§52.この実在の性質は判断においては明らかにされておらず、仮言判断では隠された潜在的なものである。結果からそこに存在することを知るが、それがなんであるかを言うことはできない。更なる探求を経なければ、要素もその間の関係も非常に異なった別の判断で認められたものと同じものかどうかさえ見分けることができない(第三章§19参照)。そして、探求を更に進め、こうした性質は我々の判断の基盤にあるもののようだが、
常に隠されているのだろうか、それともこの種の判断でだけ隠されているのだろうか、と問うと、再び難解な問題に足を踏み入れることになる。確かに、一方において、我々はそうした判断の基盤となるものを見いだすことができ、それは
比較的明瞭である。しかし、そのことは、結局そうした性質というのは隠されたものであることをやめるのだろうか、という疑問に我々を近づけるだけである。実在の性質と言えるような判断の基盤を我々は得ることがあるのだろうか。あるいは確実に真であるがその要素も要素の関係も実在に関して真ではない究極的な判断と共に残されるのだろうか。結局、我々が総合の土台にあると知っている性質は常に未知のままにとどまり、隠されていると言わねばならないのだろうか。ここで尋ねられているのは、形を変えた解釈の限界に関する問題であり、その追及は形而上学の仕事であるので、このくらいで中断しなければならない。
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