2014年10月21日火曜日

ブラッドリー『論理学』87

 §63.こうした答えが返ってくるのは疑いない、「それは無駄な詮索だ。判断は知覚全体を写し取るものではないが、なぜそうである必要があろう。それが言い、写しているのはいずれにせよそこにあるものだ。事実は事実、所与は所与である。判断によって切り取った以外のものがあるからといって、事実や所与がそうでなくなりはしない。抽象的な狼が完全な形で与えられていないからと言って『狼がいる』というのが誤りだと主張するのは、非常識で滑稽である」と。

 ここで議論をやめてしまう読者もいるのではないかと私は恐れる。しかし、あえて先に進もうとする読者には、事態が馬鹿げて見えるのは、問題自体が不条理であるためではなく、凝り固まった先入観と衝突するためなのだと示唆することが勇気づけになるかもしれない。我々がこれから扱おうとしているのはこの種の先入観の一つである。

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