2014年9月30日火曜日

ブラッドリー『論理学』78

 §54.我々が注意深く実在との接点に留意しているのは、すべての主張で曖昧であるわけではないし、疑わしいとも言えないことだろう。「彼が殺人を犯したのなら、絞首刑になるだろう」というのは、恐らく殺人と絞首刑との一般的な関連以外のことを主張しているわけではなく、「彼」は無関係である。しかし、「もし神が公正なら、不正は罰せられるだろう」では、多分、罪がなんらかの正義によってもたらされると言っているのではなく、全能という性質をもった正義によってもたらされるのだと言っている。他方、「この男がこの薬を飲むと、等々」と言うときには、この薬は誰にとっても毒であるから、あるいは彼のような人間には毒であるから、あるいはまたいまのような特殊な状況では彼のような人間には毒になるから速やかな死が訪れるだろうと言っているのではない。他の例もすべて同じような曖昧さで我々を混乱させる。仮定は明らかになっておらず、反省してみて確信されるのは、我々は判断の主語を知っていると仮定はしていても、いずれにしろその知識をあらわにはしていないことである。

2014年9月29日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻29

月に立てる唐輪の髪の赤かれて 荷兮

 髪を唐輪に結んでいた娘の頃から、その髪が赤く枯れるまでと前人が解したのは、「唐輪の髪の赤かれて」というのを強引に数十年のあいだのこととしたもので、無理も甚だしい。『太平記』に、「十五六の子供が髪を唐輪にあげて」とあるのだけを知り、唐輪は若い者の髪だと思ってしまったのだろう。だからこそそうした無理な解釈をしたと見える。

 貞享四年、「江戸桜の巻」の半歌仙で、「世の中を昼に逃れたる茶の煙り」という濁子の句に、「妹がかしらの唐輪やさしき」と芭蕉が付けたものがある。試みに、この唐輪の女が何歳くらいかと問うてみよう。中国の勇士井筒女之助が女装して髪を唐輪に結い、また北国の勇将出口某の老妻が老齢の髪を唐輪に結って戦ったことをあげるまでもなく、天和貞享の頃にはなおひとの耳に入る機会のあった舞曲の「志太」には、小山の太郎が常陸下野両国の兵を率いて、志太の小太郎をかくまった忠臣浮島太郎を河内の里に攻める段で、浮島太夫大手の櫓に走りのぼって、いかにや女房、こちらへ来て、狭間を開けてくれ、戦をして見せようと言い放ったとき、女房は五十六歳、糠色になった髪を唐輪にあげ、衣をたぐり、櫓にのぼり、子供の軍はなにをぐずぐずしている、と声をあげた。この女房は剛胆なもので、夫をののしり、子供を激励し、最後には夫と刺し違えて忠死する段は「志太」のなかでももっとも壮烈な一景である。

 「箕田の源次が女に箕田夜叉とは自分のことである、年はつもって五十六、二つない命を志太の御領に奉る」と名乗って戦ったこの女房といい、出口の妻といい、女装した女之助といい、すべて甲斐甲斐しく働こうとするときに髪を唐輪にしていること、唐輪は乱れず緩まないので働くのにちょうどいい髪であることを知るべきである。

 「世の中を昼に逃れたる茶の煙り」というのに、「妹がかしらの唐輪やさしき」と付けたのも、伽羅の油のべとべとした髪では味がなく、慎ましく清浄な茶道を体現した初老以上の夫婦が、世の中を涼しく睦んで暮らす上品な相愛の間柄、妻は虚栄を忘れて、薪水の労を厭わず甲斐甲斐しく夫を助け、夫も感謝するさまをあらわしている。

 この句は前句で「手づから」といったことにより、貧しくもなく召使いもいるが、それでもよく働く老婆が、唐輪に赤枯れた髪を結わえて、ようやく紙漉きをやめ、十二三日の月のなかで休んでいるところをいったもので、「唐輪の髪の赤かれて」は、荷兮が前句に劣らぬようあれこれと意をめぐらし、絞りだした意匠である。

2014年9月28日日曜日

ブラッドリー『論理学』77

 §53.仮言的判断が肯定するのは、その帰結の基盤となる性質に過ぎないことを我々は見てきた。そして、あらゆる抽象的普遍は仮言的である。ここで次のように問える。二つは同じことなのだろうか。あらゆる仮言的判断は普遍的なのだろうか。

 仮言的判断が関わる実在がしばしば個的なものであるために、これは疑わしく思える。このことを考えるため、そして次の節のためにも、いくつかの例を挙げておこう。「もし神が公正なら、不正は罰せられるだろう。」「歯痛がしたら私は惨めだ。」「この部屋にろうそくがあったら、照らせるのに。」「いま六時なら、一時間以内に夕食をとろう。」「この男がこの薬を飲むと、二十分以内に死んでしまうだろう。」こうした判断が「あらゆる人間は死ぬ」というのと同じくらい普遍的だと聞いたら驚く読者もあるだろう。しかし、私はまさしくそうなのだと考えている。

 第一に、これらの判断のどれも実際の実在を主語としていないことは確かである。我々は公正な神が存在するとも、歯痛がしているとも言っていない。ただ仮定しているだけである。主語は仮定されており、更に考えを進めるなら、主語は観念内容以外の何ものでもなく、主張されているのは形容のつながりでしかないことが認められよう。「あれ」、「これ」、「私」、「いま」は実際には仮定に入り込んでいいものではない。それは我々が観念の実験を当てはめる実在の地点であり、それ自体はどんな場合でも仮定はされない。仮定で用いられるその内容が多かれ少なかれ、それは主語として入り込む。それがなければ、その内容を個的なものと呼ぶことは不可能になる。

2014年9月27日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻28

窓に手づから薄葉を漉き 野水

 前句を夕まぐれまで働く様子と見て、水辺の職人を付けたと解するのはまったく違っている。「手づから」という言葉を見てみるがいい、職人でないことは明らかである。「窓に忙しく薄葉をすき」とあるなら職人であることは確かだが、「手づから」とあるので、紙などすく必要もないものが自分でしたこととわかる。句の気味合いを見て取らねばならないというのはこうしたところである。

 「薄葉」という名は、元来薄葉鳥の子という名の略で、『貞丈雑記』に、「薄葉厚葉中葉などという紙は、みな鳥の子の紙を漉いたもので、三つの品質がある」とあることからも知られ、また、鳥の子紙は、綸旨紙、宿紙、水運紙、墨流紙、水玉紙、打ぐもり紙などから、板壁、屏風などの貼り付け紙などまでを含み、なかでも薄葉は、手紙や書冊用として多く用いられ、今日残る文章に使ってあるものも非常に多い。これはみな紙であり、いま俗に薄葉という三椏の木からつくった紙の薄いものだけを薄葉と思うのは、三椏紙が歴史が下った頃から多く漉きだされたことを知らないことによる。

 平安朝の頃は、これらの紙を野々宮の東にある紙屋院で漉いたが、中古以後は漉き返しのみをするようになり、漉き返し紙を紙屋紙というようになった。漉き返しではあるがもちろん悪い紙ではなく、宿紙といい、薄墨色のためもあって薄墨紙とも水雲紙とも呼んだ。役人などはよくこれを用いて、ときには聖旨を伝える案文などもこの紙に書き、それを外記に遣わして檀紙に書かせたことから、世の人はこの草案を見て、間違って薄墨の御綸旨などという言葉もできるようになった。

 『雍洲府志』巻七、「古い禁裡には文章の反故が溜まっており、艶書や恋文などもあった。それを見ることを厭い、引き裂いて、すぐに紙師に漉き直させた。紙を漉く者は紙屋川の水を使ってこれを数回洗い、とろろ汁と合わせてこれを漉いた。(中略)水に浸すのに三日から五日かかかるので、紙屋川に住む者がこれをつくるようになった。ゆえに、俗に宿紙といわれる。」とある。宿紙の名称が生まれた理由としては肯定しがたいが、再生紙を漉くに至る事情については、すべてそうだとまではいわないまでも、そうしたこともあっただろう。

 禁裡だけではなく、普通の人の家でも、尊重されている人の反故などが多いときには、よそへやるわけにもいかず、焼き捨てることも遠慮されるので、漉き返すこともないではない。再生紙をつくることは、器具も多く必要とはされず、非常に簡単である。この句の手づから薄葉を漉くは、新しく紙をつくるのではなく、由縁のある人の、鷺の子が遊ぶほどの閑寂な別荘に池があるのを利用して古い紙を漉き返すのである。前句の景色、薄葉というもの、手づからという言葉をよくよく味わってみれば、生業などでないことは火を見るより明らかで、また紙屋紙のことを知っているものはすぐに作意がわかるはずである。

 この句、窓というところからすでに紙すき場などではないことをあらわし、十分に働きがあり、詩味が行き渡っており、前句とのかかりも面白く、情感をもたらすよい句であるのに、前人はその味がわからず、問題にならないやり句などと誹謗し、「飯に戻れと面々の親」などという野卑な句をつくって、こうすればもっとよくなるだろうといっているのは、笑うに堪えない。

 『冬の日』は詩のいっそうの高みを競う集であり、あの傲岸な許六でさえ、この集を呼吸を合わせて集中した風があり、普通の人には理解しがたいものである、といったのは、芭蕉をはじめ四俊、正平、羽笠などの粉骨砕身が並々ならぬもので、吐き気をもよおすほどの苦労をあえてして、新たな旗を天下に立てようとしたのをわかっていたからである。「飯に戻れ」といったような砕けきった俗調の卑しさを気づきもしないものの誹謗はばかげたことである。

2014年9月26日金曜日

ブラッドリー『論理学』76

 §52.この実在の性質は判断においては明らかにされておらず、仮言判断では隠された潜在的なものである。結果からそこに存在することを知るが、それがなんであるかを言うことはできない。更なる探求を経なければ、要素もその間の関係も非常に異なった別の判断で認められたものと同じものかどうかさえ見分けることができない(第三章§19参照)。そして、探求を更に進め、こうした性質は我々の判断の基盤にあるもののようだが、常に隠されているのだろうか、それともこの種の判断でだけ隠されているのだろうか、と問うと、再び難解な問題に足を踏み入れることになる。確かに、一方において、我々はそうした判断の基盤となるものを見いだすことができ、それは比較的明瞭である。しかし、そのことは、結局そうした性質というのは隠されたものであることをやめるのだろうか、という疑問に我々を近づけるだけである。実在の性質と言えるような判断の基盤を我々は得ることがあるのだろうか。あるいは確実に真であるがその要素も要素の関係も実在に関して真ではない究極的な判断と共に残されるのだろうか。結局、我々が総合の土台にあると知っている性質は常に未知のままにとどまり、隠されていると言わねばならないのだろうか。ここで尋ねられているのは、形を変えた解釈の限界に関する問題であり、その追及は形而上学の仕事であるので、このくらいで中断しなければならない。

2014年9月25日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻27

蓮池に鷺の子遊ぶ夕まくれ 杜國

 前句を逸らして、人事が続いたのを、蓮の葉陰に鷺の子の毛の生えそろわぬのが三四羽いる景色とした。これは面白い古風な俳諧の付け方で、この頃はなお希にこうした姿のものもある。古俳諧では、人事の句ばかりが続くと、一転して横にそれ、景色の句をだすことがよくあった。

 たとえば、「はさみ切るかやあたら髪さき」という恋の句に、「蟹の住む此の川岸のふし柳」、と松江重頼が付け、また、「涙をや鬼の目にさへこぼすらん」という前句に、「柊のさきに見ゆる朝露」、と松永貞徳が付けたようなものである。「三絃からん」から五句みな人事のことに終始したので、一転の作としてこうした句も場合によっては悪くないと芭蕉も許したのだろう。

 蓮の葉傘の下の鷺の子、「子」の字が眼目である。それを「遊ぶ」という箇所を眼目だとして、屋敷者が金を使い果たして、ようやく一本求めた傘に四五人寄り添う江戸不忍池の弁天詣りの風情などと注解するのは面白くない。

2014年9月23日火曜日

ブラッドリー『論理学』75

 §51.あらゆる判断において、真理は我々がつくりだすもののようには思えない。我々には多分判断する必要などはないのだろうが、もし判断をするとすべての自由を失う。実在との関係において我々は強制されているのを感じる(§4)。定言判断においては、要素そのものが我々の選択にはまかされていない。我々が考え、言うことのできるものは、存在する。しかし、仮言判断においては、要素に関する強制はない。実際、第二の要素は第一の要素に依存しているが、第一の要素は任意のものである。それは私の選択にかかっている。それを実在に適用するのもしないのも望むがままである。そして、自分でつくった仮定から身を引くことも自由である。条件が続く限り、結果も同じように続く。強制は両者のつながり以上には拡がることなく、つながりそのものにも届かない。仮言判断の要素の関係は、その関係自体が任意のものなので、実在の実際の属性ではない。実験の外では真である必要はない。実験の前に存在した事実は実験の後も真であり、実験にはなんの影響も受けず、その要素でも、要素間の関係でもない性質である。実在として真である連続性の土台となるもので、この土台には強制が働いている。

2014年9月22日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻26

ひとつの傘の下こぞりさす 荷兮

 前句の賑わしい光景を描き出した。傘は長柄の爪折りなどで、美しく正装した役僧を取り巻いて、小僧や寺役人など続々と出迎えるのに、こちらは案内の僧を先にして、総名代、村の名代など群れ集って練り込む俗僧俗衆の仰々しいさまは、殊勝なことも世俗的な名聞ととともに行われる世相をあらわしている。前句とこの句を目を閉じて味わうと、大寺のなかの、高い甍の堂の前で、石畳の道上で行われる演技めいた光景が絵のように見える。

 ただしこう解釈すると、黄金打荷うという主体のある句に別人物の句を付けたことになり、連句の法則として認められているところとは外れることになる。しかし迎えづけの句などは、主体のある句に別のものを付けたようなものもある。

 『冬の日』炭売の巻などでは、発句は人の言葉の形を取ってはいないが、まさに炭売りの男のことをいっていて、脇句は鏡研ぎの男の様子を付けている。また、包みかねての巻の「らうたげに物よむ娘かしづきて」の句に、「灯籠ふたつに情くらぶる」のつけ句は、明らかにその娘に男たちが灯籠を寄せることをいっている。

 強いてこの句を主体の句に付けるには主体の句でなければならないという法則に従って解釈するときは、寄進の人々がみなひとつの大傘の下に威儀をつくろって練り歩くことになる。興味は薄いが、それも一解ではある。

 この傘を雨傘とし、寺を貧しい山寺と見なして、帰り道の雨に一本の傘を五七人してさすとする解は、前句とこの句との句ぶりに思いを致していない。「御堂に黄金打荷ひ」とあるのに、身にしみるような貧苦の様子がどこにあろう、一ツの傘の下挙りさすというのは、熱真っ盛りでなくしてなんであろうか。句の姿にその様子を見て取るべきであり、そうすれば句は自ずから解ける。句の意味合いだけを探って、その姿を忘れるべきではない、句はいつまでも解釈できない。

2014年9月21日日曜日

ブラッドリー『論理学』74

 §50.私がある男の所に行き、そのふるまいについて質問すると、彼は「私は別のやり方ではなく、このようにするべきなのだ」と答えたとすると、私は彼から事実についていくつかの知識を得たことになる。しかしその事実とは創案された立場でも、仮定された行動でも、それらの間の想像的な関係でもない。ここの事実とは、その男の性向にある性質である。ある意味それは試験に対する答えになっている。しかし、その試験は虚構であり、答えも事実ではなく、男はどちらによっても性質づけられはしない。実験によって明らかにされたのは彼の隠れていた性格である。

 このことはすべての仮言的判断について言える。実在の形容として肯定されるような事実、真あるいは偽であるような事実はこの判断にはあからさまにあらわれはしない。観念実験の条件も結果も真として捉えられはしない。肯定されているのは、つながりの土台となるものである。実在の実際に存在する行動ではなく、傾向としてある隠れた性質、実験によってあらわれた性質であるが、その存在は実験に依存しているわけではない。「君が気圧計を壊さなかったら、それが危険を知らせてくれただろうに。」この判断において、我々はそうした状況の、そして自然の一般的な法則の現実における存在を認め、もしある条件があると仮定すると、ある結果が生まれるとしている。しかし、そうした条件や結果は実在の性質ではないし、それ自体が実在だとほのめかすこともできない。それら自体もその関係も共に実在は不可能である。それは我々の目の前にある現実の世界に認められる圧力やそうした結果をもたらす法則を縮小したものである。もちろん、その法則は更に分解してみることができる(§52)。

2014年9月20日土曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻25

奉加めす御堂に黄金打荷ひ 重五

 奉加めすは奉加金めすということで、縁あるものに書状を廻し、仏像建立などの金を募ることである。御堂は本願寺御堂などのたぐいで、大きな寺の堂である。そこへ納金する千両箱、村々の各人の金高名簿など、大きな足つきの白木の台に乗せ、油籠をかけた釣り台で多くの人が担い込むなかには、何百何十村の世話頭とされ、役僧に丁寧に挨拶され導かれるものもあり、白い髪、皺のよった額、朝夕お経の読誦に余念なく、信心堅固、報恩謝徳の行いが人にも知られた福々しい老人もいる。前句の「さても七十」はこの人の年齢であろう。

2014年9月19日金曜日

ブラッドリー『論理学』73

 §49.我々が判断しなければ、真も偽も存在しない。この作業は、その限りで「主観的」だと言える。それはすべて我々自身が頭のなかで外とは関わりなくすることである。実在は我々が適用する属性によって性質づけられていない。しかし、我々が判断するやいなや、真か偽が生まれ、実在が問題に関わってくる。ここでは、「もし」とその結果である「そのとき」との、条件と実験結果との関わりが主張されている事実であり、それが実在そのものの真か偽なのである。

 しかし、問題はどのようにしてかである。仮定した観念内容を主張しているわけではないし、その結果の存在を主張しているのでもない。また、つながりの存在を主張することもできない、というのも、いかなる事実も関わっていないときに、どうしてあるつながりが事実であり得ようか。「黙ってさえいれば、きみは哲学者で通るだろう。」しかし、あなたが黙っていなかったから、哲学者とは思われなかったし、人は別の結果であることはないし、それは可能でもない。実在が二つのものの関わりで性質づけられなければならないとすると、性質づけられることなど全くないように思える。条件も、結果も、関係も実在に帰することはできない。だが、我々は判断のためにはなにかを実在に帰さねばならない。しかし、なにが可能だろうか。

2014年9月18日木曜日

高柳重信の一句

 『鬣』第48号に掲載された。

秋さびしああこりやこりやとうたへども

                                               齋藤 礎英

 おそらく他の『鬣』同人の多くと大きく異なることのひとつは、私がついぞ高柳重信にイカれたことがないということにあろう。嫌いとまではいかないが、平岡正明が言うように、思想はいくらでも変わりうるが、趣味は絶対だとするなら、高柳重信は私の趣味には合わない。ふらんす堂の中村苑子が編集した『夜想曲』という瀟洒で薄い文庫本が重信の句をまとめて読んだすべてで、その編句集にもここで私が選んだ句以外には数句しかチェックを入れていない。それゆえ、重信の句が全体で何句くらいあるのか、いかに多行形式を極めていったかなど、肝心なことはまったく知らない。

 「「月光」旅館/開けても開けてもドアがある」などは、ちょっといいなと感じないこともないが、総じて格好をつけすぎているように感じるのだ。構図を決め、照明の量と加減を決めた上で撮られた写真のように感じる。言いかえれば、偶然性が念入りに排除されている。たしかカール・ポパーだったと思うが、ハイゼンベルグなどによって量子力学の不確定原理に関連して、科学における主観性の役割についてかまびすしかったときに、どんな科学においても主観性は必ず介入するものであるから、主観性の役割について論じるなどはよけいな心配にすぎず、客観性を厳正に追求すべきなのだと書いていた。同じように、偶然はどうしても関与するものであるから、それをいくら排除しても排除したりることはない、というのも立派な態度だと思うが、科学はともかく、偶然性を排する方向に向かう俳句は私の趣味に合わない。

 重装備で息苦しい俳句が、かといってエロティックな襞を感じさせないことも不満である。立川談志が枕でよく言っていた数え歌に、「十二単とするときにゃ、かきわけかきわけせにゃならぬ」という一節があるが、重装備とはいっても襞の多い十二単というよりは、西欧風の鎧を連想してしまう。松尾芭蕉を神格化するつもりなど毛頭ないし、芭蕉風の俳句の作り方をしたことさえないが、身軽に旅にでて、眼にとまったことを俳句にできればそれに越したことはないとも思う。

 これらに関連するが、俗っぽさがないことももの足りない。狂歌や川柳のように俗化を旨にするべきとは思わないが、俗な部分が欠けていることで、私が俳句に求めている世界に開かれた感覚にも乏しいように感じられるのである。

2014年9月17日水曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻24

寝覚め/\のさても七十 杜國

 碁を打っていたふたりのうちにひとりが、寝覚めがちな床のなかで、ああ自分も老いてしまった、寝覚め寝覚めの夜々が積もっていまは七十、さすがに昼間は頑健なことを誇って、太公望や范増などを気取っていたが、と秘かに切なく感じるさまを描いている。句づくりは平易で、その情にふさわしい。

2014年9月16日火曜日

ブラッドリー『論理学』72

 §47.これだけ言っておけば先に進むことができる。しかし、もう一つの例を挙げて、仮言的判断を定言的判断に変えようとする試みの無益さを例示してもいいかもしれない。J.S.ミルは『論理学』(I.4,§3)で、この問題を安易な優越感をもって扱っている。「条件命題は、命題に関する命題である。」

 「主張されているのは、どちらかの命題の真理ではなく、一方から他方への推論である。」「もしAがBなら、CはDである、というのは、『CはDであるという命題は、AはBであるという命題から論理的に推論される』と言うことの省略である。」

 この教義が命題の意味についてのミルの他の見解とどう結びつくのかについては、ミル用語の専門家が知らせてくれるだろう。我々ができるのは彼がここで言おうとしている教義を判読することだけである。(i)もし彼が本当に「推論」を意図しているなら、問題は既に終わっている。というのも、それは同時に言明はあるものについてではなく、あり得るもの、あったかもしれないものについてだということになるからである。それは単なる存在についての命題ではなく、明らかにある種の仮定を含み、それゆえ定言的形式に還元し得ない。ABを得たと仮定するとそのとき論理的にCDに行き着くことになろう。(ii)しかし、ここにはこうした言い抜け以上のものがあることは疑いない。彼は一方が他方からの推論であると言っている。このことが意味するのは(a)現実には両者が主張されており、その上で、私が実際には第一のものから第二のものを論じているのだと主張しているのだろうか。きっとそうではないが、ではどうなのだろう。(b)どちらの命題も主張せず、それらを心に保持し、その関わりを主張しているなどということが可能だろうか。そうかもしれない。しかし、信じてもいない言明を取り上げ、その帰結を追うという過程は、実際のところ、仮定以外の何ものでもない。主張されたつながりは実在どうしのものではなく、命題はいまだ仮言的である。(iii)しかし、この節の終りにでてくる途方もない言葉は別の解釈を示している。「主語と述語は命題の名である。」理解しようとする希望のない労をとることはやめて、問題をジレンマの形で示してみることにしよう。それは(a)語の小さな固まりという意味における一つの命題が、私の頭のなかの個別的な出来事として同じような別の固まりに続く、ということなのか、あるいは(b)もし一方があれば、他方がそれに続くであろう、ということである。もちろん、第二の選択はいまだ仮言的である。第一の場合、最終的には定言のようなものを得るが、そこには仮言的判断(実際にはいかなる判断でも)を還元しうるようなものはなにもない。あまりにひどい誤りで、反駁する価値もないといえよう。

 著者の意図がどのようなものだろうと、結局のところ、我々は次のことを確信できる。仮言的判断を還元できると彼が自称している定言的判断はその名に値しないか、あるいは、言葉の曖昧さという薄膜の下に判断の条件である仮定が含まれているか、そのどちらかである。

2014年9月15日月曜日

金春坂の道のうねうね

 『鬣』第48号に掲載された。

さびしさが芯となりくる福茶かな

懐中で蝿取り紙を解くおんな

受胎師が雛定めする春の夜

哈爾浜を鏡に見やる冷製倶楽部

丁半に負けて鏡に虫がわき

木の洞(うろ)をあふれだしたる固結び

寒天の転生先は舞鶴に

開化時に毒を呑んだるあんこのだんご

砂肝を論語知らずが串にうち

貧すれば鈍する核(さね)を蜜漬けに

赤茄子が闇に紛れる気配がし

燕人(えんびと)が一斗の酒を肴にす

仙骨を一反木綿に按摩させ

アイドルの古式ゆたかなバラバラ死

観音がバランスボールで膝を割り

巫女ですが虫はどうかと打診され

燃えあがる炎の凍る乳房かな

枕添松露でできた皺の数

2014年9月14日日曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻23

道すがら美濃で打ちける碁を忘る 芭蕉

 旅にある体の句である。一句、前句とのかかりは自ずから分明で、解釈を必要としない。ただ「すがら」という語には、二つの意味がある。夜すがら、日すがらなどというときは、夜がつきるまで、日がつきるまでということである。行くすがら、身すがらなどは、それなりという意味で、直従(すぐから)である。近松の浄瑠璃に見える「身すがらの太兵衛」などは、その身それなりの意味のあだ名である。ここの「道すがら」も、道をそれなりにそのままにということで、つまり道をただたどっている。

 見るものもない山道の道中、互いに碁を自慢するものが、おぼつかなくはあるが、歩きながら一局勝負をしようと、五の六、六の五などと打っている様子で、碁盤などなくても碁ができることは、あの王積薪が宿を借りた家の老婆と婦人だけでなく、少し碁に長じたものならば、できることである。ここでは「美濃で打ちける碁を忘る」とあるので、冗談などを言いながら不破の関も越えてからのことで、近江路に入って宿を取り、湯にも入って、さてまた碁盤を借りて打ち掛けの部分から打ち直そうとするのだが、「三絃借らん不破の関人」などと戯れていたときには、関もなく三味線も借りる必要もないのでよかったが、実際に碁盤を前にしてみると、本因坊のような棋力があるわけでもなく、美濃地の一日をかけて打った碁も、そこはそうではない、ここはこうだと、お互い争いになり、記憶もはっきりせず、やれやれなんの役にも立たないばかげた戦いをしたものだと、素人芸の本性をあらわしたおかしみが伝わって、頬を緩ませることになろう。

 これを隣の三絃に気が浮だって、碁などの窮屈な遊びは忘れて、今夜は一献賑わしく酌み交わそう、などと解するのは、この句で「美濃で打ちける碁」とあるのを見ないで、前句の不破の関に魂をへばりつけてしまったことからくる過失である。高慢と洒落と阻喪と軽い悲哀とが錯綜した滑稽さの情景を点出した芭蕉の面白い世相観察を見過ごして、野卑な面を見せて今夜は一献酌み交わそうなどと解釈するのは、実に片腹痛く口惜しいことである。

2014年9月13日土曜日

ブラッドリー『論理学』71

 §46.ここで反対意見のために立ち止まらねばならない。「定言的と仮言的との区別は」と我々は言われる、「実際には錯覚である。仮言的判断はすべて定言的なものに還元できるし、結局のところ定言の一種に過ぎない」のだと。もしそれがしっかりと確かめられるなら、確かに我々に深刻な難点を引き起こすことになろう。しかし、我々はそれほど困ることはないと私は考える。

 「もしAがBなら、それはCである、というのは、BであるAという事例はまたCでもある、と等しく、それが定言判断なのは確かだ」と言われるかもしれない。もし「BであるAの事例」というのがABという存在する事例を意味し、それ以外ではないなら、判断が定言的であることに疑いはないが、それは抽象的普遍ではない。それは単なる集合であり、我々が仮言的判断ということで意味していることを意味していないのは確かである。「もしバターを火にあてると溶ける」というのは、存在するバターの固まりについての主張ではない。それを「バターをなにかにあてるあらゆる場合において等々」といった形に変えても、より以上に定言的になりはしない。「あらゆる場合」というのはここでは「どの場合を仮定しても」ということを意味している。

 実際、もし我々が常に事実についての単純な主張と仮定の力を借りた主張との相違を目にとめておけば、こうした初歩的な誤りにとまどうことはあっても、道に迷うことはないだろう。

2014年9月12日金曜日

県下ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト――ノート21

 ポオのいう「影の影」は持続のない点でしかないために、思想としてあらわすことはできないが、ポオがその表現を諦めているわけではない。ポオは、必要条件さえすべて備わっているとき、「幻想」の起こる状態を制御できるようになった。また、「幻想」から眠りへと陥るのをとどめ、記憶できるようにもなったという。

 その恍惚は「人間を超越したものであり、精霊界を啓示するもの」で、こうした「霊的印象には、日常の印象と似通ったものが全然ないからである。私は丁度、五官の代りに、五万の、人間のものではない感官を持たされたように感じる」とポオが書いてあるのをみると、あるいは極彩色のサイケデリックな幻覚などを連想してしまうが、むしろ真の「影の影」とは、日常の世界と似かよっていながら決して日常にはあり得ないような、世界にあいた穴、裏返しになった世界のようなものではないだろうか。

 デヴィッド・チェイスが総指揮をとった『ザ・ソプラノズ』というアメリカの連続テレビ・ドラマがある。コッポラの『ゴッド・ファザー』やマーティン・スコセッシの『グッド・フェローズ』の流れを汲むマフィアが主人公の物語だが、中心となるトニーは、ニュージャージーを支配し、富もすでに得ている。チンピラからボスに這い上ることが物語の求心力として働くわけではないことで、通常のマフィア映画とはまったく異なった視界が広がっている。事実、『24』のように各話ごとにクライマックスが連続するシリーズとは異なり、海の沖のようにうねりだけが存在している。

 抗争や過激なバイオレンス描写もあるがそれと同程度に(あるいはそれ以上に)、強く愛してはいるが意地悪で強圧的でもある母親との葛藤や成長していく子供たちとのあいだの誰にでも起きうるような諸問題が扱われているのが特徴である。また、トニーは、剛胆さと用心深さを兼ね備えているが(暴対法にあたるものがアメリカでも施行されており、アル・カポネのように、街中で銃を撃ちまくって相手組織を潰せばすむような時代ではなくなっている)パニック障害で昏倒してしまうことがあり、ファミリー・ドクターの勧めで、精神科医に通っている。だが、そのことは総じて「インテリ」を馬鹿にしているマフィア仲間のうちで公言することはできない。しかも、こともあろうに、その精神科医は女性なのだ。

 第一シーズンの後半、身内のなかにFBIとの内通者がいることがわかり、また、実は組織のすべてを取り仕切り、自分を窮地に追い込んでいるのが母親であることが明らかになってくる。ストレスがたまる一方のある日、二階の窓から隣の家で若い女性が洗濯物を干しているのを見かける。また別の日、風で飛んだのか、草むらに落ちている洗濯物を拾い、庭に座っている女性に手渡し、ちょっとした話を交わすようになる。それによると、彼女はギリシャから出てきて、アメリカで歯科の勉強をしているという。隣家の人々が旅行しているあいだ、留守番かたがたいるらしい。ギリシャの穴蔵のような小さな家で、隣で彼女が幼子に乳を与えている美しい夢を見る。二階の窓から外を眺めている夫の姿を見た妻が若い女を認めてちょっとした口論になるのだが、特にトニーは性的に彼女を見ているのではなく、あり得たかもしれない幻想の対象として、暴力や血みどろの葛藤がなく、富もなく貧しくはあるかもしれないが平安の象徴として見ていたのである。

 ところが、隣家の人々が帰ってきたとき、主人にギリシャ女性のことを聞いてみると、狐につままれたような顔をしている。要領を得ないまま、妻にも尋ねてみるが、彼女も変な顔をしている。口論したことももちだしてみるが、なんのことを言っているの、という反応しか返ってこない。つまり、ギリシャ女性に関することはすべてトニーの幻想であったのだ。

 あるいは、それはポオの『マルジナリア』同様に吉田健一が翻訳したイブリン・ウォーの『ピンフォールド氏の試練』のように、精神科で処方された薬の作用によるのかもしれない。この小説では、船旅をしている小説家が、おそらくは薬の副作用によって、船員や客の多くに意地悪され、陰謀が張り巡らされているという被害妄想に襲われる。結局、妄想が晴れ、「ピンフォールド氏の試練」という新しい小説を書きはじめることでこの小説は終わるのだが、『ザ・ソプラノズ』のエピソードは無意識が現実のなかに突発的に介入する幻想の性格において、ブニュエルの映画により近いかもしれない。実際、映画監督でもあり、ホークス、フォード、ラングなど巨匠と呼ばれる作家たちのインタビュアーであり、トニーがかかっている女性精神科医のカウンセリングをしている精神科医として俳優としてシリーズに登場するピーター・ボクダノヴィッチによる制作総指揮のデヴィッド・チェイスのロング・インタビューでは、チェイスはブニュエルのファンであることを自認している。


 夢や幻想に対する反対意見は、ミラン・クンデラが『ほんとうの私』という小説で、登場人物に次のように考察させている。

 夢によって惹きおこされた不快感がとてつもないものだったので、彼女はその理由を解読しようとつとめた。あたしがあれほど動揺したのは、と彼女は思う。夢によって現在の時間が抹殺されたからだ。というのも、あたしが自分の現在に激しく執着しているからで、あたしはなにがあってもこの現在を過去とも未来とも交換しはしない。だからこそ、夢が好きではないのだ。夢は同じひとつの人生のさまざまな時期を平等にしてしまうけど、そんなことはとうてい受け入れられない。それに、人間がかつて生きた一切のものを無理やり均質にして、同じ時代のものにしてしまうし、現在に特権的な立場を認めることを拒んで、現在の価値をさげてしまう。(西永良成訳)

 周知のように、夢や幻想の擁護者として徹底していたのは澁澤龍彦である。擁護者といっては言葉が弱く、アナキストにして皇帝であると書いたのは種村季弘だったが、悪魔学もエロティシズムも古今東西の綺譚も同一平面にあり、いわゆる「現実」などは形而上学や寓話への道筋を開かない限り鼻もひっかけなかった。人間の生は夢のごときものだというのは、比喩としては手垢にまみれているが、大病によっても生に執着することはなく、「ますます観念的になり、ますます『人生は夢』という意識は強くなって・・・・・・やがて夢をみるように死んでゆくでしょう。」(池内紀との対談「澁澤龍彦氏に聞く」)と言いきり、実際にそのように死んでいったのをみると、到底及ばないものを感じる。

 その死後、晩年のエッセイを集めた『[都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト]』が刊行された。知識の量においても生に対する姿勢においても遙かに及ばないが、唯一私が自慢できることがあるとすれば、幻覚を見たことがあることだ。しかも、澁澤龍彦の場合、手術後の痛み止めの麻薬が原因らしいが、私の場合自前で見たのであるから自慢しないわけにもいくまい。病院で見たことも同じで、病院に運ばれる前に2,3度血を吐いているので、必ずしも自前で絞りだしたとは言えないかもしれないが、どんな幻覚でも原因があることを思えば、原因も自分であってみれば自前といって差支えないだろう。また、「生れてから一度として、幽霊もおばけも見たことがない」し、「例えばメリメのように、鷗外のように、私は怪異譚や幻想譚を冷静な目で眺めることを好んでいたし、げんに好んでいるわけで、ネルヴァルのような譫妄性の幻覚には自分はまったく縁がないと思っていた。」という点についても澁澤龍彦と同様であったので、幻覚を見たことは実に新鮮な経験であったのだ。

 結局私はその病院で、二度幻覚を見た。一度目は、救急室に運ばれたときのことで、ペイズリー柄のようなよくある模様の天井だったが、その柄が壁のほうに流れていった。妙なだ、と思って目をこすったりぎゅっとつぶってみたりしたが、あいかわらず流れているので、これが幻覚なのかと妙に納得した。

 一度目の幻覚は、かくしてごく単純な知覚的なものだったが、二度めの幻覚はより物語的な起伏に富んだものだった。あとになってわかったが、私が入院したのは古い病院で最新の器具や集中治療室もなかったが、軽い手術後やしばらく様子を見なければならない患者は最上階の(といっても3,4階)看護師さんの詰め所近くにベッドが置かれた。そこにいたとき、最初、患者は私ひとりだった。そこは備品置き場も兼ねているらしく、ちょうど入れ替えのときだったので、騒がしくなるのでベッドを移動しましょうか、と尋ねられたが、いや別に構いませんよ、と私は答えた。ベッドはカーテンで締め切られている。しばらくすると、カーテン越しに右手の壁が開き、スモークがたかれ、舞台で使うような強い照明の光が差し込んでいるのが見えた。照明の先には祭壇のようなものが築かれ、しずしずと歩んできた男がラテン語を唱えだし、ぴかぴか光っているナイフ状のもので、祭壇に横たわっている人間を幾度も突きさした。また、太い綱で巨漢の白人を打ち据える。この大男はうなり声を立てながら私のカーテンの裾まで転がって来ると、ずっと丸まってうなり声を出し続けている。

 まず考えたのは夢ではないかということだった。夢との関係についてもちょっと述べておくと、これもまたどこかで澁澤が言っていたのと同じく、私はいやな夢を見たことがない。年に2,3度、血まみれで逃げ惑うようなスプラッタ映画そのままの夢を見ることはあるが、おそらく心のどこかで夢だとわかっているのだろう、楽しく感じている。遊園地でジェットコースターを楽しんでいる感覚に近しいかもしれない(私はそちらの方は、回転木馬さえいやなのだが)。

 しかし、もし自分が見ているものが夢なら、カーテンに囲まれたベッドにいる目覚めているときと同じ状況にあることが妙であるし、周りにある物を次々に触れてみると確かな感覚がある。視覚も聴覚も触覚も確かに働いている。夢だと意識している夢はあっても、感覚を確かめて確固たる手応えを感じるような夢は見たことがない。そこまで考えると、世界にひび割れが入ったように本当に怖くなってきた。こんなに近くに置いておいて、自分がこのままで済むわけがないと思ったこともある。最大の勇気を振り絞ってカーテンの裾を少しまくってみると、やはり大男が身体を丸めて呻いている。キリスト教から派生したある種のカルト集団で、鞭打ち苦行的な実践をしているのだと推測された。儀式が終わると歓談が始まり(半分は外国語だった)、それも終わるとごめんね騒がしくて、と看護婦さんが言いにきた。それからとろとろと眠ってしまったのだろう、朝見る部屋はホラーゲームの『サイレント・ヒル』に出てきてもおかしくはないほど古びたものだったが、それ以外に特に変な部分はなかった。それで幻覚だったということがわかった。

 わからないのは原因である。強い痛みを伴うような病気ではなかったので、点滴はしていたが痛み止めのようなものは使われなかったはずだ。酸素マスクをしていたが、高山病のように低酸素で幻覚を見ることは聞いたことがあるが(久生十蘭の短編にも高山でおかしくなる印象的な様子が描かれていたと思う)、酸素を吸入していておかしくなるのは聞いたことがない。一週間ほどたって、一般病室のほうに移ると、廃屋のような『サイレント・ヒル』的な要素は薄れていて、いささか残念に思わないこともなかった。

2014年9月11日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻22

三絃からむ不破の関人 重五

 貞亨二年三月、「菫草の巻」の歌仙に、叩端の句、「虚樽に色なる草をかたげ添へ」というのに、桐葉がつけた「芸者をとむる明月の関」という句がある。あたかもこの句の裏を行ったもののようである。ここの一句は、関の手形のないものが、遊芸のものだと名乗って、三味線をかして下さい、ひとつお聞かせしましょうといっている体である。だが、不破の関は早く廃れてしまったので、関もなく関守もいないのはもちろん、手形に変えようとした三味線の一手の必要も自ずからないことになる。

 これはただ篠深く柿の帯がさびしいところで、ここが不破の関屋のあたりだと聞いて、旅人の自分は手形もないが、幸いに三絃は弾けるので、芸人だといって通ろうなどと冗談めかしている様子である。同行するものが、あなたの三絃ではおぼつかない、「吉野の山を雪かと見れば」の一手しか知らないじゃないか、などといって笑い合うさまが思われて面白い。美濃は柿の名産地として有名なことなどは注するにも及ばないだろう。

2014年9月10日水曜日

ブラッドリー『論理学』70

 §45.「すべて」の使用は、既に見たように(§6)、最も誤りやすく危険である。それは普遍を集合という意味に理解させがちであり、多くの間違った結論を導きだす。我々は至る所で、この量についての法外な教えが行なわれ、伝統的な論理学が嬉々としているありさまを見ることになろう。後に推論を扱う際には、すべてということについての公式見解が不合理で無能なことを見ることになろう。いまはこれ以上「すべて」を集合として捉える試みを批判する必要はない。もしその使用が正当化されたとしても、見当違いなものとなろう。というのも、「すべて」が実際の事例の集合を意味する判断は、我々が既に扱ったクラスに属するものだからである。もし「すべて」が無数の個的事実を意味するなら、判断は実際にある個別的なものに関わる。そうであれば、それは明らかに単称判断の一形式でしかない。「すべてのAはBである」はこのAはBであり、あのAはBであり、他のAはBであり、とすべて言い尽くされるまで並べていくのを省略したものであろう。そうした判断は明らかに単称判断に分類される。

 しかし、このクラスが前に述べたカテゴリーのなかに消え去ってしまうなら、なにか普遍的判断と言えるものが我々に残されているだろうか。それは疑い得ない。というのも、個別的な事例の存在を主張しているのではない判断が存在するからである。我々はすぐに形容詞的な要素をつなげ、現象の系列についてはなにも言わない判断に行き当たる。そうした抽象的普遍は常に仮言的で決して定言的ではない。



2014年9月9日火曜日

神に対する会話の勝利――エリック・ロメール『モード家の一夜』

 「鬣」第48号に掲載された。

1968年。「六つの教訓話」は6本の映画から成り立っている。2本は短編で、『モード家の一夜』はシリーズ上は3本目だが、完成したのは4本目となる。

どの映画も組み立ては同じである。男が女と出会う(『愛の昼下がり』のように古い友人との再会のこともあるが)。そして彼女に魅力を感じるが、最後には妻や恋人の元に戻る(『モード家の一夜』の場合、ミサで出会った名前さえ知らない若い女性が一目惚れの相手なのだが)。

六本のうちでこの映画が特異なのは、主人公の男がカトリックの信者で、ミシュランに勤務する知識人だということにある。ロメールの多くの映画で会話は大きな役割を果たしているが、特にこの映画の場合、パスカルについての議論が2時間弱の映画のほぼ3分の2以上を占めるのだ。

他の映画では中年の男性と若い女性との会話が最も多く、会話が多いとはいっても、社交界での機知の応酬や言葉によって戦うといった性格はそれほど強くなく、より教育的な、あるいはじらすかのような前戯的色合いが強い。

その点についてもこの映画はシリーズのなかでは異色で、男性がミサで見ほれる女性こそ少女に近いが、彼女に立ち戻るまでに魅力を感じる女性、つまりモードは子供もあり知的にも生活的も自立した女性である。

たまたま出会った学生時代の男性の友人は、いまでは哲学の教師をしており、彼とのあいだにパスカルの著作に見られる蓋然性や賭についての話が始まることで議論が始まる。友人は彼を女友達のモードのもとに連れて行き議論はさらに続けられる。そして、友人はモードを彼に取り持つかのように先に帰ってしまう。

実際、サドがよく知っていたように、抽象的なものとエロティックなものには独特の回路があり、議論のあとベッドに入る二人の姿にはきわめてエロティックなものがある。しかし、男は結局モードに手を出すことなく、ミサで出会った少女に告白し、結婚する。かといって、長々しい神についての議
論が有効に働いて、男にその選択をさせたのだと考えるべきではないだろう。

というのは、神とは無限であり、「無限に一を加えても、無限は少しも増加しない。無限の長さに一ピエを加えても同様である。有限は無限の前では消失し、たんなる無にかえる。われわれの精神も神の前ではそうであり、われわれの正義も神の正義の前ではそうである。」(由木康訳)のであるし、選択といえば神の存在を選択するかどうかだけが問題だからである。

さらには、このシリーズで「モラル」と言われているのは、外側からの宗教的あるいは道徳的な規範といったものではなく、十八世紀的な意味における行動のあり方といったものだとロメール自身言っている。それゆえ、男がモードとセックスをしないのも、堅固な宗教心からではない。

しかしながら、男女間の交渉で唯一この映画で見せられるものである議論は、その完成度によって映画的な持続を支え、映画を宰領することで神などよりずっと大きな存在となって映画の選択を迫るのである。

2014年9月8日月曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻21

篠深く梢は柿の帯さびし 野水

 「篠」は「しの」と読んでも「すず」と読んでも同じことだが、「すず」と読むべきである。すずは芳野山に読み合わせた歌が多く、「すず吹く風」、「すずのかり寝」、「すず分けわぶる」、「すずの下道」などという。「はるかなる野中の松を友と見てすずのしの屋に世をや過ぎまし」とは寂蓮のいい歌である。

 この句は真の山中ではないが、山中のおもむきを移してつくった侘び構えの小庵に閑寂を楽しむ隠居の様子である。「柿の帯さびし」は、渋柿の小さくて出来の悪いものを取りもせずそのままにしておくと、実が落ちて帯は残り、枝についたまま長く残るものである。廂の傍らにある柿を取り繕わない鄙ぶり、そこに詩眼が目をつけた。柿を育て実を得ようとするものは、出来がよかろうと悪かろうと、小枝を折り取って、次の年の新しい枝に花が咲き実がなるようにするものであり、梢に帯を残したままなのは、ただ柿の木をあるがままに放って置いて、利益を得ようとしていないことは明らかである。

 前句とのかかりは、その家の老人などが、朝まだきに紙燭をともして、縁先に出てみると、篠はまだ暗く茂って、柿の梢には帯が点々と透かし見える様である。篠は松などのように四季を通じてあるものなので、季はない。だが、すずをタケノコの小さなものとすることもあり、『古今著門集』巻十八に、石泉法印祐性が鞍馬寺の別当で、すずが多く取れたのである人のもとへ遣わすときに詠んだ「此すずは鞍馬の福にてさふらふぞさればとてまたむかでめすなよ」という狂歌がある。福とは神に供えたものを神より賜り、人に与えることをいう。鞍馬山毘沙門天に百足は縁があるものなので、「剝かで」を掛けて興じた歌である。これは小さなタケノコなので季は夏である。

 曲齋などはこのことからこの句を夏としているが、句集の篠は篠深くとあるので、タケノコではなく、また若く生えでた篠とも限らないので、強いて夏の季とすべきではない。篠を詠んだ古歌は、月、秋風、霜、山伏の峰入り、花、木枯し、時雨などを詠み合わせており、篠というだけでなんで夏の季となろうか。また、柿は渋柿にしろ甘柿にしろ、その実が多いことを願って、みなそれを枝ごと折るので、梢に帯が残っている景色など知らぬものが多い。そこから「帯さびし」のおもむきを理解せずに、曲齋は帯は「たふ」の仮名でつらね書きにしたものを読み間違えて帯の一字をあてたようで、これは柿のたふで、柿のたふは天漿子という虫の巣だといっている。いら虫の巣は豆くらいの大きさで、柿や梅その他の枝上についてあるもので、初夏のころ、虫となって巣だち、その残った殻は小さな甕のようなので、子供はこれをもてあそんで雀の甕(たご)という。雀の甕は、雨などに当っているうちに白くなって、枝にまことに淋しい風情を見させるものである。釣りをするものにとっては秘密の餌であり、どんな魚もよく食いつく。殻のなかにいる幼虫はクリーム色で、バターのように柔らかい。鶯の餌に用いることもある。そうなると前句に響く筋がある。だが、雀の甕を柿のたふということいまだその例証を知らない。柿のたふというのは通常は柿の花をいい、春の末の季である。柿の帯は柿のたふで、柿のたふは雀の甕だという説の当否は、なお再考して定めるべきであり、武断することはできない。

2014年9月5日金曜日

ブラッドリー『論理学』69

 §44.我々は普遍的判断の共通の型に達した。我々がすぐに気づく点は、そうした判断はすべて形容詞に関わるということである。それは内容の諸要素間のつながりを主張し、出来事の系列のなかでそれらの要素が占める位置についてはなにも言わない。「正三角形は等角である」で私が主張しているのは、ある性質の組み合わせが別の性質の組み合わせをもつということで、それがいつどこでなのかについてはなにも言っていない。「哺乳類は恒温動物である」というのは、このあるいはあの哺乳類についてなにかを言ってはくれない。それが私に保証してくれるのは、ある属性があるときには別の属性が見つかるだろうということである。

 抽象的な判断で主張されている事実は主語や述語の存在ではなく(§6)、その二つの間のつながりだけである。このつながりは仮定に拠っている。抽象的な普遍「AはBである」は「Aが与えられた場合にはB」、あるいは「もしAならB」以上のことを意味しない。端的に言えば、こうした判断は常に仮言的であり、定言的ではあり得ない。それらを導入する際に適切な言葉とは「与えられた場合」、「もし」、「するときはいつでも」、「するところでは」、「いかなるものをとっても」、「それがなにであっても」である。「すべて」には用心しなければならない。

2014年9月4日木曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻20

鶯起きよ紙燭ともして 芭蕉

 紙燭は紙をよって、細い枝のようにしたものに脂蠟を滲ませたもの、松のひでを細くけずって一尺ほどの長さにし、手に取るところに厚い青紙で巻いたものをもいう。前者は江戸時代のころ民家で用いられ、後者は平安朝のころ宮中で用いられた。後者は脂燭と書いて前者と区別することもある。ここのは前者のものである。

 一句は、「鳳凰楼老碧梧枝」を「碧梧楼老鳳凰枝」とつくったような倒叙の法であって、紙燭をともして、鶯起きよと呼びかけたものである。「鶯起きよと紙燭ともして」と「と」を加えると、鶯を起すために紙燭をともすことになって、鶯起きよと呼びかけることはなくなる。前句を元日と大晦日との境くらいのときと見て、鶯を飼っているものの夜の様子をつけた。場所は大名の奥と解してもいい。

2014年9月3日水曜日

ブラッドリー『論理学』68

 §43.我々は存在判断の特別なクラスがあるということはできない、というのも、単称判断はすべて存在に関するものであることが明らかにされたからである。この結論をもって、我々は肯定判断の別の項目に移ろう。そこでは我々は個別的な事実やばらばらの個的なものとは関わりをもたない。それらは単称を越えるという意味において普遍的である。それらは「具体的」ではなく「抽象的」で、事物は放っておいて性質やその総合を主張する。この点について、ついでに言っておけば、「一般的」と「抽象的」には真の差異はない。というのも、個別的な事物と比較すれば、一般的観念とは抽象に過ぎないからである。

2014年9月2日火曜日

幸田露伴『評釈冬の日』初雪の巻19

櫛箱に餠すゆる閨ほのかなる 荷兮

 一句は、遊女の室中で、櫛などがある鏡台のあたり、白紙を折って新年の飾りの葉を敷いて、小さな餅を据えたところに灯火がほのかにさしている様子である。遊女たちは、幸先がよいことを願って、座敷の床の間に大きな鏡餅をすえ、蓬莱飾りをするのはいうまでもなく、そこかしこに縁起を祝って餅を据えたりするものである。前句の禿をここでは遊女が召し使う女童と取っている。昔の傾城の使った女童は髪を結うことがなく、首のまわり、肩先に触れるほどに切りそろえてそのままにしていた。そこから禿という。髪を結び、美しい簪で頭を覆うようにしたのはのちのことである。古い浮世絵や浮世草子などを見て確かめてみればよい。

 前句とのかかりは、松の内の花街の夜が更けて、酒の乾きにふと目覚めると、灯火がほのかに広がり、屏風の外れから鏡台に餅が白く見えるなど、遊里のしどけない風情よと、自ずから笑いが催されるとき、禿がまめまめしく優しく気を遣って仕えてくれるのに、禿はいくらの春ぞ、かわいい、と客の思うさまである。

 必ずそうだというわけではないが、もっともよい遊女は、才色すぐれた遊女に、鶯の付け子のように、幼い禿のときから付けられて、あらゆる礼儀作法、学問遊芸、応対談笑、趣味風流のことをあるいは教えてもらい、また自分で見覚え聞き覚えて、相応の歳になって遊女となったものである。これを禿だちの遊女とも禿立ちの傾城ともいう。

 好き者のたとえに、執筆立ちの連歌師、禿立ちの傾城ということもある。すぐれた宗匠について、長く執筆を勤め、その後で自分も連歌師として立つということは、自然に覚えたこともあり、身についたことも多いので、よい連歌師と言われることが多いように、傾城も禿立ちがもっとも上品で、金銭が貴いことなども知らぬほどである。才色すぐれた禿の行く末はそのようなものなので、前句の「いくらの春ぞかはゆき」は、この句を得て光を増し香を添えたといえる。

2014年9月1日月曜日

ブラッドリー『論理学』67

 §42.我々は単称判断の三つのクラスを考慮し、それがどのようにしてあらわれてくる実在に観念を当てるのかを見てきた。我々は既に存在判断を先取りしてしまったので、それについては手早く扱うことができる。ここでは肯定判断に限ることにすると、すぐに言えることは、その主語は究極的な実在で、(a)「これ」によって決定される系列のある部分にあらわれるか、あるいは、(b)現象の全系列に存在するか、である。私が「Aは存在する」、あるいは「Aは実在である」と言うとき、Aの内容が事実上の述語である。我々はそれを、いま述べた二つのどちらかの意味で、存在や実在を性質づけるために用いる。

 存在に関する命題の探求は、判断は観念によって成り立っているという考えを不条理なものにする。もし我々がAという形容的な観念をもう一つの形容的な観念である実在につけ加え、事実と関連づけることがまったくできないならば、それは判断にはまったく不十分である。しかし、それだけではない。実在の観念は、「これ」の観念のように、その存在に顧慮することなく使用される通常のシンボル的内容をもっているものではない。実在であるもの、存在するものの観念は我々が直接に出会う現実の実在、現実の存在の一要素として見いだされる。判断においてこれから取り除いたり、別の実在に移し替えたりすることはできない。我々はここで前と同じ障害に出会う(§25-7)。その観念は自身の実在をしか意味することができない。ところで、観念を得るには、それを所与のものから区別しなければならない。そこでその観念を所与でないものに当てようとすると、衝突が起き、判断は消え去ってしまう。しかし、他方、それを現実に与えられているものに当てると、そのふるまいは無益なものとなる。事実があり、観念的総合が所与の実在の分析に過ぎず、最終的に主語であるそうした実在に帰せられるのだとすると、なぜある観念を使ってその実在を肯定するのだろうか。「実在の」というのは明らかに「実在」を形容するもので、現前としてあらわれる以外の実在を我々は知らない。確かに、その観念は実在に関して真であるに違いない。しかし、もしそうなら、我々は事実の形をした主語を目の前にもっていなければならないし、もしそうでないなら、観念はすぐさま虚偽となろう。より詳細にわたる議論は、§25-27を参照。

 ヘルバルトが支持する、ある意味驚くべき見解を調べてみても得るところはないだろう(§75を見よ)。この章の探求に用意されている結論は、究極的な主語は決して観念ではなく、存在の観念は決して真の述語ではない、ということである。結局、主語は常に実在であり、それは観念的内容の形容で性質づけられるのである。