2016年12月4日日曜日

清水宏『有りがたうさん』と川端康成



 『有りがたうさん』が川端康成の『掌の小説』の一篇を原作としていることは書いたことがあるが、川端康成は昭和11年、映画化の過程を次のように書いている。


 伊豆の下田街道を通ふ乗合自動車、それに売られ行く娘が乗るといふだけの淡い筋であるが、清水氏は先づ下田街道を往復した。ノオトを作つた。シナリオは予め書かなかつた。本読みには原作の「有難う」を読んだ。俳優達は自分の役が、どれに当たるのかも分らない。原作に明らかに出てゐぬのが多いのである。さうして伊豆へ撮影に出発、清水氏の頭には纏つてゐたであらうが、それがあたかも小説を書き進むに従つて、次第に形を得て来るやうに、そのロケイション地で感興に従ひ、映画が出来て行つた。書かれたシナリオより遙かに自由な頭のなかのシナリオであつた。恐らく珍らしい大胆な、しかし確かに一つの映画作法ではある。それがいかなる結果で現れるか、一つの問題としても上映の日が待たれる。

天神に鰻の肝の地脈かな

 好物だというのに、今年は鰻を食べずに過ぎてしまいそうだ。

斎藤彦麿「神代余波」から


我幼き頃より鰻を好みて、今も猶やまず、むかしは、今の如く所々にあまたはなかりき、尾張町の大和田 、小船町の山利、湯島の穴などなり、其後、尾張町の鈴木、浮世小路の大金、麻布の狐など、つぎ〳〵に出来て、今は町毎にありて、所せからず成しのみは、いにしへに増れり、いかさまにも天下無双の美味なるが上に、諸病を治し、腎精を補ひ気力を益す、和漢百薬の長たり、

竹婦人の辞世の句

「三益屋二三治戯場書留」から

竹婦人という河東節浄瑠璃の作者の辞世の句


雪解や八十年のつくりもの