原節子が亡くなった。95歳だというから大往生だといっていいだろう。とにかく立派な顔の女優さんという印象で、嫌いではなかったが、小津安二郎の映画はあまり得意ではなく、黒澤映画の文芸ものもなあ、という感じなので、映画として大好きなものはない。「永遠の処女」などといわれているが、およそ性的なもの、母性的なものを感じたことが一切ない。「処女」というのは通常性的なものに触れる寸前の感受性の微妙な震えのようなものを感じさせるものだから、「処女」性を感じたこともまったくない。小津映画などで、子供を相手にするときに、柳田国男の「妹の力」を借りて林達夫が提示した「姉の力」を感じないではなかった。とにかく、五十年以上も鎌倉に住んでいることはわかっていながら、一切マスコミの前に姿をあらわすことがなかったのだから、よほど自らを律する力が強かったのだろう。それがあの立派な顔にあらわれていて、気軽に好きとはいえない強靱さをもっているが、嫌いではない。
先頃亡くなって、原節子よりもより多く眼にする機会があったのが加藤治子で、もちろん会ったことも直接眼にしたこともないが好きだった(なにしろ原節子は私が生まれる前に引退していたのだからしょうがない)。テレビのインタビューで(はっきりしないが、「徹子の部屋」だったか)、一人暮らしの近況を聞かれて、「一人で生きて、一人で死んでいくの」と答えていたのだが、その答え方が、女優的な自意識がまったく感じられず、事実をありのままに述べただけ、という姿勢で、ますます好きになった。ただ、残念なのは主戦場である、舞台での演技を結局見られなかったことで、テレビはともかく、映画で印象に残っているものもない。フィルモグラフィーを見ると、私の好きな映画では鈴木清順の『カポネ大いに泣く』に出演しているのだが、これまた残念なことに印象に残っていない。
0 件のコメント:
コメントを投稿