2014年11月3日月曜日

ケネス・バーク『恒久性と変化』6

      合理化と定位とのつながり

 合理化という言葉は、推論とは異なり、精神分析から来たようである。フロイト派が動機についての特殊な用語法を発達させるやいなや、非フロイト派の動機についての用語法を特徴づけるような言葉が必要であると感じた。かくして、教会によって育て上げられた心理学的術語によって陰に陽に訓練された人間が、教会の用語を使って自分の行動を説明しようとする一方、フロイト派は自分たちの用語法を「分析」と呼び、教会の用語法を「合理化」と呼んで差異化するのである。一般的に、ある行為を高貴な自己犠牲的言葉によって説明するときにはなにかが隠されており、フロイト派の定位はそれを利己的な動機として説明することができる。

 フロイト派の解釈によれば、真の動機はよく目立ち心地のいい美徳の装いで隠されている。契約をごまかそうとする詐欺師のように、故意に欺こうとしているわけではない。むしろ働いているのは自己欺瞞であり、過酷な現実に対して眼を閉じるために行為を合理化しているのである。体裁よく自分の行為を説明するが、フロイト派はその根っこの部分において、利害と動機が都合のいいように変えられているのを看破する。これまで教えられてきた用語で自分の行為を説明しているとき、なぜ自己欺瞞だと疑われねばならないのかは精神分析による合理化の神秘として残ることだろう。パスツールのことを聞いたこともない未開人が、病気を細菌学によって治療しようとしない自己欺瞞によって責められるようなものであろう。

 合理化の問題は、諸動機の理論である定位を越えたところにまで我々を連れて行く。パヴロフ-ワトソン-ゲシュタルト派は、一般的に、単純な反応が形成され、それが変更される条件を記述することに自ら限定している。しかし、人間は反応の範囲を拡大しようとし、計画的に定位と解釈を言語化することで反応の精度を高める。あらゆる有機体は批評家であるが、人間は言葉の力によって、批評の方法論を完璧なものにしようとする。こうした言語化には理由づけの試みも含まれており、行為の動機について考慮することも含まれている。従って、我々は次のように進む。(a)偶然の経験によって発達したある種の関係についての感覚がある。(b)この関係の感覚が我々の定位である。(c)我々の定位の多くの部分に予期が含まれ、未来への関心が手段の選択に影響を与える。(d)人間においては、予期とどんな行為が正しいのかという判断は動機の問題と密接に結びついており、なぜ人がそうしたのかを知れば、我々は彼にそして自分自身になにを予期すべきか知り、そうした予想を考慮に入れた上で決定や判断や方針を決めるのである。

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