道すがら美濃で打ちける碁を忘る 芭蕉
旅にある体の句である。一句、前句とのかかりは自ずから分明で、解釈を必要としない。ただ「すがら」という語には、二つの意味がある。夜すがら、日すがらなどというときは、夜がつきるまで、日がつきるまでということである。行くすがら、身すがらなどは、それなりという意味で、直従(すぐから)である。近松の浄瑠璃に見える「身すがらの太兵衛」などは、その身それなりの意味のあだ名である。ここの「道すがら」も、道をそれなりにそのままにということで、つまり道をただたどっている。
見るものもない山道の道中、互いに碁を自慢するものが、おぼつかなくはあるが、歩きながら一局勝負をしようと、五の六、六の五などと打っている様子で、碁盤などなくても碁ができることは、あの王積薪が宿を借りた家の老婆と婦人だけでなく、少し碁に長じたものならば、できることである。ここでは「美濃で打ちける碁を忘る」とあるので、冗談などを言いながら不破の関も越えてからのことで、近江路に入って宿を取り、湯にも入って、さてまた碁盤を借りて打ち掛けの部分から打ち直そうとするのだが、「三絃借らん不破の関人」などと戯れていたときには、関もなく三味線も借りる必要もないのでよかったが、実際に碁盤を前にしてみると、本因坊のような棋力があるわけでもなく、美濃地の一日をかけて打った碁も、そこはそうではない、ここはこうだと、お互い争いになり、記憶もはっきりせず、やれやれなんの役にも立たないばかげた戦いをしたものだと、素人芸の本性をあらわしたおかしみが伝わって、頬を緩ませることになろう。
これを隣の三絃に気が浮だって、碁などの窮屈な遊びは忘れて、今夜は一献賑わしく酌み交わそう、などと解するのは、この句で「美濃で打ちける碁」とあるのを見ないで、前句の不破の関に魂をへばりつけてしまったことからくる過失である。高慢と洒落と阻喪と軽い悲哀とが錯綜した滑稽さの情景を点出した芭蕉の面白い世相観察を見過ごして、野卑な面を見せて今夜は一献酌み交わそうなどと解釈するのは、実に片腹痛く口惜しいことである。
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