2017年11月2日木曜日

オルダス・ハックリレー「(ゴドウィンとベイリー)」

1920年に書かれた。

 九十年前の古いAthenaeumsを読むことは、悪書が良書より遙かに多いというのが我々の時代だけではなかったことを発見させてくれる。ただ一点だけ、1830年の書評子は1920年の書評子よりも有利である。書評すべき本が少ないのだ。悪書と良書の割合は同じであると想像できる。九十年前の書評子は数百のなかで考えねばならなかったが、我々は数千を視野に入れ、数十を選び出すのだ。しかし今日と比較すれば小さく収まりはするが、1830年の文学雑誌は長々しいナンセンスもあった。Athenaeumの古い号を見ていると、悪書が憂鬱なほどあり、惨憺たる質を備えていることに驚かされる。

 それゆえ、1830年の春にでた『ケレイブ・ウィリアムズ』の著者であるウィリアム・ゴドウィンの『クラウデスリー』に出くわしたときにはうれしく、スリルも感じた。Athenaeumは穏やかな熱狂でこの本に接していた。ゴドウィンは原則的また理論的に賛辞され尊敬されていた。彼は偉人のようなものだった。歴史的な人物で、気高い過去と『政治的正義』があり、幾分喜劇的な円熟した数年があったが、少なくともすばらしく純粋な英国のスタイルで文章を書くことができた。

        著名な作家であるゴドウィンが新しい小説をだすという知らせは[と書評子はいっている]、読書世界では冷淡に迎え入れられた。我々にとっては、それは大きな喜びをもった期待をもたらし、『聖レオン』や『ケレイブ・ウィリアムズ』をつくりあげた思考とスタイルの厳正さを期待したが、いまでは堕落してしまったばかげた偶像崇拝を幾分は取り戻し、厚かましさしかなく、宮廷案内しかもっていない紳士が、流行と政治小説の偉大な生や気のきいた会話を群衆に教えようとしているととられるかもしれない。我々はゴドウィン氏の本を最初に開いたときの息もつかぬような関心を思いだす。か弱い、また魅力を感じさせない登場人物のパトス、抗することができない必然性と戦う気の毒な男、無実であるが罪の苦痛を感じ,壮大なる構想を燃え立つような雄弁で説いた男がアイスキュロス風に描かれている。

 原則的にゴドウィンは讃仰され、その小説は強い「期待の楽しみ」だった。しかし、『クラウスデリー』を読んだ書評子は、正直だったので、ひどい小説だと認めねばならなかった。私は『クラウスデリー』を読んだことがない。無限に長生きする秘密が数年のうちに発見されればともかく、自分の短い存在をなんの利益もないことに費やすつもりがなかったからである。『聖レオン』は1830年の書評子をたいそう喜ばせているが、私が読んでみようとした本の一冊で、その試みは惨めにも失敗した。しかし、『ケレイブ・ウィリアムズ』は私も読んだことがあって、1830年の書評子が伝えているすべては当てはまらないだろうが、楽しく読んだ。登場人物が描けないこと、人間世界の混沌を把握する想像力もなければ、入ることもできない――それらの欠点がゴドウィンをよい小説家にすることを不可能にしている。しかし、ある程度この欠点は政治的確信によって隠されている。『ケレイブ・ウィリアムズ』はある階級の専制君主の悪が別の階級を描いた劇化されたエッセイである。「ザウンズ、どれだけだまされてきたことか!」と正直なトーマスは叫び、彼がケレイブ・ウィリアムズを見たときには、田舎の囲いの野生動物のように、鎖でつながれていた。「英国人となることはすばらしいことだと彼らは語り、自由や財産にについて語った。すべてがペテンだ」

 ゴドウィンが社会生活は「ペテン」だと信じ、「あるがままの事実」(本の副題でもある)を示そうと熱意を燃やすことが彼を成功に導いた。この知的な火の暖かさがこの本をいまだ読みうるものとしている。

 1830年、『クラウズレリー』があらわれたとき、ゴドウィンは完全な死火山だった。四十年前、彼は予言者であり、高貴な精霊に霊感を得た声だった。いまでは無害で陽気な老紳士に過ぎない。憂鬱で不条理なのは、かつて有名だった人間の灰がパンテオンに運ばれ、当然のように埋められ、忘れ去られることだ。ゴドウィンの場合はより顕著な例で、その初期の名声によって後の世代までも生き残った。フィリプ・ジェイムズ・ベイリーは『フェストゥス』を1839年に出版したとき二十三歳だった、彼は1902年に死んだ。

 ベイリーは数多くの偉大さをもっていたが、外観も同様だった。1848年に彼の胸像が披露されたが、シェイクスピア風の眉と、高く険しい、大きくなにかに熱中しているかのような眼に、頑固で硬く引き締まった口、それに多量の可憐な髪の毛があった。(ところで、現在なにか欠けていると思われるのは、偉人が、現代の人物ならとうぜんのことだが髪飾りをしていないためである。髭や頬髭にライオンのような鬣があって、偉大なヴィクトリア人は見間違えようもないが、今日では偉人を見分けることは不可能である。) 偉大な容貌ばかりではなく、ベイリーは偉大な外観を備えており、英雄的エネルギーにおいても偉大だった。彼は恒星間に住いし、天使や悪魔と親しんでいた。彼は高邁な見地から人間と運命を見て、教育的となることを恐れなかった。([真の哲学があるところ/それを教えるのは喜ばしい」と彼は率直な喜びを持っていっている。)そして彼は長さも恐れない。しかし、彼の想像力にはまったく正しくないところがある。詩に変えるとき、彼の巨大な観念とエネルギーは色をごてごてと塗りつけた織物になる。最良でも、この織物は非常によい織物にとどまる。けばけばしい比喩と華麗な文章は楽しく読める。あらゆるところに「液化した平野に/沸きたつ炎に沈みかつ浮び/山のような巨大な火の気泡が放浪する。」

 容易にこのたぐいのものが数多く見てとれる。より優しく、より叙情的な瞬間においては、ムーアが手を込んで洗練させたよりも甘美な流麗さを示すことができた。ここに彼の歌のひとつがある。

        愛する人よ、私はあなたを朝方の夢に見た
        詩人は明けの夢が近づいた
        私は目覚めて、それらをあざ笑った。
        あなたの目の瞬きによってそれは黒くなった
       
        愛する人よ、昼間にあなたの夢をみた
        あなたの魅力によって眠る私に涙が流れた
        夢が消え失せたとき私は起きた
        私の涙は腕を濡らしていた

こうした詩行なら、片手間でもできよう。

  『フェストゥス』は1839年に公にされた。(Athenaeumは一般的に称讃の声が上がるなか、唯一不調和ともいえる声を上げている。「発想は『ファウスト』の窃盗であり、詩に対する不敬の念に満ちており、詩とはほとんどいえない。」)それはベイリーがもともと書いた作品を見ているのかもしれない。というのも、長い余暇のある生活のなかで、以前に引用したような百ものミルトン風の詩をつくりあげ、1889年の五十周年の記念版では『フェストゥス』は四万行の作品になっているからだ。それ以後、ベイリーがその別れのなかで人間性を強く懇願したのも無駄になった。

        世界よ、これを読んでくれ、書いた者はあなたのために死ぬ
        しかし生命は葉のなかにあり、霊感を授けられる
        夜も昼も、思考は助けられず、望まれない
        心臓を流れる血のように、研究の過程で
        魂の棚を通りぬけ、いる場所は
        ひどく高くなった

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