この映画は監督こそアメリカ人のスタンリー・ドーネンであり、制作国はアメリカだが、イギリスが舞台であり、脚本、撮影、更に劇中の歌詞にはイギリスを代表する劇作家であるノエル・カワードが参加しており、出演者にしても、デボラ・カー、ジーン・シモンズ、そして実は私自身うかつなことにまったく気づいていなかったのだが、アメリカ人俳優の代表者とばかり思い込んでいたケーリー・グラントは、イギリス出身であり、14歳のときに劇団に加わり渡米するまで、イギリスで生活していたので、ほぼイギリス人によってしめられている。もう一人の主要人物であるロバート・ミッチャムはアメリカ人であるが、劇中でもアメリカ人として登場する。『芝生は緑』とは隣の芝は青い、他人のものはよく見える、ことを示している。
ケーリー・グラントとデボラ・カーはイギリス貴族の夫婦である。貴族とはいっても、優雅な生活を送ることからはほど遠く、自宅の一部を観光客に開放し、妻はマッシュルームを栽培している。いつものように観光客を乗せたバスを迎えるとそのなかにロバート・ミッチャムが加わっている。彼はアメリカの石油王であり、一目見てデボラ・カーを好きになったようで、彼女もまた、あながちそれを拒もうとはしない。ジーン・シモンズは二人の関係をそそのかすわけでも、止めるわけでもない、関心と無関心が入り交じった小悪魔的友人として登場する。夫は鈍感なのか脳天気なのか二人の恋愛に気づいたそぶりもみせない。やがて二人は週末の数日をともに過ごすことになる。しかし、ロバート・ミッチャムが見事に喝破したように、彼は私が君に恋していることを知っているし、私がそのことを知っていることも知っているのだ。しかるに、夫は表立ってなにをするわけでもない。あまつさえ、石油王と妻がしばらく旅行に行くことを提案する。かといって、すでに愛情が冷め切っているわけでもない。やがていつかこのことを思い出したときに、あのとき家を出ていたなら、と後悔することを恐れてのことなのである。つまり、嫉妬のこの上なく婉曲な表現なのだ。
この映画はスクリューボール・コメディーに対する数十年を隔てたイギリス的な回答だといえる。あるカップルがなんらかの出来事をきっかけに愛情を再確認するという同じ構造をもっている。スクリューボール・コメディーの登場人物は狂っているとしか思えない行動をとるが、そうしたコメディーに多く出演しているケーリー・グラントはここでは表情を崩すことなくいかれた決断をする。スクリューボール・コメディーの女優たちは、キャロル・ロンバートにしろ、クローデット・コルベールにしろ、キャサリン・ヘプバーンにしろ、どこか中性的な、男の子のような魅力をもっているが、デボラ・カーは、実をいうと『黒水仙』で見たことをおぼえているだけなのだが、石油王と数日を過ごした二人が、その実どこまで関係を進めているのか一切触れられないことによってエロティックな存在感を持ち、『黒水仙』の尼僧姿のドレープの襞が、淫蕩さをたたえてこの映画に結びついているようにも思える。
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