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2017年11月13日月曜日

オルダス・ハックリレー「芸術における誠実」



『ヴァニティ・フェアー』の1926年6月号に発表された。

 文学の商業的な側面について論じた本を最近出版した、文学のエージェントであるマイケル・ジョセフは、ベストセラーについて論じている。石鹸や朝食やフォードの車のように売ることを目的とした本の性質はどのようなものだろうか。それが問いであり、答えは分かりきっているように思える。その貴重な処方を手にし、最も近い文房具の店に行き、六ペンスで紙を大量に買い、魔術的な殴り書きで埋めると、それを再び六千ポンドで売るのである。紙ほど豊かに修正される原材料はない。時計のバネに変わる一ポンドの鉄はもとの価値の数百、あるいは数千倍の価値がある。しかし、大衆文学に変わる一ポンドの紙は、文字通り数百万の利益で売られるかもしれない。紙が大衆文学に変わる過程の秘密を知ってさえしたら。しかし、我々は知らない。ジョセフ氏でさえ無知である。さもなければ、本を売るといういまの職業よりずっと利益が上がる職業に就き、ベストセラーを書くであろうことは明らかである。

 ジョセフ氏が言うことができるのは次のことだけである。ベストセラーは誠実でなければならない。この情報はまったく正しい——実際、明白なまで真であるので、特別に有益ではない。成功しようとすれば、あらゆる文学、あらゆる芸術は、ベストセラーであろうがそれ以下のものであれ、誠実でなければならない。故意の模倣は、チャールズ・ガーヴィスを模するにせよシェリーを模するにせよ、相当期間の間相当数の人間を得ることは決してできない。ひとは自分自身以外の何ものかになることに成功することはあり得ない。それは明らかである。ベストセラーの精神をもっている人間だけがベストセラーを書くことができる。そして、シェリーのような精神をもっているものだけが『解放されたプロメテウス』を書くことができる。繊細な贋作者は同時代を動かすことは殆どないし、後代を動かすことはまったくない。

 しかしながら、文学史の年代記には、数少ないが意図的な贋作者が存在する。たとえば、エリザベス朝のグリーンは、ユーフィスを模倣し、マーロウの詩的なスタイルを捏造し、リリーの小説やマーロウの劇のように一般の称讃をもって受け入れられることを望んだ。彼自身のスタイルは、それを書いたときには、愉快で魅力的なものである。借り着の方は明らかに体型に合っておらず、誰にも印象づけることはできなかった。

 贋作と捏造で相当な名声を得たもうひとりのより最近の文学者には、フランス人のカチュル・メンデスがいた。彼のひどく器用な亜流の作品を読むと、それらは多くの人間がすることを取り入れているのに驚く。彼の金は明らかにまがい物であり、宝石は明らかに真の宝玉の舞台用の複製である。こうした人間に興味を持つことは難しい。それらの作品は芸術とはほとんど、あるいはまったく関わりがなく、その非神秘的な人格は心理学的になんの好奇心や繊細な問題をもたらさない。それらはシエナ画の素朴さやチッペンデール風の椅子を利益のために贋作するものの文学版である。それですべてである。心理学者の注意をひくに値する唯一の非誠実な芸術は、故意に不誠実なのではなく、知らず知らずのうちに誠実な芸術家であろうとしているにもかかわらずそうなってしまう場合である。

 日常生活のことでは、誠実さは意志の問題である。我々は誠実か非誠実か選択できる。それゆえ、著者が誠実であることを望み、努力するにもかかわらず非誠実になる芸術作品のことを語るのは逆説のように思われる。もし誠実であることを望むなら、そうできると論じられる。善良な意志の欠如以外にそれを妨げるものは何もない。しかしそれは真ではない。芸術における誠実さは単に誠実であろうと望む以外の別のことに依存している。

 生活においては誠実さの完全な模範であるという事実にもかかわらず、その作品は非誠実である芸術家たちの例をあげることは容易だろう。たとえば、キーツとシェリーの友人であり、かつてなされた上で最も大きく、もっとも偽りに満ちた宗教画を描いた画家のベンジャミン・ロバート・ヘイドンの事例がある。彼の『自伝』——この種のものでは最良の本であるが、愚かな出版社は五十年ものあいだ絶版にしている——には、人間の生における誠実さ、自然発生的な熱情、真に高貴な理想論、数知れない愛すべきところがないではない失敗が存在している。しかし、彼の絵——彼が生涯をかけて情熱と努力を捧げた絵——をみたまえ。それらを——つまり、見られるものが見つけられたなら——見てみたまえ。というのも、それはほとんど画廊の壁にではなく、倉庫のなかにあるからだ。それらは舞台での輝き、情熱の冷たい因習、感情の修辞的なパロディに満ちている。それらは「非誠実」——この言葉が唇に昇るのは避けがたい——である。

 同じ人柄と作品との劇的な対照は、ベルギーの画家ウィーツにも見いだされ、そのブリュッセルにあるスタジオは市の画廊よりも訪問者が多い——しかし、画家の絵が芸術作品であるからではなく、サイズの巨大さとメロドラマ的な恐怖が彼らを引きつけている。ミケランジェロ的な夢はある種の絵画によるバーナム・サーカス団として生き残っており、彼の美術館はお化け屋敷の人気をもっている。

 アルフィエーリもまた、非誠実で舞台めいた芸術を生みだしながら、人柄においては誠実で大まじめな人間だった。彼の『自伝』と生気がなく、こわばった因習的な悲劇とが同じ人物の手になったと信じることは難しい。

 真実のところ、芸術における誠実は意志や、正直と不正直との選択の問題ではない。主として才能の問題である。魂を傾けて誠実で、真正な本を書くことを望んでいるが、そうした才能を欠いていることもあり得る。誠実な意図にもかかわらず、非現実的で、間違っており、因習的な本であることもある。感情は劇場でのように表現され、悲劇はもったいぶったまがい物であり、劇的であることを意図されたものはあからさまなメロドラマになる。それを読むことで、批評家はぞっとし、嫌悪を催す。彼はその本を「非誠実」だと評する。書いたときの意図の純粋性を意識している著者は、彼の名誉と道徳的価値についての感覚を傷つけられるかのような形容に怒るが、現実には、知的な能力に烙印を押しているだけなのである。というのも、芸術に関しては「誠実である」とは「心理学的な理解と表現に天与の才をもっている」ことと同じ意味だからである。

 あらゆる人間は同じ感情を非常に良く感じる。しかし、正確に何を感じているかを知り、他人の感情を言いあてることのできる者はほとんどいない。心理学的洞察は、数学や音楽を理解する能力と同じように、特殊な能力である。そして、そうした能力を持つ数百人のうち二、三人だけが自分の知識を芸術的な形に表現できる才能を持って生まれた。明らかな例を取ってみよう。多くの人間が、おそらくはほとんどの者が、一度や二度は激しい恋愛に陥ったことがあろう。しかし、それらの感情をどう分析すればいいかを知るものはほとんどいないし、それを表現できるものは更に少ない。離婚やロマンチックな自殺の調査の法廷で大声で読み上げられるラブレターはどれほど真剣に「わき起こった」ものであろうと、大多数の人間が経験するものであろうと、いかにも感傷的で文学的な芸術というにはそぐわない。おおげさで、因習的で、ありきたりの表現に満ちており、すり切れた無意味な修辞が多く、実生活の標準的なラブレターは、本で読んだとしたら、最終的には「非誠実」なものだと攻められることになろう。死の直前に書かれた自殺者の本当の手紙を読んだことがあるが、書評家として私はそれらの明白な「非誠実」をさらしものにすることになった。だが、結局のところ、自殺にまで追い込んだ感情の誠実さよりも高い誠実さの証拠を要求することは困難であるだろう。才能ある自殺者の書いた手紙だけが芸術的に「誠実」である。彼らが感じていることを表現できない残りの者たちは、二流の小説の陳腐で「非誠実」なレトリックに戻るしかない。

 ラブレターについても同じである。我々はキーツのラブレターを情熱的な関心をもって読む。それらはもっとも新鮮でもっとも力強い言葉によって、苦悶のあらゆる詳細を意識しながら、魂の苦しみを描きだしている。その「誠実さ」(著者の才能の果実である)はラブレターをキーツの詩と同じくらい興味深く、芸術的に重要なものとしている。詩よりも重要であるとさえ私はときどき思う。同じ時期の若い薬剤師が書いたラブレターだったらと想像してみよう。キーツとファニー・ブラウンにあったのと同じように、彼は希望のない恋愛に落ちていたかもしれない。しかし、彼の手紙は価値がなく、興味を湧かすこともなく、苦痛なまでに「非誠実」であろう。我々は僅かばかり優れた対応物として、その時期の長く忘れられているセンチメンタルな小説を見いだすことだろう。

 それゆえ、我々は芸術作品を「非誠実」と形容することに十分慎重であるべきだ。言葉の真の、倫理的な意味における非誠実な作品は——グリーンのものやカトゥルス・メンデスのもののように——故意の贋作や意識的な模倣作だけである。我々が「非誠実」と名づける作品のほとんどは、現実には能力がないだけであって、(芸術家として)心理学的な理解と表現に欠くべからざる才能に欠いた精神の産物なのである。

2017年11月10日金曜日

オルダス・ハックリレー「現代精神と家族パーティー」



雑誌『ヴァニティ・フェアー』の1922年8月号に発表された。

 「文学だけにアカデミックな伝統が生き残っている。絵画、彫刻、音楽などのアカデミズムについてまじめに語ろうとなど誰も思わない。」この発言の書き手であるオズバート・シットウェル氏は、学術的なことなどまじめに受け取ろうとはしないもののひとりである。彼は「ロンドン・マーキュリー」などいたるところに巣をつくり歌っている鳥たちに石を投げつける。鳥たちがさえずっているあいだ、不作法に大きな雑音を立てる。

 シットウェル氏の鳥たちを怖がらせる直近の功績は、『誰がコック・ロビンを殺したか』という小冊子のなかに記録されておりーーそのパンフレットでは、学会と自然育ちの詩人たちが愉快に、生き生きと扱われている。たとえば、ワーズワースがかつて自然についていくつかの美しい詩を書いたがために、そこから派生した膨大な量のものわびしい自然詩についての一節を読んでみるがいい。「ロンドン・マーキュリー」の「ヨタカが楽しげな音を紡いでいる」という一節を導きとして、彼は続ける。

詩は象やコンゴウインコに属するものでもなければ、ヒバリの独占物でも、ヨタカの賛美でもない。なぜならよい詩とはヒバリや緑の木を現実化する詩人が感じる情動から生じるものであるから、他の詩人がヒバリや緑の木について絶え間なくしゃぺったところでよい詩を書けるものではないからだ。ヒバリは長居を歓び移住する。ある日再び戻ってくるかもしれない。多くの若い詩人たちは被いのなかに鳥を囲っている。一羽のツバメは詩をつくりはしない。

 これは見事に書かれている。『誰がコック・ロビンを殺したか』は長いあいだあらわれたなかでもっとも聡明な反アカデミズムのプロパガンダである。プロパガンダは重要で、シットウェル家はーーというのも、オズバート・シットウェルには兄弟姉妹がいるからだがーープロパガンディストとして特殊な意味合いをもっている。しかし、プロパガンダは単に理論的な教義で、木は果実によって知られ、芸術家は作品によって信条を得る。シットウェル家は反アカデミズムを宣教し、「マーキュリー」の書きぶりに、反対陣営の「ウィールズ」から強硬な抗議を行っている。彼らの詩はプロパガンダ的価値とはまったく離れた本来的な意味を持っている。いくつかの特殊な細部を検証する価値はある。というのも、多くの点で、それは現代精神のまさに典型だといえるからだ。しかし、これ以上進む前に、我々は自問しなければならない。現代的精神とは何か。

 我々は社会的、道徳的に難破した世界に今日生きている。その間に、戦争と新しい心理学が、過去において我々を助けてくれた制度、伝統、信条、精神的価値を打ち壊してしまった。芸術の領域では、ダダイスムが価値の完全な崩壊をあらわしている。ダダはすべてを否定する。他のすべてがーー魂、道徳、愛国心、宗教ーー打ち倒されても我々が最後まで情熱をもって守り続けようとした最後の偶像である芸術でさえも、ダダによって攻撃され打ち壊された。

 ダダは最初にあらわれたときには気分を浮き立たせる光景だった。ミュージック・ホールのコメディアンが瀬戸物をたたき壊すのを楽しむように、人はそれを楽しんだ。我々すべての心の底にある破壊への子供じみた愛情を喜ばせた。しかし、しばらくすると、この瀬戸物壊しも少々退屈になってきた。壊した破片を取り上げ、何か新しいものをつくるときがきた。ただひとつの問題は、何を?ということだった。その疑問はまだ我々に覆い被さっている。新たな芸術的総合は何になるべきなのか。決定的な答えを得られるにはまだ早すぎる。しかし、推測することはできる。シットウェルやイギリスの少数の者たちの作品、コクトー、モラン、アラゴン、マッコルランやその他フランスの作家たちがそれを推測することを助けてくれる。芸術的な全体のなかで再び集められ、戦後の世界でばらばらにされた価値からの新たな総合、芸術的統一における崩壊を反映するであろう総合はきっと喜劇的な総合となるであろう。ここ数年の社会的悲劇はあまりにも先に進みすぎ、その本性や起源は、悲劇的にあらわすにはあまりにも深く愚かである。同じことは古い伝統や価値が崩壊した心的悲劇における等しく複雑で、混乱した状況についても等しく真である。唯一可能な総合はラブレーやアリストファネスの法外な笑劇的道化ぶりでありーーこの道化ぶりは、重要なことだが、悲劇と同じように美しく、壮大であり得る。というのも、すでに言及した二人や、チョーサー、フォルスタッフのシュエイクスピア、バルザックの『風流滑稽譚』、ゴヤやドーミエなどの偉大な喜劇はほとんど奇跡的に、厖大で野卑なグロテスクと繊細で想像力に富んだ美とが結びついている。同時代人は、新たなラブレーがすべての断片をかき合わせて厖大な喜劇的全体をつくりだすものと見ていた。そのときは、未来の達成の結果である本性をすでに予示しているような先行者を見ていた。

 この数世代を経た逸脱のもと、シットウェル兄弟という個別な例を検証してみよう。三人のなかで最良で最も完成された作家はエディス・シットウェル嬢であることは確かである。彼女は風変わりで不穏な完成を自身の個人的なスタイルとして進化させ、もたらした。彼女のガラスのようなきらめきと思考と情感を機知をもって美しくグロテスクに表現するあり方を誰かと比較することは考えられないだろう。有効範囲こそ小さいがーーというのも、シットウェル嬢は普遍性を射程に収めようとしていないマイナーな詩人であるからーー彼女は我々が述べた喜劇的総合を完成させた。たとえば、最近出版された『ファサード』にある驚くべきナンセンスな詩を読んでみよう。

巨大な獣が眠っている
灰色の厚い毛皮に覆われて、
耳には
不鮮明な会話が聞こえるばかり。
隠れるよりあらわあれるのが
喇叭のような水
ドン・パスキートの花嫁と
若い娘が
象ほどの灰色の
葉叢を見た
こんな熱く乾ききった日に
何を悲しむことがあろう
過酷で敵意があっても
眠たげに熟考し
いびきをかくのが
動物の世界ではないか。
兵士のように赤く
棘のある花は
なぜドン・モスキートを
かたどったように見えるのか。

ルコン・ド・リールのすべてがこのナンセンスな熱帯林にはあり、ワーズワース流の哲学が最後の四行にはたたみ込まれている。「兵士のように赤く棘のある花はなぜドン・モスキートをかたどったように見えるのか」これは次の詩句の二十世紀版である。

自然のもたらす教えは甘美で
ひねくりまわす我々の知性は
ものごとの美しい形を損なってしまう
我々は切り離すことで殺してしまう。

シットウェル嬢によって『ファサード』に書かれた詩編は、音楽の伴奏を伴ってメガフォンを通じて朗唱するためのものだった。図書館の静けさのなかで吟味することを意図された他の作品よりも結果的に洗練の度が少なく、文学的な輝きにおいても劣っている。たとえば、「ミシンとともにいる女性」を読んでみよう。

グリニッチの時間のように密接に植えられた
ほうれん草のように緑の野原を横切ったところに
小高い家が建っている。あたかも
若さの途方もなさで
細密にパターン化された
ペイズリーのショールのような春がくる。
どの部屋でも黄色い太陽が
カナリアのように飛びまわり
ルラードと水のようなトリルーー
黄色く、意味がなく、甲高い。
どんな時計とも同じくらい白い顔をして
縮れたパセリのなかで、
日がな一日座ってみている
隠された醜さのなかで
育っていく恐れの生の一針
推測される恐れの生の一針
動悸を打った濁った声が
細い一針で
私の心をかたく上手に
縫いつけてくれることを望んでいる。
そんなことをするものではない、
地上や空や海から眼を背け
心地よく暖かく眠れる
キルトに向かうのは自由であるが。

 シットウェル嬢のこの作品にはまだ現代の総合されざる崩壊状態がある。感覚の記録でしかないような詩もあり、着色された光と落ちつかなさの混合のような詩もある。しかし、他にも、相当数の詩が、知的、あるいは情動的融合の過程によって、砕かれた細片がパターンをなす全体に仕上げられているーー風変わりで、グロテスク、そして美しい全体を。

 サッシュベル・シットウェル氏は、潜在的には、姉よりも重要な詩人である。しかし、彼の達成はその構想にまだ遅れをとっている。彼はラブレー的な次元での桁外れな喜劇的総合に劣らぬものを目指している。少なくとも、最近出版された『ダン博士とガルガンチュア』と『死にゆく剣闘士のための美徳の行進』から推測されるのはそうである。語りと思考とのある種の散漫さは詩が完全に「完成される」ことを妨げている。彼の最も成功した成果は、マイナーな詩にある。私は彼の美しい「泉」を引用せざるを得ない。

夜は磨き抜かれた銀のように純粋かつ明晰である。
沈黙と死のケープが岡の剥きだしの肩のあたりに
重く立ちこめている。
かすかな動悸と囁きが
ある瞬間つぶやきとなり、沈澱し、
神秘と恐慌で夜を満たす。
甘いつぶやきが泉を論じ
フルートと優しい声で空気を掻き乱す。
泉をかたどった仮面が苦しみ嘆くーー
微笑みで歪んだ貧弱な口が
なかば忘れかけた歌を捉え、
永遠に笑い続けることの苦悶を忘れようとするーー
彼らの下の地の深みに反響する
秘密を聞いているあいだも笑っている。
このなかば忘れられた歌
悲しみに遮られた笑いが
引きつった仮面から湧きでる
若々しい水の噴出と衝突する
これが水の誕生である
楽しげに歌い
地上に湧きでては
止むことなく曲がりくねる
海へと続く谷には
ドラムロールのように
貝殻や小石が河床にちりばめられている。
水の際限のない議論は
数滴が重たく、大理石のうえで砕け散ることで終わる。
宝物をもったスルタンは
彼女の真珠の頸飾りの前で、
好意を得ようとするが
おびただしい嫉妬の涙を流すばかり
彼女は彼のいうことなど聞いていなかったから。

 この詩やその他数編の短い詩は、サッシュベル・シットウェル氏が生みだした最も完成された芸術作品である。しかし、後の長い詩は、芸術作品として完成はされなくとも、その大半が哲学的、喜劇的総合をその企図や構想においてより重要なものとしている。シットウェル氏がその構想を完全に実現化したとき、真に重要ななにかが達成されるだろう。

 オズバート・シットウェル氏は、反アカデミズムの主要なプロパガンディストで、応用詩とでも言えるものにおいて最良でありーー諷刺、折々の小片、ウィットや痛罵である。諷刺がイギリスにおいて実践されてから長いときがたつが、『キンフット婦人』や政治的小片の著者は、それがまだ失われていないことを示している。見事な「羊の歌」から数行を引用しよう。

我々はこの世界で最も偉大な羊である。
我々のような羊は存在しない。
我々は帝国に祝福されている。
我々の声は
音楽でふるえ
海の向こうの子羊に呼びかける。
我々とともに大陸に襲いかかることを。
我々は牧夫など気にかけない
「逃げだすな」
と彼らは警告するが
我々はそうせざるを得ない。
我々が牧夫を信頼することはもう決してないだろう。
そのとき黒い子羊が問う
「なぜ我々はガダラ人の子孫として振る舞わないのか」と。
怒った一群が声を上げる
「我々は手を汚さずここに来た
無心でここをでていくだろう・・・
我々は逃げだすが逃げだすことで終わりではない。
決して生まれてきそうもない子羊のために戦っているのだ」

2017年11月7日火曜日

オルダス・ハックリレー「(アルフィエーリ)」



1920年に書かれた。

 ルイス・キャロルの詩の少年のように、「ぼくは詩を書きたい、ぼくは韻を踏んでみたい」というのは可能だが、単に韻を踏んで書くだけでなく詩人になることは望むだけで可能だろうか。ひとは意志の力だけで芸術家になることが可能なのだろうか。宇宙にほとんど道徳がないのなら、確かに可能かもしれない。というのも、道徳的に、「意志は才能よりも威厳に結びつき得、また結びつくもの」だからである。たまたま才能がありまったく自己規律を欠いたものが、本来の素質に欠いて意志と信念と忍耐と勤勉だけがあるものより、ずっと偉大なことができるというのは深く衝撃を受ける。ほとんど、集中された意志だけでは物事を達成できないことになる。もしある種のスピリチュアリスとを信じるとすると、意志の力だけで家具を動かし、望むだけで宙に浮かせることができるらしい。しかし、意志の力だけで偉大な芸術家となることに成功したものはいまだいない。ベンジャミン・ロバート・ハイドンの燃えあがるような欲望と信念は彼が二流であるという無情な事実に対してなんの利益にもならない。そして、意志だけで十分ならば、ベン・ジョンソンはシェイクスピアと同じ位偉大であったろう。しかし、文学的偉大さへの意志を持ち続けた人間としてアルフィエーリほど極端な例は存在せず、このことは彼を悲劇的な詩人に非常に近づけるほどである。

 彼自身によるヴィクトール・アルフィエーリの生涯は世界の偉大な自伝のひとつである。それは非常に興味深く非常にエキセントリックな性格を鋭く、公正に描いている。自分自身を描くにあたって、アルフィエーリは十八世紀の心理学者の冷淡な正確さを示している。彼は自分の強みと弱さを研究し、すべての行動を理性によって分析し説明し、本能と情念とより高次の能力との関係を思慮深く反省することで一般化している。

 アルフィエーリは当時はサルディニア王国の一部であったピエモントのアッチで1746年に生まれた。両親は貴族で富があったが、その当時以前も以後もそうした階級にあった多くのものと同じように、紳士は物知りになる必要はなく、富と高貴さはそれ自体で教育が付け加える優雅さを兼ね備えることができる十分に光輝があるものだという意見を持っていた。しかしながら、彼らは若いヴィクトールをピエモントの主要な教育施設、トリノのアカデミーに送るように勧められた。この施設でアルフィエーリは八年過ごし、十八のときにほとんど楽園失墜前の無知の状態で世界にでた。彼は古代のものであれ現代のものであれ、いかなる言語も正確に話したり書いたりすることはできなかった。もちろん、ラテン語は八年間のあいだ継続的に勉強したが、我々はそれがなにを意味するかを知っている。自国語についてはひとつも持っていなかった。フランス語の名残をとどめた、野蛮な非トスカナ的なイタリア語が彼の表現手段だった。本当のイタリア語や純粋なフランス語については無知だった。トリノの王立アカデミーは、手に負えない若い野蛮人たち――未知の文明に強いあこがれをもつ野蛮人、許容される表現手段が差し止められ、感情を暴力的で落ち着きのない行動でしか表に出すことのできない者たち――を世界に解き放った。彼はまさしくそうした人間だった。

 一八世紀の六十年代、七十年代を通じて、ヨーロッパのあらゆる国の住人たちは、赤い髪をした凶暴な若いイタリア人がまるで悪魔にでも追われているかのように突き進む光景を見て驚いた。早く進めば進む程、彼は喜んだのだった。イギリスでは彼は一日のうち八時間を馬上にいるか、もっともよく調練された馬がひく馬車の軸の間にあった。スウェーデンでは早さばかりではなく、北方の冬の極度の寒さが奇妙なワインのように気分を引き立てたので、そりを楽しんだ。というのも、彼は極端を愛し、なんにせよ中間的なものには我慢できなかったからである。獣のように残忍で寡黙であることを誇っていたので、滅多に仲間と連れ添うこともできず、最終的にしばらくの間立ち止まらざるを得なくなると、気難しげにひとりで座り、憂鬱で麻痺したような状態に落ち込むのだった。心の内では、彼はまったくの無知を恥じており、それが仲間と一緒になることを恐れさせていた。しかし、恥は概して、彼には欠けている知識を持つものに対する憎しみと軽蔑という形を取った。孤独から抜けだすときには、通常女性と連れ立ち、のちにはその欲望の暴力的なまでの力に溺れ、勉強に専念したいときには、価値のない愛を求めて恣になることを恐れて、召使いに自分を椅子に縛りつけることを命じなければならなかった。

 時が過ぎ、次第にこの馬鹿げたせわしなさは止んでいった。アルフィエーリは自分の生において成し遂げたいことを少々明瞭に見始めることになった。彼はどんな対価を払おうと、方法によろうとも偉人になりたかった。彼は二十五歳くらいにプルタークの『対比列伝』を読み、夢中になった。「偉人たちのすばらしい行動を読んで、私は自分が何も偉大なことが行われも言われもされず、せいぜいひとが偉大なことを貧弱に考え、あるいは感じるだけのピエモントのこの政府のこの時代に生まれたことを考えただけでも、怒りと悲しみの涙が流れはじめるだろう。」1770年のイタリアでは英雄的な行動は考えられなかった。文学にしか英雄的なものは存在しなかった。アルフィエーリは悲劇詩人になることに決めた。まずは書くための言語をもつことが必要だった。アルフィエーリはフローレンスに住み、トスカナ語を学ぶことに専心した。ある種の文化をもつことが必要だった。トリノ・アカデミーで学んだはずのラテン語を教わるために教師を雇った。最終的により英雄的な側面の偉大な情念を直に研究する必要があり、その瞬間、先見の明があるかのように、アルバニーの伯爵夫人がアルフィエーリの視野に現れた。彼らが会ったとき、夫は若いふりをしているが、年を取ったむかつく男で、酒を飲むことと妻を虐待する以外にはほとんど何もしなかった。アルフィエーリは自由をもたらすものであり、慰め手でもあった。彼らの愛の物語はよく知られている。

 その間、アルフィエーリは法外な勤勉さと忍耐とで悲劇を書いた。彼は言語を見いだし、詩の芸術を修めた。十四の劇が書かれ、書き直され、叩き直し、研ぎ、繰り返し繰り返し磨いて、偉人であることを決定的なものとして証拠立てようとした。詩の道を出発してからは、彼は振り返らなかった。古い野蛮人は死んだ。しかし、まったく死んだわけではなく、一度だけ、勉強の途中で、もとの生活に戻りたいという抗しがたい熱望にとらわれた。欲望があまりに切迫していたので、十四匹の巨大な馬をイギリスで購入したが——無限の苦痛と代償を払ってすすめていた悲劇のためにイタリアに戻ることになった。馬、女性、悲劇の女神——それらが彼の三つの偉大な情熱であり、馬への情熱は恐らくもっとも強かった。しかし、女神への情熱は合理的で、意志的な情熱であり、アルフィエーリはそれを勝利させるだけの力をもっていた。「ぼくは詩人になりたい、韻を踏んで書いてみたい」しかし、ああ、これら十四の悲劇をいま誰が読もう。私も試みたが、告白しなければならないが、目立つような成功はしなかった。

2017年11月2日木曜日

オルダス・ハックリレー「(ゴドウィンとベイリー)」

1920年に書かれた。

 九十年前の古いAthenaeumsを読むことは、悪書が良書より遙かに多いというのが我々の時代だけではなかったことを発見させてくれる。ただ一点だけ、1830年の書評子は1920年の書評子よりも有利である。書評すべき本が少ないのだ。悪書と良書の割合は同じであると想像できる。九十年前の書評子は数百のなかで考えねばならなかったが、我々は数千を視野に入れ、数十を選び出すのだ。しかし今日と比較すれば小さく収まりはするが、1830年の文学雑誌は長々しいナンセンスもあった。Athenaeumの古い号を見ていると、悪書が憂鬱なほどあり、惨憺たる質を備えていることに驚かされる。

 それゆえ、1830年の春にでた『ケレイブ・ウィリアムズ』の著者であるウィリアム・ゴドウィンの『クラウデスリー』に出くわしたときにはうれしく、スリルも感じた。Athenaeumは穏やかな熱狂でこの本に接していた。ゴドウィンは原則的また理論的に賛辞され尊敬されていた。彼は偉人のようなものだった。歴史的な人物で、気高い過去と『政治的正義』があり、幾分喜劇的な円熟した数年があったが、少なくともすばらしく純粋な英国のスタイルで文章を書くことができた。

        著名な作家であるゴドウィンが新しい小説をだすという知らせは[と書評子はいっている]、読書世界では冷淡に迎え入れられた。我々にとっては、それは大きな喜びをもった期待をもたらし、『聖レオン』や『ケレイブ・ウィリアムズ』をつくりあげた思考とスタイルの厳正さを期待したが、いまでは堕落してしまったばかげた偶像崇拝を幾分は取り戻し、厚かましさしかなく、宮廷案内しかもっていない紳士が、流行と政治小説の偉大な生や気のきいた会話を群衆に教えようとしているととられるかもしれない。我々はゴドウィン氏の本を最初に開いたときの息もつかぬような関心を思いだす。か弱い、また魅力を感じさせない登場人物のパトス、抗することができない必然性と戦う気の毒な男、無実であるが罪の苦痛を感じ,壮大なる構想を燃え立つような雄弁で説いた男がアイスキュロス風に描かれている。

 原則的にゴドウィンは讃仰され、その小説は強い「期待の楽しみ」だった。しかし、『クラウスデリー』を読んだ書評子は、正直だったので、ひどい小説だと認めねばならなかった。私は『クラウスデリー』を読んだことがない。無限に長生きする秘密が数年のうちに発見されればともかく、自分の短い存在をなんの利益もないことに費やすつもりがなかったからである。『聖レオン』は1830年の書評子をたいそう喜ばせているが、私が読んでみようとした本の一冊で、その試みは惨めにも失敗した。しかし、『ケレイブ・ウィリアムズ』は私も読んだことがあって、1830年の書評子が伝えているすべては当てはまらないだろうが、楽しく読んだ。登場人物が描けないこと、人間世界の混沌を把握する想像力もなければ、入ることもできない――それらの欠点がゴドウィンをよい小説家にすることを不可能にしている。しかし、ある程度この欠点は政治的確信によって隠されている。『ケレイブ・ウィリアムズ』はある階級の専制君主の悪が別の階級を描いた劇化されたエッセイである。「ザウンズ、どれだけだまされてきたことか!」と正直なトーマスは叫び、彼がケレイブ・ウィリアムズを見たときには、田舎の囲いの野生動物のように、鎖でつながれていた。「英国人となることはすばらしいことだと彼らは語り、自由や財産にについて語った。すべてがペテンだ」

 ゴドウィンが社会生活は「ペテン」だと信じ、「あるがままの事実」(本の副題でもある)を示そうと熱意を燃やすことが彼を成功に導いた。この知的な火の暖かさがこの本をいまだ読みうるものとしている。

 1830年、『クラウズレリー』があらわれたとき、ゴドウィンは完全な死火山だった。四十年前、彼は予言者であり、高貴な精霊に霊感を得た声だった。いまでは無害で陽気な老紳士に過ぎない。憂鬱で不条理なのは、かつて有名だった人間の灰がパンテオンに運ばれ、当然のように埋められ、忘れ去られることだ。ゴドウィンの場合はより顕著な例で、その初期の名声によって後の世代までも生き残った。フィリプ・ジェイムズ・ベイリーは『フェストゥス』を1839年に出版したとき二十三歳だった、彼は1902年に死んだ。

 ベイリーは数多くの偉大さをもっていたが、外観も同様だった。1848年に彼の胸像が披露されたが、シェイクスピア風の眉と、高く険しい、大きくなにかに熱中しているかのような眼に、頑固で硬く引き締まった口、それに多量の可憐な髪の毛があった。(ところで、現在なにか欠けていると思われるのは、偉人が、現代の人物ならとうぜんのことだが髪飾りをしていないためである。髭や頬髭にライオンのような鬣があって、偉大なヴィクトリア人は見間違えようもないが、今日では偉人を見分けることは不可能である。) 偉大な容貌ばかりではなく、ベイリーは偉大な外観を備えており、英雄的エネルギーにおいても偉大だった。彼は恒星間に住いし、天使や悪魔と親しんでいた。彼は高邁な見地から人間と運命を見て、教育的となることを恐れなかった。([真の哲学があるところ/それを教えるのは喜ばしい」と彼は率直な喜びを持っていっている。)そして彼は長さも恐れない。しかし、彼の想像力にはまったく正しくないところがある。詩に変えるとき、彼の巨大な観念とエネルギーは色をごてごてと塗りつけた織物になる。最良でも、この織物は非常によい織物にとどまる。けばけばしい比喩と華麗な文章は楽しく読める。あらゆるところに「液化した平野に/沸きたつ炎に沈みかつ浮び/山のような巨大な火の気泡が放浪する。」

 容易にこのたぐいのものが数多く見てとれる。より優しく、より叙情的な瞬間においては、ムーアが手を込んで洗練させたよりも甘美な流麗さを示すことができた。ここに彼の歌のひとつがある。

        愛する人よ、私はあなたを朝方の夢に見た
        詩人は明けの夢が近づいた
        私は目覚めて、それらをあざ笑った。
        あなたの目の瞬きによってそれは黒くなった
       
        愛する人よ、昼間にあなたの夢をみた
        あなたの魅力によって眠る私に涙が流れた
        夢が消え失せたとき私は起きた
        私の涙は腕を濡らしていた

こうした詩行なら、片手間でもできよう。

  『フェストゥス』は1839年に公にされた。(Athenaeumは一般的に称讃の声が上がるなか、唯一不調和ともいえる声を上げている。「発想は『ファウスト』の窃盗であり、詩に対する不敬の念に満ちており、詩とはほとんどいえない。」)それはベイリーがもともと書いた作品を見ているのかもしれない。というのも、長い余暇のある生活のなかで、以前に引用したような百ものミルトン風の詩をつくりあげ、1889年の五十周年の記念版では『フェストゥス』は四万行の作品になっているからだ。それ以後、ベイリーがその別れのなかで人間性を強く懇願したのも無駄になった。

        世界よ、これを読んでくれ、書いた者はあなたのために死ぬ
        しかし生命は葉のなかにあり、霊感を授けられる
        夜も昼も、思考は助けられず、望まれない
        心臓を流れる血のように、研究の過程で
        魂の棚を通りぬけ、いる場所は
        ひどく高くなった

2017年10月30日月曜日

オルダス・ハックスレー「九十年代の幽霊(アーネスト・ダウソンの詩と散文。アーサー・シモンズの序文付き)」



 1919年10月に発表された。「九十年」とは1890年代のこと。

 かつては、おそらくはいまも、ある種のお茶には「四十年前のかぐわしいブレンドが思い起されます」と宣伝されていたものだ。「世界文学ライブラリー」のこの小巻にも同じようにかぐわしい、より最近の調合が思い起される――三十年が過ぎ去った文学的な酒や麻薬である(九十年代をお茶の生産と較べても侮辱にはならないだろうが)。我々は「このうえなく柔軟な皮の」入口を通り過ぎるように感じ――出版社のやり方は時代特有の異国風の色合いがあるようだが――ダウソンの『成功者の日記』の主人公とともが「いつでも秋である」都市ブリュージュを再訪し、「サン・ソウヴェールを散策し、薄暗くほこりっぽい通りをさまよい、やがて高い祭壇に腰を掛けるとむっとするような香の香りで空気は重くなり、回顧に耽る」ように感じる。すべてのページに我々はかつては強かった香の幽霊を呼吸し、回顧に耽ることは次のような詩を読むときに涙を催させる。

        君の完璧な口にある赤い石榴よ!
        私の唇の果実はそれを味わい死ぬことだろう
        香る南風が苦悶を抑えつける
        ここ、君の庭においては
       
        ひとつの長い接吻で君の活き活きした唇は死を収穫し
        君の眼は私の死を見取り休らう
        私にとって生がこれほど甘美なことがあろうか
        君の胸ですみやかに死ぬことをおいて?
       
        それがかなわぬなら、愛のために、親愛なるものよ!
        沈黙を守り、我々が横たわっていると夢みよう
        赤い口と口がからみ合い、つねに
        南風の調べが聞えている。

気の抜けた香と回顧、我々はそれをシモンズ氏の魅力的な序文にも呼吸する。「それ以前に、彼と会ったという漠然とした印象があったが、たしかに夜だったと思うが、どこで会ったかは忘れてしまった。そのときにも、その外見や振る舞いに哀愁を帯びた魅力、ある種キーツのような顔、非道徳的なキーツのような顔に、奇妙なのは見事に洗練された作法と、なにか荒廃したものが見てとれた。・・・私は時折気分転換に彼に会うことを好んだが、コーヒーやお茶より強いものは飲まなかった。オックスフォードで彼が好んだ酔いはハシシュによるものだったと私は信じている。後に彼はそれが幻視的な感覚の手の込んだ実験というよりも、よりたやすく忘却に通じることを感じて諦めた。おそらくは常に、多少意識的に、少なくとも常に真面目に、新たな感覚を探求しており、私の友人は彼にとって最上の感覚は情熱と心のこもった崇拝の対象であることを見てとっていた・・・」我々は「なにかしら」、「少々の」「繊細な」「無限に」などといった一節を無限に引用し続けることができるが、それらは不在によって最後に目立ってくるものである。この本にあるすべて、シモンズ氏の序文、ダウソンの詩、ダウソンの散文は、一緒になって忘れられたかぐわしいブレンドの香気を思い起させる。実際、そんな具合なので、批評家のように質問に答える代わりに、物事のはかなさの感傷に浸りきってしまう危険がある。どんな正当性によってダウソンの詩が世界文学のなかに加えられるのだろうか?しかし、多分、このシリーズをあまり真剣に受け取るべきではなく、世界の最良の作家としてエレン・ケラー、オスカー・ワイルド、ロード・ダンセイニ、ウッドロウ・ウィルソンが含まれているのだ。我々の疑問をより穏当なものに変えよう。二十五年の後に、世界が異なったむしろ彼に敵意のある文学的流行に支配されているときに、ダウソンの詩は十分に生気をもち、出版社が再版する価値があるのだろうか。

 ダウスンはマイナーな詩人だった――本人なら「無限に」マイナーだと言ったかもしれない。彼はたった一つの感情しか表現できず、たった一つの調べしか知らなかった。しかし、その限界に彼の強みがある。というのも、メランコリーばかりを常に歌い続けることで、最終的に彼は小さいが独特の完成に到達したからである。そして、完成というのは、たとえそれが小さく限定されたものであっても、常に詩人の地位を保証し、読み捨てられることはなくなる。

 ダウスンはヴェルレーヌ流派のセンチメンタリストであり、英国におけるノスタルジアの使徒である。彼は悲しみを郷愁にまで洗練させた――自ら知ることのない家郷へ焦がれる病いである。それはノスタルジアに対するノスタルジアであり、確かな対象をもつ切望に対する切望である。彼が一風変わった服で飾り立てた美は、その人工的な装飾ではかなさを強調している。彼は、苦痛がある種の痛ましさまで、愛がちょっとした熱気になるまで、あらゆる感覚や感情を薄め蒸発させた。

 芸術には様々な方法で感情の表現ができる。民謡のように単純で直接的なものもあれば、直接的で身体的に影響を与える原初的な感情が知的で精神的意味合いを豊かにさせ、交響曲の複雑さになることもある。他の芸術作品を引き合いにだしたり、習熟した技法の変化を告げるデカダンス的なものもある。ダウソンは交響曲も民謡も書けなかった。彼は自発的な生やそれを送るための心的能力を持っていなかった。彼は感傷的な悲哀を高度に複雑な形式で、連想豊かに表現した。フランスの宮廷の洗練され人工的な生が旧体制の最後の日にも完璧にまがい物のメランコリーを見せたように、連想も形式の複雑さも感傷的な効果に付け加えられるだけだった。結局のところ、次のように書くことになんの達成もない

        私は多くを忘れてしまった、シナラよ!風とともに去ってしまった
        玉座にはあふれんばかりの薔薇また薔薇が投げつけられる
        君の心から青ざめた失われた百合を取り出すために踊りながら
        しかし私はわびしく、古い情熱に病んでいる
        そう、いつでも、踊りが長いものだから
        私はシナラよ!君に忠実だ、私なりの流儀で
       
イメージや隠喩は古く、技術も古く、すべてが非常に人工的である。だが、詩は心を動かす。ダウソンは自分の人工的な感情に完璧な表現を見いだした。純粋な沈黙の主音域から傷心の不調和を通じて、手の込んだ「死への墜落」を発見した――すべてが無に終わり、無しかない。

 非存在の主題変奏は精神が望み、必要とする――身体的に疲労し、精神が物憂いとき、それが感傷性の真の親であり、ヴェルレーヌのノスタルジアはあまりに微妙に立ちこめており、ラフォルグは知的であまり真価が認められておらず、死へ墜落するダウソンは、、そのゆったりと整えられたリズム、いかなる重要な意味づけもなく落ちついている彼だけが詩人にふさわしい。我々は感傷性に襲われて苦しむことがある。同種療法の一環として次に寝るときにはダウソンの詩を用意しよう。