その完成度に呼応するかのようにレパートリーの少ない桂文楽だが、そのなかでも文楽の精髄とも言える噺は主人公となるものにしたがって三つに分類できる。すなわち、盲人(『心眼』や『景清』)、幇間(『つるつる』『愛宕山』『鰻の幇間』など)、若旦那(『船徳』『よかちょろ』など)の噺である。
これら三者に共通することはなんだろうか。主体的に状況をつくりあげていくというよりは、受動的に状況に対応していくことにあると思われる。盲人は身体的なハンディキャップにより噺のなかでは願をかける位のことしかできない。幇間は、もちろん、自分が主導権を握るよりは旦那の言うことに即応していくことが求められる。若旦那もまたその未経験から、状況を把握することができない。『船徳』の若旦那は自分から船頭になることを申し出るが、当然のことながら船の動きをまったく掌握できない。
『明烏』の若旦那もまたそうであって、いい年をして本ばかり読んでいる倅の時次郎を心配した父親が、町内の不良二人に遊びに連れてってくれるよう頼む。二人は浅草観音の裏にあるお稲荷さんにおこもりに行こう、と若旦那を誘いだす。吉原に着くと、さすがに未経験の若旦那でもそこがどういう場所かわかり、わめくやら泣くやらの騒ぎとなった。「帰れるものなら帰ってごらんなさい。三人できた者がひとりだけ帰ろうとすると、怪しい奴だと大門のところで止められる規則になっている」と二人は若旦那を脅しつけて、嫌がっているのも構わず部屋に放り込む。ところが、朝になると、案に相違して遊び人の二人の方は振られ、若旦那の方は相方となった浦里と一緒にまだ蒲団に入っていて、浦里が離してくれないとのろける。バカバカしくなった二人が先に帰ろうとすると、「帰れるものなら帰ってごらんなさい、大門で止められる」。
『明烏』の若旦那が『船徳』や『よかちょろ』の若旦那とまったく異なるのは、『明烏』の若旦那が『船徳』の、『よかちょろ』の若旦那になることはあっても、その逆はあり得ないことにある。つまり、『明烏』は若旦那がまさしく誕生する噺なのだ。若旦那というはっきりとした型があらわれるのは、放蕩息子という性格が加わることによる。もちろん、若旦那が恋わずらいにかかるような噺もあるが、それらの場合、若旦那は無性格な背景であることが多く、たいていはその恋を成就させようとする周囲のドタバタが中心になる。
若旦那は家によって庇護されながら、どうすればその安楽を手放さずにすむかに腐心する。いつまでも跡継ぎという立場にあることこそが安楽であり、成長や変化に徹底的に抗することに悪知恵を働かせるのが若旦那である。一晩にして女に籠絡され、浦里が離してくれないと、二人の不良の大人をからかうところなどは、既にして時次郎が若旦那という立場、型を自覚し、ほくそ笑んでいるのが感じられる。若旦那を演じるのに長けた噺家が、桂文楽や古今亭志ん朝といった良い意味でも悪い意味でも落語の世界を毀そうとしなかった人であったことが、若旦那の意味を別の側面から照射することになろう。
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