旧註は、漆桶もないような水漏れしたものが多い。黄蘖希運禅師が閩の国にいたり、老婆に足を洗わせた面影というものがある。そうであれば、なんで「恋せぬ砧黄蘖を待つ」とつくらなかったのか。老婆の公案をひねりだしたものもある。それではなぜこの句を「皺手の砧禅僧を打つ」などとつくらなかったのか。臨済義玄禅師からの音信がないのに、刑氏の母親が深く嘆いて砧打ちつつ待っているとするものもある。義玄禅師が刑氏のでであっても母親が必ず刑氏にいるとは限らないし、また、禅師の母が待ち焦がれたという事実はない。
臨済義玄禅師の伝は『景徳伝燈録』巻十二にでているが、砧を打って待っている女のことなどはでていない。かつ、臨済禅師というのも、臨済禅苑に趙人に請われていってからの称号で、臨済禅苑に住んでいたときにはつまり故郷に帰っていたのであるから、なんで母親が待っているということがあろうか。事実を見て、情を察することがいずれもはなはだ雑だといえる。
こうした作りごとの解を下すくらいなら、臨済を悟らせたのが高安大愚で、大愚の参徒に筠洲末山の尼に了然があったことを思いだし、了然のまだ得度していないとき、大きな疑いが胸中を往来して安らかではなく、臨済がきたら一つ問答をしようと、月下に砧を打ちつつ機鋒鋭く待ち受けている面影だと解した方が遙かに勝るだろう。
しかし、この句は臨済とはあるが義玄禅師でもなく、前句の唐輪赤枯れた老女がまだ俗を捨てなかったときのことにたとえたものではない。すべて詩歌は訴訟や雄弁のように、的確で確実な言葉を必要とはせず、名を借りて質をあらわし、虚を用いて実を示すことは常に許容されることである。西施といって美人のこととするのは名を借りて質をあらわしている。弁者といって蘇秦のこととするのは、虚を用いて実を示している。「襟に高尾が片袖を解く」とあったとしても、高尾にそうしたことがあったのではなく、高尾は名声があって位の高い美技であることをあらわしているだけである。
たとえば、「砕き砕く氷に寒き灯の光」という前句があったとすると、これを看病の夜半の光景として、「恋せぬ涙扁鵲を待つ」という句が付いたとすれば、孝行心の深い年頃の娘が、名医の早く来てくれることをそぞろに待ち焦がれているさまだと誰でも容易に解釈できるだろう。扁鵲は名を借りて質をあらわすだけのことである。
「桃花を手折る貞徳の富」という句も、真の松永貞徳と解しては、前句の鞨鼓を鳴らすことなど貞徳にはなんの関わりもなく、ただみなに宗匠と仰がれている歌俳の宗匠だというだけの仮のものである。次の「雨こゆる浅香の田螺ほりうゑて」という句も、貞徳が田螺を取り寄せたことなど実際にはないことなので、どうして通じることになろう。この句も、臨済とあったからといってすぐに義玄禅師のこととするのは、詩歌というものを理解しない分からず屋であり、ここでは単に臨済のような師家ということで、「瞋拳毒喝、大機大用」のよい禅師ということである。前句の「月に立てる」というところをよく味わって、その風情を味わうべきである。
唐輪の髪の赤枯れた老女の態度は、商売の得を考えているのでもなく、また、子供のこと、夫のことを思っているようでもなく、昂然と風に向かって立っている。そのように月に立っているところを、鄙俗でない女性と見て、生死の一大事を心にかけ、しかも念仏唱題の手軽さに甘んじず、禅に入門して道を得ようとする老女と見て、つまり、恋せぬ砧をいまは打ちやめて、臨済老漢のような禅師がくるはずだと夕べの月に立っているところを付けたものである。
砧を打つのは布を布施しようとする老女の志であるが、自分の夫に衣をつくろうと砧を打つ女性のように、恋するようなところも連想され、それゆえに、「恋せぬ砧」と面白く親切に句づくりした芭蕉の詩心と技術とが効いている。子を待つ砧なので恋せぬとつくったなどというのは、黒砂糖の他は甘いものがあることを知らぬ男が、堅田の祐庵が心を込めた料理を鵜呑みにしたようなものである。語るに足りない僭越な見当外れである。
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