2013年12月24日火曜日

ブラッドリー『論理学』2

 おぼろげなのはその生涯ばかりではなく、読んだ本や影響関係についてもいえる。「絶対的観念論者」といわれ、イギリスにおいてヘーゲル哲学を極端な形にまでもっていったともいわれるが、ヘーゲルがその著作において言及されることはほとんどないし、文章からみれば、ドイツ観念論の晦渋さよりは、イギリス流の簡明さの方が顕著である。

§2.まず後の仕事から取りかかろう。判断は、厳密な意味においては、真と偽の知識のないところには存在しない。真と偽は我々の観念と現実との関係に基づいているので、観念なしに判断なるものはあり得ない。たぶん、こうしたことの多くは自明だろう。しかし、これから指摘しようとする点はそれほど自明ではない。我々は、観念を使用する前に判断できないだけでなく、厳密に言えば、観念を観念として用いるまで判断できない。我々はそれらが実在ではなく、単なる観念であり、自身以外の存在の記号であることに気づいていなければならない。観念はシンボルとなって始めて観念となり、シンボルを使用する前に我々は判断できない。

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