§70.現前の知覚に与えられるものの一部分を実在だとすることはできないことをみてきた。更に進まねばならない。現前する内容すべてを性質づけることができたとしても、過去と未来をそこに組み込めないなら、それは再び失敗であろう。現在が過去とは独立に存在し、拡がり全体のうちの一つの断片が自律してしていて残りと何の関係ももたないとは仮定することはできない(あるいは、少なくとも私はどんな権利があってそうした仮定をするのかわからない)。判断が真であり定言的であるためには、そのなかに完全に条件が組み込まれていなければならない。ここでの条件は、所与を完全なものにするための空間と時間の全拡がりである。それは克服できない難点である。観念は感覚の諸事実を写し取ることができない、というだけではない。我々の理解には限界があり、全系列を知ることはできないし、我々の力はかくも広大な対象を捉えるには不十分だ、というだけではない。どんな精神であっても、空間と時間の完全な系列を描き出すことはできないのである。というのも、もしそれが行なわれるなら、無限には終りがあることになり、有限であると理解されるからである。それはあり得ない。単に心理学的に考えることができないだけでなく、形而上学的に不可能なのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿