『ザ・キリング』アメリカ版の第2シリーズを見終わる。一つの事件で2シーズンはさすがに長すぎる。これだけ長いと誰が犯人であっても、驚けない。最も最後に流される犠牲者のプライベート・フィルムには少しほろりとしたが。
なんと三十年以上の時間を隔てて埴谷雄高の『死霊』を読み返した。もっとも、河出書房新社版の著作集で読んだので、3章までである。未定稿まで含めると9章まであるようだから、半分も読んでいないことになるが(三十年以上前、確か5章までは一冊の本、次に6章が薄い本で出版されてそこまでは読んだような気がする)、普通に面白かった。一部で影響を与えたとされている小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』などよりはずっと読みやすい文章で、エンターテイメントとして楽しめる。運河が張り巡らされたあの陰鬱な町は、どこかに実際的なモデルとなった街があるのだろうか。続けて『不合理ゆえに吾信ず』という断章形式の本も読み返すが、こちらは一節も胸に響くところがなかった。とりあえず残りの『死霊』とその他の文章も読んでみなければ、そういえばドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』くらいは読み返しておこうと思うのも、こちらも20年以上前に読んだきりで、しかも何一つ内容を覚えていないからで、文庫本で3巻もあって、読むのにかかった時間を考えれば、多少はなにか覚えていてもいいはずだが、きれいさっぱり晴天に曇りがない如く、何一つ覚えていない。
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