2014年12月6日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻15

籬まで津波の水に崩れゆき 荷兮

 籬を真垣とするのは当て字であり、真の字に意味があるわけではない。「ませ」、「ませがき」などという語の「ま」とともに、「ま」は「間」、もしくは「馬」の意味でもあるだろう。「真」に美を称賛する意味があることをもって、真垣を神社の垣とする旧解はいささか行き過ぎている。齋籬、瑞籬、玉籬などとあるなら神社の垣としてもいいが、ただ「まがき」とあるのを、強いて神社の垣とするのは間違いである。

 また、『増鏡』の大伴皇子が難波の津で高潮にあわれた面影と、旧註には見えるが、『増鏡』に大伴皇子のことがあったかどうか、私の記憶ではなかったように思う。ただ、高潮は津波であって、『増鏡』第二新島もりの巻に、承久の戦に鎌倉方が戦いに勝って猛然とした様子を記して、「荒磯に高潮などのさしくるやうにて」とはある。これは比喩の言葉である。津波が『増鏡』に見えるのはここにしかない。もし大伴皇子のことが『増鏡』にあるならばその面影といえるが、大伴皇子のことを詳しく論じた『長等の山風』にも、皇子が難波で高潮にあったことは見えない、自分の記憶に欠けたところがあるのだろうか、いぶかしい。ここは大伴皇子の面影などと解釈しないでも、前句との続きは自ずから明らかであって、それ以上とやかく論じるべきではない。

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