2015年11月28日土曜日
『キッズ・リターン』と群像劇
北野武の『キッズ・リターン』(1996年)を見る。高校の仲のよい同級生の二人が、といっても、ダブっているのか、金子賢の方が先輩らしい、一方がヤクザの世界に、一報がボクシングの世界に入り、それぞれ頭角をあらわすのだが、ヤクザに入った金子賢の方は兄貴分に裏切られ、というか殺された親分(石橋凌)と兄貴分(寺島薦)との微妙な関係をよく理解しておらず、うまく立ち回るだけの悪賢さももっていなかったのだが、ボクシングで力を付けた安藤政信の方は、いかにも小悪魔的なモロ師岡演じる先輩に、アルコール、食事などを勧められ、節制できずに、試合に敗れてしまうのだが、もともとこの人物は、『3-4X10月』の柳ユーレイのように、自分の確固たる意志があるのかどうかわからないような存在なのだ。今回見直して気づいたのは、それまでの映画が破滅的なものばかりだったので、はじめて北野武が未来に開かれた映画をつくったというようなことは公開当時も言われたと思うが、『アウトレイジ』で試みたように、あるいはそれ以上にうまく群像劇に仕上がっていることだった。喫茶店の娘を思って通い続ける同級生とか、関係的には二人ほど濃くはない不良仲間たちや、『アウトレイジ』だとあり方はそれぞれだがいずれも死へ向かっていることだけは変わらないようなところがあったが、この映画では様々な未来が示されており、しかもそのどれもがなんの結果ももたらしていないという意味で、まさしく苦しくもあり、恐怖も感じれば歓喜が待ち受けているかもしれない未来というものの手触りを示している。
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