1.露伴の愛用品。まったく個人的な興味。好きな故人がどんなものを使っていたかというのは、エピソードのたぐいのなかでも私には特に好ましいものである。サドが獄中から夫人に当てて、枕を送ってくれと書いて送ったことは、ロラン・バルトが言及し、澁澤龍彦が、エクリチュールだなんだというのはよくわからないが、常に具体的なものに執着するバルトは面白いと書いていた。石摺りの着物は是非着てみたいものだが、旅館の浴衣しか着たことがない私には分不相応である。
懐中物の財布は菖蒲革、小銭入れはいわゆるがま口がま口した口金のパチン
となるもので茶の裏皮、煙草入れと煙管入れは対の山椒粒大の相良繍で模様が
一面に刺してある。これ等総て不用意に懐から滑り落ちることのないように選
ばれた素材だ。一度水を通した手拭を八ツに畳んだ中に挟んで懐中すれば、い
い加減なゴマの灰如きにしてやられる鈍智は踏まぬ、茶色好みの露伴先生は用
心のいいところもあった。
私の思い出す普段着の祖父は、いつも石摺りの着物で居たように思う。母は
ちゃんと垢づかない、時期に合った着物を用意していた筈だのに、他の着物の
祖父は思い出せない。木村伊兵衛、土門拳の両氏が撮った写真の着物もやはり
これだ。それほど好んで着ていたと言える。
何度も何度も洗い張りし、内側には継ぎも当てられている。所どころ手当て
しても目立つ傷もある。石摺りというこの布は、絹とは思えない丈夫な布で厚
く織られ、染めた後に石で摺って布を柔らかくし、色もまた、摺れたところ
が、多少白くなって、染め上げた色目より濃淡がついて面白味が出るという。
一見古ぼけ色の目立たない布だが、多分着れば暖かくしっかり身を包んで、見
てくれのぺらぺらものより、どれほど安心感のある信頼のおける着物になるこ
とか。裏をみればこれまた普通の胴裏の布とはちがう太めの糸の地布である。
石に摺られる布は、普通の裏地にすると、表布に喰われて摺り切れてしまうの
ではないか、己れも摺られ相手も摺る、何か恐ろしく、また切なさもある布
だ。
2.幸田文と久保田万太郎。もみとは辞書によれば、紅絹と書き、字の通り、紅色に染めた絹織物のこと。もみに江戸の女を見る連想の回路がいまでも残っているのか、見当もつかない。
座は賑やかに沸いていた、向いの席に久保田万太郎さんがいらっしゃって、
「あれ、幸田さんもう帰るの、もう少しいいでしょう」
と声をかけて下さったのにお辞儀をして、出口の方へ行こうと、ぐるっと体
を廻して立ち上がった、と大向こうから声がかけられたように、
「ああいい取り合わせだ、如何にも江戸の女だね。振りの赤がきれいじゃな
いか」人の目が“振り”に集まった。びっくり仰天、脱兎の如く逃げ帰って来
た。
「芝居を書く方は怖いね。こんなお婆さんで取るところも無いものを着て出
て行ったのに、ぎゅっと袂先おさえられたって気がした。もみを付けていたことも忘れていたのに」
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