2014年11月12日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻9

露萩の角力ちからを撰ばれず 芭蕉

 すもうは争い抗うことである。俊頼が好んで「すまふ」という言葉を用い、その『散木?[なべぶたに弁]歌集』に「かくばかりはげしき野辺の秋風に折れじとすまふ女郎花かな」また、「葉がくれはしばしもすまへ桜花つひには風の根にかへすかな」、また、「吾が心身にすまはれて故郷をいくたび出でゝ立ちかへるらむ」などの歌がある。

 文章の言葉では『源氏物語』紅葉賀の巻、「ぬがじとすまふを、とかく引きしろふほどに」などその例が少なからずある。『後拾遺集』秋上、慶暹、「秋風に折れじとすまふ女郎花いくたび野辺におきふしぬらむ」。

 ここでは露と萩とのすもうを、いずれが勝ちとも選びようがないとしている。表面上は『四十二のものあらそい』の角力より取り出し、内実は前句の故事に合わせて付けたという旧解は従いがたい。『四十二のものあらそい』はここでは関係なく、露と萩のあらそい、その冊子のなかには見られない。

 『大和物語』、兎原男、芽沼男の条のあと、絲所の別当その女になってよんだ歌、「かちまけも無くてやはてん君により思ひくらぶの山はこゆとも」。この歌を意図の下敷きにして、灯籠二つと前句の秋の季のものを面白く取り入れ、ここでも同じ季の景を打ち添えて作った、露萩の角力とは、情趣深く付けたものである。前句の灯籠二つを墓にかけたものと見なして、この句があると前人が解しているのもまたうなずける。ただしいずれにしても糸所の別当の歌の縁は無くてはならぬものである。句に愚かしいところがないのはいうまでもない。

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