食わず嫌いの監督がいる。
私の場合、たとえばウディ・アレンで、もっとも完全な食わず嫌いというわけではなく、『アニー・ホール』だけは公開時に見ているから、多少は口にしているのだが、それ以来なんとなく敬遠してみていなかったのだが、数年前に20本くらいまとめてみて、嫌いではないが、大好きな映画はないという状態にとどまっている。
スパイク・リーもまたそうで、こちらは少しも口にせずに過ごしてきたが、最近10本くらい見て、やはり嫌いではないが、大好きな映画もないという状態にある。
アルモドバルもそうした監督の一人で、なんとなく騒々しい子犬が吠えるような映画であるような気がして、敬遠していた。
そんなアルモドバルの『私が、生きる肌』(2011年)を見た。
勝手な思い込みとは違い、特に騒々しい映画ではない。
人工皮膚の権威が主人公なので、安部公房の『他人の顔』のような話かな、と思ったらそんなことはなく、その医者が自宅の一室に美女を監禁しているところから映画は始まる。
そこから過去にさかのぼり、恐怖症で人前に出られない娘をレイプした犯人に対する復讐劇へと転じ、医者を演じているのがアントニオ・バンデラスだものやはりそういう方向へ行くわな、などと思っていると、倒錯的な愛の物語となり、それで完結すると思いきや・・・
嫌いとまではいかないが、多様なテーマを盛りこみすぎて、消化不良になっているようで、判断保留。
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