「篠」は「しの」と読んでも「すず」と読んでも同じことだが、「すず」と読むべきである。すずは芳野山に読み合わせた歌が多く、「すず吹く風」、「すずのかり寝」、「すず分けわぶる」、「すずの下道」などという。「はるかなる野中の松を友と見てすずのしの屋に世をや過ぎまし」とは寂蓮のいい歌である。
この句は真の山中ではないが、山中のおもむきを移してつくった侘び構えの小庵に閑寂を楽しむ隠居の様子である。「柿の帯さびし」は、渋柿の小さくて出来の悪いものを取りもせずそのままにしておくと、実が落ちて帯は残り、枝についたまま長く残るものである。廂の傍らにある柿を取り繕わない鄙ぶり、そこに詩眼が目をつけた。柿を育て実を得ようとするものは、出来がよかろうと悪かろうと、小枝を折り取って、次の年の新しい枝に花が咲き実がなるようにするものであり、梢に帯を残したままなのは、ただ柿の木をあるがままに放って置いて、利益を得ようとしていないことは明らかである。
前句とのかかりは、その家の老人などが、朝まだきに紙燭をともして、縁先に出てみると、篠はまだ暗く茂って、柿の梢には帯が点々と透かし見える様である。篠は松などのように四季を通じてあるものなので、季はない。だが、すずをタケノコの小さなものとすることもあり、『古今著門集』巻十八に、石泉法印祐性が鞍馬寺の別当で、すずが多く取れたのである人のもとへ遣わすときに詠んだ「此すずは鞍馬の福にてさふらふぞさればとてまたむかでめすなよ」という狂歌がある。福とは神に供えたものを神より賜り、人に与えることをいう。鞍馬山毘沙門天に百足は縁があるものなので、「剝かで」を掛けて興じた歌である。これは小さなタケノコなので季は夏である。
曲齋などはこのことからこの句を夏としているが、句集の篠は篠深くとあるので、タケノコではなく、また若く生えでた篠とも限らないので、強いて夏の季とすべきではない。篠を詠んだ古歌は、月、秋風、霜、山伏の峰入り、花、木枯し、時雨などを詠み合わせており、篠というだけでなんで夏の季となろうか。また、柿は渋柿にしろ甘柿にしろ、その実が多いことを願って、みなそれを枝ごと折るので、梢に帯が残っている景色など知らぬものが多い。そこから「帯さびし」のおもむきを理解せずに、曲齋は帯は「たふ」の仮名でつらね書きにしたものを読み間違えて帯の一字をあてたようで、これは柿のたふで、柿のたふは天漿子という虫の巣だといっている。いら虫の巣は豆くらいの大きさで、柿や梅その他の枝上についてあるもので、初夏のころ、虫となって巣だち、その残った殻は小さな甕のようなので、子供はこれをもてあそんで雀の甕(たご)という。雀の甕は、雨などに当っているうちに白くなって、枝にまことに淋しい風情を見させるものである。釣りをするものにとっては秘密の餌であり、どんな魚もよく食いつく。殻のなかにいる幼虫はクリーム色で、バターのように柔らかい。鶯の餌に用いることもある。そうなると前句に響く筋がある。だが、雀の甕を柿のたふということいまだその例証を知らない。柿のたふというのは通常は柿の花をいい、春の末の季である。柿の帯は柿のたふで、柿のたふは雀の甕だという説の当否は、なお再考して定めるべきであり、武断することはできない。
0 件のコメント:
コメントを投稿