2017年11月17日金曜日

気味の悪い指南所――古今亭志ん生『あくび指南』



 志ん生の息子である先代の金原亭馬生には『あくび指南』の二つの録音のヴァージョンが残っている。一方は他方のほぼ二倍の長さである(十五分と二十七分)。

 ひとつにはマクラが長くなっている。まず名人と言われた圓喬の講座姿が語られる。また、江戸には妙な商売があってという流れで、噺家の多くが取り入れている釣り指南(座敷で糸の引き具合によってなにが釣れたかを教える)の前に、耳かき屋、猫の蚤取り屋が加えられている。耳かき屋には上、中、下があってそれぞれ金、竹、釘の耳かきが使われる。猫の蚤取り屋は狼の毛皮でしばらく猫を覆っていると、狼の毛皮の方が上等であるために、蚤がそちらに移るらしいのだ。

 マクラ以外にも本編でも珍しい付けたしがされている。『あくび指南』は友人を連れてあくび指南所を訪れた男がなかなか教え通りにうまくできず、見ていた連れが「くだらねえものを稽古しやがって、待っている俺の身にもなってみろ、退屈で退屈でならねえや」と大あくび、「お連れさんはご器用だ」と終わる。

 馬生の長いヴァージョンには男が最初に習う朝湯での湯屋のあくびが付け加わっている。湯船に浸かっているときのあくびで、うなり、都々逸、あくび、念仏と続くというのだが、まったくうまくいかず、指南役も早々に諦めてもっと簡単な涼み舟のあくびに替えるのである。涼み舟のあくびは四季のあくびのうちで最も簡単な夏のあくびに当るという。

 柳家小さんは四季のあくびのそれぞれを紹介している。春のあくびは、一人旅の田舎の田圃道、花は咲き乱れ、山は霞がかかって雲のなかでは雲雀がさえずり、陽炎も立ちのぼっているなかでのあくびである。秋のあくびは秋の夜長人を待っているがなかなか来ない、お銚子の燗もぬるくなってしまったときに出るあくび。冬のあくびはこたつに入って草双紙を読むのにも眼が疲れてしまったところにこたつから猫が出てきて、のびとともにあくびをするのを見てこちらもうつってしてしまうあくびである。そして、夏のあくびは一日がかりの舟遊びにも飽きて退屈してするあくびということになる。

 この話のおかしみは、誰でも自然にしているあくびをわざわざ教わることの滑稽さにあることは確かである。だが、なかば不随意であるあくびまでをも生活の様式化のなかに組み込もうとしているのだとみると、三百年の江戸文明の安逸も侮りがたいこととなろう。四季のあくびのなかでもっともやさしい夏のあくびはあたかも芝居の一情景のようであり、指南もまた芝居の型を伝えるように進む。それゆえ、ある程度以上の文明を感じさせるが、他のあくびはより日常生活に喰いこんだ、より不随意なあくびであり、そうした日常の場面まで様式化されるということは文明の爛熟と言っていいのかデカダンスと言っていいのかわからないが、のど元に合口を突きつけられたようなひやりとした感触を味わうこととなる。

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