2014年11月2日日曜日

ブラッドリー『論理学』91

 §67.分析判断に戻ろう。「狼がいる」と言うとき、実在する事実は、個別の環境と、感情、情動、思考において個別な条件にある内的な自己と関わる他のものとは似ていない個別の狼である。また「歯が痛い」と言うとき、事実は、ある瞬間における私の知覚と感情を伴ったある歯の個別の痛みである。問題は、私が全体の断片から判断を作り上げるとき、それを実在の述語とし、「それは<現にそうであるように>感覚の事実である」と主張する権利があるかどうかである。分析判断が<いかなる>意味でも真ではないと言おうとしているのではない。それでもって所与の事実として内容の存在を主張しようとするなら、正当とは認められないと言っている。いったいどんな原則でもって、現前する全体から好きなものを選択し、その断片を現実の性質として扱うというのだろうか。それが自律的に存在していないことは確かであって、それだけを取り出したときに、どうしてそれがこの実在の性質であり得ると知るのだろうか。感覚される現象は現にあるものでそれがすべてである。それ以下のものはきっとなにか別のものであるに違いない。真理の断片というのは、、それが全体を性質づけるものとして用いられると、完全な誤りとなるのである。

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