安藤鶴夫の『落語の魅力』『わたしの寄席』を読む。立川談志や川戸貞吉から目の敵のように書かれていたので、なんとなく敬遠していた。もっとも、『落梧鑑賞』はそれよりずっと前に読んでいたが、CDはおろか、テープさえ使えないような状況で、こうした労作の持つ意味が十分わかっていなかった。実を言うと、ボードレールやリラダンの翻訳で知られる齋藤磯雄と大学時代からの親しい友人だと知って、これは又聞きの評価だけで判断してすますだけの人物のはずがないと思ったのだ。
『わたしの寄席』では、小ゑんといっていた頃の談志がまっとうに評価されている。
四月の第二回に“蜘蛛かご”をやった柳家小ゑんには舌を巻いた。小さんの弟子である。小さんという学校もいいが、素質がよくって素晴らしい才能がある。本人に歳を聞いたら「いつも二十三といってんですがね」という、ほんとうは二十だそうだ。ほんとの歳をいうと馬鹿にされるから嘘をつくという。十六で小さんに弟子入りをした日に、小三治という名をくれといった。小さんの前名の、真打の名である。小さんもこれにはちょっとどぎもを抜かれたそうだが、そんなふてぶてしいところがある。
落語を江戸の風を感じさせることにある、といった晩年の談志ならば、意見がかみ合わないこともないと思うのだが。
0 件のコメント:
コメントを投稿