§55.それゆえ、形容する内容が明らかになっていないので、我々にあるのはこのあるいはあの事例についてのはっきりしない指示だけなので、我々が扱うべきなのは個物なのだと考える誤りに落ちこんでしまう。しかし、分析してみると、我々の真の主張は決して「あれ」、「いま」、「これ」に限られるものではない。それは常に我々が主張する内容ではある。しかし、我々にはその内容がなんであるか明確ではないために、それが仮定された個的なものの
なかに見いだされることを知っているために、いわば一発の弾丸の代わりに弾倉を使い、個的なものを我々の仮定が限定される実在の地点だとみなしているのである。このようにして、実在そのものが仮定的だという誤った観念を生じさせることになる。既に見たように、事実とは、ある内容が、我々が主張する形容的な条件であるか、あるいはその部分をなすことにある。しかし、その内容は分析されていないので、それを固まりで得ることのできる個的なものに赴くことになる。真の判断は個的なものの
性質にしか関わらず、形容のつながり以上のことを主張しない。あらゆる場合において、それは厳密に言うと、仮言的であると同時に普遍的なのである。
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