蓮池に鷺の子遊ぶ夕まくれ 杜國
前句を逸らして、人事が続いたのを、蓮の葉陰に鷺の子の毛の生えそろわぬのが三四羽いる景色とした。これは面白い古風な俳諧の付け方で、この頃はなお希にこうした姿のものもある。古俳諧では、人事の句ばかりが続くと、一転して横にそれ、景色の句をだすことがよくあった。
たとえば、「はさみ切るかやあたら髪さき」という恋の句に、「蟹の住む此の川岸のふし柳」、と松江重頼が付け、また、「涙をや鬼の目にさへこぼすらん」という前句に、「柊のさきに見ゆる朝露」、と松永貞徳が付けたようなものである。「三絃からん」から五句みな人事のことに終始したので、一転の作としてこうした句も場合によっては悪くないと芭蕉も許したのだろう。
蓮の葉傘の下の鷺の子、「子」の字が眼目である。それを「遊ぶ」という箇所を眼目だとして、屋敷者が金を使い果たして、ようやく一本求めた傘に四五人寄り添う江戸不忍池の弁天詣りの風情などと注解するのは面白くない。
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