2015年12月8日火曜日

価値の転倒と混沌

フロイトは声と超自我を結びつけた。

超自我とは自我を監視し、間違った方向に行かないように命じる。

道徳的な法、倫理などがそれで、良心の声という慣用句にそのことがあらわされている。

道徳的な法や倫理は意味をもつ象徴であるから、当然その反対の意味も暗黙のうちに含まれている。

汝、殺すなかれ、は汝、殺せ、と薄い膜で隔てられているにすぎない。

価値の転倒は重要なことだが、価値の混沌は恐ろしい。

安部首相が述べた無意味な三本の矢からヘイト・スピーチまで、みられるのは混沌である。

グローバリゼーションという言葉が使われはじめて、もうかなりの年月がたつが、これほど無意味に使われている言葉もない。

グローバルといっても地球単位で考えているものはほとんどなく、たかだか「先進国」の経済の問題がいわれているに過ぎない。

かつて、ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』で、インドの貧困を解決するには(現在でいえば、南半球の貧困ということになろう)、アメリカが(現在でいえば、いわゆる「先進国」ということになろう)その富を無償譲渡すればいいと言った。

これこそまさに価値の転倒であり、グローバルな思考である。



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