2017年11月20日月曜日

青木正児『酒中趣』(抜き書き)



『酒中趣』からの抜き書きなので、この文庫に収められているかどうかわからない。

1.大酒の会などばかばかしい催しが江戸時代には盛んだったようで、落語の枕でもさんざん聞いたおぼえがある、なかには醤油一升飲んで死んだ馬鹿なやつがいたもんで。辞世の歌がくだらなくていい。

江戸初期慶安の頃江戸に大酒戦が行はれた。一方の大将は地黄坊樽次とて大塚(後の鶏声が窪であると云ふ)に住み、一方の大将は大蛇丸底深とて川崎の大師河原に住んでゐた。慶安元年秋の頃樽次は門下の酒徒を引連れて大師河原に乗込み、底深の一門と飲競べして底深を屈服せしめた。此の顛末を戦記物語風に戯作したのが「水鳥記」(三水に酉の意)三巻で、樽次の自作だと云われてゐる。京伝の「近世奇跡考」巻五などによると、樽次は本名を伊原城(一に茨城に作る)春朔とて酒井候に仕へた儒医で、寛文十一年四月七日に卒し、駒込千駄木妙林寺に葬られ、法名を信善院日宗と号した。然るに没後其の門下の酒徒であつた小石川戸崎町祥雲寺の住持が寺内に彼の為に碑を立て、法名を酒徳院酔翁樽枕居士と題して其の辞世二首を刻した。其の一に曰ふ、
   南無三宝あまたの樽を飲みほして、身は空き樽に帰る古里
と。



2.羊と石。『列仙伝』だったか、道術を厳しい修行の末に体得し、皇帝に披露を命じられ、石になった仙人がいたと思う、なんの役に立つのやら。

黄初平が金華山中で白石を叱して羊と為したと云ふ故事。(・・・)
  羊成石、石成羊  (羊ハ石ト成リ、石ハ羊ト成ル。
  即此可以喩滄桑  即チ此レ 以テ滄桑ニ喩フ可シ
  今朝有酒須盡觴  今朝 酒有リ 須ク觴ヲ盡ス可シ。)
    飲満座  (満座ニ飲マシム。)

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