2014年11月24日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』しぐれの巻12

紅花買道にほとゝとぎす聞く 荷兮

 双六を打って遊んだ人の本業が紅花買いだと前人が解したのは、解し得て妙である。ただし繭買い穀籾買いなどの風情はいささか知っているが紅花買いの様子を知らず、思うに、紅花を摘み貯めたものをそのまま買うこともあり、また、紅花を搗いて乾し、捏ねて餅のようにした紅餅を買う場合もあり、また精製した「かたべに」を買うこともあるだろうか。

 しかしここでは花または餅を買い集めるものを思うべきで、餅よりは花を、農業の片手間につくる家々から買い集めて、餅または「かたべに」に製するものに渡す商いと解したい。紅を製するのは専門家の仕事であるが、紅花を作り植えるのは誰にでもできることだからである。出羽の最上、山形、伊賀、摂津、筑後、伊予はみな紅花をだすと聞くが、それ以外の地でも、少しの紅花を作ることは所々にあるだろう。二月に種をまけば五月に花を開く。暁の露がまだ乾かないうちに花を摘むことを習慣にしているが、それは露が乾いた後に摘むと紅の色に力がなくなるからである。花は一度摘めば再び咲き、幾度も摘んで咲かなくなって終わりになる。花を摘んでから固紅を製するまでのことは、『機折彙編』、『六部耕種法』その他に出ている。

 この句は、露の降りた暁に、紅花を摘む里の農婦などを訪ね巡って、摘んだ花を買おうとする道筋でほととぎすが雲間に鳴くのを聞いている様子である。前句の朝月夜に付けたことは間違いなく、紅花を買う道としたのは作者の一働きである。

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