前句を、一人はすけの局か一人は某の内侍かと、左右に立ち別れたる人をいうものと見立てた曲齋の解釈は非常によい。「三日の花」は鶏合わせ[鶏を戦わせた宮中の行事]がある三月三日に花をかけている。鶏合わせは確かな節会ではないので、すでに貞徳は「季を定めずに雑とするべきか」、といっている。
鶏合わせ、雛遊びなどは、実際に三月三日に決められていたものではなく、『三代実録』には元慶三年二月二十八日天皇弘徽殿で闘鶏を見たという記事があり、『日本紀略』には萬壽二年三月十七日内大臣藤原範通の家で闘鶏があった記事があり、また北村李吟の『山の井』にはある記事を引いて、朱雀院の天慶元年三月四日闘鶏十番があったと注している。そうだとすれば、闘鶏に決まった日はなかったことになるが、足利氏の頃からか、いつとはなく三月三日に、もとは臨時の遊興に過ぎなかったものが礼式と定められたようである。「鸚鵡尾長」のたぐいは鶏とは違い、戦わすものではないが、ここはただ作意で、それらの鳥を戦わしめるようにいっているものの、鸚鵡と尾長鳥とつつき合いの勇を競うものではない。
旧解に、今日は宮家たちの鶏合せがあるので、こちらもと皇后の宮中に籠の飼い鳥をだし、官女をして闘わせた様子であるといっている。そのような愚にもつかぬことをさせるような皇后があるだろうか、もしあったとしても、すけの局、某の内侍など、それを諫めないことがあろうか、唖然として言うべきことがわからないほどのまずい解釈である。その解が正解であったら、そのような句を斥けなかった芭蕉もまた妄人であり狂客であって、『冬の日』も伴天連高政の輩が、「とゝろやするらん天の逆鉾」などとつくったなんら突出したところのないものと同じようなものだと酷評されても弁護できないだろう。
みなこの一句の性質を理解せず、古人が詩を作るときには、杜甫はやせ、李賀は苦しみ、賈島は狂気に陥るほどなどを思わないで、おろそかに見過ごしてしまうことによって、下世話な妄想、思いつきに任せてこうしたことを言い出すのである。鳥いくさとあり、鸚鵡の日とあれば、すぐに鳥を闘わせると思うのは、子供がすぐにわかった顔をするようなものであって、俳諧を知らないにもほどがある。一句の風合いを見て取れば、どこに鶏冠を立ててつつきあう戦いの様子があろうか。鳥いくさというのは鳥を闘わせることではなく、花いくさが花を闘わせるものでないのと同じである。闘花、闘草、闘詠など、文字には闘とあるが、それはいずれも勝とうとするあらわれで、花、草、詩で打ち合うわけではない。花を闘わすのは、春の頃様々な花が開くときに、士女が互いに様々な花を持ち寄り、その美しさ、色艶を争い、すぐれたものを勝ちとするもので、開元、天保の頃の書にそのことがあらわされている。我が国でもそれを学んで、花いくさという言葉があって、すでに歳時記のような手近なものにものせられているだろう。
鳥いくさという言葉はないが、重五がここで新し味を見せて言いだしたもので、語法がまったく花いくさと同じなので間違いというべきではない。鸚鵡も、尾長も美しい鳥で、これらの鳥を東西より持ち寄って、どれが姿がよく色が麗しいかと勝負を挑むのを、ここでは「鸚鵡尾長の鳥軍」と言ったので、美しい色とりどりの花があふれたような宮廷のさまを言い取ったのがこの句である。花という言葉に気をつけてみるがいい。三日はもともと鶏合せの日であるが、毛を飛ばし血を流す有様は女性の喜ぶべきことではなく、ここではただ美しさを較べる鳥いくさがあったという作意で、鶏合せに因むこの日の遊び、花いくさに学ぶ鸚鵡尾長の品定め、春の長閑な日に、宮女は花のごとく、鳥は花のごとく、簾や帳越しに喜ぶ声がさざめき渡る趣がある。だからこそ「三日の花鸚鵡尾長の鳥軍」という句にしたので、よく味わえば温庭筠、李商陰の詩にも較べられるような象眼細工のような細やかな字配り、言葉づくり、重五もまた一作家であることを感じさせるだろう。前句に典侍の局が内侍かとあるのを取って、多くの宮女たちがいる場所に一転した上手い活用、巻末になってもなお力を出し切っている。『冬の日』のとき、みながいかに勤め励んだかを見るべきである。
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