2017年11月22日水曜日

猪野謙二『明治文学史 上』(抜き書き)



1.紅葉、露伴と西鶴。紅葉と露伴は、西鶴の影響を受けて文学的出発をなしたと言われる。文学史では必ず言及され、古典文学全集などのたぐいには必ず収録されるいまから考えると不思議なことだが、西鶴は明治十八年頃には、ほとんど忘れられた存在だった。もっとも露伴は、明治二十三年に書かれた「井原西鶴」という短い文章のなかで、先頃初めて会った坪内逍遙が自分のことを西鶴崇拝者と見なしていることにちょっとカチンときたらしく、明治の聖代に生まれて誰が枯れ果てた骨の余香に生命を託するものか、真の血と涙を筆からしたたらせて書くものにとって西鶴などは「馬前の一塵」に過ぎないと、見得を切っている。

 紅葉、露伴がはじめて西鶴を読みはじめたのは、これよりさき、当時文壇の
隠れたる一奇人淡島寒月が早くから蒐集していたその原本によってであった。
明治になってからのその複刻としてはかれらの雑誌「文庫」(二二年)に載っ
た「好色一代女」「好色五人女」の一部がもっとも早いが、勝本清一郎は紅葉
自身の「書留帳」などにもとづいて、かれがはじめて西鶴本に接したのはすで
に早く明治一八年頃からであったと推定している。

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