2013年12月1日日曜日

アレキサンダー・ギャロウェイ『インターフェイス・エフェクト』



序:調停役の一つとしてのコンピューター
1.働くことのできないインターフェイス
2.ソフトウェアとイデオロギー
3.表象不可能なものはあるのか?
4.不誠実な情報科学
後記:我々は金を収穫する農民である

 メディア論。といってもマクルーハンのように新たなメディアの特性を探る楽天的な側面はなく、偏向したイデオロギーと骨がらみになったメディアを批判する。

 現代思想のジャーゴンが駆使されているのでやや読みにくいが、個別の箇所で興味深いところもある。

 たとえば、写真やワイズマンの『ショア―』などの映画を引き合いにだして、ホロコーストや災害は表象不可能だと言われるが、そもそも我々は写真や映画などを見て、嬉しさなり悲しさなり、なんらかの情動を感じなければならないのだろうか。表象不可能というときに、暗黙のうちに写真や映画が前提とされているとき、写真や映画などはひとを動かすものだという要請まで入り込んでしまっているというわけだ。

 アメリカのテレビ・シリーズ『24』を論じて、そこでは人間の身体は情報の流れを阻害するものとしてしか描かれない(ジャック・バウワーによる容疑者の拷問が次々に行われるが、そこで得ようとされているものは要するに情報である)など面白い部分も多かった。

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