五形すみれは「げんげすみれ」と読む。「五形」をげんげと読む理由は明らかではないが、当時俗にげんげに五形の字をあてたのだろう。「五形」はごぎょうと読むべきだが、春の七草のなかのごぎょうは御形の字をあてる習慣で、故にまたおぎょうとも呼び、五形の字をあてることは稀である。
七草のなかのごぎょうは、鼠麹草つまり「ははこぐさ」、また音便で「ほうこ」と呼び、「ひきよもぎ」ともいうものである。ここの五形が御形でないことは疑いようがない。げんげを「げげばな」ともいうので、「げげ」を延ばして「げぎょう」といい、また訛って「ごぎょう」といい、五行の字を当てはめることになったのか、定かには知りがたい。
また、げんげは「れんげ」の京畿地方の訛で、関東で蓬莱草という。すみれは菫菜、または紫花地丁であるが、ここでげんげすみれというのは、げんげとすみれではなく、げんげすみれでひとつで、蓮華草のことである。これもまた京畿の俗称で、蓮華草を略して「げんげ」とだけいい、やや正しく「げんげすみれ」という。その意味は「げんげのすみれ」ということで、他の菫菜のすみれと分けるためのことである。菫菜だけを関東ではすみれと呼ぶが、昔は蓮華草を単にすみれといい、古歌ですみれとあるのは菫菜のことではなく、蓮華草のことをいうという説さえ谷川士清などもあげている。
げんげすみれはつまり、蓮花の形に咲くすみれという意味で、菫菜のすみれと分けるための名であるから、さして咎めるべきことではない。げんげすみれはおそらく砕米薺のことであり、紫雲英とも書かれるものだろう。
一句の表面的な意味は、ただ紫雲英が美しく咲いた畠が五、六反ほどあるということで、前句の花見次郎の家の近くの景色である。これを解して、世に仰がれた長者もぜいたくを尽くしてその家が衰え、いまはただ六反の荒畑のみが残っている、という栄枯の観をあらわしたとするのは誤りである。また蓮花草は牛馬の飼料とするものなので、多くの牛馬までげんげの花見をすると打ち興じた、というのも行きすぎである。
紫雲英は自生するものだが、その花が六反も咲き連なるのは、荒畑などではないことは確かで、種を撒いて育てたものであり、それを水田の肥料とし、あるいは牛馬の飼料とするのである。人糞などの汚穢を避ける神に供える稲を作る田など、または他の肥料を得にくい地の田などでは、もっともよい肥料として紫雲英を植えることが農家の習いであり、そのために紫雲英の種は夥しく売買運搬される。このことを知れば栄枯の観などということの間違いであることがわかる。また、牛馬も蓮華草の花見をするというのは、蓮華草を牛馬の飼料とのみ覚えているもののうがった見解である。田舎の大百姓の家の辺り、広々としたところに蓮華草がとても美しく咲いていて紫の毛氈を敷いたようなのを見て、あの茅葺きの棟の高い家が花見次郎のものよ、というほどの風情に解釈するべきである。前句ははなはだ曲折があったが、この句は伸びやかに投げだしたようで、変化があっていい。
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