2018年4月30日月曜日

11.悲哀とはどんなものかしら――フロイト『無常ということ』




 1915年に発表された。

 フロイトは、第一次大戦の一年前、寡黙な友人と、若くしてすでに名を成していた詩人とともに、花の咲きそろう夏の風景のなか散歩をしたという。しかし、その豊饒な夏の風景に対する詩人の対応はフロイトとは違っていた。

 詩人は、自然の美も、また人間がつくりだした芸術美のようなものも、いずれは消滅するものであり、すべてが滅びさるものである限り、無価値だと考え、厭世的な気分のために、美しい自然も楽しんでいないようだった。

 すべてがはかなく滅び去ってしまうことに対しては二つの対応の仕方がある。ひとつは、詩人のように厭世的な気分に浸ってしまうことであり、もうひとつはその事実に反抗し、美しいものというのは、物理的な力の及ばないところにあり、永遠に何らかの形で存在していくだろうと考える。プラトンのイデアなどを考えればいいだろう。

 フロイトはそのどちらにも反対する。永遠などは人間の願望から生じたものであることは一目瞭然であり、現実的価値などないし、かといって厭世的意見に与しえないのは、美しいものが滅び去るからこそ、時間的制約があるからこそ、希少価値が与えられ、それを享受する経験が貴重なものとなるからである。

 さらに踏み込んで、フロイトは我々が現在美しいとされるような作品がもはや理解されないような世代があらわれるかもしれないし、この地上から生物が絶滅するような地質学的時代がやってくるかもしれないのだから、「一切の美しいもの、完全なるものの価値は、単にわれわれの感覚生活に対するそれらの意味によってのみ決定される」ので、美はわれわれの感覚生活より永続することが必要でもないし、そもそも永遠性などとは無関係なものだと、ごく凡庸な詩人の厭世観などより、見方によってはよりペシミスティックで、より根源的な考察を加えている。

 こうした考えを同行の二人に伝えたらしいのだが、二人の心にはなにも響かないようだった。フロイトの意見は、十分鋭いものだが、ラ・ロシュフーコーなどフランス・モラリストの箴言にありそうでないこともないが、いよいよフロイトの本領が発揮されるのは、彼にとっては異論の余地のない自分の意見が彼らを納得させないのは、美というものが消滅してしまうという悲哀を多感な二人が感じ取ってしまったことにあり、ところで人間の心は苦痛に対して本能的にしり込みするものであるから、美の無常さが美を味わうことを妨げられたと感じてしまったのだとフロイトは分析する。

 美しいと思うもの、愛しているものを失ったときの悲哀は、普通の人間にとっては自明のことであり、格別不思議なことはない。愛しているものをなくしたと聞けば、我々は共感する。しかし、精神分析にとっては、悲哀とは一個の大きな謎だという。

 精神分析によれば、人間はリビドーという一定の愛情能力をもっており、発達の初期においては自己愛に費やされるが、のちに、自我を離れて外の対象に向かう。その対象が破壊されたり、失われたりすると、リビドーは再び自由になる。合理的に考えれば、自由になったのだから、なにか別の対象にさっさと移ればいい。だが、我々は失われた対象を容易なことではあきらめようとしない。それがつまり、悲哀であり、「その理由はわれわれには判らないし、又今のところは、それをいかなる仮定からも引き出してくることはできない。」

 確かに、所詮すべては無常なものであり、現にあるものを全力で楽しめ、というような信条は、決して珍しいものではないし、悲しんだところでなにも元に戻ることはないのだから、次の段階に移ろうという意見が合理的なことは多くの人間が賛同するだろう。しかし、現状がそうではないこともまた多くの人が認めることだろう。それは人間が多かれ少なかれ神経症的であることに由来するのか、あるいはリビドーが何らかのイメージ、つまりは「感覚生活」に引き付けられるものなら、あるいは悲哀というものもそれを補強するものであり、離れた彼や彼女を思う恋人のように、失われた像を維持し守るために積極的な働きをしているのかもしれない。

2018年4月27日金曜日

10.恋人の墓を訪れれば・・・――ポオ『ベレニス』




 『南部文芸通信』の1835年3月号に発表されたが、1840年1月14日付の『ブロードウェイ・ジャーナル』に転載されたときに、多くの削除訂正があった(訳者の大岡昇平の注による)。エブン・ザイアトの「友人は言った。恋人の墓を訪れれば、少し憂いが晴れやしなかいかね」というラテン語のエピグラフが挙げられている。これもまた、大岡昇平の注によると、エブン・ザイアトはアラブの大臣であったが、奴隷と恋に落ち、その死を深く嘆いているときに友人にこう言われ、「彼女の墓はわが心の他にいずくにかあらん」と答えたという。

 代々続く旧家の末である主人公の「私」は、図書室で生まれ、育ったような人物で、病気がちで陰鬱だったが、一方、同じ屋敷で育った従兄妹のベレニスは対照的に、元気で活気にあふれ外で遊ぶことが多かった。しかし、数々の病気がすべてを変えてしまった。なかでも悲惨なのは、癲癇の一種で、その唐突な発作は死を思わせた。病気がベレニスを変えると「私」の思索癖は強くなり、ひとつの考えに何日も費やすようになった。

 この思索は、誰でもがもつ想像力とは異なり、一般的な夢想であれば、対象は平凡ではない、現実的ではない方向へ向かい、そうした夢想を持続することによって、その種となった現実は見失われることが多い。ところが、「私」の思索というのは、対象が必ず平凡であり、その対象が見失われることもなく、結果、夢想の全能感、快適さは一切ないのだという。

 ベレニスの病気は、もちろん、「私」を悲しませたが、同時に、病気によって引き起こされたベレニスの変化が「私」の思索の対象となってしまい、「私」をしてベレニスを愛させることになった。結婚が申し込まれ、式があげられた。そしてやせ衰えたベレニスの顔のなかに真っ白い歯を見たとき、それが偏執的な対象へとぴたりと収まり、その一本一本こそが思索を満足させる観念だという思いに完全にとらわれてしまう。ところが式の二日後にベレニスは死んでしまう。

 悪夢からさめたような「私」が図書室に座っている。なにかを自分がしたらしいことだけはわかってくる。テーブルには医者がもつような黒い箱が置いてあるが、なぜそこにあるのだろう。やがて召使があらわれ、恐ろしい叫び声が聞こえてきたことを話した。一緒に行くとベレニスの墓が掘り返されており、しかも彼女は生きている。震える召使の指は「私」の上衣を指しており、泥まみれで血がついている。震える手でテーブルの黒い箱を開けようとするがどうしても開かず、滑って砕けた箱からは、「三十二の小さな、白い、象牙のようなものが、床のあちこちにちらばった。」

 ポオの短篇は二種類の読み方ができる。もちろん、物語として面白く読むこともできるが、ロラン・バルトが『物語の構造分析』で行ったように、一文一文を切り離して、いわば物語を断ち切って、空間的配置として読んでも面白い。エピグラフの皮肉さはちょっと類例がないほどであるし、ベレニスの病気が死とよく似た発作を引き起こすこと、「私」の思索癖が、非現実的な方向へ飛翔することなく、強迫的に現実に固執することなど、何一つ余りを出さずに配置されている。

2018年4月26日木曜日

4.汎アジア的な水路――押井守『GOAST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995年)




 原作・史郎正宗、脚本・伊藤和典、音楽・川井憲次、声優・田中敦子、大塚明夫、山寺宏一など。

 ちなみに、私はテレビ・シリーズのアニメーションや映画はすべて見ているが、原作はまったく読んでいない。

 世界観を説明するのは容易ではないが、誰もがスマートフォンを持ち歩くいまになると、よりリアリティを実感できるだろう。脳以外の身体のパーツすべてが代替可能になっており、登場人物のひとりであり、公安9課の実働面でのリーダーである草薙少佐などは、脳以外のすべての部分をサイボーグ化している。作品中ではそれは義体化と呼ばれる。警視庁から公安に引き抜かれたトグサのように、ほとんど義体化されていない者もいるが、最低限、スマートフォンを身体に組み込んだくらいの電脳化(ネットに接続された脳はこう呼ばれる)はされており、つまり何かを検索したり、個人や組織へアクセスすることは自由にできる。

 しかし、脳以外のすべてがサイボーグ化できるとすると、自己同一性があやふやになる。記憶や思考や夢も結局のところネットに横行している情報と何ら変わりはないからである。情報化しえない個々人の魂のことがゴーストと呼ばれる。こうした命名は多分、アーサー・ケストラーの『機械のなかの幽霊』から来ていて、聖書から現代思想までの膨大な引用を含むのもこのシリーズの特徴である。

 他人の電脳を乗っ取り、記憶を改ざんできる「人形使い」と呼ばている国際手配を受けた凄腕のハッカーがあらわれる。捜査を進めてもなかなかその実体はつかめない。そんな時、政府御用達の義体メーカーの製造ラインが勝手に動き、逃げ出して事故にあった義体が9課に運び込まれる。調べてみるとどうやらその義体にはないはずのゴーストが宿り、そのゴーストこそが「人形使い」であることがわかる。彼の背後には外務省と公安6課の秘密裏の作戦があるらしい。「人形使い」の破壊をもくろむ6課と、その秘密を暴き出そうとする9課の鍔迫り合いが始まる。

 草薙が草薙としては一度も姿をあらわさない『イノセンス』は別にして、草薙の顔がテレビ・シリーズとまったく違っていると思えるのは、アニメの作画のことについてはよくわからないので、おいておき、情報の海のなかで、記憶や数値化された感覚などが外在化されるのだとすると、自己同一性や、夢や幻想も情報の海のなかに飲み込まれることになり、自己とは情報の結節点に過ぎない、というのはテレビ、映画を含めたシリーズの共通の主題だといえる。

 『イノセンス』とこの第一作で注目されるのは、ありうべき汎アジア連合的な都市のあり方である。どちらの作品にも川、あるいは運河が出てくるが、それは西欧的ではなくアジア的な雰囲気に浸されており、もちろん、入り組んだ小道の商店街の並びは全シリーズに欠かせないものであり、特に映画の二作品では西欧的要素がほとんど厳格に排除されているといってもいい。もちろん、未来世界のイメージをアジア的に描き出すことは、リドリー・スコットの『ブレードランナー』やウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』によって定着したものとなったが、街並みとしてはともかく生活空間としてまで実感させるものではなかった。現実の東京は、アメリカ的な都市を目指しているなかで、世界に売り出すべき「クール・ジャパン」の代表であるらしいアニメで、押井守が汎アジア的ヴィジョンを先鋭化させているのは小気味がいい。

2018年4月25日水曜日

3.ダーティハリー0型ーードン・シーゲル『マンハッタン無宿』(1968年)




 原作・ハーマン・ミラー、脚本・ハーマン・ミラー、ディーン・リーズナー、ハワード・ロッドマン、撮影・バッド・サッカリー、音楽・ラロ・シフリン。

 原題はCoogan's Bluffで、クーガンは主人公であるイーストウッドの役名であり、ブラフはポーカーで自分は大した役はついていないのにはったりをかけてだますことと、不愛想なという二つの意味があり、どちらにもかけているのだろう。

 ドン・シーゲルと最初に組んだ作品で、1971年の『ダーティハリー』へと通じる刑事ものである。寡黙で、しなければならないことだけきっちりとやり遂げるというその後の刑事もので定着した形はほぼ完成しているものの、やや流動的なのは、この映画ほどイーストウッドがキスする映画を見たことがないことがあって、三人の女性とかかわることになるがそのすべてに手を出しているのである。それにカンザスの副保安官が囚人の護送のためにニューヨークに行くという話なのだが、テンガロンハットにボウタイをしめ、ロングブーツをはいており、出会う人ごとにテキサスから来たカーボーイかと間違われる、ほとんど『クロコダイル・ダンディー』の原型のような映画なのだ。都会風に洗練されておらずぶっきらぼうだが、出会う女性をみな篭絡して情報を引き出す小狡さももっている。

 60年代のアメリカでアリゾナとニューヨークの文化的相違がどれほどのものか実感としてはよくわからないが、なにしろニューヨークでは、ほとんどの人間が大麻を吸うか、LSDでラリっており、クラブはサイケデリック、女の部屋に行けばシタールのレコードがかけられて、風俗映画としても楽しめる。

 とにかく約90分のエンタテイメントの手本のような映画で、アリゾナの荒野のなかで逃げ出し、高台のなかに隠れた犯人が追ってくるクーガンを待ち伏せしている場面から始まるのだが、広い荒野のなかで地平性の近くから車が近づいてくるところでタイトルが出る瞬間が絶妙で、久しぶりに見たのでしびれてしまった。それに呼応するように、最後も丘の上からくだりおりるバイクによるチェイスで、現在されているような派手な演出やCGがなくともいくらでも適切な演出でアクションは面白くなることがわかる。そしてクーガンがヘリコプターに乗り込み、ニューヨークの空撮で終わっているのだから、見事に首尾一貫している。

 イーストウッドによれば、ドン・シーゲルは、なにをするべきかがはっきりとわかっている監督で、役者の提案も積極的に聞いて、それがするべきことにあっているなら、どんどん取り入れるそうで、そのあたりはイーストウッドと共通していて、ただドン・シーゲルが監督をし始めた時期は、超大作をとることが名監督で、各会社もそこにばかり力を入れるようになっていたために、すべきことだけをする簡潔で引き締まった演出が求められなくて、もっと早く、あるいは自分と同じくらい遅く生まれていれば、仕事がしやすかっただろうといったような意味のことをインタビューで言っている。

2018年4月24日火曜日

2.ブラッティに進路をとれ――ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト3』(1990年)




 監督のブラッティが原作、脚本もつとめている。撮影、ジェリー・フィッシャー。音楽、バリー・デ・ヴォーソン。

 ブラッティは第1作のフリードキンの『エクソシスト』(1973年)においても原作と脚本を書いており、1980年には『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』という、1回しか見ていないので曖昧なのだが、精神病棟を舞台にしたプラック・コメディーで、怪作というのにふさわしい作品だった記憶がある。本作のなかに、キンダーマン警部(ジョージ・C・スコット)の夢のシーンがあって、それは『エクソシスト』のダミアン神父の夢が、静かな光が強いモノトーンに近い街のなかで、施設に入れた母親がたたずんでいるという罪悪感に彩られたものであったのとは対照的に、飛行機のターミナルで、大勢の人間がいるのだが、誰もが薄気味の悪い陽気さを身にまとっているというもので、『キラー・カーン』の片鱗が見受けられるように思う。

 『エクソシスト』の映画は、2,3,のあと、2004年にレニー・ハーリンの『エクソシスト ビギニング』と、公開はされなかったが、実はハーリン以前に撮られていて、地味だというので会社からハーリンに監督を変えられてしまった、ポール・シュレイダー監督の『ドミニオン プリクエル』というのがあって、『ビギニング』がラズベリー賞を取るなど興行的にもさんざんだったので、復活して2005年の作品としてDVDなどで見られるようになった。どちらも同じ脚本を撮っているのだから内容的にほとんど変わらないのは当然であり、『エクソシスト』の老神父メーリンの若い頃のはなしで、「地味」なポール・シュレイダーの方がまだいいが、どちらの作品もカメラマンに名匠ヴィットリオ・ストラーロを使っているのは贅沢が過ぎる。

 更に2016年にフォックスのドラマ・シリーズで、『エクソシスト』が始まり、エクソシスト・ファンの私としてはとるものもとりあげず見て、第1シーズンが終わり、すでに第2シーズンがあることは決まっているらしいが、第1シーズンの中盤あたりから、ヴァチカンの法王まで巻き込んだ悪魔対人間の国際的な大決戦という大味なものになって、別に『エクソシスト』でなくてもいいじゃん、となってしまうわけで、そもそも『エクソシスト』の魅力は、医学的な検査によってはなんら異常が認められず、首が180度回り、緑のゲロを吐こうと、だからといってそれが悪魔の仕業であることになるわけではなく、悪魔だとしてもどうしてなんの変哲もない小娘にとりつく必要があるのか(特別な子供にしていないのも『エクソシスト』の素晴らしいところだ)、エクソシズムに向かうには信仰という論理の飛躍が必要となって、その信仰にしてもすでに一度悪魔と対決している老神父メーリンと、母親への罪悪感から信仰が揺らいでいるダミヤン、娘が直りさえすればいい女優である母親、さらには信仰などには無縁かもしれない観客を含めて、様々な濃淡があり、それらをひっくるめて、とりあえず悪魔というものは横に置いて、ある決意がなされたことを説得力をもって描き出すことにあって、そうなると正統な後継作品はいままでのところこの『エクソシスト3』だけにしかない。

 その時点ではまだ誰のものともしれない視線がかすかなあえぎ声を伴いつつゆっくりと夜の通りを進んでいく冒頭から素晴らしい。十五年前、ちょうど『エクソシスト』で描かれる出来事があったころに、残虐な連続殺人の事件があり、犯人は電気椅子で死刑になった。ところが十五年後、同じ手口の犯行が繰り返される。犯行の詳細はマスコミにも公表されていないため、当時の事件を担当していた警部は困惑する。

 『エクソシスト』の登場人物が思わぬ形で登場し、自分は無信仰だと公言するキンダーマン警部が、そこになにが介在するかはとりあえず置き、ある行為を選択するところまで『エクソシスト』を踏襲している。ホラー表現として斬新なものも多く、現在では当たり前に使用されていることが、これ見よがしにではなく、ごく慎ましやかに使われている。テレビ・シリーズはこの作品の延長上に進めばよかったのになあ。

2018年4月23日月曜日

9、失くした自分と三角の月――稲垣足穂『一千一秒物語』




 大正12年1月に「金星堂」で刊行された。およそ70篇の短篇どころか掌編ともいえない詩に近いものが集められている。長くとも2ページ、短いものは2行で終わり、句読点もないので、形式的には詩といっても通じるが、文章の骨格自体は完全に散文である。足穂は1900年の生まれであるから、23歳ですでに知遇を得ていた佐藤春夫の後押しもあったのか、現にある分野の創作ではなく、こうしたそれまでの日本文学になかったような作品を発表したのだから、恐ろしく早熟である。どこかに天才少年がいて、それが少年のまま次々と作品を発表していると思いたい、といった意味のことを足穂について三島由紀夫は言っていたが、私はどちらかというと晩年の怪異な容貌の足穂の姿しか浮かばないので、あの怪僧のような姿がこうした作品を書いたほうに驚きを感じてしまう。

 稲垣足穂は未来派ということをよく言う。事実、関西学院で、10歳代で、木村荘八が袖珍叢書のひとつとして出した『未来派解説』を見つけ、早速その11か条の宣言書を抜き書きしたことが『未来派へのアプローチ』には書いてある。しかし、現実のイタリアの未来派が、機械と運動、その大規模な実践である戦争を賛美することによってファシズムへの接近していくことには関心を持たなかった。足穂は最初から換骨奪胎の名手であり、自分が必要とするものだけ取り入れ、変形してしまっている。

 --六月の夕方、新宿へ出て作家誌を買いました。新築の天井の高い喫茶店の二階の隅で〝わたしの耽美主義を読み始めました。「一瞬間の夢心地」でフンフンと共鳴の声を洩らし、日が暮れ、箒星やお月様のお化けが出没する三分間劇場を想像して楽しみ、チックタック氏公開状に声を出して笑ってしまった。窓外はもうネオンの街になっていました。得がたき六月の夜のひと時!(『未来派へのアプローチ』)

 こうした生活の一景も「未来派的一刻」であり、その他、「遠い街角を焔のように輝いて曲って行くボギー電車」(ボギー電車とは、固定した車輪ではなく、車体とは独立に動く車輪をもつもの)、「緑色の火花のしずく」、「夜ぞらに狂う真鍮の砲弾」、「星への挑戦」も未来派的であり、さらには萩原朔太郎の『青猫』は大都市の夜の電車のスパークであり、「電車のポールの先から緑色の火花が頻りに零れ落ちる真暗な晩」と足穂的未来派流に咀嚼される。

 『一千一秒物語』は、足穂流に咀嚼された未来派も入っているが、ぜんたいとしてはむしろ、アーバックル、キートン、チャップリン、ロイドなどが縦横に活躍したサイレントのコメディに似ている。石をぶつけるとお月様が追いかけてきたり、流星と格闘したり、カフェーで短刀を抜いたお月様と椅子を振り上げて喧嘩した話など、とにかく何かにぶつかったり、格闘したり、ピストルで撃ったりするサイレント・コメディー的展開が多く、どこか時間を超越していながら、ノスタルジックであることもサイレントのコメディに似ている。

 私が好きなのは、「ポケットの中の月」や「自分を落としてしまった話」のように、自分がいながらいなくなってしまう話で、落語の『粗忽長屋』とも一味違うエレガンスがある。

 最終盤になって連続して出てくる、お月様が三角形というテーマは、「走っている馬は二十本の脚を持ち,その脚の運動は三角形である。」という『未来派画家宣言』から来たものに違いないが、興味深い。「友達がお月様に変った話」では、「三角がたいへん速く廻っていたから、円く見えたまでの話である」と未来派的に説明されているが、「お月様が三角になった話」では、似たような説明がされた後に、「スレート屋根の上に三角形のお月様が照っていたというからよけいにこの話は不思議になる」と不思議になり、「どうして彼は喫煙家になったか?」では、煙草の煙の輪を通してみると、お月様は三角なのだと主張する青年があらわれ、事実、煙の輪から見るとお月様は三角形に見えるようだったが、実際はそう見えるかどうかなど問題ではなく、「青年のロジックによると 月が三角に見えても見えなくても そんなことにかかわりなく 電燈を消した部屋で青い月光に向って煙の輪を吹きつけるというのは 月が三角であるのと全く同じことだったのである」とまったく未来派のロジックを離れ、足穂流の存在論を示しているようでもある。


2018年4月22日日曜日

8.リアリティのありか――ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』




 原著は1984年にフランスで、『カイエ・デュ・シネマ』の叢書の一冊として出版された。『カイエ・デュ・シネマ』といえば、ゴダール、トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・リヴェットたちが、映画批評家として参加し、のちに監督として映画を撮ることによってヌーヴェル・ヴァーグという潮流をつくりだした。彼らが活躍したのは1950年代であり、いまから考えるとかえって不思議なことだが、当時は顧みられることのなかった映画における監督の立場を認め、娯楽映画の監督として看過されていたハワード・ホークスやアルフレッド・ヒッチコックなどを「作家」として顕彰した。

 それから三十年以上の時を隔てた本書は、監督論でもなければ、作品論でもない。言及される映画は数えられるほどである。映画というテクノロジーが人間の知覚をいかに変容させ、その変容された知覚が戦争という行為をいかに決定的に変化させてしまったかが論じられている。したがって、個々の監督、製作者、俳優、作品をめぐっていわゆる映画論とは異なり、テクノロジーとイデオロギーの干渉地帯を対象にした、ベンヤミンの写真論、マクルーハンのテレビ論に連なる。

 戦争とともに大きく変わったのは、勝利によって領土を獲得したり、経済的支配を得ることではなく、「非物質的な」知覚の場に侵入することが優先されることなったことである。たとえば、原子力発電所ひとつをとっても、そこでセキュリティの問題になっているのは、危険な放射線物質が現実にそこにあることだけではなく、それを安全たらしめるために網の目のように張り巡らされた情報を取捨選択するための場であり、それがいかに「安全」なものであろうと都心につくろうとしないのは、そうした情報の波を整理し、知覚を統制できないためである。

 敵と対面して戦うといった形での戦争は、すでに牧歌的なものであり、目に見えぬ場をめぐる戦いが常に行われているのだとすると、たとえば、VRのゴーグルをつけて端から見れば滑稽な動きをしている者たちとそれを馬鹿にして、あるいは面白がって脇から見ている者たちのどちらにリアリティは存在するのだろう。

2018年4月21日土曜日

7.隅田川という主人公――永井荷風『すみだ川』




 1909年12月春陽堂発行の『新小説』第十四年第十二巻に発表され、1911年(明治44年)に籾山書店の小説戯曲集『すみた川』に収録された。その後現在の形になるまで、細かい点で多くの修正、加筆などがされている。

 俳諧師の松風庵蘿月と常磐津の師匠をしているお豊は兄妹である。もともと二人は相模屋という大きな質屋の子供だった。兄は放蕩が過ぎて、頑固な父親に勘当の末隠居の身となった。妹が番頭と夫婦になって正直に店を営んでいたが、明治維新のごたごたの際に家運が傾き、加えて火事にあって店はつぶれてしまった。そこで兄は俳諧師となり、夫とも死に別れてしまった妹のお豊は、昔習っていた常磐津の師匠として生計を立てることになった。

 お豊には長吉という今年十八になる息子がいる。客商売のもろさを自分の経験から思い知っているので、彼女は自分の生活を切りつめても、息子を大学にやり、月給取りにしなければならないと考えている。

 長吉にはお糸という幼馴染がいる。お糸は芸者になることが決まっている。お糸の母親は針仕事をしているが、その得意先に橋場の妾宅にいる御新造がいて、その実家が葭町で力をもつ芸者屋であった。その御新造がお糸を見て、ぜひ娘分にして立派な芸者に育てたいと言い出したのである。大工であったお糸の父親が死んでからは、単なる得意先のひとつという以上に世話になっていたので、自然お糸が芸者になることは決まったことのようにされていた。それにお糸自身が芸者になることを嫌がってはいないのである。

 この小説はちょうどお糸が芸者になる時期のことを描いている。長吉は、年下ながら、幼いころから姉のようにずっと自分をリードしてくれていたお糸を好きなのだが、彼女が芸者になることを止めることもできず、学業にも身が入らなくなってしまう。芝居に通うような日を過ごし、役者になっている小学校時代の同級生に再会して、月給取りになるという自分の目標に意義を見いだせなくなる。手塩にかけて育てた息子が横道に逸れることを恐れるお豊は兄の羅月に相談し、羅月はともかく意見してみようということになる。羅月自身も自分の身を振り返ってみれば強く意見をさしはさめるわけもなく、もう一年辛抱してみなさい、というだけだった。

 なんとも淡々した話である。「すみだ川序」によれば、この小説に手を付けたのは西洋から帰って満一年を経たのち、つまり明治四十二年の八月はじめに書き始め、十月の末に書き終えたとある。したがって、「第五版すみだ川序」に、帰国後も向こうでの生活の習慣が抜けず、午後になると愛読書を懐に散歩に出かけることを常としたが、自分の生まれた東京の街は、詩を喜ぶ「遊民の散歩場」ではなく、「戦乱後新興の時代の修羅場」となっていると書いた「戦乱」とは日露戦争のことである。そんななかでわずかに隅田川だけが、現実の「修羅場」と、幼児期の過去のおぼろげな記憶と、江戸時代に直結する「伝説の美」とを呑み込むように流れている。つまりは、背景であるはずの隅田川こそが主人公であって、長吉とお糸のほのかな恋などは隅田川に浮び出た数多くの情緒の透かし地のひとつに過ぎない。昔の東京が失われていくという嘆きや諦観は、より正確にいうと、過去と記憶と伝説が共存する多層的な空間が存在しなくなり、平坦で表層的な場所しかなくなったということにある。

 ちなみに、『東京の昔』を書いた吉田健一は、昔の東京が失われていくことを認めながらも、時代に対する憎悪や厭世など、およそ否定的な身振りを嫌い、当たり前に歩けて、当たり前に食べることができる、当たり前の都市のひとつとしての東京がいつか生まれることを言い続けた。もしあの人が生きていたら、というのは誰もがもつ胸苦しい夢想のひとつだと思うが、あの世から吉田健一を連れ出して、いまの東京はどうですかね、と聞いてみたいし、ついでに、甥の麻生太郎は大臣としてどうなんですか、とも聞いてみたい。


2018年4月20日金曜日

6.流動と旋回――花田清輝『復興期の精神』



 1946年に我観社より刊行された。我観社は同年発足した真善美社の前身であり、真善美社はこの本の出版によって始まった。第二版はすでに真善美社刊となっている。収録されたエッセイのほとんどは戦前、戦中に『文化組織』に発表された。

 『文化組織』では「ルネッサンス的人間の探求」というテーマのもとに連作されたが、いわゆるイタリア・ルネッサンス期の人物はダ・ヴィンチとマキャベリぐらいしかおらず、ソフォクレスやアリストファネスの古典ギリシャの時代から、ダンテ、ヴィヨン、ルイ十一世をへて、ゴーガン、アンデルセン、ガロア、ポーにまで及ぶ広範囲なもので、晩年の『日本のルネッサンス人』が室町時代から安土桃山時代を扱ったものであることを思うと、結局のところ、花田清輝にとって変革期にあると自覚することは、人間の実存的な要諦のようなものであって、この自覚を失ってしまうと、これが安部公房なら棒にでもなるのだろうが、花田清輝は周到にそうした寓意化を避けているところがあって、「天体図――コペルニクス」で書かれているように、「何故か私には転向といえば、常に堂々たるコペルニクス的転向のことを指すべきであり、誰でもがする現在の転向は、断じて転向という言葉によって呼ばるべきではないような気がするのだ」といいながら、かといって二十世紀の転向者の群れを侮蔑するつもりなどはなく、二十世紀の転向が紆余曲折へた結果であるために何やら悲劇的な色彩をもっているのに反し、コペルニクスの転向は朗然とした転向であり、闘争の拒否の上に立って、隠然と行われた颯爽としないものなのだが、派
手な闘争を繰り広げる現在の転向者は颯爽としているかもしれないが、「どうして颯爽とすることが立派なことなのであろう」、吠える犬は嚙みつかぬというように、闘争は逃避の一手段として採用されることもあるのだと、転じる文章に明らかなように、変革期は文章を転回させ続ける原動力に過ぎない。

 マルクス主義者で、ユートピアについて言及が多いのは、アメリカの批評家フレデリック・ジェイムソンと並んで、双璧をなす。このエッセイではトマス・モアも論じられているが、コロンブスをユートピア物語の作者に比しているのが面白く、新大陸を目指すコロンブスの姿には「空間に対する愛情、時間に対する憎悪」が貫かれているが、時間と空間を分離するのは抽象に過ぎず、新たな空間を見いだしたと思う途端にそれは手垢にまみれ、記録され、人間化される「空間化された時間」に変じてしまうものであり、コロンブスの憎悪の対象は時間そのものを絶縁することが無理な相談である以上、むしろそうした「空間化された時間」にあり、彼の空間に対する愛情とは、「旋回し、流動する空間」、つまりは「時間化された空間」にあったのではないかと進むか所などは、歴史的に正しいかどうかはともかくコロンブスに対する新たな発見であり、ついでに花田清輝自身の文章論にもなっているのでますます面白い。

2018年4月19日木曜日

5.色彩にあふれた曖昧な対象――泉鏡花『龍潭譚』





 明治29年11月に発表された。

 躑躅が盛んに咲いているというから、夏にはまだ至らない4,5月のことなのだろう。優しい姉に一人で外にできてはいけないよ、といわれていた幼い弟が、山というのほどのことないだらだら坂の続く岡を上ったり下りたりしているうちに、ハンミョウを殺し、触れた部分がかゆくなり、ハンミョウに毒があったかしらと思うが、それはともかくとして、姉のもとに帰りたくなって帰り道を探しているうちに、強がって同学年の子供たちが遊んでいるかくれんぼの仲間に入るが、鬼になった瞬間誰もいなくなってしまい、もはやすべてが怖くなって、姉たちが探す声にも答えることができないし、どうやら姉も自分の姿を認められないようだ。

 すっかり暗くなって途方に暮れたとき、美しいもう一人の女性に庇護され、添い寝して乳房まで吸わせてもらう。五位鷺と戯れ、暗がりのなかの叫び声のようなものに叱責をあびせかけること、寂しいので顔に触れてみようとするが、なぜか指先は顔に届くことがないなど、この女性、この世の尋常の存在とも思えない。やがて暴風雨がこの村を襲い、谷は淵となり、池となってしまった。

 少年を庇護する女性は、水神とも、あるいは龍神とも、そのどちらでもないより限定的な力しかもたない妖精のような存在だとも考えられる。少年が初夏にかかろうとする若い芽吹きと草いきれに当てられて、白昼夢のようなものを見たのかもしれない。かくのごとく鏡花の作品は曖昧にできている。しかもそれは物語の要請、つまり、曖昧にすることによって小説に深みをだし、効果的にしようなどという技法とは無縁だろう。

  別の言い方をすると、鏡花の文章は決して読みにくいものではないのだが、主語が必ずしもはっきりとしないこと、花の色彩や自然の変化が登場人物の会話や行動を曖昧にするまであふれることによって、過剰露出に見舞われたレンズのように、あるべき正常な姿をとらえられずに、夢のような非現実感をまとうことになる。別の角度からいえば、この作品に出てくる少年も姉も庇護する女性もまた、同じような非現実感に包まれているといえて、非現実感とは小説にとって必ずしも欠陥であるとはいえないことを示している。
 

2018年4月6日金曜日

4.そのものの海――坂口安吾『私は海をだきしめていたい』



 昭和22年1月1日発行の『婦人公論』の文芸欄に発表され、真光社から昭和22年に刊行された『いづこへ』に収められた。

 筋らしい筋はなく、

 私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行こうということを忘れたことのない甘ったるい人間だった。私は結局地獄というものに戦慄したためしはなく、馬鹿のようにたわいもなく落付いていられるくせに、神様の国を忘れることができないという人間だ。私は必ず、今に何かひどい目にヤッツケられて、叩きのめされて、甘ったるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様に落されてしまうと時があると考えていた。

と常々思っているような男が、女郎から酒場のマダムになって「私」と生活するようになった、不感症で貞操の観念のない女にある種の救いのようなものを感じる。なかでも圧倒的なのは、表題にもなっている、最後のエピソードである。二人で海岸に散歩に出る。女はものすごい荒れた海であるのに、波の引き際を待って貝殻を拾っている。それを見ていた私は、「大きな、身の丈の何倍もある波が起って、やにわに女の姿が飲み込まれ、消えてしま」う一種の幻覚を見て、その美しさに呆然とする。

 私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起こり、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。

 そして、「私は海を抱きしめて、私の肉感が満たされてくれればよいと思った」と感じる。男は不感症の女をもてあそぶごとに女の身体が透明になってきたのを感じていたのだが、それは私の感情にも情欲にもなんら反応しないがゆえに獲得される透明さで、反応のない孤独さのなかではじめて鳥や魚や獣のように、その透明さのなかを遊弋できるように思う。この女の透明さは海の透明さに直結しているものであり、反映と戯れるナルシシズムとも、閉じられた世界とも無縁なもので、誤解すべきではないのはこれはいわゆるニュー・エイジ的な自然との一体感などとは無縁のもので、そこでは人間世界が自然の一環として組み込まれているだけで、意識や人間存在は守られているのだが、ここでの海は人間などには無関心な残酷や無慈悲といっては擬人化しすぎているただの自然で、『勉強記』などによると若い頃にがむしゃらに仏教の勉強をしたようだから、あるいはその影響はあるかもしれないが、一足飛びに悟りや涅槃に飛躍してしまう仏教とも決定的に異なっているのは、冒頭に引用した文にあるように、安吾が善悪の彼岸を目指しながらも、神様の国と地獄が隣り合わせにあるような倫理的な場に常に立っていたことにある。

2018年4月5日木曜日

3.庭という世界劇場――林達夫『作庭記』



 初出は未詳であり、岩波書店が1939年7月に刊行した『思想の運命』に収録された。第二次世界大戦が始まった頃、あるいはどちらにせよ、参戦にどんどん傾いているなかで書かれたものであるのは確かで、

身についた「外国感覚」(サンス・ド・トランジェとルビがふられている)などは振り落とす方がいい時世でありながら、私の場合、歳とともに「日本的事物」がだんだんと縁遠いものになってゆくのを見るのは不幸である。

という一文から始まり、外交官の父親をもち、2歳から6歳までシアトルに暮らしたのであるから頷けることでもあるのだが、

却ってかつてはあれほど嫌いだったアメリカという国がこの頃になってひどくなつかしいものになってきたりして、建築などでもオールド・イングリッシュに劣らず、アーリー・アメリカンが好ましいものに思われ出してきた。

としれっと書くのだから、肝が据わっている。そのアメリカとは、永井荷風が『あめりか物語』に描いたような、西海岸の北寄りの霧深い林地であり、そうした地方のことを歌にしたマクダウェルの歌曲を聞くと、日本の子守歌以上に心のどこかが揺さぶられるのだという。

 そして、近頃小さな庭を作ることを手がけているが、日本庭園が世界的に評価されていることは知っているが、まったく心を惹かれず、むしろ「平凡な、時として幼稚でもある西洋風庭園を幾十坪かの地面に再生しようとしている」ことを述べ、いかにも大知識人らしく、ベーコンの『随筆集』などをひもとくのだが、それは「真に王侯にふさわしいものについて述べ」られており、いったい、西洋の古い時代の庭造りに関する文献には王侯向けのものが多くて参考にならないものだそうだが、結局古雑誌のなかで見つけた、ワシントンのカトリック寺院の造園記録が、ゴシック時代の小庭園を復元してみせているということで、林達夫本人がゴシックの研究家でもあることから虎の巻になったという下りの言葉は悪いが衒学趣味というのか、なにごとについても大きく振りかぶってみせるところも嫌いではないです。

 ゴシック庭園というのは、つげやホーリーを主として、それにローズマリー、ラヴェンダー、チムス草(じゃこうそう)、百合、オールド・ローズなどを配するものだという。しかし、ここでのつげはBuxus suffruticosaという矮性の香りのある種類で、日本にはこの文章が書かれた時代にはなかったというが、現在では輸入されているらしい。いずれにしろ、百合ぐらいはわかるかどうか、というくらいの植物とはおよそ無縁の私にはちんぷんかんぷんであって(オールド・ローズは薔薇とどう違うのかがわからない)、そんな私がこうした文章に魅せられるのは、自分が目指す庭というのはアーポレータム、つまり植物図鑑を現実化したような植物園であり、

・・・庭仕事によって歴史と美学と自然科学と技術との勉強をしているのである。いわゆる庭いじりは私の最も嫌いなものの一つで、そういう文人趣味には私は縁がない。

とすでに十分大きく振りかぶっていたと思っていた林達夫が更に大きく振りかぶり、ますますそういうの嫌いじゃないです、となる。

 そもそも私は賃貸ばかりで、自分の庭などもったことがなく、記憶のなかにある庭といっては、祖母の家にあった庭で、祖母の家はまだくみ取り式の便所で、幼かった私は、落ちてしまうと危険だと思われたのか、大便をするときだけは庭先の縁側に新聞紙を敷き、その上でさせられていた。

2018年4月4日水曜日

2.愚かさの世界――谷崎潤一郎『刺青』



 明治四十三年十一月号の「新思潮」に掲載された。短編小説。翌明治四十四年の十二月には、「麒麟」「少年」「幇間」「秘密」「象」「信西」と合わせて、『刺青』という表題で、籾山書店から刊行される。

 「其れはまだ人々が『愚』と云ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋み合はない時分であつた。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬやうに、御殿女中や花魁の笑ひの種が尽きぬやうにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのと云ふ職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。」こうしたときには美しいものが強者で、醜いものが弱者であり、美しさを求める結果、身体に墨を注ぎ込む刺青も盛んであった。まだ若い清吉という腕利きの刺青師がいた。奇抜な構図と妖艶な線で名を知られていた。いかにも名人気質らしく、気に入った皮膚と骨組みを持っていなければ、金を積まれても彫ろうとはしなかった。清吉の宿願は自分の気に入った女の肌を得て、そこに自分の魂を彫り込むことにあった。

 あるとき、清吉は深川の料理屋、平清の前を通りかかった折に、門に置かれた駕籠の御簾の陰から真っ白い女の足が出ているのに気づく。多くの皮膚を扱ってきた彼の眼をもってすると、この足こそが長年待ち望んだものであることが分かった。しかし、駕籠を数町追いかけたものの、やがて見失ってしまった。この足への思いは恋心へと変じたが、なすすべもなくその年を過ごし、翌年の春も終わろうとするころ、辰巳の馴染みの芸妓からの使いをもって見慣れぬ小娘が訪ねてきた。娘は近々自分の妹分として座敷に出るはずだと便りにはあった。清吉はこの娘こそが去年見た足の持ち主であることを見て取る。

 清吉は娘に二枚の絵を見せる。古代中国の暴君紂王の寵妃、末喜が欄干にもたれ、刑を受ける男の姿を見ている図と、若い女が桜の幹に身を持たせかけ、その下に累々と倒れている男たちの死体を見つめている「肥料」と題された絵である。清吉はここにお前の心が映っているはずだといい、娘も自分がそうした性分をもっていることを白状する。自分が隠そうとしていた性分を言い当てられ、不安になった娘は帰ろうとするが、清吉は麻酔剤で娘を眠らせ、娘の背中に女郎蜘蛛の刺青を彫り込んでいく。すでに自らの魂に目覚めた娘は身をゆだね、清吉は娘の第一の「肥料」になる。「折から朝日が刺青の面にさして、女の背は燦爛とした。」

 「愚」という徳のあった時分とは、馬鹿正直に受け取れば、江戸時代は文化・文政の町人文化が爛熟したころだともみなせるだろうが、むしろ、いくつもの演目によって作り出された長屋や隠居、与太郎のいる世界を落語国というように、仮設された、それこそ美しいものが強者であり、醜いものが弱者であるような世界であり、生活のありさまが芸術となりえた世界だといえる。

 刺青は、絵画や彫刻のように空間的でありながら、時間的でもあるという奇妙なかたちの芸術である。時間的とはいっても、音楽のように非具象的なものではなく、あくまで具象性を備えている。しかし、空間的、具象的でありながらも、作品だけを切り離して鑑賞することはできず、呼吸する皮膚と分かちがたく結びついたそれは、見る時間や気候、さらには刺青された人間の体調や年齢、気分によっても変化する。端的に言えば、気が乗らなければ、見せてももらえないわけである。またそれを創りだす側からいっても、自分の理想とする肌を見つけ出すこと、その人物が画布となってくれることを承認してくれること、そして長い時間にわたる苦痛に耐える体力のあることなど越えねばならない障壁が多く、いざ彫ったとしても、普段は隠されていて見ることができず、公衆の前にあらわれることは決してないだろうという美学などによっては捉えようのない非常に特殊なものなのだ。

 実際、私が部分的なタトゥーではなく、本格的な彫り物を見たのは、かつて通っていた銭湯で出会うことのあったおじさんくらいのもので、ただどんな事情によるものか、完成までには至らなかったもので、赤い筋がにじんだようにぼやけて、果たしてなにが描かれているのか最後までわからなかった。

2018年4月3日火曜日

1.空間の映画――スティーヴン・ソダーバーグ『エージェント・マロリー」(2011年)



 脚本・レム・ドプス、撮影・ピーター・アンドリュース、音楽・デヴィッド・ホームズ。主演のジーナ・カラーノは、総合格闘技の選手で、ウィキペディアによれば、アメリカのスポーツ専門雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』で「もっともスポーツ界に影響力のある女子選手」に選ばれたこともあるという。原題のHaywireはもともと刈りとった干し草を束ねておく針金のことで、転じて混乱して、取り乱してなどの意味になることは束ねた草がほどけるとどうなるかを考えれば容易に想像がつくだろう。

 話はアクション映画としてはありきたりなものだといっていい。政府から仕事を請け負うこともある凄腕の女性エージェント(つまり、ジーナ・カラーノが演じるマロリー)が、ある事案を解決ししたころから命を狙われることになる。知るべきでないことまで知ってしまったのだ。

 ソダーバーグは、それほど関心をもって見続けていたわけではないが、私にとっては難解、というか、よくわからない監督だった。もっともヒットしたのは『オーシャンズ』のシリーズだろうが、豪華な出演者が目を楽しませてくれるとはいえ、ケイパーもの、つまり、それぞれの専門職に長じた犯罪者集団が、巨大な獲物を手に入れるというもので、そこには機械仕掛けのように正確に働き、それでも起きる不慮の出来事に対して、柔軟に対応しながら、目的に向かって進む集団の姿と、できうればあっと驚くような結末の逆転が欲しいところなのだが、三作のどれもそこまではいかなかったのではないかなあ、と曖昧になるのは、実はすべて内容をはっきり思い出せないためなのだが、これは同じく記憶は曖昧ながらも退屈だったと断言できるソラリスなどを考慮に入れつつ、今回面白いと感じた『エージェント・マロリー』のことを顧みると、はじめてソダーバーグのことが理解できるように思えた。

 ジャンル映画だけに、内容と形式があらかじめある程度決まっているので、ソダーバーグ本来の資質が変異として明瞭に浮き上がっている。思うに、ソダーバーグは物語を語ることや登場人物の感情の微妙な動きなどにはそれほど関心がなく、例えばこの映画でいうならば、閑散な通りを隔てて道の両端を歩く二人の人物、臙脂色の背景のもと画面を斜めによぎっていくエスカレーター、人っ子一人いない飛行場など、ある場面、あるいは構図を見出すことにより満足を感じるような監督なのだと思える。それもコンピューター・グラフィックスや予算をかけてできるだけこれまで見たこともない構図や映像を撮ろうとする現在の潮流とは異なり、どんどん余分なものを排除して、空間を簡潔でクールなものにしようとする姿勢が際立っていて、そのことは『トラフィック』、『コンテイジョン』等々、そしてこの映画も原題は『ヘイワイヤー』という無機質で、そっけないものだったことに端的にあらわれている。

2018年4月2日月曜日

1.芸と散文――石川淳『曽呂利咄』




 昭和13年、「文藝汎論」5月1日号に掲載された。短編小説である。第二次世界大戦前年の1938年の発表で、小説の舞台となっているのも、天下が一応は統一されたのだが、明に対する侵略を試み、利休を殺すなど、秀吉の誇大妄想と偏執的な部分があらわれてきて、一部の慧眼な人々にはさらなる戦乱が予感されていたころで、万事殺風景になっていた。
 お伽衆の曽呂利新左衛門も仮病を使って太閤からは遠ざかっていた。そんな折、ある夜のこと、曽呂利のもとに石田三成が訪ねてくる。頼みごとがあってのことだ。さる酒問屋において、煌々とした光のなか大盃がぷかりぷかりと宙を漂い、なみいる酒樽の酒をどくどくと注げ受けては空のかなたに飛び去ってしまうという事件が起きた、こうした怪異を放っておいては、事実無根の流言がはびこり、京の秩序が守られなくなる、その探索を曽呂利に頼もうというのだ。
 政治向きのことには容喙しないと決めている曽呂利だったが、かねて目をつけていた太閤秘蔵の狩野山楽の軸物、日の出に鶴をあしらった絵を褒美にもらえるというので気持ちが動いた。お伽衆ともなると、特別な嗅覚が働くものか、早速嵯峨野の奥に怪しげな庵を見つけ、巡礼のふりをして一献汲み交わすあいだに、かの者が源義経の一党でただ一人生死が確認されずに終わった常陸坊海尊であることを見破った。長生の法を習得し、各国の山々に隠棲していたらしい。発見されたからにはもはやこの国に用はなし、外国に行って切支丹の魔法でも修めることにしようと、飛行の術で飛び立てば、曽呂利の方も山楽の軸を広げ、空を飛ぶのは修験道ばかりではない、芸道の奇瑞を目にも見よ、と飛び立つが、「春とはいへ、夜更の風酔ざめの襟に沁み、はつと夢破れて起きあがつた曽呂利が大きな嚔一つ、ほい、まだ地上に生きてゐたか。」

 石川淳は小説や散文の方法についての批判的意識には旺盛で、短編小説はすでに形式的に行き詰っており、新たな可能性は長編にしかないと考えていた。ところで、その長編小説、決してつまらなくはないが、短編や批評に比べるとさほど読み返したくはならないのが私の正直な感想で、思うにそれはこの短編の結末の部分にも、戯画的にではあるが、あらわれているように、石川淳自身仙術程度の効能は芸の力に見いだしており、私などがこういう文章を読むとうっとりするのも芸に対する信頼が共有されているためであろう。長編小説で芸が問題になることはない。プルーストやヘンリー・ジェイムズは織物を織りあげるようで、熟練した職人の技を感じるが、芝居、演芸などについていわれることの多い芸は、より身体的なもの、時節にかかわるはかなさと絡み合っていて、危機的な状況のなかで書かれたことがこの短編小説をより輝かせている。