2017年11月9日木曜日

オルダス・ハックリレー「芸術における救世主を求める叫び」

雑誌『ヴァニティ・フェアー』の1922年1月号に発表された。

 私がロンドンからイタリアに発って七ヶ月になる。七ヶ月――そして戻ってきて一、二週間のあいだここにいて、心身ともにかつてのように安楽な気分に深く包まれている。すでに私はどこにも行かなかったかのような印象を持っている。イタリアでの長い楽しい月日は存在しなかったかのようだ。ロンドンとの裂け目が魔術的に縮まり、ずっとここにいたかのように感じる。

 そのことはロンドンにあるすべてが——文学と文学的ジャーナリズムの、絵画と劇場のロンドン——私が三月に旅だっとときと全く同じであったことに裏打ちされた感情である。いいや、全く同じではない。というのも、私はすべてが少々腐食し、私が旅だったときにすでに始まっていた劣化の過程が僅かに早まっているように感じる。例として文学誌を取ろう。それらはかつてよりより悪く、退屈になっているのが見て取れる。古き『アテナエム』はスティーブンソンが頓呼法で「おや、なんていう論文だ」といったものだ。今日『ロンドン・マーキュリー』は同じ苦痛に満ちた叫びを呼び起こす「おや、なんていう論文だ」。それ以上いうことはない——恐らくその編集者であるJ・C・スクウェアー氏がアメリカ合衆国の住人を読者に改宗するための伝道師としての旅に出たことを除けば。光輝と深遠な退屈さの諸相をくぐり抜けてきた敬すべき雑誌『アテナエム』についていえば——ジョン・ミドルトン・マレーの編集のもとにあった1919年から1921年の最後から二番目の層、長い経歴のなかでもっとも光輝のあった瞬間があった——いまでは『ネーション』の文芸付録にまで衰退してしまった。

 ロンドンはゆっくりと衰退している。少なくともそれが私の印象である。大きく単純で明らかなことをうまくするほどのものは文学でも絵画でも存在しない。軽い読み物であった『ロミオとジュリエット』の主題を傑作にしたのはシェイクスピアだった。今日のロンドンでは、愛、野心、嫉妬という軽い読み物のテーマを軽い読み物にするか、軽い読み物のテーマを充分に扱うには小さすぎると自ら知っている感受性があり才能のある芸術家たちは、文化によって与えられる少数派の、重要ではない受け売りのものや過度の内省からくるものに避難している。その溝を埋めるシェイクスピアは存在しない。ただH・G・ウェルズしかいない。・・・こうした状況に生活していると、何か新しい桁外れのものがどこからともなく突然に登場し、新たな聴いたことのない啓示の言葉を発してくれるのではないかという期待にとりつかれているのに気づく。ウィルソン大統領が断固たる意思の表示によって、我々が求めているのは彼ではないと証明したとき以来、私は長い間漠然とこうした救世主への切望を感じていた。そしていま、知的には不毛なイタリアでの六ヶ月の滞在から徐々に衰退しているかに思える文明に戻ってみると、救世主への期待がより切迫したものとしてわき上がっているのがわかる。西方の文学の空には新たな見知らぬ星のしるしはない。価値があり、尊敬すべき、知的で、感受性の鋭い若い詩人や小説家は次々と現れている。しかしそのうちの誰もが期待された救世主のまたいとこにも足りない。恐らく、若い天才というのも不可能なことではないのは確かで、最近出版されたピーター・クエネルの『パブリック・スクールの詩選』は幼児期の現象という歴史に新たな章を開いたものだろう。この才能が成熟するか、若いうちに滅んでしまうかは時間だけが示すことだろう。

 幼児期の現象はそれ自体としては特に興味深いものではない。その潜在能力が問題となるものである。子供の芸術の歴史は天才に満ちている。あらゆる子供は六歳か七歳になるまで天才だと一般化し、主張するものさえいる。ごく少数が——ピーター・クエネルはそのひとりである——十四か十五になるまで天才を持ち続け、五十万人のうちの一人が三十になるまで天才として過ごす。

 数多くの文学がある。劇場や造形芸術はどうだろうか。非凡なものはないと考えられる。奇妙な『コウモリ』を旗印にした小さなロシアのエンターテイナーがパリにあらわれ、劇評家は大きな称讃の声をあげた。しばらくすれば、間違いなく、バリエフ氏とその一団が大西洋を渡り、自分自身で彼らを評価する機会をもつだろう。個人的には、『コウモリ』は過剰に評価されている。その長所は装飾と配置の趣味のよさであり、尊敬すべき舞台運営、演者たちの機械のような完璧さである。しかし、すべてが言い尽くされたとき、残るのは、『コウモリ』はロシア・バレーがよりよくしたことをうまくやったということになろう。たとえば、装飾を取ってみよう。スーデイキンによってなされた『コウモリ』で設計されたロシアの場面は、確かに魅力的で、趣味がよく楽しい。しかし、芸術作品としては、『子供たちの話』をつくったゴンチャロフとラリオノフの巨大な創造物とは比較にならない。

 また、『コウモリ』の歴史的再構築はしばしばすばらしい。しかし、『陽気な夫人たち』のイタリアの十八世紀や『三つどもえの帽子』にあるピカソの仰天するような挑発的なものほどすばらしい想像力はバリエフ氏の舞台にはない。

 『コウモリ』の根本的な欠点は、真の感情とかけ離れているところにある。生からではなく芸術から芸術をつくっている。洗練され文学的であることは最後のもっとも希望のないものでしかない。真の感情ではなく、ほのめかしと喚起作用だけがある。具体的な例を出そう。二人の若い女性が舞台に出てきて、グリンカの感傷的な歌を歌う。素晴らしい。グリンカの感傷的な歌は真の感情をあらわしている。しかしバリエフ氏は女性たちに「庭園で扇をもつ若い女性」 の衣装を着せ、ロマンチックな背景の前に置き、いまでは笑いものにされ尊敬されることが流行になり始めているジョルジュ・サンド的ロマン主義の象徴として、黒いウエスト・コートとぴっちりしたズボンをはいた若い男が舞台の中央に調度のひとつとして加えられている。結果として、情動がこみ上げることはなく、薄っぺらい感傷で捏ね上げられた力のない文学的娯楽がある。

 最上なのは、率直に言って、木製の兵士たちの行進、マリオネットによって演じられるイタリアのオペラ、カティンカの踊るポルカや三人の猟師たちなどの喜劇的要素なのは間違いない。しかし、「よい」とか「悪い」というのは『コウモリ』を批評する正しい言葉ではない。最上であればそれは「楽しく」、最悪ならそれは「退屈」なのだ。現代芸術の多くと同じように、それらが二つの軸となっている。

 その他の演劇上の出来事としては、バーナード・ショーの『傷心の家』が宮中で、オスカー・アッシュの『カイロ』が御前で上演された。両者ともすでにニューヨークで演じられているだろう。

 ショウの喜劇は批評家たちから大量の不評をこうむったが、彼らが下した厳しい判断には十分な正当性があり、劇は宮中で特にうまく演じられたわけではなかった。しかし、『傷心の家』は演者が破壊できるような戯曲ではない。それはよき解釈者を得る勝利を収めたーー少なくとも私にはそのように思われた。

 『カイロ』について言えばーー『カイロ』についてはあなた方がみなご存じである。それは古い、古い、遠く離れたチュウ・チン・チョウのように古いーーオスカー・アッシュによる絢爛たる東洋の物語である。

 美術の展覧会も再び始まっている。ネヴィンソンは、結局、レイチェスター・ギャラリーの個展で、画家としての本性をあらわした。この展覧会での彼の絵は絵画の様々なスタイルの上調子な素描でしかなかった。ネヴィンソンの芸術的質は勢いがあり、気楽で、いかに効果的にするかの知識がある。戦場のイラストレーターとして、絵による戦場記者としては尊敬に値する。

 しかし、イラストではない絵画の描き手としては、彼は失敗している。彼が芸術的な報道記者でありポスターのデザインに集中してくれるよう願いながらこの展覧会をあとにすることになる。

 マンサード・ギャラリーのロンドン・グループによる展覧会もまた、意気消沈させるものだった。グループのなかでも最上の画家たちーーアンレップやカートラーのようなーーは出品しておらず、展示された絵画は有能でまじめであり、意図も十分に示されているが、ほとんどが少々生気がなく、関心を引かないものだった。今日の様々な世界と同様、絵画の世界は救世主を待っている。フランスの理論家たちは、その桁外れの技術、知識、知性にもかかわらず、我々が望むものを与えてくれない。イギリスにおける後継者であるダンカン・グラント、バネッサ・ベル、ロジャー・フライはさらに劣っている。また、自分たちの根本的な才能の欠如を補うために、フランスの伝統を用いようとしない画家たちも劣っている。ロンドン・グループで最もよかったのはグラント、ベル、テレーズ・ルソールのものだった。最もよいーーしかし、それを真によい画家と比較してみたとき、ああ、彼らは少々愚かに見えてしまう。しかし、我々が比較のゲームを始めるとき、我々はみな愚かしく見えるのだ。



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