかの行動をとるのだろうか。

 だが、邪魔者とは何だろうか。ネズミの場合、電気ショックや、電気ショックを与える実験者ということになろう。しかしながら、実験の状況は、ネズミにはなにが行なわれているのかわからないようになっている。邪魔者とは電気ショックそのものであり、ネズミはその場所を避けて動く。

 アナロジーを人間の犠牲者に当てはめてみよう。激しい経済的競争が存在する。また、他の競争者から差異化をはかれる目立った道があり――それは、肌の色によるものである。それでは、白人の惨状はどの「方角」から来るのだろうか。経済構造によって解釈されることは、肌の色の違いに較べればそれほど「顕著な」ものではない。ここで不吉な定位が生じる。黒人は鉄柵で隔離され乱暴に打ち据えられる臆病者であるが、柵に対する脅威をあらわすものとされる。定位は「何であるか」から「何であり得るか」に向かうので、白人貧困層は、自分たちの問題の解決としてリンチによる脅迫を行なうことになる。

 こうした誤った手段の選択が行なわれることを、おののきながらも我々は認めねばならない。ここには、非スケープゴート的で、現実主義的な対応とは異なる心的働きにおける回避過程があったという形跡はない。この地域では、混乱は社会的なものであり、色の違いには社会的格差が対応しているので、目立った色の相違は色の区別に従う反応をもたらす。現代のドイツにおける貧困のような、ほかの別の場所であれば、神学的、或は人種的理由づけが行なわれる。しかし、あらゆる人間に共通に働くのではない特殊なあり方をスケープゴートと呼ぶことは、スケープゴートを餌のベルに反応するパヴロフの犬や、打擲-ウサギ-毛皮を結びつけるワトソンの子供、ゲシュタルト派の実験における形態-食物の連鎖と似たものとして示すことである。

 異なった定位の図式、異なった観点から判断して正当に言えるのは、ある種の連鎖は欺瞞であり、間違った手段の選択をさせるということである。例えば、黒人をスケープゴートとして攻撃し、それによって自身の困難を免れられると思っている者は、異なった定位で問題に取り組んでいる。異なった定位は異なった連鎖の仕方をもたらすだろう。顕著な経済的貧困は経済的体系そのものの顕著な欠点に結びつけられるかもしれない。より広範囲にわたる歴史的遠近法を取れば、経済的要因もまた、肌の色の相違によって問題を説明しようとするのと同じく、あまりにもあからさまな連想に基づいており、スケープゴート同様に見えることがあるかもしれない。

 純粋な形での、儀式によって罪を犠牲者に担わせるスケープゴート・メカニズムについて言っても、異なった心的過程を仮定する必要はない。スケープゴートにつきものの原因と結果の魔術的なつながりは、ある種の罪を目立たせ、それを糾弾するのにふさわしいホメオパシーの技術を提示する。原因と結果の性質について異なった定位を発達させれば、それ以前の理論に基づいた行為は不適切なものに思われるだろう。しかしながら、ある点においては、純化の技術は非常に大きな実際的成功を収めていることを思い起こすべきである。例えば、人々から罪の重みを取り除くのには非常に効果的だった。必要とされるのは罪を動物に移しかえることのできるおきまりの手順と儀式であり、それから動物は残忍に打たれ殺された――救いの感情はそこにいるすべてのものに明らかだった。

 罪を移しかえられるという理論は、病気がうつるという理論ほど正当化しがたいように思える――特に、野蛮人が疫病を山羊を身代わりにして祓おうとするときにそうであって、我々は彼らの振る舞いを特殊なものと説明しようとする。不適切な定位に基づいた誤った手段の選択ですべて説明できるように思える。野蛮人の魔術における熟練(太陽を輝かせ、雨を降らせ、夏を再びやってこさせ、女性の多産を保証し、部族間の協調した行動を助ける)こそが、自然に自分の方法の限界について盲目にしたのだろう。いわゆるスケープゴート・メカニズムと呼ばれているものは、訓練された無能力の一例に過ぎない。

2014年10月30日木曜日

ブラッドリー『論理学』90

 §66.そして、もう一つの例が、科学によって純化された精神がいかに正統的なキリスト教と合致しているか示すことになるのをご容赦願いたい。宗教的な意識では、神と人間はつながりをもった要素である。しかし、経験をふり返ってみれば、我々は区別をし、上述のように要素へと分ける分析の結果を確かなものだとする。かくして、一方には神という要素があり、他方に人間という要素がある。そしてその関係について頭を悩ませている。関係はもちろん別の要素でなければならず、それらを仲介する別のなにかを探すこととなり、それと最初にあるものとの関係も見つけねばならない。我々は再び無限の進行に入り込むのであって、それが多神教であっても、問題に変わりはないのである。

2014年10月29日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻5

馬糞掻あふきに風の打かすみ  荷兮

 京今出川御門のあたりで打ち眺める態、と前人が解したのはいい。扇は鉄骨に竹を扇形に編みつけた鋤のようなもの、続に鋤簾というものだろう。(鋤はくわ、鍬はすきであり、俗には逆に用いられる。)前句におしあけの春とあることから、日うららかにして長閑に、土埃たち陽炎が燃えるような景色をあらわしている。門前の掃除と解するのはよくなく、遠望であることが句中に見られる。前句には御門などがあるのに、馬糞掻くなどとつけたのは詩豪というべきだろう。

2014年10月28日火曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』4

      意味についてのパヴロフ、ワトソン、ゲシュタルト派の実験

 定位における連鎖を示す基本的な実験はいまでは古典的なものとなっているが、簡単に繰り返しておこう。最初にパブロフの研究があり、思弁的心理学の曖昧な連想説に、条件反射の実験によって正確な経験的根拠を与えた。犬に餌をやるときにベルを鳴らし、ベルの音で、餌の臭いをかいだときのように唾液を出させるよう犬を条件づけた。同じような実験を繰り返して、ワトソンはこうした条件づけに「転位」があることを認めた。鉄の棒で乱暴に打つことは子供に恐怖を与えるが、例えば兎のような中立的な対象であっても、打擲のときに常にその場においておけば「恐怖」の性質を与えられることを認めた。次に、この兎に条件づけられた恐怖が、様々な程度で似たような性質をもつものに(毛皮のコートやコットンの毛布など)転位することが示された。ゲシュタルト派の実験は、同じようなことは関係性からも生じうるという事実を確証した。いつも餌の入った大きな容器aが、いつもからの小さな容器bに並べて置かれる。動物がaにだけ餌を探すよう習慣づけられたとき(aの餌が入っているという性質、bの餌が入っていないという性質が確定したとき)、容器aを取り除き、その場所にbを置き、新たにより小さな容器cをbの場所に置く。大きさと位置の関係で、cとbはbとaに等しい。すると、以前は餌が入っていないものとして無視されていたbに餌を求めていくのが認められる。このことは、餌が入っているという性質は、大きな文脈のなかで決定されていたことを示しているように思われる。別の言葉で言えば、我々が北極星をそれのみではなく、大熊座との関わりにおいて認めるように、個々の対象の特徴は絶対的なのではなく、他の特徴との関係において成り立っている。

 ちなみに、行動主義とゲシュタルト派は正反対のように考えられることもあるが、行動主義者によって認められた「独立した」条件づけと、ゲシュタルト派の実験によって認められた関係、或は「全体」による条件づけとのあいだには根本的な相違はないだろう。「単一」の信号であっても(ある高さの音や色や形)、実際には複雑な出来事であり、感覚によってまとまりとして解釈されている。例えば、ベルが鳴るというまとまりは、物理学者に従えば、それぞれに異なる振動の集まりに分解され、それはゲシュタルト派の実験者がabの関係をaとbに分割してしまうと、個々の要素は一緒であったときの意味を「分け与えられる」わけではないことを示すのと同じことである(t、h、eというそれぞれの文字がtheの断片だとは認められないように)。二つの対象の関係が一つと解釈されるのと同じように、ベルの音では様々な出来事が一つと解釈されている。どちらの場合も、異なった「観点」を導入すれば、より小さな構成要素に分割することができる。分割部分は全体によってもたらされるのとは異なった「意味」を示すだろう。ゲシュタルト派の用語を使えば、ベルの個々の振動の意味が「付加的」に集まって、部分の総和をなすのではなく、音は単一の総体、形態、ゲシュタルトである。水差しの口から水を注ぐことを学んだ人間は、パヴロフ-ワトソン的な条件づけをされたのだろうか、それとも、水差しを全体として知覚することから水差しの口を理解するより大きな全体についての知覚(ゲシュタルト)を行なっているのだろうか。

 いずれにしろ、ワトソン的な転位にしても、ゲシュタルトの形態にしても、類似についての判断が含まれねばならず、類似そのものは絶対的ではない。チフス菌の入ったサラダと入らないサラダは美食的な見地からはまったく同じであり――腐った卵とそうでない卵はチフス菌が入っていないということについてはまったく同じである。赤い四角と緑の四角は、形が問題のときには同類だが、色が問題のときには赤い四角と赤い円が同類になる。複雑な社会経験においては、「似たような」状況でも常に新たな要因がつけ加わっており、全体的な定位は類似の判断に大きな影響を与えうる。よきカトリック教徒は聖職者を導き手と感じる。よきマルクス主義者は聖職者と詐欺師を同じものだと感じる。我々の手段選択の多くは比較に基づいてなされるので(鋲つきの椅子のなかで鋲がついていないように見える椅子を選んで坐るように)、定位、手段選択、「訓練された無能力」は相互に絡み合っている。

 一般的に、出来事は「顕著なもの同士の連鎖」によって性格づけられる(ベルを餌と受け取るパヴロフの犬のように、顕著なベルの音が顕著な餌の経験に結びつく)。こうした性格が蓄積され、相互に働き合うのが定位である。それは予期の基本となる――性格には過去、現在、未来がはめ込まれているからである。いまここにあるしるしは未来への約束をもたらす過去からの意味をもっているかもしれない。このように、定位とはいかに物事はあったか、現にあるか、将来あるかについての判断の束である。出来事の性格とそれに応じた反応は、我々の形而上学と振るまいとの総体的な関係を明らかにする。というのも、世界がどのようなものであるか言うことには、世界がどうなるかについてだけではなく、そうするために我々はどんな手段を用いるべきかについての判断が含まれているからである。

2014年10月27日月曜日

ブラッドリー『論理学』89

 §65.脇道にそれることになるが、いま考えたような誤りから生じる二つの錯誤の例を挙げてみよう。「心の構成要素はなんであるか」と尋ねるとき、我々は全体を感情の要素に分解している。しかし、そうした感情の要素だけでは「構成要素」のすべてではないので、諸関係の存在を認めざるを得ない。しかし、それによって我々は動揺しはしない。間違いではあり得ないいまの考えを更に推し進め、もちろん、他の要素とは異なる要素がまだあるが、それですべてだと答えよう。しかし、異なった教育を受けて心がねじ曲がってしまった懐疑的な読者が、それが意味する観念を形成してみようとすると、途方に暮れることになる。もし要素が一緒に存在していなければならないならば、それらは互いに関係していなければならない。そして、もしそうした関係も要素であるなら、その要素は元々の要素と再び関係をもたなければならないだろう。AとBが感じであり、Cがその関係であるまた別の感じだとすると、構成要素が互いに関係することなく存在することができるのか、あるいは、CとABとの間に新たな関係が存在すると仮定しなければならない。この関係をDとすると、再びDとC-ABの間に関係を見いだし、以下無限に続く過程に着手することになる。関係が諸事実のにある事実なら、関係と事実のにはなにがあるのだろうか。本当の真実は、一方に要素があり、他方にその間の関係があるというのはまったく現実的ではないことにある。それらは単一の実在のなかで区別だてをする精神の虚構であり、それを独立した事実とみなすよくある間違った錯覚である。名高い教授‡の言葉を信じるなら、この不合理で不可能なことに対する強烈な信念は、かつては神学の特権であり、自慢の種だったが、いまでは実験室の聖なる区域以外のどこででも手にはいるようになってしまった。そうした楽観的な結論を採るのは困難ではないかと私は心配している。

2014年10月26日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻4

北の御門をおしあけの春  芭蕉

 鶯笠は北の御門を御所の北門とした。御門という言い方からそう解したのだが、そこまで窮屈に考える必要はない。前句の初狩人を卑しい漁師ではないと見て、早春の早朝に凜々しく出で立つ侍の城門をでるところを付けたものである。この句には狩りのことが触れられていないので、次の句を作る人がこの門を御所の門ととることは自由だが、ここで直接に御所の門と解するには、前句に狩人が歯朶を負うことがあるからには、早春に御旨を受けて狩りに出るような事例がないと、無理に押しつけた解釈となるだろう。早春に命を受けて狩りにでることは思い当たらない。ただし句ぶりは田舎大名の城のこととも思われず、鶯笠の言うようにいかにも御所の門のように見えるので、なんらかの事例があるのかもしれない。しばらく後の考えに譲る。

2014年10月25日土曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』3

      訓練、手段の選択、逃避

 不満足な状況があるとき、人間は自然にそれを避けようとする。複雑な社会構造のなかでは、多くの解釈と回避手段が可能である。そのいくつかは他に比べてずっと役に立つということもあろう。また、すべての手段が誰にでも平等に実行できるわけでもない。社会に不満をもつ芸術家はタヒチに移住もできるだろうが、全国民がそうはできない。「仕事で悲しみを紛らわす」ことのできる者は多くいるだろうが、失業者には不可能である。等々、思いつくままにあげた。関係の諸観念は、明らかに、こうした状況下での手段の選択に大いに関わっている。野蛮人は、火をつける過程の適切な結びつきとして、乾燥した木と摩擦を考え、それによって火を起すことができた。定位の有効性がそれほどあてにできない例としては、キリスト教の伝道師や医師が嵐のときレインコートを着ているのを見て、レインコートと雨とを結びつけ、干魃に対する魔法としてレインコートを着てくれるよう頼んだことがある。灌漑のほうがより効果的な手段ではあったろうが、ホメオパシー的魔術によって天気を左右しようという試みは厳密な意味では「逃避主義的」とは言えない。因果関係についての欠陥のある理論による欠陥のある手段の選択である。

 存在についての諸問題は、壜のラベルのように固定した変化のないものではない。数多くの解釈に開かれており――その解釈が手段の選択に影響を及ぼす。それゆえ、「訓練された無能力」は手段の選択にも見いだされる。人は過去の訓練に従ってある尺度を得る――だが、その堅実な訓練によって、間違った尺度を身につけてしまうかもしれない。人は不適切な適切さに適合することで、不適切な存在になるかもしれないのである。従って、もしニワトリが自分の定位の図式に従い、ベルの音を餌のしるしとして反応し、実験者がそのときには規則を変え、実際にはベルの音は罰の知らせだったとしても、ベルの音に応えて駆け寄ってくるニワトリの「不合理な」振る舞いを説明するのに、逃避のメカニズムという考えを導入する必要はない。ニワトリが現実に直面することを拒んだのだと言う必要もない。我々はただ――実験的に証明できることとして――過去の訓練が現在の状況を誤って判断させたのだと認めるだけでいい。訓練が無能力をつくりだしたのである。

 我々は、このように、定位をその正確な、或は欠陥のある手段の選択に従って、訓練されたものとも、無能力なものとも論じることができる。そして、ある例における手段の選択の適切性についての判断は、適正についての個々の意味にかかっている。例えば、ある本がタヒチへの逃避を描いたとき、我々はその逃避方法があまりにも限定的であり、作者はより多くの人間が使えるような逃避の手段(組織的な政治革命のような)を象徴化するべきだと感じて、それに反対するかもしれない。或は、その同じ本を、我々の制度に対する不満足な姿勢を象徴的にあらわしており、そうした姿勢を大事にすべきだと信じて称讃もできる。最初の定位に従えば、この本は誤った手段の選択の一例であり、第二の定位に従えば、適切な手段の選択されていることになる。

 逃避という概念の誤用と密接に結びついているのは、「スケープゴート・メカニズム」とそれを補助する「合理化」という考え方である。どちらの用語も、個別の間違った過程を非難して指し、そう述べる自分の立場を守るのに大いに役立つことは間違いないが、批評として擁護できるかどうかは疑わしい。最上級の分別だけが、無知な者をスケープゴートにすることなく、賢明な手段の選択を行えるだろう――また、自分の理屈と他人の理屈を分けて考えるには深い共感の力が必要とされる。あらゆる定位には連鎖の過程が認められる(ある種の連鎖には、それを正しいものとして受け入れないにしても、スケープゴートが含まれる)。また、人は言葉によって定位を完成させることがあるが、賛意を示すときには「理論」と呼び、不賛成のときには「合理化」と呼ぶことがある。かくして、これらの語も論点を避けるのに役立つ言葉である。その大きな感情的性質が、批評での有用性を危険にさらしている。従って、こうした言葉なしで定位について議論できれば、混乱はより少なくなろう。そして、それらの不必要を証明できると私は信じている。

2014年10月24日金曜日

ブラッドリー『論理学』88

 §64.ごく一般的で、破滅的とも言える迷信は、分析は対象になんの変化ももたらさず、識別がなされるときには、分割可能な存在が扱われているのだと仮定することにある。ある事実の全体があるとき、そのある部分が残りとは関わりなく存在できると結論するのは計り知れない結果を生む推測である。心的な区別と外的な実在についてのこの素朴な確信、思考と存在との露骨な同一性についての悲壮なまでの信頼は経験の名の下に喧伝されている学派にとって価値のあるものである。ヒュームによって大胆に宣言された(第二巻第一章§5参照)間違いと錯覚についての主要な原則は、この学派によって伝統的に実践されており、あまりに深く信じられているので、議論もできないし原則として認めることすらできないのである。事実に対する忠誠に異議を申し立てることは差し出がましいことで、自己正当化された無垢と図々しさという美徳によって致命的となる公然とした攻撃から守られていた。ある意味において(私もそれを否定しはしない)思考が最終的には事物の尺度であることが正しいなら、我々が全体のなかで行なう分割が、その存在を他の存在に依存していないような要素にすべて対応しているというのは少なくとも誤りだろう。複雑なものを取り上げ、分析によって好きなだけ手を加え、そうした我々の抽象の結果を所与を形容するものとして捉えるのはまったく正当化しがたい。そうした産物は決してそうしたものとして存在するものではなく、そうであるかのようにするのは事実を欺いている。部分の総和としての全体という「経験」学派が嬉々として現象をねじ曲げる粗雑な考え方は実際の経験に常に当てはめることはできない。解剖によって得た結果を生きた身体に適用できない生理学が間違っているなら、ここでの問題は更に果てしなく悪い。我々に与えられる全体は知覚と感情の連続的な固まりである。この全体について、その一要素が残りと切り離したとしてももとのままだとするのは、非常にゆゆしき発言である。それは自明ではないと思われるし、あからさまな不合理に陥ることもなくそれを否定することも可能である。

2014年10月23日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻3

歯朶の葉を初狩人の箭に負いて 野水

 前句を見ると、言葉の上では人はでていないが、実際には人がおり、人がいるからこそ氷も破られ、水もほとばしる。この句はその人を新年に初めての狩りにでる人として、いさぎよい景色をあらわしている。歯朶は裏が白いので裏白ともいって、新年の飾りに用いることは知られている。

 歯朶だけでなく、草木の枝葉を笠などにかぶって、鳥獣の目を避けるのは狩人の常であるが、ここでは新年の春のことほぎに、歯朶の葉を矢を入れる容器にかけて、今年も山の幸あれと祝い立つことを言っている。前句は冬、これは春、季の移りは難がなく、興趣は新たで、絵のようになってもおり、詩としても成り立っている。それらを見て、かつ思うべきである。この第三句、発句脇句の絢爛幻奇とは異なり、平生淡雅の句ぶり、変化の働きを特に賞翫すべきである。

2014年10月22日水曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』2

ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念

 ヴェブレンの「訓練された無能力」という概念は、特に、正しい、そして間違った定位の問題に関連しているように思われる。訓練された無能力によって、彼は人の能力そのものが盲点となり得る事情をあらわしている。もし我々がニワトリにベルの音を餌の信号と解釈するように条件づけ、集めて罰を下すためにベルを鳴らすなら、彼らの訓練は自分の利益に反することになる。過去の教えに従うことで、自分たちの利害を損なう道を選んでいる。或は、我が垢抜けした鱒がかつて危うく引っかかりそうだった疑似餌に形や色が似ているために本当の餌を避けるなら、その不適切な解釈は訓練された無能力の結果だと呼べるだろう。ヴェブレンは総じてこの概念をビジネスマンに限定しており、彼らは金銭的な競争で長い間訓練された結果、それに関連した努力や野心に対してしか定位を行なわず、他の生産や分配の重要な可能性を見て取ることができない。

 訓練された無能力という概念は、定位の問題を「回避」や「逃避」との関わりで論じようとする現代の傾向を避ける大きな利点をもっている。正確に用いれば、逃避という観念はなんの難点ももたらさない。人が不満足な状況を避け、別の手段を試してみようとすることはまったく正常で自然なことである。しかし、「逃避」という語はより限定された用いられ方をしている。正確に言えばあらゆる人間に適用されることが、ある種の人間に当てはまるものに限定されようとしている。そのように限定されたとき、当てはまる人間は当てはまらない人間とはまったく異なった定位をする傾向にあり、当てはまらない人間は現実に直面するのに、当てはまる人間は生から逃避し、現実を回避するということになる。そういう区別もあり得るかもしれない。だが、多くの批評家は生、回避、現実との直面ということで正確にはなにが意味されているのか我々に語ることを回避している。こうして、批評上の難点から逃避することで、批評家たちは多くの作家や思想家を逃避の名のもとに自由に責めることができた。最終的に、この語は、特に文学批評では曖昧に用いられることになり、批評家の関心や目的に合わない作家や読者を指すようになった。言及される人物の特徴を示すはずのものが、ほとんど言及している人物の姿勢を伝えるものでしかなくなってしまった。批評家が「Xはあれこれのことをする」というと客観的であるように見える。しかしそれは、「私はXがしていることを個人的に好きではない」ということを戦略的に言い換えているに過ぎないことが多い。

 別の言い方をしてみよう。詩人たちによって深刻な社会的不満が述べられる。詩人たちはその憤りを様々な方法で象徴化する。批評家の個人的な好みに合わない象徴化はどんなものであっても逃避と呼ばれる。議論の主たる問題を解決するはずの言葉が、論点を回避するために用いられる。厳寒のラブラドルへ旅することを逃避として片付けることもできるし――ラブラドルのような厳寒の地から離れている我々を「逃避主義者」と呼ぶこともできる。従って、その限定された意味においては、この言葉は正確な定位と欠点のある定位との関係を明らかにする手段としては、無価値であるよりも悪い影響を及ぼすように思われる。それを正しくすべての人間に適用すれば、個人的判断による修正を暗黙のうちに加えなければ、その適用を特定の人間にはうまく限定できなくなる。それゆえ、ヴェブレンの訓練された無能力という概念によって、限定的な「逃避」の使用が曖昧であるとともに余計なことだと証明できると考えることで我々は一安心する。修正された考え方は次のようになろう。

2014年10月21日火曜日

ブラッドリー『論理学』87

 §63.こうした答えが返ってくるのは疑いない、「それは無駄な詮索だ。判断は知覚全体を写し取るものではないが、なぜそうである必要があろう。それが言い、写しているのはいずれにせよそこにあるものだ。事実は事実、所与は所与である。判断によって切り取った以外のものがあるからといって、事実や所与がそうでなくなりはしない。抽象的な狼が完全な形で与えられていないからと言って『狼がいる』というのが誤りだと主張するのは、非常識で滑稽である」と。

 ここで議論をやめてしまう読者もいるのではないかと私は恐れる。しかし、あえて先に進もうとする読者には、事態が馬鹿げて見えるのは、問題自体が不条理であるためではなく、凝り固まった先入観と衝突するためなのだと示唆することが勇気づけになるかもしれない。我々がこれから扱おうとしているのはこの種の先入観の一つである。

2014年10月20日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻2

氷ふみ行く水のいなづま 重五

 この句もまた理に落ちず、葛藤を超え、発句と照らしあっていて面白い。氷の上で雨がはじけるさまを稲妻に例えて急変する天気のことをあらわしたのだとする解釈は、微妙な趣と生き生きした瞬間を台無しにするものである。人が薄氷を踏んでいくときに、氷が破れ水がほとばしり、みしみしという響きとともに、つつっと氷の上を水が流れるのを水の稲妻と作った。天候は寒く、地は凍り、雲が早く流れて動物がすくむようなとき、まさにこうした情景がある。この句、言葉遣いに無理があるように見えて、現実を生き生きと再現している。発句には「月とり落す」とあり、この句では「氷ふみ行く」とあり、発句に添いながらもしかも相競い、猪が天台の石橋で荒れ狂うときに、顔を伏せたときもあげたときもそれぞれに神威が備わっているようなものである。

2014年10月19日日曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』1

第一部 解釈について

「定位」(或は現実に対する一般的な観点)はどのように形づくられるか。そうした解釈の体系は、その視野の広さと徹底によって、どのように我々の修正に関わってくるか。「逃避」、「スケープゴート・メカニズム」、「快楽原則」、「合理化」などの用語はなぜ懐疑的に、不承不承用いられるべきなのか。(いまのところはこう言うことができる。こうした用語に過度に頼ることは、所与のコミュニケーション構造の内部にある肯定すべき美点を正当に評価できなくする。)ある社会の生の様式は偏頗な遠近法、或は「職業的精神病質」、また同じことであるが「訓練された無能力」を生じさせることでどのように考え方に影響を及ぼすか。現代の複雑な生活様式は、諸動機に関する用語法においてどれだけ多くの不確かな問題を生みだすか。この状況は、科学および芸術におけるコミュニケーションの性質にどのような影響を及ぼすか。魔術と宗教から発展した「科学技術的精神病質」の現在における過度の重要性。


  .. 第一章 定位

      あらゆる生物は批評家である

 すべての有機体は自らについての数多くのしるしを解釈しているという事実を認めることから我々は始められる。鱒は、針に引っかかることもあれば、顎が裂けて幸運にも逃れ去ることもあるが、その賢さを自分の批評的評価を修正することで示すことができる。彼の経験は新たな判断を下すことを促し、それは食物と疑似餌とのより賢明な区別と言葉にすることができよう。別種の疑似餌は、「顎を裂いた食物」として区別されるような外見がなければ、鱒の裏をかくことになるかもしれない。経験によって学んだ疑似餌にたまたま似たものであるために、数多くの本当の餌を見過ごしてしまっただろう。むっつりした魚がこうしたことすべてを考えているというのではない。針に引っかかってから長かれ短かれある期間は対応を変え、新たな意味合いをもつ変更された行動を取り、より学習されたやり方でしるしを読むと言いたいだけである。この批評的段階を意識的なものと想像しようが無意識的なものと想像しようが問題ではない――必要なのは、修正された判断が外面的にあらわれていることを認めることだけである。

 この垢抜けした鱒に対する我々の大きな利点は、我々が批評的過程の範囲を大幅に拡大できることにあると思われる。人間は疑似餌と餌との相違がなんであるかを決定するのに方法的であることができる。不運なことに、ソーンスタイン・ヴェブレンが指摘したように、発明は必要の母である。批評の力は、人間をして文化的構造を打ち立てることを可能にするが、それは非常に複雑なものであるので、文化的錯綜の下に隠れた食物処理と疑似餌処理とを区別するためには、より大きな批評的力が必要とされる。批評的能力は、解決の範囲だけでなく、問題の範囲に応じて増加する。定位は間違った方向に向くこともあり得る。例えば、抽象や一般化の力を通じて行われる征服のことを考えてみよう。次に、そうした抽象化が現実と食い違っているために生じる愚かな国家間の、或は人種間の戦争を考えてみよう。数千マイル離れたところにいる人間を最悪の敵として憎むのになんの批評的能力も必要とされない。批評が我々にとって大いに役立つときには、より優れた批評が必要とされる地点に我々はいるのかもしれない。あらゆる有機体が、自分に関わるしるしを解釈するという意味で批評家であるにしても、言葉によって利用可能になる実験的、思弁的な技術は人間に限られたもので、人間だけが経験の批評を越えて、批評の批評へと進む資質を持っている。我々は出来事の性格を解釈するだけではない(我々の反応にあらわれる恐れ、危惧、疑い、期待、確信という段階は、大雑把に言えば動物においては行動の形を取る)――自分の解釈を解釈することができるのである。

 パヴロフの犬はベルの音に唾液を出すよう条件づけられたときに、ある意味を獲得する。別の実験が示すところによれば、こうした意味はより正確なものにすることができる。ニワトリには特定の高さの音だけが食物のしるしだと教えることができ、他の音は無視される。しかし、人間においては、こうした解釈がどれ程浅薄なものであるか、どれ程心配してもしすぎることはない。次のベルが餌を与えるためのものではなく、集めて首をはねるためのものであっても、ベルが彼らにとってもつ性質に従いニワトリは忠実に走り寄ってくるだろう。それほど教育されていないニワトリの方がより賢明に行動することになろう。かくして、我々が正確な定位に達するときの工夫が不正確な定位にある工夫とまったく同じであることもあり得るだろう。我々に言えるのは、ある客観的な出来事は、似たような或は関連した過去の出来事の経験から意味を引きだすということだけである。ベルが鳴ること自体は、我々が呼吸する空気と同じように選ばれているわけでもなければ意味もない。我々がそれを経験する文脈に応じて性格、意味、意義(夕食のベルか玄関のベルか)が生じる。そうした性格の多くは言葉によって伝えられ、ある壜には「毒薬」とラベルが貼られ、マルクス主義者はある人間の失業を資本主義に特有の財政危機のせいにする。語それ自体もその意味を過去の文脈から引きだしてくるだろう。

2014年10月18日土曜日

ブラッドリー『論理学』86

 §62.我々に与えられる事実は感覚にあらわれる複雑な性質と関係の全体である。しかし、我々がこの所与の事実について主張し、主張できるのは、観念内容でしかない。我々が用いる観念が目の前にある個物のすべてを汲みつくすことができないのは明らかである。我々みなが知るように、記述は直接の現前の瞬間全体に渡る多様な陰影、感覚的な財を完全に描き出すことはできない。判断を下すやいなや分析を余儀なくされ、識別を余儀なくされる。所与のある要素を他の要素から分けなければならない。感覚に全体としてあらわれるものを分け隔てる。判断に取り入れられるのは任意の選択以上では決してない。我々は「狼がいる」、「この木は緑だ」という。しかし、こうした貧弱な抽象、剥き出しの意味は我々の見る狼や木よりも遙かに劣る。それは我々がそこから狼や木を分け、内的な質量や外的な状況に及ぶ多様な個物全体にも足りない。実際にあらわれる実在がX=abcdefghだとするなら、我々の判断はX=aかX=a-bでしかない。しかし、a-bそのものは決して与えられてはいないし、あらわれてもいない。それは事実のなかにあったもので、我々がそれを取り上げている。それは事実に関するものであって、その独立性は我々が与えている。我々は所与を分離し、分割し、縮小し、切り裂き、切断している。そしてそれを任意に行なっている。我々は自分で選んだものを選択しているのである。しかし、もしそうなら、分析判断はすべて事実を変更せざるを得ないものなら、どうしてそれは真実であることを主張できるだろうか。

2014年10月17日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻1

       杖をひく事わづかに十歩
つゝみかねて月とり落す霽かな 杜國

 歩の字は代わる代わる足を出す形象である。ここでは概略を述べていて、少しばかりを行くか行かぬうちにと、時雨の句の前書きを面白く添えた。この句の「霽」をあるものは時雨とし、あるものは霰とする。あられの句と解するものは、にわかに空がかき曇り、十歩ほども歩くうちに、あられが激しく降り、いままで見えていた月が隠れてしまったのを、あられが白く丸いのに興じて、月とり落すと作るのだとした。たいそう大きなあられがただ一つ降ってきたような解し方である。笑うしかない。

 また、しぐれと読んで解するものも、旧板本に「月とり落す霽哉」とあることについてはなにも言及せず、いまの活字本も「霽哉」とするものが多い。「霽」は雨止むであり、しぐれとは読めない。元来日本語のしぐれにあたる漢字はない。

 「しぐれ」は、「し」つまり「風」、「ぐれ」つまり「狂」または「翻転」の二語から合成された語で、「しぐれ雨」の略なので、雨の部首でしぐれにあたる字はないはずである。ゆえに、『新撰字鏡』では「霂」、「雹」をしぐれと訓じ、『倭名抄』では?[雨冠に皿、その下に豕]をしぐれと読ませたが、みなその本義においてはあたっていない。霂、?[同前]は小雨を意味するに過ぎない。「霽」を改めて「?[雨冠に衆]とするものもあるが、『倭名抄』に依拠しただけで、実際はしぐれではない。ただし昔は?[雨冠に皿、その下に豕]でしぐれと読ませ、宗因門の井上秋香の自筆俳句に「駕籠賃はふたりの中の?[同前]かな」があり、また七部集の『炭俵』にも、「小夜?[同前]となりの臼は挽きやみぬ」という野坡の句がある。秋香は大阪の人で、連歌を里村家で学び、昌海といったという。だとすれば、?[同前]は早くから連歌師のあいだではしぐれとして用いていた字であろう。また、『続虚栗』の芭蕉の句に「旅人と我が名呼ばれん初霽」とあり、土芳の『三冊子』にも霽をしぐれと読ませる箇所がある。

 思うに、これはしぐれに霎の字を当てていたのがいつのときか間違って霽の字となったのではなかろうか。例はないが、霎と霽は、行書の字体がよく似ていて、しかも霎の字は見ることが少ないために、霽と勘違いしたのではないだろうか。霎は小雨だと『説文』にもある。すぐ止みすぐ降る雨は霎であろう。そこで短い時のことも霎といい、半霎、一時霎など、詩にも小説にも数々用いられている語である。霎をしぐれに当てるのもあながち無理なこととはいえない。句意は、しぐれかと思えば月が出て、月が見えたかと思うとしぐれる様子をあらわしていて、言葉の使い方も理屈を離れて葛藤を断ずる様子があり、しぐれの風情に通じて面白い。

2014年10月16日木曜日

ブラッドリー『論理学』85

 §61.現在の知覚によって与えられるもののなかでの判断に再び戻ってみよう。それは所与の分析を含み、直接に現前する内容によって実在を指しているために定言的であるように思える。それらの判断の諸要素は現実に存在しているに違いない。観念内容が実在に帰されるが、その実在とはいま私に現前しているものである。私はそれ以外の何ものも帰されはしないと確信する。どんな推論もしていないし、一般化もしていないと確言できる。どうして私の主張が真でないことがあり得よう。主張が真なら、どうしてそれが定言的でないことがあり得ようか。

 他方、我々は感覚に関する分析判断はすべて誤りであると言う。真でないことを言うには幾つもの言い方がある。それが常に事実を越えでる必要はない。事実に足りないこともしばしばある。まさしく、この足りないこと、部分を全体であるかのように述べることが分析判断の虚偽をつくる。

2014年10月15日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻36

しらかみいさむ越の独活苅 荷兮

 旧註が様々あり、受け入れがたいものが多い。ある解では、越の独活刈は越後の弥彦山の神事で、伊夜日古の神が独活を嫌われるとする。伊夜日古の神が独活を嫌われるかどうかもはっきりせず、前句とのかかりもさらに判然としない。

 鶯傘が言うには、出羽から越後に越える道の途中、吹浦続きの海辺の山林に二つの小さな神社がある。一つは白髪明社、一つは独活苅明神という。地方で言われているのは、上古の二神はなはだ仲が悪く、白髪が怒りを発するとややもすれば神同士の戦いとなって水際が穏やかでなくなり、作物がすべてだめになってしまう。白髪は独活を好んでいるので、独活苅りの神が独活を苅って献じ、感謝の念をあらわすと、白髪は喜び勇んで、平和になり、風雨も急変などしない。この例を伝えて、毎年三月三日の祭日、村民数百人、それぞれ鎌を持って独活を手にし、列をなして社前に行くと、独活苅りの神からの献物と称して、暴風雨などなく、作物が豊かに実ることを祈る。そうしなければ、暴風雨に襲われるという。いまは神徳も信じられなくなり、中古以来は小さな神社になってしまったが、独活を供えることはまだ行われている。前句が鳥いくさという穏やかでない味があるので、その鳥を神の使いだと思う心の響きから神軍と見なして付けられたものだと。

 白髪明神、独活苅明神ともに疑わしい。白髪明神は近江にあり、白髪明神などという神があることを聞かないし、宇土神宮は日向にあり、独活苅明神などがあるとははなはだおぼつかない。もっとも田舎の神には、人を笑わせるような馬鹿馬鹿しいものもないではない。甲の神に乙の神がものを献ずる習慣もときに存在し、香椎の神と志賀島の神とのあいだがそうである。また、甲の神と乙の神とが争うという伝説も聞くことがあり、二荒の神と赤城の神とのようなものであある。穏やかな海から鼠が関にかけて越後に通じるあたり、荒涼とした海辺の古い村にそうした言い伝えがないとはいえないが、尾張の荷兮は田舎の隅々まで修行して歩いたとも聞かないし、一座の人々もまたどうして白髪独活苅の神事を知ってよしとしたのかがいぶかしい。いまは見なくなってしまった当時流通した俗書などのなかにそのことが載せられていたのか、見聞が少なく、まだ思い当たるものを見いだせない。また、それでは前句とのかかりも面白くないと思われる。

 鳥いくさという言葉を本当の鳥の闘いと取ってということは認められるが、烏、鳶、鳩、雀、ひわ、つぐみ、椋鳥などのように群れて行動するものならば神軍といっても似つかわしいが、鸚鵡などは人が飼わないでは我が国にはまれにしか見ない鳥である。いかに響きの付けといっても、響きに頼りすぎてはいないか。

 思うに、この句は、旧解の一つに、禁裡へ国々の産物を貢ぐことをいった、とするものが穏当で、前句とのかかりも無理がなく、揚句の体にもかなっている。独活はいまの人はただ食べるためとだけ思っているが、昔は人参、大黄、白芷(はなうど)、黄芩のたぐいと同類の薬であり、『延喜式』巻三十七典薬療の式の文、諸国進年料雑薬のくだりに、「越前国十八種、黄連五十七斤、独活四斤、牛漆十七斤等々」と記されている。同書に、年頭に天皇や皇后に献ずる薬品のなかにも、黄芩一両、独活一両、蛇?一両などとある。独活は『本草』にも載っており、頭痛、足や関節のしびれなどを治す効き目があり、古名では「つちたら」という。苅とは採ることをいい、蘆刈の刈と同様である。ただいまではその芽が食べられることは知っているが、その根が薬になることが忘れられているだけである。

 とすれば、この句は、前句を泰平の世の有様と見て、民もまたその恩恵を喜び、毎年の例として献ずるものを白髪の老父が勇んで山野に採りにいく姿と取るべきだろう。独活は二月の季で、それはその芽が生じる時期によっている。ただ、薬剤としても野菜としても、その幹を用いる場合は、精気が外に出ていない状態を喜ぶので、芽がまだ出ず、葉がいまだ落ちないうちに採るのを通例とする。雪深く寒い越を選んだことに周到さを感じるべきである。

 ただ白髪は万葉の昔から「しらが」とはいわれるが「しらかみ」といっているのを聞かない、「三」と「も」は草書体にすると形がよく似ている、「しらかみ」はあるいは「しらがも」が誤り伝えられたのかもしれない。この句についてはさらに細かい調査が必要である、武断や強引な解釈は行わないよう気をつけねばならない。

2014年10月13日月曜日

ブラッドリー『論理学』84

 §60.総合判断については時間を費やす必要はない。現実の知覚によって与えられるものを超越する際には、疑いなく推論を使っている。形容の総合は、内容のある点での同一性によって現前と結びついている。この総合は単なる普遍であり、それゆえ仮言的である。それは所与との関係によってのみ定言的となり、それゆえ発言における全重点は分析判断にかかっている。もし分析判断が保持されれば、その拡がりについての議論に話は移るだろう。しかし、分析が失われてしまえば、それとともに総合判断も失われる。

2014年10月11日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻35

三日の花鸚鵡尾長の鳥軍 重五

 前句を、一人はすけの局か一人は某の内侍かと、左右に立ち別れたる人をいうものと見立てた曲齋の解釈は非常によい。「三日の花」は鶏合わせ[鶏を戦わせた宮中の行事]がある三月三日に花をかけている。鶏合わせは確かな節会ではないので、すでに貞徳は「季を定めずに雑とするべきか」、といっている。

 鶏合わせ、雛遊びなどは、実際に三月三日に決められていたものではなく、『三代実録』には元慶三年二月二十八日天皇弘徽殿で闘鶏を見たという記事があり、『日本紀略』には萬壽二年三月十七日内大臣藤原範通の家で闘鶏があった記事があり、また北村李吟の『山の井』にはある記事を引いて、朱雀院の天慶元年三月四日闘鶏十番があったと注している。そうだとすれば、闘鶏に決まった日はなかったことになるが、足利氏の頃からか、いつとはなく三月三日に、もとは臨時の遊興に過ぎなかったものが礼式と定められたようである。「鸚鵡尾長」のたぐいは鶏とは違い、戦わすものではないが、ここはただ作意で、それらの鳥を戦わしめるようにいっているものの、鸚鵡と尾長鳥とつつき合いの勇を競うものではない。

 旧解に、今日は宮家たちの鶏合せがあるので、こちらもと皇后の宮中に籠の飼い鳥をだし、官女をして闘わせた様子であるといっている。そのような愚にもつかぬことをさせるような皇后があるだろうか、もしあったとしても、すけの局、某の内侍など、それを諫めないことがあろうか、唖然として言うべきことがわからないほどのまずい解釈である。その解が正解であったら、そのような句を斥けなかった芭蕉もまた妄人であり狂客であって、『冬の日』も伴天連高政の輩が、「とゝろやするらん天の逆鉾」などとつくったなんら突出したところのないものと同じようなものだと酷評されても弁護できないだろう。

 みなこの一句の性質を理解せず、古人が詩を作るときには、杜甫はやせ、李賀は苦しみ、賈島は狂気に陥るほどなどを思わないで、おろそかに見過ごしてしまうことによって、下世話な妄想、思いつきに任せてこうしたことを言い出すのである。鳥いくさとあり、鸚鵡の日とあれば、すぐに鳥を闘わせると思うのは、子供がすぐにわかった顔をするようなものであって、俳諧を知らないにもほどがある。一句の風合いを見て取れば、どこに鶏冠を立ててつつきあう戦いの様子があろうか。鳥いくさというのは鳥を闘わせることではなく、花いくさが花を闘わせるものでないのと同じである。闘花、闘草、闘詠など、文字には闘とあるが、それはいずれも勝とうとするあらわれで、花、草、詩で打ち合うわけではない。花を闘わすのは、春の頃様々な花が開くときに、士女が互いに様々な花を持ち寄り、その美しさ、色艶を争い、すぐれたものを勝ちとするもので、開元、天保の頃の書にそのことがあらわされている。我が国でもそれを学んで、花いくさという言葉があって、すでに歳時記のような手近なものにものせられているだろう。

 鳥いくさという言葉はないが、重五がここで新し味を見せて言いだしたもので、語法がまったく花いくさと同じなので間違いというべきではない。鸚鵡も、尾長も美しい鳥で、これらの鳥を東西より持ち寄って、どれが姿がよく色が麗しいかと勝負を挑むのを、ここでは「鸚鵡尾長の鳥軍」と言ったので、美しい色とりどりの花があふれたような宮廷のさまを言い取ったのがこの句である。花という言葉に気をつけてみるがいい。三日はもともと鶏合せの日であるが、毛を飛ばし血を流す有様は女性の喜ぶべきことではなく、ここではただ美しさを較べる鳥いくさがあったという作意で、鶏合せに因むこの日の遊び、花いくさに学ぶ鸚鵡尾長の品定め、春の長閑な日に、宮女は花のごとく、鳥は花のごとく、簾や帳越しに喜ぶ声がさざめき渡る趣がある。だからこそ「三日の花鸚鵡尾長の鳥軍」という句にしたので、よく味わえば温庭筠、李商陰の詩にも較べられるような象眼細工のような細やかな字配り、言葉づくり、重五もまた一作家であることを感じさせるだろう。前句に典侍の局が内侍かとあるのを取って、多くの宮女たちがいる場所に一転した上手い活用、巻末になってもなお力を出し切っている。『冬の日』のとき、みながいかに勤め励んだかを見るべきである。

2014年10月10日金曜日

ブラッドリー『論理学』83

 §59.しかし、この種の問題は推測では解決されない。二方向に働く先入観があると言える。単称判断においては、それが事実であり、その判断は定言的だと言われる。形容される内容に現実の存在を認め、実在に明らかな性質を帰しているがゆえに、それが唯一の真の判断とはいわないまでも、仮言的判断よりは真であるとされる。これが単称判断の主張であり、この主張がある点において非常にしっかりしたものであることは否定できない。つまり、それはその内容の存在を主張し、直接に実在を肯定している。しかし、我々が返さねばならない答えとは、そうした主張や肯定にもかかわらず、一般的な考え方から離れて事物の真理をより近くから見ると、その主張や肯定は間違っており、その発言は誤解に基づいている、ということである。我々は単称判断の主張を試験にかけてみなければならず、思うにそれは致命的なものとなろう。

2014年10月9日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻34

一人は典侍の局か内侍か 杜國

 旧註では、『平家物語』を引いて、建礼門院の小原の寂光院に法皇がお忍びで御行のとき、院の有様をご覧になって、「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」とおつくりになった歌を万里小路が書き留めた、と記している。しかし、万里小路が書き取ったということなど『平家物語』には見えず、註者のつくりごと、偽りであってみだりに信じてはならない。また池水の歌も、『千載集』巻二にでていて、「皇子であったとき、鳥羽殿に移られた頃、池上花という心を読まれた」と前書きが確かにあるので、鳥羽殿で詠まれたのであり、小原でのものではない。これは『平家物語』の作者の誤りまたはこじつけである。

 前句で「硯をひらき山陰に」とあるのをどう解釈するかといえば、『平家物語』および『源平盛衰記』によって、御行のお供にしたがった後徳大寺左大将実定卿が、女院の哀れさに耐えきれずに、御前の席を立っておられたが、「朝に紅顔ありて世辞に誇り、夕べに白骨となりて郊原に朽ちる」という古詩を詠じられて、庵室の柱に、「いにしへは月にたとへし君なれど光うしなふ深山ベの里」と書きつけられたことを引くべきである。平家が亡びてのち、平相国の女である建礼門院は、一度は国母と仰がれていた身を寂光院で過ごされ、法皇が忍んで尋ねられていたことは『平家物語』灌頂の巻に見えて、もっとも人を感動させる部分であるが、文章が非常に長いのでここには引用しない。

 本文によれば、女院に扈従した阿波の内侍の尼がまず法皇に謁し、やがて上の山より濃い墨染めの衣を着た尼二人が、岩の崖道を難儀しながら降りてくるようなのを見て、法皇があれは何ものかと尋ねると、老尼は涙を抑えて、花籠を肘にかけ、岩躑躅を取っているのが女院で、蕨をもっているのが鳥飼の中納言維実が女、五条の大納言国綱の養子、先帝の御乳母、大納言の、すけの局と言い終わるまでもなく泣いてしまった。阿波の内侍の尼は少納言入道信西の女で、当時女院に仕えたもの、典侍の局とただ二人だけで会った。

 これで句のでたところは明らかだが、一人はすけの局か内侍かとつくったのは、本文と異なっていると疑いをもつものもあるかもしれない。だが、詩歌は事実を伝え記すためにつくるものではなく、句が必ずしも本文をそのまま引用することはない。この句は法皇御行の日のことを記そうとしたのではなく、ただ寂光院の面影を用いただけである。女院に仕えるののは典侍の局と阿波の内侍のみだから、女院が仏に供える花を摘みに出かけるときに、いつも典侍の局を召し連れるとも限らず、内侍を連れて行ったこともあっただろう。これはただ女院のある日のことをいっただけで、文治二年卯月二十三日の法皇御幸のその日のことを折り込んだわけではなく、つまりは女院ともう一人はすけの局か阿波の内侍かといっている。

 すべて昔の面影を取ってつくる句は、のちに芭蕉が、「葉分けの風よ矢箆きりに入る」という句について、「あるいは中将などの鷹をすえて小野に入り、浮船を見つけたなどということがあったのだろうが、その故事にしたがったわけではなく、その余情がこもっているところに意味があるといえよう」といったように、故事をいうわけではなくその風情をあらわしている。そのまま故事を述べるのは詩歌の本意ではなく、そうであればその次の句もその周辺の出来事に閉じ込められて、動きがとれなくなる。句作にはこの心得があるべきであり、解釈でもそれを理解しておくべきである。

2014年10月8日水曜日

ブラッドリー『論理学』82

 §58.このことから、我々はある推測を引き出せる。もし単称判断がより事実に近く、それを去ることで、実際に実在から遠ざかっているにしても、少なくとも、科学ではそうしたことは感じられない。我々を力づけてくれるもう一つの推測がある。通常の生活において、ある一つの事例から別の事例に移っても同じような態度で臨む傾向があることは我々の皆が経験することである。我々はあるときと場所において真であるものをどんなときと場所でも常に真であるととる。一つの例から一般化するのである。この傾向を根絶することのできない非哲学的精神の悪徳として遺憾に思うこともできるし、あらゆる経験に不可避の条件であり、あらゆる推論の必要条件(第二巻を見よ)として認めることもできる。しかし、認めるにしろ遺憾に思うにしろ、その過程をより強いものからより弱いものへ、より実在に近いものから遠いものへ向かう試みだとは感じられない。だが、疑いなく、それは個的なものから普遍的、仮言的なものへの移行である。

ブラッドリー『論理学』73

 §48.普遍的判断はすべて仮言的である、という結論は我々を再び以前からの難点に陥らせる(§6)。判断は常に真を意図するもので、真理は事実についての真を意味しなければならなかった。しかし、ここで我々が出会うのは事実に関するものとは思えない判断である。というのも、仮言的判断は仮定を扱わねばならないからである。それは我々の頭のなかにある観念の必然的なつながりを主張するが、頭の外側のことは言わない。しかし、もしそうなら、それは判断ではあり得ないだろう。単に主張はするにしても、それが真や偽ではあり得ない。

 我々はこの結論にとどまることはできないが、前提を取り消すこともできない。そこで、問題により近づき、判断に含まれているものをより限定して調べてみることにしよう。まず第一に、仮定がなんであるかを知るまでは我々は成功を期待できない。

 第一に、仮定が観念であること、多分事実から分岐したものであることは知られていよう。あらゆるものが事実である(第一章参照)精神の低次の段階ではそれは存在できない。というのも、仮定されたものは観念内容として知られねばならず、加えて、判断なしに心に保持されねばならないからである。それは肯定的にであれ否定的にであれ、形容として実在を指し示すものではない。別の言葉で言えば、実在はそれを当てられることによってもそれから排除されることによっても性質づけされない。しかし、判断しないといっても、仮定は(それ自体として)欲望や情動を排除するので、知的なものである。そしてまた、注意によって銘記され同じ内容のまま保持されるべきものなので、単なる想像以上でもある(第三巻第三章§23,24を見よ)。これですべてのようにも思えるが、まだそうではない。というのも、キメラのことを考えるのはキメラを仮定するのとは同じではないからである。

 仮定とはある特別な目的に向かい、特殊な方法で考えることを意味する。それは単にある意味に注意を向けることではないし、その要素を分析することでもない。それは実在の世界を参照し、何が起っているかを見ようという欲望を含んでいる。別の使用法から例を引けるだろう。「議論でのことに限って言えば」、「こう言えばあなたにもわかるだろうが」というのは、「そうであると仮定すると」と同じである。つまり、仮定というのは観念の実験である。それは実在についてある内容を当てはめることだが、それによってその帰結がどうなるかを見、実際の判断を暗黙のうちに保留にしている。仮定というのは、ある仕方で性質づけられたときに実在がどう振る舞うかを見るために、実際それがあるものとして考える。

 判断を控えている間も、思考に存在の観念がつけ加えられていると言われるかもしれない。考えないというだけでは十分ではないのである。使用されているのは単なる存在の観念ではないからである。我々が使っているのは常に我々の心と直接的に接している実在であり、多様な判断において我々が既にある内容で性質づけている。我々はそれに別の観念を継ぎ足し、結果がどうなるか見ているわけである。

2014年10月7日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻33

袂より硯を開き山陰に 芭蕉

 一句も、前句とのかかりも明らかで注を必要としない。連歌師など風雅に心を寄せて修行して歩くものが、よい景色の地に興を感じて、藤の実に伝う雫を硯に受けた。山陰はやまかげであるが、山陰という文字はまた景色のいいところをいうこともある。

2014年10月6日月曜日

ブラッドリー『論理学』81

  第二章(続き)

 §57.我々はどこにたどり着いたのだろうか。我々は判断は、もし真であるなら、実在について真であるに違いない、という仮定から出発した。他方で、あらゆる抽象的普遍的な判断は仮言的でしかないことを見いだした。条件判断がどのように、どのような拡がりにおいて事実を言明しているかを示すことによってこの相反する考え方を調停しようとした。しかし、単称判断は離れたところに立ち、自らを定言的で、事実について真であると主張した。それゆえ、所与を普遍的判断よりも上位に置くことを要求している。我々はこの要求を精査しなければならない。時間における出来事の系列を越えた個的な判断について考慮するのは先延ばしにしなければならない。現象の系列についての判断に限定して、次のように問うてみよう、つまり、それらは定言的なのだろうか。それは、事実、仮言的である普遍的判断よりも高い地位にあり、実在の世界に近いのだろうか。恐らく我々は歓迎されざる結論を迎える準備をしておいたほうがいいだろう。


 単称判断から普遍的判断に移ることで、我々は実在から遠ざかったように思える。現在の知覚とつながった現実の現象の系列の代わりに、我々があえてその存在を主張しかねるような形容物の連接だけを手にすることになる。一方では、堅固な事実と思われるものを手にしている。他方では、潜在的性質以外にはなにもなく、名前だけで我々を居心地の悪い気分にする。実在との関係をまったく失ったわけではないが、遠く離れてしまったように思える。捕らえどころがないほどの糸で、覆いがかかりぼやけた対象とつながっている具合である。

 しかし、我々がたどり着いた辺りを見まわしてみると、我々の考えは違った色合いをとることになろう。最初はいかに奇妙に思われるにしても、影に向かい事実からは遠ざかっていた我々の行程は、最後には科学の世界に行き着くのである。科学の目的は、我々みなが教えられたように、諸法則の発見である。法則とは、仮言的判断以外の何ものでもない。それは形容の総合を主張する命題である。普遍的であり抽象的である。そして、結びつける諸要素の存在を求めることはない。「これ」を含むこともあり得るが(§6)、それは本質的ではない。例えば、数学では、我々の言明の真理は主語や述語の存在とは完全に独立している。物理学や化学では、真理は現在の瞬間における諸要素やその関係の事実上の存在には依存しない。もしそうなら、法則はある一瞬には正しく、次の瞬間には間違いだということになろう。生理学者が、ストリキニーネは神経中枢にある種の影響をもたらすと語るとき、彼は、ストリキニーネが世界のどこかで使われていることが確かめられるまで、その法則の発表を差し控えるわけではない。また、その保証がなくなるやいなや、急いで発言を撤回することもない。この点にとどまってもなんら進展はないだろう。確かな結論として認められるのは、あらゆる普遍的法則は、厳密に表現すると、「もし」で始まり、「そのとき」と続かなければならない、ということである。

2014年10月5日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻32

藤の実つたふ雫ほつちり 重五

 前句を、初嵐の声が、蝉の鳴くような声がすると見立てて付けたと解するのは間違っている。初嵐の声がどうして蝉の鳴くようなものであろうか。前句はもともと理屈のない句であり、分別智の及ぶところではない句なので、付けるべき景も情もなく、どんな句を付けようとも、ここは必ず臨済に戻って「扉」となるべきである。

 ただ前句を理があるかのように扱い、分別智のなかにたぐり込めば、そこには付けるべき景も情もあり、自分の句の位置も定まって、しかも禅臭を脱し、扉付けという難題を逃れることもできる。俳諧は本来そうした扱いを得意としたものである。たとえば、「阿弥陀は水の下にこそあれ」という前句はなんのことをいっているのかもわからないが、これに「南無といふ声のうちより身を投げて」と付ければ、前句に理を与え、情の問題に取り込んでおり、それは俳諧の扱いである。「あまり烟の立つぞ悲しき」という混沌とした前句に、「高き屋にあがりて見れば焼けにけり」と付け、「あの宮で堂この宮で堂」という無理な句に「乗りつけぬ馬に神主のけそりて」と付け、「地をくゞりても天へ登れる」に「鼴鼠[えんそ、モグラのこと]黒焼になる夕けぶり」と付け、「余り寒さに風を入れけり」に「賤の女があたりの籬を折焼きて」と付けたのなどは、みな山崎宗鑑『犬筑波集』の句で、俳諧の濫觴にはこうしたものがあった。

 荒木田守武に至っても、『飛梅千句』をみると、「唐の帝や水鶏なるらん」という前句に「楊貴妃の頬ほと/\と打ちたゝき」と付け、「石榴なりけり命なりけり」というのに「鏡研小夜の中山今日越えて」と付けたたぐいがある。貞徳が出現して俳諧は進んだが、それでもこうした趣のものが少なくなかった。『冬の日』のときはすでに貞門の陳腐さはすたって、談林のでたらめさも飽きられようとしていた。しかし、「蝉の殻に声きく」などという前句に対しては、これに理を与え、情で理解できるようにしなければ次の句をだしようがなく、もしそうしないならば「障子の引手峰の松」といったとりとめのないところに形となろう。

 ただ、この頃の俳諧はすでに向上していて、宗鑑守武の謎を解くような作り方をするはずもなく、理をもたせて前句を捌こうとするにしろ、ただ言葉の縁を取り綾を飾って付け流すほど幼稚ではなく、重五はここで「藤の実つたふ雫ほつちり」と付けた。一句は一句として十分に詩趣があり、物静かな情がくみ取られ、しかも前句の蝉の殻には声があり、ひからびた殻が薄紙のように松の枝について人の目を引くこともないのが、ほっちりとしたかすかな音に、その存在を知られる、静寂の境地が自ずから眼に浮かぶ。

 宗鑑守武の頃の扱いに比べてどれくらい進んだか思ってみるがいい。それなのに、前句をよく見ることもなく、初嵐に蝉の声が吹きやられる体と見立てるなどというのは、病気の眼で花を見、病気の耳で泉を聞くたぐいのことである。ことに、静かさとあるのに、どこに嵐の響きがあるだろうか。また「藤の実つたふ雫ほつちり」の十四字に、風の景色があるだろうか、無風の景色が見られるだけだろう、よく味わってみるべきである。雫ははらはらと落ちるのではなくほっちりと一滴落ちる。荒々しくおおざっぱなものは詩を語るべきではない、細やかに文を論じること、とは詩聖もいっていることである。

2014年10月4日土曜日

ブラッドリー『論理学』80

 §56.かくして、抽象的判断はすべて仮言的であることがわかったが、それとの関連において、仮定とはなにかを示し、あらゆる仮言的判断にある実在についての隠された主張をあらわなものとするよう努めてみよう。既に議論した単称判断は、分析的なものだろうと総合的なものだろうと、一見したところ定言的に思われることはわかった。それらは単に実在に隠された性質を当て、それが非実在的な関係においてあらわになる、というのではなく、判断にあらわれる実際の内容によって実在を性質づけるのである。それは単なるつながりではなく、存在すると宣言されている要素そのものである。

 我々にはまだ、もう一つの種類の判断が残っているが(§7)、先へ進む前に、我々が得た結論について考えておいたほうがいいだろう。恐らくその結論は修正が必要だろうし、単称判断をカテゴリーに関するものとして位置づけることは維持され得ないだろう。

2014年10月3日金曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻31

秋蝉の虚に声きく静かさは 野水

 秋蝉は秋の夕陽に鳴く赤褐色の羽をした蝉で、俗に油蝉というものである。その殻に声を聞くとは、「闇の世に鳴かぬ烏の声聞けば生まれぬさきの母ぞ恋しき」という禅歌のように、また「片手の音を聞いて見よ」という公案のように、ただ禅の問答のおもむきを秋の季をもたせてつくったものである。前句とのかかりも自然に理解される。この句の意味がわかりにくいなどといえば、まったく野水に翻弄されてしまっている。

2014年10月2日木曜日

ブラッドリー『論理学』79

 §55.それゆえ、形容する内容が明らかになっていないので、我々にあるのはこのあるいはあの事例についてのはっきりしない指示だけなので、我々が扱うべきなのは個物なのだと考える誤りに落ちこんでしまう。しかし、分析してみると、我々の真の主張は決して「あれ」、「いま」、「これ」に限られるものではない。それは常に我々が主張する内容ではある。しかし、我々にはその内容がなんであるか明確ではないために、それが仮定された個的なもののなかに見いだされることを知っているために、いわば一発の弾丸の代わりに弾倉を使い、個的なものを我々の仮定が限定される実在の地点だとみなしているのである。このようにして、実在そのものが仮定的だという誤った観念を生じさせることになる。既に見たように、事実とは、ある内容が、我々が主張する形容的な条件であるか、あるいはその部分をなすことにある。しかし、その内容は分析されていないので、それを固まりで得ることのできる個的なものに赴くことになる。真の判断は個的なものの性質にしか関わらず、形容のつながり以上のことを主張しない。あらゆる場合において、それは厳密に言うと、仮言的であると同時に普遍的なのである。

2014年10月1日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻30

恋せぬ砧臨済をまつ 芭蕉

 旧註は、漆桶もないような水漏れしたものが多い。黄蘖希運禅師が閩の国にいたり、老婆に足を洗わせた面影というものがある。そうであれば、なんで「恋せぬ砧黄蘖を待つ」とつくらなかったのか。老婆の公案をひねりだしたものもある。それではなぜこの句を「皺手の砧禅僧を打つ」などとつくらなかったのか。臨済義玄禅師からの音信がないのに、刑氏の母親が深く嘆いて砧打ちつつ待っているとするものもある。義玄禅師が刑氏のでであっても母親が必ず刑氏にいるとは限らないし、また、禅師の母が待ち焦がれたという事実はない。

 臨済義玄禅師の伝は『景徳伝燈録』巻十二にでているが、砧を打って待っている女のことなどはでていない。かつ、臨済禅師というのも、臨済禅苑に趙人に請われていってからの称号で、臨済禅苑に住んでいたときにはつまり故郷に帰っていたのであるから、なんで母親が待っているということがあろうか。事実を見て、情を察することがいずれもはなはだ雑だといえる。

 こうした作りごとの解を下すくらいなら、臨済を悟らせたのが高安大愚で、大愚の参徒に筠洲末山の尼に了然があったことを思いだし、了然のまだ得度していないとき、大きな疑いが胸中を往来して安らかではなく、臨済がきたら一つ問答をしようと、月下に砧を打ちつつ機鋒鋭く待ち受けている面影だと解した方が遙かに勝るだろう。

 しかし、この句は臨済とはあるが義玄禅師でもなく、前句の唐輪赤枯れた老女がまだ俗を捨てなかったときのことにたとえたものではない。すべて詩歌は訴訟や雄弁のように、的確で確実な言葉を必要とはせず、名を借りて質をあらわし、虚を用いて実を示すことは常に許容されることである。西施といって美人のこととするのは名を借りて質をあらわしている。弁者といって蘇秦のこととするのは、虚を用いて実を示している。「襟に高尾が片袖を解く」とあったとしても、高尾にそうしたことがあったのではなく、高尾は名声があって位の高い美技であることをあらわしているだけである。

 たとえば、「砕き砕く氷に寒き灯の光」という前句があったとすると、これを看病の夜半の光景として、「恋せぬ涙扁鵲を待つ」という句が付いたとすれば、孝行心の深い年頃の娘が、名医の早く来てくれることをそぞろに待ち焦がれているさまだと誰でも容易に解釈できるだろう。扁鵲は名を借りて質をあらわすだけのことである。

 「桃花を手折る貞徳の富」という句も、真の松永貞徳と解しては、前句の鞨鼓を鳴らすことなど貞徳にはなんの関わりもなく、ただみなに宗匠と仰がれている歌俳の宗匠だというだけの仮のものである。次の「雨こゆる浅香の田螺ほりうゑて」という句も、貞徳が田螺を取り寄せたことなど実際にはないことなので、どうして通じることになろう。この句も、臨済とあったからといってすぐに義玄禅師のこととするのは、詩歌というものを理解しない分からず屋であり、ここでは単に臨済のような師家ということで、「瞋拳毒喝、大機大用」のよい禅師ということである。前句の「月に立てる」というところをよく味わって、その風情を味わうべきである。

 唐輪の髪の赤枯れた老女の態度は、商売の得を考えているのでもなく、また、子供のこと、夫のことを思っているようでもなく、昂然と風に向かって立っている。そのように月に立っているところを、鄙俗でない女性と見て、生死の一大事を心にかけ、しかも念仏唱題の手軽さに甘んじず、禅に入門して道を得ようとする老女と見て、つまり、恋せぬ砧をいまは打ちやめて、臨済老漢のような禅師がくるはずだと夕べの月に立っているところを付けたものである。

 砧を打つのは布を布施しようとする老女の志であるが、自分の夫に衣をつくろうと砧を打つ女性のように、恋するようなところも連想され、それゆえに、「恋せぬ砧」と面白く親切に句づくりした芭蕉の詩心と技術とが効いている。子を待つ砧なので恋せぬとつくったなどというのは、黒砂糖の他は甘いものがあることを知らぬ男が、堅田の祐庵が心を込めた料理を鵜呑みにしたようなものである。語るに足りない僭越な見当外れである。