2013年12月3日火曜日

言った言葉が・・・・・・--三木のり平



 「鬣」第16号に掲載された。

実は、三木のり平にそれほど関心をもつことはなかった。伊東四朗や三宅裕司の口から敬愛の情をもって語られるのを耳にしたことはあるし、別役実の芝居に出演しているのを中継で見たこともある。それ以外では、森繁久彌や小林桂樹などと共演していた社長シリーズでの姿を微かに思いだす程度だが、本人に言わせると社長シリーズなど、糞だよ、ウンコ、作品なんてもんじゃないよ、ということであり、それは作品としての評価というだけではなく、映画というものが、本来、役者の芝居の流れを好き勝手に切り刻み、好き勝手に貼り合わせる監督のものであり、役者が自信をもって自分の作品だと言えるのは舞台のみであるという考えに基づいている。

思えば、三木のり平に対する私の印象の薄さは、彼が心血を注いだ東京の喜劇について鮮明なイメージを結べないことからきているようにも思われる。物語などは方便でしかないギャグの陳列場で
ある吉本新喜劇とは異なるしっかりした結構をもち、人情と涙と笑いが一緒くたになった松竹新喜劇よりも遙かにドライであるらしい芝居の姿が文章による証言だけでは朧気たらざるを得なかった。

ところで、ここに、<言った言葉が・・・・・・>という遊びがある。撮影所の長い待ち時間ではやった一種の謎々で、映画の題名をあてる。例えば、東北の寒村、飢饉があって、男は出稼ぎ、娘は身売り、年寄りしか残っていない。息も凍るような寒い朝、特に貧しい一軒の家から老婆が出てくる、一羽だけ残った鶏の世話をするためである。餌をあげようとすると、なにを思ったか鶏はお婆さんの肩に飛び乗る。こらっ、と手で払うと、鶏はすぐに下りたが、フンがお婆さんの肩についた。そのとき、その老婆が言った言葉が・・・・・・というのが問題で、答えは、あっ、バッチイ鶏でえ、つまりアパッチ砦。

この、寒村の貧困を眼前に髣髴させる非常に高度な話術と、それに正確に反比例するかのような非常にくだらない回答に東京の喜劇の姿が見て取れるように思える。確かに、東北も寒村も貧困も老婆も答えには全く関係がないし、アパッチ砦を、あっ、バッチイ鶏でえと変換するのもでたらめだが、その途端に鶏のいる状況として紡ぎだされる情景は緊密で間然するところがない。

つまり、あっ、バッチイ鶏でえというばかばかしい駄洒落が高度な話術によって作り上げられる虚構の世界の入口でもあれば出口でもあり、世界のすべてがこのくだらなさによって支えられているからナンセンスであると同時に、一点で支えることができる、ぼろぼろと崩れ去ることのない引き締まった全体を形成する必要があるから芸が問題になるのであって、一見ナンセンスという点では似たように思えても、場受けのよさを第一義とし、センスのよさを競う現在主流のナンセンスとは根本的に種類が違う。

 人を笑わせるにはね、いわゆる芸のボキャブラリーというか、いわゆる「乞食袋」と言いますけど、いろんな笑いのネタがふだんから詰まっていないといけない。これが自慢していいくらい、僕にはあるつもりだよ。漫才のネタ、落語のネタ。都々逸から民謡、踊りから狂言、新作から古典から、それを全部乞食袋のなかに入れておいた。・・・
 ただし、ひとつだけ言っておくと、芸っていうのは、試しちゃいけない。計算もない。客が笑ってくれるか試してみようなんていうのはプロじゃないよ。一発必中のネタをいつも用意しておいてこそ、人を笑わせるプロなんだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿