2013年12月13日金曜日

悪魔が映画をつくった――ウィリアム・フリードキン『エクソシスト』



 「鬣」第20号に掲載された。


『エクソシスト』はホーム・ドラマの一変種だという説がある。素直で従順だった子供が、思春期を、或は精神的病いを境に態度や行動を一変させる。そうした決して珍しくないホーム・ドラマの題材に悪魔憑きというひねりを加えたのが『エクソシスト』だというわけである。

確かに、中心になるのは母(エレン・バースティン)と娘(リンダ・ブレア)の関係である(要するに、悪魔さえ取り除けば、『積木くずし』と似たような話になる)。悪魔払いの経験のある老神父(マックス・フォン・シドー)は若い神父(ジェイソン・ミラー)に、悪魔と会話を交わしてはいけないと忠告するが、それはベテランの精神分析医が新米の分析医に、治療においては患者から医者への愛情や敵意の転移を警戒し、患者とあまり深い感情的関わりをもたないよう注意するのと似ていよう。また、神父をある種の教育者と捉えるなら、教育によって「人間性」を(再)獲得する物語とも考えられる(要するに、悪魔さえ取り除けば、『奇跡の人』と似たような話になる)。

ところが、観点を変えて、ホーム・ドラマに悪魔というスパイスをきかせたのではなく、悪魔が我々に最も馴染みのある物語を際限なく生みだし続けるホーム・ドラマを侵略し、その領土を侵しているのだとしたらどうだろうか。公開当時から、かりにも神に抵抗しようという悪魔が、なぜよりによって一家庭の一少女に取り憑き、しかもその命を取り損なうことがあろうか、といった疑問が出されたものだが、悪魔にしてみれば一少女の命など問題ではなく、人間生活に強い根を張ったホーム・ドラマという枠組みに罅を入れる方が焦眉の急であったに違いない。

こうしたことを明らかに示しているのが『エクソシスト』の映像だと言える。『エクソシスト』(1973年)と四年後の『スター・ウォーズ』の公開によって、ハリウッド映画における特殊効果の役割は決定的なものとなった。『スター・ウォーズ』が描きだしたのは、宇宙空間での戦闘であり、人間とは異なった姿形をもつ異星人であり、人間の力には及ばない神の視点であって、特殊効果は神の創造を真似たのだった。

一方、『エクソシスト』の特殊効果が描くのは、三百六十度回転する少女の首、浮遊する身体、罅割れた顔、緑色の吐瀉物という、ごく身近にありながら経験したことのない組み合わせであり、「人間性」についての概念がなんらかの形で変容しないなら実現され得ない事柄であって、特殊効果という武器を得たこれ以降のホラーがますます「人間性」を蔑ろにしているのを見ると、『エクソシスト』で悪魔のしたことはまさしく悪魔の所業と言うに相応しい。

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