金融界で成功した若い社長の一日を描く。朝、この社長は護衛の者たちに数ブロック先の床屋に行くように命じる。リムジンで向かうのだが、折しも大統領がニューヨークを訪れており、人と車があふれかえって、ほとんど動かないような状態にある。
リムジンには最新の装備があり、オフィス同然である。ほとんど動かない車には次々に社員があらわれ、知的な雑談を交わしていく。社長は毎日健康診断を受けており、直腸触診で前立腺が非対称だといわれたことになにか特別な意味があると感じている。
また、少し前に家柄のいい大金持ちの令嬢と結婚をしているが、生活は別であるらしく、ニューヨークの狭い街のなかで擦れ違うたびごとにセックスを迫るのだが、食事をしては別れてしまう。街では大きなデモがあり、暴動にまで発展する。
社長は莫大な金額の円を買い込んでおり(映画ではウォンになっている)、目算が狂って破産が身近に迫っている。もちろん本人にもそのことはわかっているが、何ごとにも現実感を感じられないようだ。死に関してもそうで、気まぐれのように護衛の者を銃で撃ち殺してしまう。
クローネンバーグの映画では、「プルースト流」と本人によって形容されたリムジンの、外界の遮断が非常にうまく表現されている。最後、この社長は元社員によって襲撃されるのだが(その結果は小説と映画では微妙に異なる)、銃を突きつけられることによる死の危険がこの男に「リアル」なものとして届いているかはわからない。そうした曖昧さは映画の方がうまく表現されているように思える。
0 件のコメント:
コメントを投稿