稲垣足穂がラブレーのことを、「いかにも坊主上りの医者らしい、悪達者なポルノグラフィーの作者で、ほとんど卑猥文学である。」(「卑猥文学」にスカトロジーとルビが振ってある)とこき下ろしているのを読んで、ちょっと意外な感じもしたが、よく考えると至極もっともでもある。ラブレーには「君寵、師弟、腕股を裂く盟約」といった先鋭化した「優美さ」がない。足穂はあれほどA感覚やうんこのことを書きながら、排泄物そのものには関心をいだかなかった。いわばそれを上回ることが要求されるがゆえに、優美さも先鋭化されざるを得なかったのだ。よく言えばカーニヴァル的な、悪くいえば開ききった肛門などは関心の他のものでしかなかった。
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