つゝみかねて月とり落す霽かな 杜國
歩の字は代わる代わる足を出す形象である。ここでは概略を述べていて、少しばかりを行くか行かぬうちにと、時雨の句の前書きを面白く添えた。この句の「霽」をあるものは時雨とし、あるものは霰とする。あられの句と解するものは、にわかに空がかき曇り、十歩ほども歩くうちに、あられが激しく降り、いままで見えていた月が隠れてしまったのを、あられが白く丸いのに興じて、月とり落すと作るのだとした。たいそう大きなあられがただ一つ降ってきたような解し方である。笑うしかない。
また、しぐれと読んで解するものも、旧板本に「月とり落す霽哉」とあることについてはなにも言及せず、いまの活字本も「霽哉」とするものが多い。「霽」は雨止むであり、しぐれとは読めない。元来日本語のしぐれにあたる漢字はない。
「しぐれ」は、「し」つまり「風」、「ぐれ」つまり「狂」または「翻転」の二語から合成された語で、「しぐれ雨」の略なので、雨の部首でしぐれにあたる字はないはずである。ゆえに、『新撰字鏡』では「霂」、「雹」をしぐれと訓じ、『倭名抄』では?[雨冠に皿、その下に豕]をしぐれと読ませたが、みなその本義においてはあたっていない。霂、?[同前]は小雨を意味するに過ぎない。「霽」を改めて「?[雨冠に衆]とするものもあるが、『倭名抄』に依拠しただけで、実際はしぐれではない。ただし昔は?[雨冠に皿、その下に豕]でしぐれと読ませ、宗因門の井上秋香の自筆俳句に「駕籠賃はふたりの中の?[同前]かな」があり、また七部集の『炭俵』にも、「小夜?[同前]となりの臼は挽きやみぬ」という野坡の句がある。秋香は大阪の人で、連歌を里村家で学び、昌海といったという。だとすれば、?[同前]は早くから連歌師のあいだではしぐれとして用いていた字であろう。また、『続虚栗』の芭蕉の句に「旅人と我が名呼ばれん初霽」とあり、土芳の『三冊子』にも霽をしぐれと読ませる箇所がある。
思うに、これはしぐれに霎の字を当てていたのがいつのときか間違って霽の字となったのではなかろうか。例はないが、霎と霽は、行書の字体がよく似ていて、しかも霎の字は見ることが少ないために、霽と勘違いしたのではないだろうか。霎は小雨だと『説文』にもある。すぐ止みすぐ降る雨は霎であろう。そこで短い時のことも霎といい、半霎、一時霎など、詩にも小説にも数々用いられている語である。霎をしぐれに当てるのもあながち無理なこととはいえない。句意は、しぐれかと思えば月が出て、月が見えたかと思うとしぐれる様子をあらわしていて、言葉の使い方も理屈を離れて葛藤を断ずる様子があり、しぐれの風情に通じて面白い。
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