2017年11月27日月曜日

ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』(抜き書き)



マクルーハンとかボードリヤールは、一時期盛んに読まれたが、すっかり忘れ去られてしまったかのようだ。

1.原子力発電所がつくりだす危険。原発が破壊され、「美しい日本」にはふさわしくない醜い姿をさらし、コントロールなどされていないにもかかわらず、政府が手放そうとせず、あまつさえ輸出までしているのは、それが支配と権力の原型だからである。

 原子力発電所がつくり出す本当の危険は、安全性の欠如とか公害とか爆発な
どではなく、それをとりまいて放射状に拡がる最大限の安全保障のシステム
だ。徐々にあらゆる領域に拡がりゆく管理と抑止の斜面、技術的、生態的、経
済的、地政学的斜面なのだ。原子力が問題なのでは決してない。原子力発電所
が絶対的な安全のモデルを入念につくり上げる原型であり、それが社会のあら
ゆる分野に蔓延しようとしている。それこそがまさしく抑止のモデルだ。

2.獣、無意識と領土。ニーチェやドゥルーズなどとは異なり、ボードリヤールはメタモルフォーズを信じていない、「認識」の人に思えるのはこうした部分である。

 獣には無意識がない、というのは、それらには領土があるからだ。人間に無
意識が生まれたのは領土を失ってからのことだ。領土とメタモルフォーズは同
時に人間から取り去られたーー無意識とは個人的な喪の構造だ。そこではたえ
ず、絶望的に、この領土とメタモルフォーズの喪失が再度上演されるーー獣と
は、こんな失われたもののノスタルジーといえよう。


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