2017年8月30日水曜日

我々には語る必要があるーリン・ラムジー『少年は残酷な弓を射る』(2012年)



 なんの前知識もなしに見たことがよかったかもしれない。ネタバレなどを鬱陶しく感じる方ではないが、「衝撃の結末」などとあらかじめ言われると、相当すれっからしなので、なんだそんなことか、肩透かしにあったように感じることが多い。例えば、デヴィッド・フィンチャーの『ゴーン・ガール』などはその最近の例であって、いい映画で、それでがっかりするわけではないが、いくぶん損した気になる。

 この映画については原作も読んでいないが、原作映画共通の『少年は残酷な弓を射る』という題は苦心の痕がありありと見られるが、なにかちょっとキューピットやロビン・フッド、ウィリアム・テルなどを連想させるロマンティックな、あるいはセンチメンタルなもので、原題のWe Need to Talk About Kevin、直訳したら「我々はケヴィンについて語る必要がある」では冗長で売れないと判断したにせよ、いっそ簡潔に「ケヴィン」とでもした方が内容にはかなっている。

 内容を一切知らないで見始めた私は、『エクソシスト』や『オーメン』などの「恐ろしき子供たち」に類する物語だと思っていた。もっともいわゆる物語の時系列はバラバラに寸断されている。中年女性が孤独に暮らしている。その彼女と男性との出会い。長男が生まれその子供が幼いときの様子。次女が生まれ、長男は高校生になっている。およそこの四つの軸を基本にして、時間は現在と未来を頻繁に往復する。この四つの軸が時系列に収まるのは最終盤に至ってである。そこで初めて中年女性の孤独な暮らしの意味が理解されることになる。

 原題に出てくるケヴィンというのは主人公である女性に生まれた長男の名前であり、子供の時からなぜか母親に懐くことがない。ケヴィンは悪知恵も働く子であり、父親の前では大人しく従順な子供を演じるので、妻が夫にそのおかしさを訴えても、気のせいや子供にはありがちのムラっ気で済まされてしまう。

 しかしながら、ある意味母親とケヴィンは家族のなかで真に葛藤を経験した二人であり、母親が孤独な生活を送ることは、他の家族には許されることのない「ケヴィンについて語る必要がある」ことを常に強いられることになる。二人のあいだにあるのが愛情だとはとても言えないが、夫婦などには見られない関係の絶対性であることは確かで、それだけ全ての時系列が収まる最後の瞬間になんとも言えない状態に置かれる。

2017年8月24日木曜日

灰色のおしゃべり――ナタリー・サロート『黄金の果実』(1969年)



 原著の刊行は1963年。この本は、およそ四半世紀以前、池袋の古本屋、夏目書房で買った。裏表紙のなかに、短冊型の値段標が貼り付けられており、丁寧な古本屋であったらそうであったように、本が痛まないのようにパラフィン紙でカバーされている。久しく池袋に行っていないので、まだ、存在しているのかどうかわからない。もちろん、調べればすぐにわかることだが、調べない。実は池袋には行きつけの古本屋が2、3軒あって、夏目書房というのは、立教大学の正面にあった古本屋だと思うのだが、それもまた調べない。

 この原価700円の200ページそこそこの本を、私は3000円の大枚をはたいて買っている。当時ヌーヴォー・ロマンを盛んに読んでいた私は、4倍以上の値段になったのもものともせずに買ったらしい。ヌーヴォー・ロマンとして並び称された人物、ロブ=グリエ、クロード・シモン、ミシェス・ビュトール、ナタリー・サロートのうちではサルトルの序文が付されたナタリー・サロートの『見知らぬ男の肖像』を最初に読んだが、正直あまりピンとこなかった。その後関心はもっぱらロブ=グリエとクロード・シモンに向かってしまった。ロブ=グリエやシモンは、当時の先進的なフランス文学者、蓮實重彦や豊崎光一が盛んに言及していた。ロブ=グリエについては、ロラン・バルトが共闘したことも大きいだろう。それにロブ=グリエの文章には、翻訳を通じても伝わるような伝染力があり、いまでも、たまに、直接的な影響かどうかはわからないが、若い作家の文章にロブ=グリエ的な文体を感じることがある。

 この本を買ったのは、『黄金の果実』という題名が非常に魅力的だったからだ。『見知らぬ男の肖像』といい、『プラネタリウム』といいサロートの本の題名は素っ気ないものが多く、この本のように鮮明なイメージを与えてくれるものがない。そこに引かれて買ったのだが、おそらく記憶している限りにおいては、その後もロブ=グリエやシモンは読み続けていったが、なかなか本書に手が出ないうちに、ヌーヴォー・ロマンに対する関心が次第に薄れていって、それでなくとも敬遠しがちであったサロートには一層距離が生じ、四半世紀にわたって「積ん読」の状態に置かれることになり、それでも幾度かの引っ越しの際にはそれぞれ大量の本を処分したにもかかわらず、現に残っていたところを見ると、本にもまた時代がつき、渋さが加わっているものと無意識に感じたのか、これが酒であったなら、と言いたいところだが、酒は飲まないので、なかなか例えるものがないが、「積ん読」状態もここまで時間がたつと、なにか特別のことがあったときに読んでみようと思うものだが、特になにも特別なことはなかったが、気まぐれに誘われて始めて読んでみた。

 「黄金の果実」とは架空の本の題名である。存在しない本について書かれた小説と言えば、ボルヘスが思い起こされる。あるいは存在しない本の書評集を書いたスタニスラフ・レムもいる。しかし、彼らにとって存在しない本が、形而上学的夢想の結晶、真に不可思議なものへの扉を開くものであり、マラルメが詩において求めたように、世界を封じ込めるかのような、相反するものが一致し、不可能を可能にするような点を目指しているのに対し、「黄金の果実」とは、そうした夢想の対象になる本ではない。この本は、「黄金の果実」という本が出版され、次第に知識人たちのあいだで話題に上るようになり、後世に残るこの時代の記念碑的作品だと称賛されるのだが、次第にそうした空気が醒めてゆき、誰の話題にも上らなくなるまでの過程を描いている。


 従って、「黄金の果実」という本の内容について具体的に言及されることは殆どない。また、特別な登場人物も存在せず、ある種の空気のなかにあるおしゃべりが漂っているだけなのだ。「あの本は、思うに、文学のなかに、あるひとつの照応を補足するに至った特権的言語を導入したのであり、その照応があの本の構造そのものとなっている。これは、律動的記号群のきわめて新しく且つ完全な掌握であり、それらの記号群がその緊張によって、あらゆる意味域の内に存在する非本質的なものを超越するんだ。」と批評家らしい人物が述べるが、それは「黄金の果実」という本の特権的な内容を指し示すものではなく、ある空気のなかでいかにも批評家が言いそうなこととして描かれているに過ぎない。

 「黄金の果実」の評価が凋落していったとき、ある会話のなかでこんな一節が挿入される。「無気味な波の音・・・・・・足がのめりこむ・・・・・・彼が飛び込んだのは、こんな水気の多い土地なのだ。これを彼は、斧を手に、松明を手に、開拓しようなどと思ったのだ・・・・・・(中略)見渡すかぎり目に入るのは、泥まじりの灰色の拡がりばかり、生気のない形象がそこから現れ出ては、目に見えない波のまにまに、気の抜けたように旋転する・・・・・・」こうした無気味でモノトーンな空気のなかで、ある本が「傑作」という常套句から「駄作」という常套句へと落ちつくさまを、植物が光の方向に茎を伸ばすように、非人称的でありながら方向性をもつものを、この上なく散文的なおしゃべりの連続でもって捉えようとしていて、買ったときに期待したような鮮烈なイメージこそないが、時間をおいただけあって、濃厚な渋さは確実に伝わってくる。

2017年8月18日金曜日

背中のダイモン――ピエール・クロソフスキー『ディアーナの水浴』(1988年)







 アクタイオーンはフェニキアの王であり、ギリシャに文字をもたらしたとも言われるカドムスの孫である。クロソフスキーの著作のテーマとなるディアーナの水浴のエピソードは、オウィディウスの『転身物語』(田中秀央・前田耕作訳)によれば、次のようなものである。アクタイオーンはいつものように仲間たちとともに狩を行なっていた。ずいぶん獲物を得たので、その日は狩をやめて休むことにした。ところで、彼らが狩を行なっていた山には、ディアーナに捧げられた谷があり、そこに湧き出る泉で狩に疲れた女神は水浴を行うのを常とした。

 こうして、ティタンの娘がいつものように水浴びをしているとき、カドムスの孫は、仕事の手をやすめて、見知らぬ森のなかをぶらぶら歩きまわりながら、偶然この神聖な谷間にやってきた。やってきたというより、運命がかれをここへつれて来たのである。かれが泉のしぶきにぬれた洞窟に足をふみいれるやいなや、その姿をみとめた全裸の妖精たちは、あわてて手で胸をたたき、するどい叫び声を森じゅうにひびきわたらせると、いそいで女神のまわりに人垣をつくって見えないようにした。しかし、女神は妖精たちよりも背が高かったので、首から上だけは人垣から出てしまった。一糸もまとわぬ姿を見られた女神の顔は、太陽の光に照りはえた雲の色のように、あるいは深紅の曙光の色のように赧らんだ。かの女は、従者たちの群にとりまかれていたけれど、すこしからだをうごかし、なにかをさがすように顔をまわりにふりむけた。投槍が手もとにあればよいのにとおもったのだが、見つからないので、手近にある水を口にふくんで、若者の顔めがけて吹きつけた。そして、かれの髪を罰水でぬらしつつ、やがて来たらんとする不幸を告げる言葉をつけくわえた。「さあ、ディアナの裸を見たとふれまわるがよい––もし口がきけるものなら!」

 そして、アクタイオーンは鹿に姿を変えられ、自分の猟犬たちにずたずたに食い裂かれてしまう。『転身物語』はギリシャ・ローマ神話の集大成のような本である。この程度のエピソードは無数にあって、おそらく漫然と読んでいたなら、見過ごしてしまうだろう。クロソフスキーは、二つの要素を加えることによって、このエピソードを神の人間に対する顕現と人間の神に対する欲望とが交錯するこの上なくクリティカルでありながら、エロティックでもあるものとして再提示する。

 クロソフスキーが導入した二つの要素の一つは、ディアーナはギリシャ神話でいうところのアルテミスであり、公式的な神話においては、あるいは古来残されている彫像や絵画においては、そしてまた、オウィディウスもまたそれに従っているのだが、猟犬や妖精たちを伴い、山谷を駆け巡って狩をしている若く美しい女神であり処女神であるとされた。ところが、アルテミスはギリシャ神話特有の神ではなく、先住民族の女神であったものが混交されたものである。そこでは颯爽と山谷を駆ける気品のある娘姿ではなかったらしい。高津春繁の『ギリシャ・ローマ神話辞典』によれば、野獣に満ちた山谷を支配し、多産、誕生、人間、獣を問わず子供の守り神であり、エペソスで崇拝されていたアルテミスは多くの乳房を持つまさしく地母神としての姿を有しており、人身御供を求める地域さえあった。処女性と多産、淫蕩さを兼ね備え、毅然として人間を寄せ付けないようでいながら、生贄を求める残忍さがある矛盾した神格をクロソフスキーは導き入れる。もっともこのことは神話学者たちによって大いに研究されてきたことでもあり、クロソフスキー自身の創見があるわけではない。

 第二に導入されるのがダイモンである。ダイモンとは神と人間の中間にあるある種の霊的な存在であり、プラトンの描くソクラテスにおいては、間違いを犯さないようにその声によって警告を与えてくれるが、何をなすべきかについては教えてくれないものとされている。ところが、クロソフスキーにとってダイモンとは世界を構成する重要な要素となる。つまり、「無感動で不死である神々の領域」、「不死で感動性のある」ダイモンたちの領域、そして、「感動性のある死すべき人間たちの領域」に世界は分けられる。感動性のない神とそれを持つ人間の間には本来交通する手段がない。ところが奸智に長けたダイモンがそれを可能にするのだ。


 アクタイオーンがディアーナの水浴を目撃するのは、そしてディアーナが無感動な神であるにもかかわらず、羞恥というある種の媚態を身にまとうのは、泉の反映に身を委ね、ダイモンの感動性を利用するからであり、一方、ダイモンがその反映を簒奪して、女神の淫蕩さを拡大し、禁忌に触れようとする人間の欲望を操作するためであって、それによって神の顕現というこの上なくエロティックな体験をしたアクタイオーンはもって瞑すべきだろう。



2017年8月15日火曜日

偉大なる祖母――森鷗外『追儺』(明治四十二年)





 批判というほどのことではないが、澁澤龍彦は森鷗外に対して、素朴な疑問を発している。

 『ヰタ・セクスアリス』はラテン語で「性的生活」を意味し、明らかに鷗外本人と思われる「金井湛君」の六歳から二十一でドイツに渡航するまでの性的出来事を描いている。

 十三歳になった彼は東京英語学校に入り、寄宿舎住まいとなる(実際の鷗外は東京医学校予科である)。そこで同朋に、「悪い事」、つまりオナニーを教えられる。

  僕はそれを試みた。併し人に聞いたやうに愉快でない。そして跡で非道く頭痛がする。強ひて彼の可笑しな画なんぞを想像して、反復して見た。今度は頭痛ばかりではなくて、動悸がする。僕はそれからはめつたにそんな事をしたことはない。詰まり僕は内から促されてしたのではなくて、入智慧でしたのだ、付焼刃でしたのだから、だめであつたと見える。

 まず、ほとんどの男性の場合、知識より実践が先行しているはずだと述べたうえで、澁澤龍彦はこう述べている。

  そもそも春画のシーンを空想して反復することが可能なほど、意識的に勃起や射精を促すことのできる少年が、どうしてそこに快感の源泉を発見しないでいられるだろうか。色情のイメージと肉体の反応とが、『ヰタ・セクスアリス』の主人公の場合、まさにぴったり結びついているのに、快感だけがそこから抜け落ちるということが、いったい、あり得るのだろうか。疑問はそればかりではない。「僕は内から促されてしたのではなくて、入智慧でしたのだ」と鷗外は書いて、おのれの性の目ざめの遅かったことを強調しているかのごとくだが、それなら何歳になって、彼は初めて「内から促すもの」を感じたのか。そして、その時のことをどうして書かないのか。感じなかったことばかり書いて、どうして感じたことを書かないのか。(「ウィタ・セクスアリス」 『思考の紋章学』(1977年)所収)

 確かに、その後、金井君は待合で芸者と性的交渉をもつのだが、性病に感染する不安を書いてはいるが、快楽そのものに言及されることはない。この小説全体を通じて快楽に触れられることはないのである。ところが、不思議なことは、澁澤龍彦も指摘しているように、「道徳上の罪悪感」もまた欠けており、「彼の抑圧のメカニズムは、あくまで対世間的に働くのであって、道徳の領域には少しも力を及ぼさない」ようなのである。

 対世間にむけてといって正確かどうかはわからないが、鷗外の小説にはexcuseが多い。『ヰタ・セクスアリス』にしても、冒頭、どうしてこうした小説を書く気になったかが、同時代の自然主義が席巻していた文壇を皮肉混じりに評しながら述べられている。

 金井君は小説を沢山読むが、それを「芸術品」としてみているわけではない。芸術を非常に高いものとしているから、現在の小説はほとんどその要求を満たしていない。ただ彼にとっては、作者がどんな心理的状態で書いているかだけが関心を引く。そして作者が悲しさや悲壮さを出そうとするところで滑稽さを感じ、滑稽さを出そうとするところで悲しさを感じる。

 その後唯一名を出されているのが夏目漱石で、「金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢を感じた。」技癢とは、自分にそれなりの腕前があるので、他人がすることを見てその難しさを感じるということである。

 しかし、その頃流行していた自然主義の小説に関しては、なんについても性的描写が伴い、それが人生をよく写していると評されるのを読んで、人生とは果たしてそんなものだろうか、それなら自分は人間の仲間はずれになってしまうと思いながらも、性に関する書物は数々あれど、性欲が人の生涯にどんな風に発現していき、その生活にどれほど関係しているかについてあらわしているものは少ないとして、ようやく本文にあたるものが続くのである。それが性をもって生の深層を抉ると称する自然主義に対する鷗外流の対応であったことは確かで、快楽を描くことを忌避したのは、対世間的な抑圧もあろうが、流行に対する片意地な対抗心もあったのかもしれない。

 発表の時期はわずかに早いが、同年に書かれた短編『追儺』もある種のexcuseからはじまっている。もっともこれは鷗外の特異な執筆歴から来ている。鷗外は明治二十二年、『舞姫』で颯爽と登場し、続けて『うたかたの記』『文づかひ』を発表した後、途中明治三十年に鷗外においては唯一といっていい、江戸文学的、戯作的な『そめちがへ』を単発的に発表しているが、そしてまた厖大な翻訳と評論を残し、更に、明治二十七年からその次の年にかけて日清戦争に従軍、明治三十二年に九州の小倉に赴任、明治三十五年に東京に帰り再婚するものの、明治三十七年から三十九年にかけて日露戦争に再び従軍することになり、続けて子供や弟を喪う不幸があって、結局再び小説が発表されたのは明治四十二年のことだった。そしてそのときには、簡潔でセンテンスは短いが的確な鷗外のスタイルは確立されていた。

 つまりほぼ二十年のあいだ鷗外は小説を書かず、しかも本格的に小説家として再出発するときには、もはや五十に近い年齢になっていた。死亡したのが大正十一年、満六十歳になるときのことだから、晩年の史伝を含めた小説のほとんどは十数年のあいだに書かれたことになる。『追儺』はこの豊饒な十数年の冒頭に、『半日』の後に発表された。『半日』で久しぶりに小説を書いて、よほど周囲が沸き立ったのだろう。『追儺』は「悪魔に毛を一本渡すと、霊魂まで持って往かずには置かない」という西洋のことわざを引用することから始まっている。あいつはなにも書かないやつだと思われているうちは、それが善意からによるのだろうと、悪意によるのだろうと、無事平穏である。ところがなにかのはずみに内容空疎なものだろうと、書いてしまう。するとさあやつは書くそうだということになり、至るところから書けと迫られることになる。

 しかしなにを書いたらいいのだろうか。一方で、叙情詩と戯曲でないものはすべて小説のなかに数えられている。しかし、他方において、こういうものをこういう風に書くべきだという教えはめまぐるしく変わっており、直近では自然主義が優勢を占めている。こうしてエッセイ風に始まった『追儺』には小説概念を根本的に見直させるような言葉が見いだされることになる。

   凡て世の中の物は変ずるといふ側から見れば、刹那々々に変じて已まない。併し変じないといふ側から見れば、万古不易である。此頃囚はれた、放たれたといふ語が流行するが、一体小説はかういふものをかういふ風に書くべきであるといふのは、ひどく囚はれた思想ではあるまいか。僕は僕の夜の思想を以て、小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだといふ断案を下す。

 「夜の思想」というのは、バルザックなどは夜をもっとも生産的な時間だとしており、珈琲をがぶがぶ飲みながら、束ねた白紙を前に口述していったらしいが、バルザックには自分のように午前八時から午後四時までの役所の仕事はなかった。自分は役所から帰って少しの睡眠を取って午後二時まで書く。疲れの残った状態で、昼の間解決しかねた問題が夜には解決したつもりなるが、朝になって見直してみると、解決にもなっていないということがある。つまり、当てにならぬ思想という意味で、上のような断案を下したというのである。

 そしてこの文章にいったん「新喜楽」という名をつけた。読者の注意を引くにはスキャンダル香りがあった方がいいと思ってのことである。しかし、雑誌の体裁もあろうからと「追儺」と改める。「新喜楽」は伊藤博文がよく利用していたことで知られる料亭である。「新喜楽」へはM.F.君の招待である。いまの料亭がそうであるように、相伴にあずからなければ陸軍軍医総監という軍医としては最高の地位にあった鷗外といえども、足を踏み入れる機会のない場所だった。役目上、宴会はたくさんある。しかし、行くところは決まっており、「偕行社、富士見軒、八百勘、湖月、帝国ホテル、精養軒」などである。偕行社は陸軍のクラブといったところで、帝国ホテル、精養軒はいまでも残っている。

 四時に役所が終わると、電車に乗って本願寺前で降りる。新喜楽を見つけるが、約束の時間まではまだ一時間半もある。早く着いた旨を断り、二階へ案内される。出された茶と菓子をかたづけてしまうともうすることがない。本を読む気にもならないので、葉巻を吸っている。外を見、戸を閉めて座敷を見る。

   此時僕のすわつてゐる処とdiagonalになつてゐる、西北の隅の襖がすうと開いて、一間にはひつて来るものがある。小さい萎びたお婆さんの、白髪を一本並べにして祖母子に結つたのである。しかもそれが赤いちゃん〳〵こを著てゐる。左の手に枡をわき挟んで、ずん〳〵座敷の真中まで出る。すわらずに右の手の指先を一寸畳に衝いて、僕に挨拶をする。僕はあつけに取られて見てゐる。
   「福は内、鬼は外。」
   お婆さんは豆を蒔きはじめた。北がはの襖を開けて、女中が二三人ばら〳〵と出て、翻れた豆を拾ふ。
   お婆さんの態度は極めて活々としてゐて気味が好い。僕は問はずして新喜楽のお上なることを暁つた。

 おばこむすびは、『大言海』によれば、「髪ヲ束ネ、其末ヲ頂後ニ蟠ルヤウニ結ヒ、小サキ笄ヲ横ニ亙シテ余髪ニテ其中央ヲ巻キ止ム。下輩ノ老婆、又ハ、怠リガチナル女ノ結フモノナリ。」とあり、ざっかけないが、下品になることのないお婆さんの姿を的確に捉えている。

 要するに、これだけの話で、その後待ち合わせをした人物が現れ、批評家に衒学の悪口を言う機会を与えるために少し書き加えるとして、「追儺は昔から有つたが、豆打は鎌倉より後の事であらう。面白いのは羅馬に似寄つた風俗のあつた事である。羅馬人は死霊をlemurと云つて、それを追ひ退ける祭を、五月頃真夜なかにした。その式に黒豆を背後へ投げる事があつた。我国の豆打も初は背後へ打つたのだが、後に前へ打つことになつたさうだ。」と終わる。

 文学論で始まり、後にもっと陰湿な姿で育つことになる私小説を思わせる身辺雑記的なものを含みながら、広く得た知識を抄するという江戸時代からの伝統である随筆的なもので終わり、小説とは「何をどんな風に書いても好いものだ」という断案を実現している。しかし、なによりもこの短編を生彩あるものとしているのは、思索や友人をなにすることもなく待つという空白の時間を突き破って登場し、指先をちょっと畳について挨拶するお上の所作であり、ただこれだけのことで『追儺』は小説であることを確かなものとしている。そしてまた読者もそのことにあっけにとられる。

2017年8月7日月曜日

黙示録なう――フランスス・フォード・コッポラ『地獄の黙示録 特別完全版』(2001年)





 初公開は1979年で、特別完全版は53分の未収録部分がつけたされ、ほぼ3時間半の長さになっている。公開時に映画館で見て、完全版を見るのも数回になると思うが、回を重ねるごとに戦争映画としての側面が遠ざかっていくように感じられる。

 ベトナム戦争後期、ウィラード大尉(マーチン・シーン)は、カンボジアに独立王国を建設したカーツ大佐(マーロン・ブランド)の暗殺を軍上層部から命じられる。極秘の任務であるために詳細を知らせることなく、寄せ集めの部下が哨戒艇に集められ、ひたすら川を遡っていく。

 記憶が確かならば、特別完全版で付け加えられたのは、この遡行途上でのエピソードであったように思う。慰問団として川を極彩色に彩ったプレイメイトが不時着したのか、燃料と引き換えに身体を売る場面や、カンボジアに入植し、自らの文化を守っているが、もはや滅びつつある人種でしかないフランス人一家との出会いなど、公開時にはなかったように思う。

 公開時は、ベトナム戦争の記憶がまだ生々しいものであり、この映画こそベトナムの惨状を初めて描いたものだと喧伝されたが、時間を経るに従い、いわばそうしたアクチュアリティが洗い流されると、ドメスティックで、パーソナルな骨組みがあらわになってきたと言える。そもそもこの映画には戦闘場面などほとんど描かれていない。ギルゴア(ロバート・デュバル)は銃弾の降り注ぐなか部下にサーフィンを命ずるが、戦闘している相手が描かれることはない。黙示録的な状況においてもいまだ自らの欲望に忠実な人間の姿が戯画的にあらわれているだけである。

 この映画唯一のスペクタル・シーンといっていいジャングルをナパーム弾で焼き尽くす場面などは、第七の封印が開かれ、ギルゴアが大音量で流すワグナーの『ワルキューレの騎行』はまさしく天使のラッパであり、「血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった。」あるいは、「松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて来て、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ。」(「ヨハネの黙示録」)といった黙示録的光景を現出させる。

 問題は上流で王国を築いたカーツ大佐が、混乱を終結させた『ヨハネの黙示録』でいうところの「白馬の騎士」なのかどうかにある。

すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。この方には、自分の他はだれも知らない名が記されていた。また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。

 ウィラードにとって川を遡る時間は、カーツ大佐の華麗な戦歴を記した資料に目を通すことで過ぎていく。彼にとってもベトナム戦争に正当性がないことは明らかである。カーツと同じような存在になりえたかもしれないという同一化を感じる。また、カーツを殺すことには父親殺しという神話的祖型がもちろんあらわれている。しかし、黙示録的な観点に立てば、カーツを殺すことは黙示録的な状況をそのままに宙づりにすることを意味している。黙示録は破滅的な世界を描いているが、当然のことながら、キリストの再臨によって大団円を迎える。確かに、カーツは白馬の騎士ではないかもしれない。しかし、ウィラードがカーツを殺すこともなんともいえぬ奇妙な後味を残すものである。地獄の釜の蓋が開き、そのままの状態で放置されるのだから。


2017年8月2日水曜日

症候としての小説――尾崎紅葉『金色夜叉』(明治三十年~三十五年)



 尾崎紅葉の『金色夜叉』は読売新聞に連載された。もっとも現在の多くの新聞連載小説が最後まで毎日掲載されるものだったのに対し、『金色夜叉』は六回に分けられている。明治三十年一月一日から二月二十三日、同じく三十年九月五日から十一月六日、三十一年一月十四日から四月一日、三十二年一月一日から四月八日、三十三年四月一日から五月十一日。表題もそれぞれ変化しており、「金色夜叉」前篇、「後篇金色夜叉」、「続金色夜叉」、「続々金色夜叉」、「続々金色夜叉」続篇、「続々金色夜叉」続篇と名づけられた。さらに単行本では、「前編」(明治三十一年七月)、「中編」(三十二年一月)、「後編」(三十三年一月)、「続編」(三十五年四月)、「続々編」(三十六年六月)として刊行された。三十八年七月の「続々編」では新たに「新続編」が付け加えられたので、紅葉が明治三十六年に、三十七歳という若さで、胃癌で死んだことを思うと、最後までこの未完に終わった作品を気にかけていたことがわかる。

 間貫一は少年から青年に変わろうとするころ、両親を失い、天涯孤独の身となったが、貫一の父親の恩を受けた鴫澤の家に引き取られて、学士になろうとしていた。鴫澤家でもその性格も実直であるので、末は娘である宮を嫁にして、家を継がそうとしていた。また、貫一とお宮もそのことに異存はなかった。

 ところが、金剛石(ダイヤモンド)をきらめかせた大富豪である富山唯継から嫁にしたいと申し込みがあったときから、親娘ともに心を動かしてしまう。貫一の気持ちを聞く以前に、縁談を進める。宮の父親からその話を聞いた貫一は、本人の気持ちを確かめるために熱海へ行く。そして、あながちこの縁談が親からの無理強いではないことを知る。怒りと絶望に駆られた貫一はそのまま姿を消す。数年を経て、彼は高利貸しとして姿を現す。

 『金色夜叉』は奇妙な小説で、物語そのものは単行本でいうこれらが描かれた前編の部分、つまりおよそ全体の七分の一程度で終わってしまうのである。熱海にある有名な銅像も、「一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処で此月を見るのだか!再来年の今月今夜・・・・・・十年後の今月今夜・・・・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見(み)せるから、月が・・・・・・月が・・・・・・月が・・・・・・曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いて居ると思つてくれ。」という同じく有名な台詞も前編の終結部にある。

 それ以降、貫一と宮は再会することになり、宮はひたすら二人で会うことを願い、あるいは貫一の学生時代の親友を通じ、あるいは手紙を出すことによって、接触を持とうとするのだが、貫一は頑なにコミュミケーションを避け続ける。それが延々と続くことで小説は中断している。

 『明治文学全集』の福田清人の「解題」によると、十年をかけてひとかどの財産を蓄えた貫一はある日悟るところがあり、自分は金のために失恋したのだが、金のために心中するものもある。そこで発心して、情死救済を提言し、五十人あまりの人間を助けて一文無しになるという結末、あるいはまた、宮はどんな働きかけにも答えてくれない貫一の応対に煩悶し、最後には発狂して一室のなかに閉じ込められ、夫は家に妾を連れ込む。それを聞いて貫一の頑なな心も解け、高利貸しも止めて自分のところに宮を引き取ることにする、といった展開が紅葉の書き残したものから推察されるという。

 おそらく最初の腹案が前者に近かったとすれば、書き継いで行くにしたがってまとまってきたのが後者なのだといえるだろう。ある意味、紅葉は江戸文学にもありそうな短編小説的な落ちを捨て去ることによって、自ら扱うすべを知らない西欧的な恋愛という分野に期せずして入り込んでしまったのではないだろうか。紅葉には翻訳も多く、西欧文学を多く読んだ。『金色夜叉』が外国の小説を種本としている説もある。しかし、『金色夜叉』は分厚い文庫本の量がありながら、貫一とお宮の精神は不透明なままである。主要な登場人物たちは、処理しきれない演算にフリーズするコンピューターのように、硬直したままに止まり続ける。

 そもそも宮は、前編の第三章に記されているように、貫一と強い絆で結ばれていると感じていたわけではなかった。貫一のことを憎からず思ってはいたが、貫一の思いの半分程度しか思っていなかった。自分の美しさを知っていたからである。「彼の美しさを以てして[わづか]に箇程の資産を嗣ぎ、類多き学士風情を夫に有たんは、決して彼が所望の絶頂にはあらざりき。彼は貴人の奥方の微賤より出でし例寡からざるを見たり。又は富人の醜き妻を厭ひて、美き妾に親むを見たり。才だにあらば男立身は思のまゝなる如く、女は色を以て富貴を得べしと信じたり。」と宮は描かれている。女性の社会的進出の道が限られていた明治時代に、特別な才能はないが野心的な女性がこう考えるのはもっともなことである。

 夫となる富山唯継にしても、格別嫌悪感をそそる人物として描かれているわけではなく、たとえば、彼には友人を選ぶ基準があり、「彼は常に其の友を択べり。富山が交る所は、其の地位に於て、其の名声に於て、其の家柄に於て、或は其の資産に於て、孰の一つか取るべき者ならざれば決して取らざりき。然れば彼の友とする所は、其等の一つを以て優に彼以上に値する人士にあらざるは無し。実に彼は美き友を有てるなり。然りとて彼は未だ曾て其の友を利用せしこ事などあらざれば、こたびも強に有福なる華族を利用せんとにはあらで、友として美き人なれば、恁く勉めて交を求むるならん。故に彼は其の名簿の中に一箇の憂を同うすべき友をだに見出さゞるを知れり。抑も友とは楽を共にせんが為の友にして、若し憂を同うせんとには、別に金銭ありて、人の助を用ゐず、又決して用ゐるに足らずと信じたり。」とあり、上昇志向はあってもそれによって強欲に利益を得ようとするわけではない。宮を妻に選んだのも、彼女が誰にもまして美しいことによる。それゆえ、自分の美しさを貫一に嫁ぐよりは高く換算していた宮と、価値観を同じくしていた。
宮は高利貸しに姿を変えた貫一を見て、やがて会うことを望むようになるが、会ってどうするつもりなのかもはっきりしない。宮は貫一に会って許してほしいと懇願するのだが、許しの保証として何を望んでいるのか判然としない。唯継と別れて貫一と一緒になることを望んでいるのでもなさそうである。また唯継に対するはっきりした嫌悪感が表面化するまでもなく、ひたすら気分が沈んで行く。

 また、貫一は高利貸しになることを、魔道に墜ちることだと自覚しており、その行動だけをみると、愛情より金銭を選んだ宮に対する報復として筋が通っている気味もあるのだが、貫一がなにを目的に高利貸しになったのかは曖昧なままである。金を儲けてなにかを企てるヴィジョンが垣間見えるわけでもない。宮に当てつけるためではないことは彼女に会おうとしないことからも明らかであるし、魔道とはいっても、やくざまがいに娘を女郎屋に叩き売るといった卑劣な手段に訴えるわけではなく、証文を片手にしつこく通い詰めるだけのことなのだ。

 要するに、別れたあとの二人は、両者の関係においてなんら意志的な行動がとれずに、膠着状態に止まり続け、どちらも何を望んでいるのかさえわからない。恐らく作者自身にもわかっていなかったに違いない。推察される結末の腹案のどちらをとっても、二人の膠着状態を解き放つものではないからである。このいつまでも解けない膠着が紅葉の暗闘のしるしとなっている。

 漢文学者で森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』で文淵先生のモデルとなっている依田学海は『続金色夜叉』の冒頭に文を寄せているが、もっぱら江戸の読本や中国の『金瓶梅』などを引き合いにだしている。色恋に、あるいは果てしのない欲望に落とし込めるのなら、紅葉には容易なことだっただろう。しかし、この小説の本質的なテーマは、ひとつの小さな裏切りがトラウマとなり得るのか、そのトラウマは治癒しうるのかにあって、貫一と宮の硬直した身振りは、その症候として読むことができる。