2015年12月1日火曜日

鋼の明朗さ

中平康の『黒い賭博師 悪魔の左手』(1966年)を見る。アマゾン・プライムで見られる。日本に大きな映画会社が五社あったときのことに限っていえば、一番多く見ているのが東映で、相当な差を開けて大映、松竹、東宝となり、日活は鈴木清順を除けば一番なじみのない映画会社である。石原裕次郎の映画さえ、多分まともに見たのは1,2本ではないかと思う。無国籍映画とはよくいったもので、この映画も、四人まで妻が持てるのだからイスラム教の国らしいが、大泉滉が国王を演じているが、実権を握っているのは「教授」と呼ばれる二谷英明で、日本をギャンブルの市場にする上で邪魔な存在である凄腕のギャンブラー小林旭をたたきのめそうと、その手腕をコンピューターで解析し、選りすぐりの三人のギャンブラーを送り込む。まあ、もちろん、その企ては失敗に終わるのだが、おかしいのは「黒い」といい、「悪魔の」と二度にわたって念押ししているにもかかわらず、黒くも、悪魔っぽくもない鋼のような明朗さを保っている小林旭の存在感である。

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